第9話 勝負の結末

「少し良いですか」

「はっ、はい?」


 レオに引き留められた女性は顔を引きつらせている。片手には小さなバスケットを持ち、中に果物を入れていた。目の前の出店には色とりどりの新鮮な野菜が並べられている。女性は片手に緑色の葉物野菜を持ったまま、一歩後ずさりした。


「少し、その、暇はありますか」レオの目は泳ぎすぎて、これから悪事でも働きそうに見える。

「いえ、その、すみません間に合ってます!!」


 そう言って女性は野菜を店の籠に戻し、走って逃げていった。引き留めようとした彼の手は虚しく空を切った。そんなレオの様子を街道の壁に寄りかかって見ていたセリーニは、思わず頭を抱える。とぼとぼと戻ってくるレオの肩に、ポン、と手を置いたのはアクティノだった。


「アクティノさん・・・俺を慰めてくれるんですね・・・。そういえばアクティノさんも女の子・・・」

「おい」


 セリーニはレオの鳩尾を軽く小突いた。レオは小さくうめき声を上げると、「冗談ですよ」と笑いながら鳩尾を片手でさすった。


「なぜこんなことに・・・」

「受けるって言ったのはアンタでしょ」

「あれはただの勢いです・・・」


 レオははぁ、と大きなため息をついた。


「ナンパなど今までしたことありません・・・一体どうしたらいいのか」


 セリーニはレオの姿を訝し気に見つめた。


「——まず、胸の徽章を外しなよ。いきなり国王騎士団に話しかけられたら、誰だって逃げたくもなる」

「なるほど・・・!」

 

 まるで目から鱗でも落ちたようにレオは頷き、胸の徽章を外してポケットに隠す。


「あと剣も貸して。女の子をたたっ切りに行くわけじゃ無いんだから」

「これは何かあった時の為にも持っておきたいのです!」

「私がすぐ近くに待機してるから。何かあったらすぐ渡す」

「うっ・・・剣は騎士の魂なのに・・・」


 ぶつぶつとボヤキながらも、レオは腰から剣を外すとセリーニに渡した。


「あとコートも。それからシャツのボタン2つ外して」


 最早反論をする気力も無いのか、レオはセリーニに言われたとおりにコートを彼女に渡し、上までピッチリと留めていたシャツのボタンを開けた。


「最後に」


 セリーニはニヤリと笑う。


「アクティノ、レオの頭なでなでしてあげな」


 そう言って彼女はアクティノを両腕で持ち上げた。アクティノはレオの頭を小さな両手で一生懸命にかき回した。おかげで、ピッチリとセットされていたレオの髪の毛は程よく浮いた。


◆◆◆


 黒く艶のある髪の毛を後ろに流した少女が、出店の前で肉を見比べている。淡い桃色のスカートと白いシャツを着ていて、見るからに優しそうな出で立ちだ。その後姿を血走った目で見つめるレオ。セリーニは彼の背中をバン、と平手で叩いた。


「目が怖いわ」

「す、すみません・・・」

「もっと気楽に行きなよ」

「そんな、騎士にあるまじきこと・・・女性とそういった関係になるのであれば、将来の事も視野にいれて・・・」

「重いわ」


 レオは今にも失神しそうな面持ちで、ユラユラと出店にいる少女に近づいていった。それから少女に話しかける。「責任は取る」だの「軽薄な事はしない」だの重苦しいワードがセリーニの方にも漏れ聞こえてくる。少女は優しく笑って手を横に振ると、くるりと向きかえり人込みの中へ消えていった。

 何故か唐揚げの入った紙包みを片手に、レオはセリーニの方へと戻ってきた。


「何故か店主にいただきました・・・」

「・・・」

「今から城に戻ってドラゴンを・・・」

「いや、せっかくだしもう少し頑張りなよ」

「セリーニさん、楽しんでませんか?」

「そんなこと無い」


 そう言ったセリーニの唇は小さく震えていた。

 それからレオは何とか女性をデートに誘おうと、1人、2人と次々女性に声をかけていった。次第に彼自身慣れてきたようで、初め程不審な挙動はしなくなっていた。だが残念なことに、10人余りに声をかけても彼について来てくれる女性は見つからなかった。

 レオはすっかり意気消沈し、再び助言を求めようと人の溢れる街道の中からセリーニの姿を見つけようとしたが、彼女の姿はどこにも無かった。

 レオはまず周囲を見渡した。人通りが多い上に、出店の屋根が邪魔をして視界が悪い。セリーニの姿はどこにもない。次に屋台の裏に回って彼女を探したがやはり見つからない。街道から枝分かれする小道を覗いてみたが、そこにもセリーニは居なかった。地べたに座って雑談をしている若者に「子連れの女性を見ていないか」と聞いては見たものの、返ってきたのは「そんなのいくらでもいる」という素っ気ない返事だけだった。

 困り果てたレオがふと顔を上げると、街灯につけられた時計は11時50分を指していた。


「――不味い」


 エラフリスとの約束の刻限まで、たった10分しかなかった。エラフリスと約束したカフェに戻る為には、彼の足でも全力で走って5分弱はかかる。セリーニ達を探していては、刻限を過ぎてしまう。そもそも、女性を一人連れていくという目標すら達成できていない。


「セリーニさんに何かあったら・・・しかし、彼女がそう簡単にやられるとも考えづらい・・・。剣のことも気になるが、今は仕方ない!」


 レオは人混みの中を駆けだした。


「結局目的は達成できなかった・・・だが、ここで逃げては国王騎士団の名が廃る」


 時間は刻一刻と過ぎていく。とはいえ人を押しのけて進む訳にもいかず、人混みの隙間を縫って素早く体を翻す。混雑が割合少ない場所に出ると、レオはつま先に力を込めて思い切り地面を蹴った。彼の靴が地面を擦り、砂埃を立てる。

 約束の刻限の一分前。エラフリスは、カフェの前に置かれた樽に腰かけていた。レオが人混みの向こうから全力で走ってくるのが見えた。彼の近くに女性が居ないことを確認すると、エラフリスは鼻で笑った。レオはエラフリスの前で立ち止まり、切れ切れの息を落ち着かせる為に大きく深呼吸をする。レオの頭から滴った汗が、顎を伝って一粒地面に落ちた。汗は石畳に吸い込まれてジワリと広がってゆく。


「やっぱり無理だったか。君には荷が重すぎたね」


 エラフリスにそう言われ、レオは奥歯をぎりっと噛みしめた。反論しようにも、女性を連れてこられなかったことは事実だった。


「まあルールはルールだ。悪いけど僕は君たちには協力しない。他を当たって?」


 エラフリスは樽から腰を上げるとレオの肩にぽん、と手を置いてから中央広場の方へと向かっていった。だが、彼はすぐにその歩みを止めた。人混みの中を、セリーニが歩いてくるのが見えた。彼女の隣には先程レオが声をかけた黒髪の女性が立っている。エラフリスはその女性を見て口角をひくつかせた。


「よ、レオ」


 セリーニはひら、と片手を上げて挨拶をした。


「セリーニさん!どこにいらっしゃったのです!それに、そちらの女性は・・・」

「さっきアンタが声をかけてた子だよ。ちょっと気になったから、話を聞きに行ったんだ」

「気になった、とは」

「それは、そこのエラフリスに聞くのがいいんじゃないか?」


 そう言ってセリーニは顎でエラフリスを指した。


「げ・・・」とエラフリスは声を漏らす。

「それか、このお姉さんに直接聞こうか?」


 セリーニは掌を差し出し、黒髪の女性に会話を促した。女性は笑顔で頷くと話し始めた。


「私、エラフリスとはお友達なの。さっき他の女の子から伝言で頼まれて、オレンジ色の髪をした男に声をかけられても絶対について行くなって言われたの。本当はちょっと迷ったけど、エラフリスのお願いだから、仕方ないかなって思って」


 エラフリスの目が泳いでいる。彼の後ろでその話を聞いていたレオの目が、メラメラと怒りで燃えていく。


「おい、エラフリス」

「――ん?」


 全身に汗が滲むのを感じながら、エラフリスはゆっくりと振り返った。そして彼がレオの姿を見るや否や、その白い頬にレオの拳がめり込んだ。エラフリスの顎骨からミシ、と嫌な音がした。レオに殴られたエラフリスは勢い良く街道の端へと吹き飛ばされて転がり、尻を突き上げる形で地面に突っ伏す。指先が細かく動いているので生きているのだろうが、エラフリスは白目を向いたまま動かなくなった。黒髪の女性はその様子を見て「きゃっ」と小さく悲鳴を上げると、元来た方へと逃げて行ってしまった。


「セリーニさん。こんな奴の力など借りません!!さっさとパゴノ山に向かいましょう!!」


 セリーニからコートと剣・徽章を受け取ると、レオはそれらを着用し直しながら中央広場に向かってズカズカと歩いて行った。


「・・・全く関係ない女性も半分くらい居たってことは言わないで置いた方がいいな、これは」

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