第6話 魔物の来訪

 太陽が真上に近寄ってくるにつれて、街道には人の姿が増えてきた。普通に歩いているだけで何度もすれ違う人の肩がぶつかった。ちょっと歩くと、自分の商品を売ろうと商人が話しかけてくる。それをかわしてもすぐ別の商人が声をかけてきた。きっと洗濯したばかりであろう真っ白なシャツを着て駆け回る子供たち。ささやかなアクセサリーをつけてお洒落を楽しむ若者。籠を片手に、食材を買おうと商人と交渉している大人達。商人が多いだけあり、街には活気が満ちている。ペットの犬が飼い主を追いかけて走り去り、猫は路傍の樽の上で丸くなっている。

 石畳の間からは小指の爪程しかない小さな黄色い花が顔を覗かせている。レオはその花を踏まないようにしながら、人々の間を縫って歩く。セリーニもアクティノを抱きかかえながらレオに続いた。少年の姿は大人達に紛れては現れ、再び見えなくなっては現れた。他の子供たちと異なり土と埃で汚れた彼の姿に驚いてか、街道の大人たちは周りにそうと分からない程度にその子供を避けた。子供はそんな大人たちの対応に怯む様子もなく、スイスイ街の中を進んでいく。

 北の街道中腹までやってきた少年は、周囲をきょろきょろを見まわすと素早く左手の脇道に滑り込んだ。屋台の物陰に隠れていたセリーニ達もその後を追おうと体を物陰から乗り出した。その時、どこからともなく女性の悲鳴が聞こえてきた。


「――なんだ!?」


 セリーニは声の聞こえた方向へ振り返る。すると、先程まで動き回っていた街道の人々は足を止めて上空を見上げていた。静まり返った街道に、大きく「ガァ」という鳴き声とも楽器の音ともとれない音が響いた。無数の影が人々の上に落ちる。


「オオガラスだ!!」


 人混みの中の誰かが、そう叫んだ。上空高くを飛んでいたオオガラスは嘴を下に向けてぐんぐん下降してきていた。最初、普通のカラス程に見えたその影は、下降してくるなりあっという間に1m程の大きさになった。いつの間にか集まっていたオオガラスの群れが、オリヒオの街上空を旋回している。


「キャアァア」


 先程まで活気にあふれていた街は一気に混乱に包まれた。人々が右に左に、押し合いへし合いする。泣きわめく幼子を抱いた女性が、顔を真っ青にして走り去っていく。逃げ惑う人々が出店の台にぶつかりその台が倒れてしまうと、上に置いてあった野菜が地面に音を立てて転がる。その野菜を踏みつぶして逃げていく者もあれば、足を取られて転ぶ者もいた。転んだ男が慌てて両腕で頭を守り、地面でダンゴムシのように丸くなっている。突然の喧騒に驚いた猫が樽の上から飛びのいて、セリーニ達の足元をすり抜け逃げていった。


「まずいですね」レオはそう言って剣に手を添えた。

「俺は現地の騎士団をサポートしてきます。セリーニさんはあの脇道に隠れていてください」

「わかった」


 レオはパッと飛び出すと人の雪崩の中に飛び込み、地面で丸まっていた男を助け上げた。男を街道の隅に誘導するなり、オオガラスの群れが向かった先へと駆けていった。

 あちこちから「ギャアギャア」というオオガラスの鳴き声が聞こえてくる。どうやら先程よりも数が増えているらしかった。あまりの騒がしさにアクティオが目を覚ましてぐずりだしたので、セリーニはアクティオのパーカーのフードを頭にかけてやった。それから、脇道に滑り込み壁に背を預けて周囲の様子を伺う。

 魔法結晶を盗んだ少年は脇道でしゃがみ込み、上空を睨みつけながら息を潜めている。彼の手は小さく震えていたが、泣きわめいたりパニックになったりはしていなかった。

 オオガラスの影が脇道の日向を横切っていく。セリーニは少年と反対側の街道に目をやる。人々が逃げ惑う真上に、オオガラスが一羽舞い降りてきた。大きな羽を左右に広げ、肉食獣の牙のような太い爪で獲物を捕まえてやろうと、餌になりそうな人間を見定めている。オオガラスの真っ赤な瞳が街道の年老いた女性を見つめたと思うと、すぐに急降下した。

 セリーニは右足を思わず前に出したが、躊躇した。だがオオガラスは老女に向かって突進していく。鋭いくちばしがギラリと光る。老女は逃げることも出来ず、その場でしゃがみ込んで両手で顔を覆った。


「――間に合わない!」


 彼女がそう呟いたが早いか、黒い甲冑の男が飛び出しオオガラスを上から思い切り剣で刺しぬいた。地面に剣で縫い付けられたオオガラスは断末魔を上げながらもがき苦しみ羽をばたつかせたが、じきに動かなくなった。甲冑の男は地面から剣を引き抜き、剣に付着した血を振り払った。彼の甲冑の背中には唐草と蛇のシンボルが描かれていた。


「――ふぅ」


 セリーニは安堵した様子で息をついた。だがそれも束の間、今度は彼女の左手から少年の悲鳴が聞こえてきた。


「うわぁ!!」


 先程の少年がオオガラスに襲われている。彼はオオガラスの鋭い爪に引っかかれて腕から血を流していた。少年は慌てて脇道の奥へと逃げていく。セリーニは彼を助けようと刀の柄に手をかけたが、少年はどんどん脇道の奥へと走って行ってしまう。オオガラスもその少年を追いかけて奥へと飛んでいく。セリーニは刀に手をかけたまま少年の後を追った。

 オオガラスが飛び交う空の下を、彼らは全力で駆け抜けた。少年を襲ったオオガラスは、しつこいことにまだ少年を狙って追いかけていた。右に左に曲がりながら脇道を進んでいく内に道幅は狭くなり、民家の壁にオオガラスの羽がバチンとぶつかると大きな羽が一枚抜け落ちた。先程まで整備されていた石畳の道はどんどん凸凹した土道になり、美しく塗装された家の姿も見なくなった。代わりに古びた木造の家ばかりになり、酷いものだと屋根が崩れ落ちている。華やかな青色に塗装された家もあったが、どこで手に入れたのかも分からない塗料を自分で塗ったのだろう。灰色の街に浮かび上がる雑な塗り方をされたその壁が、猶更もの悲しさを際立たせていた。

 セリーニは少年に近づくためにさらに加速して走った。アクティノが「ぎゃぁ」と泣き出した。その鳴き声に気が付いたオオガラスが、少年を追うのをやめてこちらに向き直ったと同時に、セリーニは思い切り地面を蹴った。空中で刀の柄をしっかりと握り、オオガラスの赤い目を見た。鋭い嘴がゆっくりと開くのを目視しながら、セリーニは思い切り刀を抜いた。金属が震える音が、ほんの一瞬周囲に響く。オオガラスの胸から出た鮮血が弧を描くように散った。セリーニは両足でしっかりと地面に着地する。砂埃が辺りをつつむ。


「大丈夫?」


 セリーニは少年に尋ねた。血を流したオオガラスがドサリ、と音を立てて地面に落ちた。オオガラスはほんの少しだけ脚を動かして、そのまま動かなくなった。黒い刀身に付着した血を払い、セリーニは刀を鞘に納めた。


「・・・僕は大丈夫だけど、みんなが」


 少年はそう言って振り返った。街の北東に広がるスラムの上空にはまだ5羽ほどのオオガラスが残っていた。


「これは・・・。騎士団はどこにいったんだ」

「あいつらはスラムになんか来ない」少年は吐き捨てるように言った。


 スラムの奥から貧しい身なりをした人々が逃げ出てくる。遠くの空で、男が上空に連れ去られていくのが見えた。オオガラスにしっかりと肩を掴まれているようだった。男の悲痛な叫びがスラムの上空に響く。


「――セリーニさん!」


 脇道から走り出てきたレオは、道に転がっているオオガラスの死骸とセリーニの姿を順に見た。


「隠れていてくださいと言ったじゃないですか!」

「この子が襲われていたから」


 セリーニは顎の先で少年を指した。


「それにしても・・・スラムがあるとは聞いていましたが・・・」

「王国騎士団様はここまで来ないそうだけど?」

「そんなことは!」

「事実、こっち側のオオガラスは一切退治されていないように見えるよ」

「・・・。どうしたものか・・・」


 レオは渋面を作った。


「どうしたもこうしたも――」


 セリーニが口を開いた時だった。ずっとぐずっていたアクティノが、ついに大声で泣き出した。飛空していたオオガラスたちが、一斉にこちらに気が付いたのが分かった。オオガラスはゆっくりとUターンするとこちらに羽ばたいてきた。「ちょうどいい餌がいる」とでも言わんばかりに大声で鳴いている。


「逃げな!!」


 セリーニが少年の背中をバン、と叩くと少年は堰を切ったように駆けだし、スラムの中へと消えていく。その後姿を見送るとレオが数歩先に出て、刀に手をかける。セリーニも左手でアクティノをしっかり抑えながら、腰の刀に手をかけた。

 前方に見えるオオガラスは4羽。ゆっくりとこちらに近づいてくる。姿がはっきりと見える距離まで近づいてくると、オオガラスは急加速した。セリーニの手に力が入る。数歩先にいるレオが、剣身を抜くのが見えた。セリーニが刀身をほんの少し抜いた時、スラムの中から男の声が聞こえた。


「――しゃがめ!!」


 真っ赤な炎が後方から現れ、あまりの熱に驚き二人は慌ててしゃがみ込んだ。すぐ近くまでやってきていたオオガラス達を、深紅の炎が包んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る