第10話 雪山の暖炉
岩肌が雪の間から露出し、一度溶けた雪が氷柱となって崖からぶら下がっている。透明な氷柱は向かいの景色を写し出す。人が通れるようにと山を左右にに分割するように造られた唯一の切通しは、巨大な氷壁が行く手を塞いでいた。
不入山として名高いことを知ってか知らずか、東から飛んできた鳥が速度も落とさずに上空を飛び去って行く。パゴノ山の山麓にやってきたセリーニとレオは、思わず身震いをした。このパゴノ山の付近だけ、妙に気温が低かった。セリーニはリュックを一度降ろすと中から子供用のコートと毛糸で編まれた帽子を取り出し、アクティノに着せてやった。
「・・・寒いですね」
レオはそう言ってコートの前ボタンを閉めた。ハァと白い息を吐いて、自分の両手を温める。
「予想通りと言えば予想通りだけど、さてどうしたモンか・・・」
セリーニは目の前に広がる氷壁を見上げた。木々よりも背の高い壁に視界を塞がれている。彼女はグローブをはめた手で氷壁に触れて押してみた。壁はほんの少しも揺れることは無く、壁の上部に積もった雪も落ちては来なかった。
「割れそうですか?」とレオ。
「多分ね。悪いけど、アクティノを預かっていてもらえる?」
そう言ってセリーニは両腕でアクティノを抱え、レオに渡した。アクティノはレオの顔を見て不服そうな顔をした。レオは困惑しながらもアクティノをしっかりと抱きなおした。
片足を一歩引き、セリーニは刀に手をかけた。シュ、と刀身が鞘から抜ける音とほとんど同時に刀を三度振った。分厚い氷壁に三角形の深い切り込みが入る。刀を鞘に納めると、彼女は氷壁に思い切り体当たりをした。雪に足を取られながらも肩で氷壁を押すと、ズズ・・・と切り込みを居れた箇所だけが奥にスライドする。後ろからやってきたレオがアクティノを抱いているのと反対の腕で手伝うと、三角に切り取られた氷壁はついにスポリと奥側へ抜けた。突然あいた穴から、冷たく強い風が雪と共に吹き付けた。セリーニとレオは目を合わせると、その三角の穴を潜ってパゴノ山に入って行った。
パゴノ山に踏み込むと、麓とは比べ物にならない寒風が吹いていた。外からはよく分からなかったが、この山の中だけが豪雪に襲われているようだった。肌に打ち付ける大粒の雪は彼女達の髪や肩に少しずつ積もって、体温を奪っていく。降り積もった雪の上に足を下ろす度に、バランスを崩しそうになりながら、セリーニ達は少しずつ山を登っていく。
アクティノは初めて見た雪に興味津々で、左手を伸ばして雪を掴んだが、余りの冷たさに驚いてすぐに手を放した。その様子を見ていたセリーニは、微笑みつつアクティノの帽子をしっかり着け直してやった。
今まで煌々と空を照らしていた太陽を雲がすっぽりと覆ってしまうと、周囲は瞬く間に薄闇に包まれた。
「寒いな」
そう呟いたセリーニの声は寒風にかき消されてとても小さく聞こえた。
「今の所妖精の姿も見えませんが、この寒さでは進むのが難しいですね・・・」
レオはいつの間にかコートの襟を立てている。
立ち止まる訳にもいかず、2人は頂上を目指して歩き続けた。だが、彼らの目の前には丘に挟まれた坂道が永遠と続いていた。セリーニは途中、片足を雪から抜いて軽く足の指先を動かした。レオも手を握ったり開いたりして居たが、まるで老人のようにゆったりとした動きだった。余りの寒さに耐えかねてか、アクティノも途中で泣き出してしまった。
「アクティノだけでもオリヒオに置いてくるべきだった・・・?」
セリーニの声は吹雪にかき消された。レオが「え!?何ですか!?」と言っていたが反応をする余力も無くひたすらに山を登った。
2人がようやく頂上付近に着くころには日が傾き始めていた。もう随分歩いてきたらしい。東側の分厚い雲の向こうからほんのり橙の光が漏れている。
「このままでは、麓に降りる前に夜になってしまいますね」
レオがそう言った。
「さらに気温がさがったら、私もアクティノも耐えられる気がしないよ」
レオは後ろを振り返った。2人分の足跡がずっと向こうから続いているが、降り続く雪がその足跡を消し始めていた。
「戻るにも時間が足りません、兎に角進むしか・・・」
「――おい、アレ!」
前に向き直ると、セリーニが何かを指さしている。その先を目を凝らして見てみると、進行方向に対して斜め右側、真っ白な木々の間から灰色の煙が登っていた。
その煙の根元には赤茶色の煙突がひょっこり覗いていた。雪を被っているものの、三角の屋根らしきものも見える。家があるのだ。2人の表情はパッと明るくなった。
「行きましょう!!」
レオがそう叫ぶが早いか、2人は言うことを聞かない脚を叱咤しその家の方へ歩いて行った。
◆◆◆
屋根から伸びる煙突。2人が家の前に着いても、煙突は灰色の煙を吐き出し続けている。レンガ造りの二階建ての家の窓からは、暖かな光が漏れている。耳を澄ましてみたが、聞こえるのは未だに止まない吹雪の音だけ。それ以外には何も聞こえなかった。
レオは重い体に鞭打ちドアの前に立つと、三度ノックをした。思いの他力が入らず、小さな音しかしなかった。もう一度、今度はさらに強い力でノックした。
「はぁい」
家の中から若い女の声がした。余りの寒さに、セリーニは身を丸めながら一歩レオの方に近寄った。
厚い木で出来たドアが、ギィと音を立てて開いた。開いたドアの隙間から、吹雪が家の中に滑り込む。
「――あら、こんな吹雪の中お客さん?」
真っ白な長い髪の毛を三つ編みにした若い女性が家の中から顔を覗かせた。彼女は革をなめした洋服の上に、羊の毛を裏地に沢山縫い付けたコートを羽織っていた。
「さぁ、寒いから兎に角入って。雪が部屋の中に積もる前に。詳しいお話は中で聞きますから」
そう言って女性は2人をすぐに迎え入れてくれたので、家の中に足を踏み入れた。
部屋の一番奥にある暖炉の中で、炎がパチパチと音を立てて燃えている。部屋の中は暖炉によって温められていた。2人は思わずほっと息をついた。暖炉の前には2人用のソファが2台、ローテーブルを挟むように置かれている。向かって左手の部屋がキッチン、右手のドアを通ると二階に繋がる階段があるようだ。
「暖かいココアを入れるわね。そこのソファーで休んで・・・あ、上着は脱いでそこの帽子掛けに掛けておいてくださいね。濡れたままだと風邪を引くから」
「痛み入ります」
2人は言われたとおりに上着を脱ぐと、玄関の横に立ててあった帽子掛けの腕にそれを引っかけた。靴の中にも雪が入り込んですっかり足が冷えていたので、スリッパを借りて靴は暖炉の前に置いた。
ソファは少し硬かったが、疲れ切った2人にとってはそれでも天国にいるような心持だった。木製のローテーブルを挟んで、セリーニとレオはそれぞれ向かいのソファに座った。キッチンから薬缶がシューシューと音を立てている。アクティノはセリーニの胸の中で眠っている。外では相変わらず吹雪が続き、風と雪が窓を強か打ち付けていた。
「さ、ココアが入りましたよ」
そう言って女性は湯気の立つカップを二つ、ローテーブルに置いた。2人はすぐにそのココアに口をつけた。はぁ、と息を吐くと暖かい空気が口から洩れた。セリーニはグローブも取って素手でカップを包んだ。横の暖炉から来る暖かさが冷え切った足も温めてくれる。次第に彼女の瞼がゆっくりと落ちていく。
「まぁ、よっぼど疲れてらしたんですね。こんな吹雪の中を歩いてきたら当たり前かしら。・・・ゆっくり休んでくださいね」
セリーニはそのままソファに横になった。向かいでレオが俯いたまま眠りに落ちるのを確認して、セリーニも瞼を閉じた。
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