第二章 白銀の山
プロローグ
青々とした草原が地平線の向こうまで広がっている。草の刈り取られた黒い土から、晴天の空へと灰色の壁が伸びていた。周囲からは掛け声や足音が騒々しく聞こえてくる。筋骨隆々の男たちが自分の頭よりも大きな石を担いで運んでいた。額から滴り落ちる汗を太い腕で拭い、石を壁の近くに乱雑に置く。石はドスン、と音を立てて地面に転がった。別の男が石の山から1つを持ち上げ、「ヘイ!」という掛け声と共に壁の上にいる男にそれを渡す。石を受け取った男はまだ背の低い壁にペースト状のものを塗ってから、石を重ねた。再び石が運ばれ来て、壁の下に居る男が石を持ち上げ、壁の上で作業している男がそれを壁に継ぎ足していく。
壁から少し離れたところで、折りたたみ式の木製椅子に座った男は欠伸をした。彼は赤い襟付きの制服を着用し、その腕章と腰の帯剣には獅子の装飾が施されている。
「第二隊の隊士様はお偉いもんだな」
「―しっ!聞こえるぞ!」
作業員の男はそう言って仲間の発言を窘めた。そっと隊士の様子を伺うと、表情こそ軍用キャップの影になって見えなかったが、隊士は指を耳に突っ込んで耳の中を掻いていた。作業員達の方を見る様子は無い。作業員はホッと息をついた。
「さっさと仕事に戻るぞ」
作業員が隊士の傍を去っていく。少ししてから、女性隊士が歩み寄ってきた。女は男の隊士に近寄ってくると、隣の折りたたみ椅子にドスンと腰かけた。
「全く。魔王城の近くというから来てみれば、毎日毎日作業員の様子を見ているばかり。こんなの第三隊にやらせておけば良かったじゃない」
「ほんと、俺もそう思うぜ。何で俺たち第二隊がこんな仕事しなきゃならないんだか」
そう言って男の隊士は再び欠伸をした。
「っていうか、少し前に魔王が現れたって話無かった?アタシそれを聞いて、ワクワクしてたのに」
「あー、あったな。まぁ、先代の魔王に比べて今の魔王はかなりの日和見主義らしい。先代魔王の頃は戦も多く、前線はもっと西側にあった。だが世代交代が起こってからというもの、前線は東に押し進められるばかり。人間が怖いのか、魔力が弱いのか、やる気が無いのか知らないが、恐れることは無いだろ」
「恐れてなんか無いわよ!ただ、そんな弱っちい魔王でも叩き切ってしまえば私の手柄になるでしょう!」
「――おい、馬鹿。魔王が生き残っていることはまだ国民に公表していないんだ。あんまり大声出すなよ」
「あっ・・・ごめんごめん」
女の隊士は手で口を押えた。周囲を見まわしたが、作業員の男たちは壁の建設に忙しく隊士達の話に耳を傾ける暇は無さそうだった。
「はぁっ。面白いことも無いし、先に街に帰ろうかな」
「おいおい」
男の隊士が呆れたような声を出した時だった。先程まで晴天だった空に、滑り込むように黒い雲が現れ始めた。冷たい風がビュウ、と吹く。雲があっという間に太陽を隠し、周囲が薄闇に包まれた。壁を建設していた作業員達も、気味悪がって壁の下に降りてきた。全員が空を見上げていた時、ずっと東の方から何かの鳴き声が聞こえた。
「――なんだ?」
男の隊士はまだ腰の高さ程しかない壁に駆けあがり、東へ目を凝らした。東の空に、小さな点々が見えた。その無数の点は、どんどんこちらへ近寄ってくる。隊士は腰にぶら下げていた双眼鏡を取ると、双眼鏡越しにもう一度東の空を見た。近寄ってくるのは鳥だった。鋼のような鈍い輝きの羽を持つ鳥がこちらへ飛んできている。
「国王騎士団第二隊、集合っ!!」
隊士は声を張り上げた。その声を聞くや否や、草原に寝そべっていた者も、椅子に座って居た者も、壁に寄りかかって居眠りをしていた者も、慌てて駆け寄ってくると参列に整列した。
「スチュパリデスだ!戦闘準備!!」
全員腰の剣に手をかけると一気に鞘から引き抜いた。太い刀身が露わになる。壁を建設していた作業員達はすっかり怯えてしまい、散り散りになって逃げていく。
壁の上で様子を見ていた隊士も地面に飛び降りると、スチュパリデスがやってくる方角に向き直って剣を抜いた。鼓膜をつんざくような無数の鳴き声が周囲を包んだ。スチュパリデスの群れは上空を旋回したと思うと、まるで雹のように地上に降り注ぐ。隊士達は切り落としてやろうとスチュパリデスに剣を向けたが、その鈍色の羽は剣を打ち返すほど硬かった。
「胴だ!胴か頭を狙え!!」
誰かがそう叫ぶと、隊士達は一斉に「応っ」と応えた。だが、スチュパリデスの嘴と牙に肉をむしり取られた隊士が地面にバタバタと倒れ込む。人間の赤黒い血が周囲に飛び散って、土に吸い込まれていく。
「おのれ!!!」
それでも隊士達は健闘し、生き残った者は次々とスチュパリデスを切り伏せていった。ギャアと断末魔を上げてスチュパリデスが地面に落ちる。気が付けば周囲にスチュパリデスの死骸が沢山転がっていた。無限に湧くように思えたスチュパリデスも、群れの数が減った事に気が付くと、ギャアギャアと鳴きながらUターンをして東の空に戻っていく。一瞬の出来事にも関らず、第二隊の隊士の数は半分ほどに減っていた。
隊士達はぜいぜいと息を切らしながら剣を鞘に納めると、東の空を見た。スチュパリデスが戻ってくる様子はない。誰かがホッと息を着いた時、上空の雨雲の中から眩い光が走る。稲妻が蜘蛛の巣のように空を這った。余りの眩しさに隊士達が目を覆う。
「――やれやれ、人間どもはそんなに私の城に近づきたいのか」
建設がほぼ終わった高い壁の上から、地を揺らすような低い声が聞こえた。隊士達は目を瞬かせながら、壁の上を見た。背中から生えた一対の黒い翼。耳に掛からない程度に伸ばした黒髪。螺旋状にねじ曲がった大きな角。その角は、耳の上からそれぞれ左右に伸びている。真っ赤な瞳は、ギョロリと隊士達を見下ろしている。
隊士達は再び剣を抜こうとしたが、それは叶わなかった。地面が淡く光ったと思うと黒い炎があっという間に周囲を覆った。ゴウゴウと音を立てながら、黒い炎は隊士達を瞬く間に包み込んでしまった。ぞっとするような恐ろしい叫びが草原に響く。隊士達も、草木も、黒い炎に包まれた生き物は全てが灰になってしまった。
全ての隊士が灰になったことを確認すると、角の生えた男は背中の翼を大きく広げ、空高く飛び上がるなり東の空へと飛び去った。雲は風に流されていき、周囲を再び日の光が照らした。地面に積もっていた灰は、抜け落ちた黒い羽根と共に風に運ばれて消えた。
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