第7話 スラム街の炎

 赤い火花がパチパチと音を立てながら空に散る。炎に焼かれたオオガラスは、抵抗もできずにそのまま垂直に落下した。その死骸が地面に落ちると、炎は次第に弱まっていく。地面を焦がすと、炎はジュウッと断末魔のような音を立てて消えた。灰色の煙と酷い臭いが死骸から立ち上る。


「また会ったね、お姉さん!」


 スラムの家の影から、男が現れた。昨夜声をかけてきたエラフリスだった。掌にはまだ赤い小さな炎が灯っている。


「――お前、魔導士だったのか」


 オオガラスの死骸を跨いで寄ってきたエラフリスに、セリーニは言った。レオはまだ警戒を解いておらず、剣に手をかけたままだ。


「魔導士・・・って訳でもないんだけどね。生まれつき素質があるってだけ。見直した?」


 エラフリスはにっこり笑う。


「それだけの素質があるなら国から声がかかるはず。なぜ魔導士団に参加しないのです?」


 レオはやっと剣から手を放したが、セリーニとエラフリスの間に割って入るように横にずれた。


「スラム街の人間に声なんてかからないよ。まぁ、かかったとしても御免だけどね。国の為に働くなんて」


 そう言ってエラフリスはレオの胸に着いている金のバッチを冷ややかな目で見下した。レオは僅かに眉を潜めた。だが、三人はすぐに異変に気が付いた。オオガラスの死骸の臭いに混じって、明らかに他の臭いがする。セリーニは胸に抱いているアクティノを見下ろした。さっきまで泣きわめいていたアクティノが、今はケロッとした顔で彼女の事を見上げていた。


「・・・すまん、ちょっとオムツ変えてくるわ・・・」

「あ、なるほどね。それなら、僕の家が近くにあるから寄ってく?綺麗ではないけど、スラムの中ではまぁマシな方だと思うよ」


 セリーニは少し悩んだ様子だったが、鼻を指でつまんで言った。


「悪いけど、お邪魔するよ」

「よしきた。僕の家はこっちだよ」


 エラフリスはセリーニに手を差し伸べたが、間に立っていたレオに即座に叩き落された。エラフリスは「やれやれ」と言って踵を返し、北東に伸びるスラムの小道を奥へと進んでいく。二人もすぐにその後に続いた。

 道端に捨てられたゴミにコバエが集っている。家々の間を縫うように吊り下げられた縄には住民の洗濯物が引っかけられていた。首元が伸びたシャツを来た大人たちが、椅子に座って煙草をふかしながらぼうっと空を見上げている。その中にはまだ出来たばかりの痛々しい爪痕が肌に残っている者もいた。

 この場所に不釣り合いな恰好をしたセリーニとレオの事を、ゴミ山の後ろに隠れた子供たちが見ている。エラフリスがレオにコートの前ボタンを閉めるように指示した為、レオはそれに渋々従った。まるで罪人が自分の住まいに現れたような、咎めるような視線があちこちから飛んできていた。


「・・・これが盗みの理由か」セリーニは呟いた。

「ん?」


 前を歩いていたエラフリスが振り向き、首をかしげる。


「いや、何でもないよ。ところでエラフリスの家は?」

「すぐそこだよ。ほら、あそこにある赤い屋根」


 彼らの前方には二階建ての家が立っていた。木造だったが、どこにも穴は空いていないし崩れてもいない。洗濯物をかけるための縄も外に飛び出ていないし、ゴミ山も無いようだった。そもそもエラフリス自身が比較的綺麗なシャツとジャケットを着用しているし、裸足で歩く住民も多い中で彼は厚みのあるブーツを履いていた。

 エラフリスは玄関前の小さな階段を上がると「ようこそ、僕の家へ」と言って家の玄関ドアを開けた。


「鍵はかけないんですか?」

「こんなところで鍵なんかかけて、意味あると思う?」


 レオの問いに彼はそう答えた。

 エラフリスの家に足を踏み入れると、床板がギシリと音を立てた。室内は大人が数人寝転んでも余裕があるほどの広さだが、余計なものは置いていない。入り口側の壁沿いに一口コンロが付いたキッチンがあり、部屋の中央には赤茶けた四角いラグが敷いてある。その上に一台のダイニングテーブルと、二脚の椅子が置いてあった。一番奥側の壁には今は使われていない小さな暖炉、右手には二階へと続く梯子がついている。エラフリスはセリーニとレオを椅子に座らせるとやかんに水を入れて火にかけた。一瞬だけガスの臭いがした。エラフリスがお湯を沸かしている間に、セリーニはさっさとアクティノのオムツを付け替えてしまった。その時に強烈な臭いが部屋に充満してしまったので、エラフリスは慌てて上げ下げ窓を開けた。


「はい、どーぞ」


 エラフリスは端が錆びたアルミ缶を手に取った。蓋を開けると、コーヒーのいい香りがした。中にはすでに挽かれたコーヒー豆が入っていた。スプーンで数杯掬い取り、フィルターをセットしてからドリッパーに豆を落とす。薬缶がピーピー鳴り出すとコンロの火を止め、湯をドリッパーに注いだ。コーヒーの香りが部屋の中を満たす。ドリッパーからコーヒーが落ちなくなってからサーバーを取るとカップに注ぎ、それをセリーニとレオの前に置いた。二人は礼を言ってからそのコーヒーに口をつけた。


「美味しい」


 まるで意外だ、とでも言いたいような口調でセリーニはそう呟いてからハッと口を手で押さえた。エラフリスは気分を害した様子もなく、壁に寄りかかりながら自身もコーヒーを飲んでいる。


「デショ。最近酒場で知り合ったお姉さんに貰ったんだよね」

「なるほど。こう言ったら失礼だけど、あまりスラム街の人間には見えないよね」

「そう?まー、ここに帰ってくるのは向こうで寝る場所が見つからなかった時くらいだから」


 レオは汚物を見るような目で彼を見た。エラフリスはその視線に気が付いたが、特に何の反応も示さなかった。


「ところでさ」エラフリスは続ける。

「君たちどうしてスラムに居たの?特にそこの騎士。スラムに用があるとは思えないけど」

「それは・・・今朝中央広場で魔法結晶を盗んだ子供を見かけたんだ。幼い子供がそんなことをしているのが気になって、後をつけてきた」とレオ。

「なるほどね・・・でも、アクティノちゃんまで連れて危ないと思わなかったわけ?スラムっていうのは、君らが思っているよりも汚くて危険な場所なんだよ」


 セリーニとレオは、何も反論できずに黙り込んだ。アクティノだけが、無邪気に笑い声を上げている。


「でも、その姉ちゃんはぼくのこと助けてくれたんだよ」


 聞き覚えの無い、幼い声がした。三人が窓の方に視線をやると、魔法結晶を盗んでいった少年が窓の外から顔を覗かせていた。腕には清潔とは言い難い包帯を巻いていた。


「ケン!やっぱりお前だったのか」


 そう言って、エラフリスは窓の方に近寄りケンと呼ばれた少年の頭を小突いた。


「盗むなら絶対バレないようにしろって言ったろ。国王騎士団に捕まったら面倒なことになるぞ」

「つかまりゃしねーよ!あいつら鎧着てるから、走るの遅いんだ」


 レオは何とも言えない表情で少年の事を見ている。そんなレオの様子に気づき、セリーニは必死に笑いを堪えた。


「兎に角」エラフリスは語気を強めた。

「今度はもっと気をつけろよ。あと、助けられたなら礼はいっとけよ」

「エラフリスならそう言うと思ったから、お礼にこれ持ってきたんだ!」


 ケンはまだ小さな拳を、窓からずい、と家の中に伸ばした。その拳には銀のロケットペンダントが握られていた。そのペンダントはしばらく手入れをされていないらしく、輝きを失い濁った色をしていた。


「これ、姉ちゃんのだろ!?」


 ケンはそう言ってセリーニの方を見た。セリーニは目を大きく見開いたまま、そのペンダントを凝視していた。ケンがロケット部分を開いて見せると、そこには確かにセリーニの色褪せた写真がはめ込まれていた。


「それ・・・どこで?」


 セリーニはよろよろと立ち上がると、そのペンダントを受け取った。裏側にはイリオの名前が刻んであった。間違いなく、イリオのペンダントだった。


「少し前かな、オオガラスがそれを咥えてたんだ。一羽しかいなかったから、俺たち網でオオガラスを捕まえてそれを奪ってやったんだ」

「バカお前、危ないことするなって言ってるだろ!」エラフリスはまたポカリとケンの頭を小突いた。

「大丈夫だって。心配性だなぁ・・・」

「それにしても、よく売らずに持ってたもんだ」

「売ろうと思ってたんだけど、名前入りのモンは高く買い取れないって言われてな。絶対嘘だと思ったから売らずにとりあえずとっておいたんだ。でも、売らなくてよかったぜ!」


 ケンはまるで良いことをした、と言わんばかりに胸を張った。エラフリスは諦めたように首を横に振った。


「―それ、旦那さんの?」とエラフリス。

「ああ」

「詳しく聞いてもいいかな」

「旦那は前勇者のイリオ。殉職したのは知っているだろ?でも、最近になって魔王の目撃情報が出たらしくて」

「魔王が?それは初耳だな。本当なら、噂になっているはずだけど」

「私には分からない。でも国王の命なんだ。イリオが仕損じたんじゃないかって。魔王を倒したって嘘をついて逃げたんじゃないかって言われた」

「まさか、旦那の尻ぬぐいの為に魔王を?」

「イリオが仕損じるなんて有り得ない!まして、私たちを置いて逃げるなんて!」


 バン、とセリーニはテーブルを叩いた。ケンは目を真ん丸にして、頭をそっと下げる。部屋の中はすっかり静まり返ってしまった。突然の音に驚いたアクティノが泣き出し、その泣き声で我に返ったセリーニはバツが悪そうな顔をした。


「まぁ、そういう理由で俺たちは旅をしている。さぁ、もう行きましょう。あまりこの街で時間を潰すのも良くありません」


 そう言ってレオは立ち上がり、コートの襟を正した。セリーニも何も言わずに椅子から立ち上がると、エラフリスの方に手を差し出した。


「私はセリーニ。今日はありがとう」


 エラフリスは恭しく彼女の手を取ると、一礼をした。


「セリーニ。こちらこそ、会えて良かった」

「姉ちゃん、またな!」窓の向こうで、ケンも大きく手を振る。


 スラム街を抜ける道中、セリーニは首にかけたペンダントをじっと見つめた。アクティノも興味津々にそのペンダントを見ている。


「・・・なんでペンダントがこんな場所にあったんだろう」


 前を歩くレオは何も答えなかった。

 そして、セリーニとレオはスラム街を後にした。

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