第5話 少年の手癖

「たかいたかーい!!」


 ビュン、とアクティノが空を舞う。アクティノは笑顔で手足をバタつかせている。


「イリオ!投げすぎだ!!」


 セリーニは洗濯物を干していた手を止めた。周囲には石鹸の匂いと春の花の匂いが漂っている。


「すまんすまん、この子が喜ぶからつい」


 アクティノをしっかりと両手でキャッチしたイリオは、困ったように笑った。


「落としたらどうするの」

「俺の子だ、大丈夫だよ」

「バカみたいなこと言ってる暇があったら少しは手伝え!」


 セリーニはパコ、とイリオの頭を叩いた。彼は叩かれたところをさすりながら、アクティノをゆりかごに戻した。アクティノの大きな瞳に、空を流れゆく雲が写り込んでいる。


「この子はどんな女の子になるんだろうなぁ」


 イリオは洗濯籠の中からシャツを掴み上げ、両手で持つと大きくはたく。シャツがパン、と音を立て、小さな水滴がほとばしる。


「どんな子になってもいいさ。元気でいてくれたら」


 セリーニはタオルを物干しざおに引っかけた。風が草を撫でると周囲を葉擦れの音が包んだ。


「それもそうだな。ただ願わくば、アクティノには俺たちみたいな生き方はしないでほしいな」

「傭兵業は嫌?」

「娘には危険な仕事をして欲しくないって思うのは、親ばかかな?」


 イリオはシャツを木製のハンガーに掛けている。


「それは――」


 アクティノが泣いている。

 セリーニは目を覚まし、古びた天井を見上げた。天井の隅は日焼けで壁紙が黒く変色している。体を横にねじると、隣に寝かせたアクティノが泣きじゃくっていた。


「・・・夢」


 娘が自然と泣き止むようなら二度寝をしよう。もしかしたら、さっきの夢の続きを見られるかもしれない。そう思ったが、アクティノが泣き止む様子は無かった。セリーニは小さなため息をつくと体を起こし、アクティノを抱き上げた。窓の外を見ると、地平線が橙色に染まっていた。小鳥が木から飛び立ち、チチチッと可愛らしい鳴き声を上げた。

 アクティノを抱いたまま、部屋の隅にポツンと置かれたベットに腰かけた。テーブルの上には先端が少し錆びているルームキー、椅子の上には彼女のリュックが置いてある。窓際にある腰の高さほどのチェストの上には、口が欠けた花瓶に一凛だけ花が生けられていたが、花は今にも萎れそうだった。

 彼女は抱いたアクティノの背中をぽんぽんと叩く。アクティノはセリーニにしがみつきながら泣いている。臭いもしないので、おしめでは無いのだろう。空腹か、もしくは目が覚めてしまった不快感で泣いているか。どちらにせよ、このままだと宿屋の客からクレームが来てしまいそうだ。一先ず空腹の線に賭けてみよう。


「子供用のごはんもあるといいんだけど・・・聞きに行ってみるか」


 髪を手で手早く整えると、外に出て部屋のドアに鍵を掛けた。一度刺した鍵が抜けず、思い切り引っ張っている内にドアがミシリと軋んだ。セリーニは「やべ」と呟いて、もう一度鍵を閉め直した。今度はすんなり鍵が抜けた。

 アクティノをあやしながら廊下を進んで階段の前まで来ると、下の階から香ばしい匂いが漂ってきた。静まり返っていた昨夜とは打って変わり、話し声や足音、ジュージューという何かを焼く音が聞こえてくる。セリーニの胃が大きな音を立てた。階段を下りていくと、向かって一番奥に宿屋の出入口があり、少し開けたラウンジ部分には6台の丸テーブルが置かれていた。壁際はカウンターになっており、他よりも少し背の高い椅子が置いてあった。


「おはようございます」


 すぐ近くのテーブルから聞きなれた声がする。階段の近くにあるテーブルを見ると、レオが座っていた。彼は、テーブルについて暖かいコーヒーを飲んでいた。コーヒーカップを静かにソーサーの上に置くと、掌で向かいの席を差す。セリーニはぐずるアクティノをあやしながらその席に座った。壁に掛けられた時計は朝の6時を指している。二階や三階の部屋から出てきた客達が、パラパラと一階のラウンジに集まってきていた。それぞれテーブルに着き、少し早めの朝食をとっている。


「よく眠れましたか?」


 レオはコートとジャケットを部屋に置いてきたのか、今は皺ひとつないシャツと黒のストレートパンツのみを着用していた。帯刀していることを除けば、小綺麗な一般人に見えなくもない。


「まぁね・・・」セリーニは片手を上げてウェイターを呼んだ。

「子供用の食事はあります?」


 体にピタリとフィットしたTシャツに丈の短いスカートをはいたウェイターはとことこと寄ってきて「ありますよ!」と大きな声で返事をした。サービスなのか、ウェイターはホットコーヒーをセリーニの前に置いた。今入れたばかりのようで、コーヒーからは白い湯気がたっている。


「とりあえず私はサンドイッチ。それから子供用の食事を何か」

「俺もサンドイッチで」

「サンドイッチ2セットと子供用メニューですね!」


 そう確認を取ると、ウェイターはそそくさとキッチンに向かった。キッチンの中のコックに向かって大声で話しかけている。恐らく注文を伝えているのだろう。


「昨日の部下はもう大丈夫なの?」

「今朝には回復したようなので、早々王国に帰らせました。ドラゴンの借用期限も限られていますから」そう言ってレオはコーヒーを一口飲んだ。

「いつでも乗れるってわけじゃないんだ」

「ドラゴン達のメンテナンスは神告庁がしています。ドラゴンの調子が悪い時は借りづらい。おまけに長期出張用・中期出張用・近隣用と細かく分けられていて、我々が今回借りられたのはお察しの通り近隣用のドラゴンのみ、という訳です」

「色々面倒なんだな」

「そういうことですね。よく言えばドラゴンを大切にしている、とも言えますが」


 やれやれ、と言うようにレオは両掌を上に向けた。

 それから間もなく二人分のサンドイッチと、子供用のオムレツが運ばれてきた。セリーニはまず子供用のスプーンを持つと、オムレツを掬ってアクティノに食べさせてやった。アクティノはお腹が空いていたのか、すぐさまスプーンにかぶりついた。アクティノのペースに合わせて一口、また一口とオムレツを掬い、やっとすべて食べ終わる。それからセリーニは自分のサンドイッチを口に突っ込むようにしてあっという間に平らげた。それを見たレオも慌てて口を動かした。

 アクティノがオムレツを食べ終わって落ち着いたことを確認すると、レオは席を立った。彼はホテルの受付に向かうとベルトに着けた小物入れの中から財布を取り出して、宿泊代と朝食代を受付の男に払い、再びこちらへ戻ってきた。


「いくらだった?」セリーニが尋ねる。

「いえ、今回は結構です。いくらなんでも旅費も持たせずに放りだされた貴女に代金を払わせる訳にはいきません」

「これでも傭兵時代の貯金もあるんだ、これくらい・・・」

「俺はコートを取ってきます。セリーニさんも準備を」


 そう言ってレオはセリーニの静止も聞かずに二階に上がっていった。

 彼らが旅支度を整えて宿の外に出ると、まばゆい朝日が目を差した。商人たちがたくさんの野菜や果物を載せた荷車を押している。昨夜は静まり返っていた中央広場には朝市が開いており、商人が大声を張り上げて客寄せをしていた。出店の中には魔法結晶が入った籠をいくつか並べている店もあったが、街道を歩く住民たちがその出店の前で足を止めることは無かった。


「――魔法結晶」セリーニが呟く。

「やはり高価ですね。あれじゃあ、庶民には手が届かない」

「それに、やっぱり王国にあるものより小さいな」

「残念ながら。ですが街灯などに使うだけなら、あれくらいでも問題は無いでしょうね」

「最低限は担保されるが、より質の良い生活がしたければ城下町に住むしか無いってわけだ」

「ですが城下町はここよりも生活費が高いですから・・・」レオは苦笑した。

「世知辛いな」

「それでもこの街の住人は幸せそうですよ」

「本当にそう思う?」


 セリーニはレオに目くばせした。魔法結晶を売っている出店の近くをうろついていた少年が、大人達の影からさっと手を伸ばして魔法結晶をひと欠片ひったくると、自分の胸元に隠して走り去った。隣の出店の人間と談笑している店主は、魔法結晶が盗まれたことに気が付かない。


「――どろ―ムグッ」


 大声で叫ぼうとしたレオの口を、セリーニが手で塞いだ。レオは驚いて目を丸くすると、慌ててセリーニの手を自分の口から引きはがした。


「なぜ止めるのです!」

「まだ子供だろ」

「子供だからと言って窃盗して良いわけではありません!」

「もし捕まえるにしても、あの子が窃盗をする理由が知りたい」


 レオは諦めたように大きくため息をついた。


「仕方ありません。兎に角、後をつけますよ」


 行きかう人々の合間を縫うように、二人は少年を追いかけた。

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