第4話 オリヒオの街
セリーニの家からドラゴンで飛び立った一行は、アクノスの城下町を左手に見下ろしながら快晴の上空を飛んでいる。少しずつ日が落ち始め、アクノスの城がオレンジ色のヴェールを纏う。足元には大河が通り、なだらかな水面は夕日を反射してチカチカと光っていた。
アクノス城の頂上よりも上空を飛んでいるドラゴンは、ひとつ風が吹くと煽られて右に左に揺れる。セリーニは万が一にも落下しないように、しっかりと手綱を握りなおした。
紐で胸部に括りつけて居るため落ちる心配は無いだろうが、彼女は下を向いてアクティノを確認した。アクティノはニコニコしながら足元に広がる風景を見ている。
きっとアクティノは今まで見たことのない景色を見てワクワクしているのだろう。そもそもドラゴンに乗れるのは王国騎士団の隊士や魔道士団くらいのもので、一般人はドラゴンに乗る機会などまず無かった。移動手段として使用されているのは専ら馬だった。アクティノはその馬にすら乗ったことが無い。それでも、人が米粒以下の大きさに見えるこの高度ですら怖がらないのはきっと自分譲りだろうな、とセリーニは思った。彼女自身、昔から高いところは平気だったし、初めて乗ったドラゴンに実は興味深々なのだ。高度が上がるに伴って気温が下がる点は気がかりだが、それ以外はとても気持ちがいい。アクティノが生まれてからはずっと家の周りから離れていなかったし、こんなに美しい風景を見たのも片手で数えられるほどしか無かった。
セリーニは再び視線を前に戻す。右手にはレオの乗ったドラゴン、やや後方にレオの部下が乗ったドラゴンが飛行している。レオの部下はまだドラゴンに乗り慣れていないのか始終吐きそうな嗚咽を漏らしていた。
「じき日が暮れますから、ひとまずオリヒオの街の手前に行きましょう」レオが大きめの声で言う。
「直接オリヒオには降りれないのか?」
彼女の前髪がばさり、と視界を遮った。セリーニはグローブをはめた手で前髪をはらった。彼女のコートが風に煽られ、バサバサと音を立てている。
「どうも、最近オオガラスが出るようなんです。オオガラスは全長1~1.5m程ですが、群れで襲われればいくらドラゴンとはいえひとたまりもありません。先ずは街のやや手前に降り、様子を見ながら街に入りましょう」
北東に白い山脈が顔を覗かせる。そこから河を挟んだ西側に位置するのが、オリヒオの街だ。アクノス城とその城下町に比べると、オリヒオの街の大きさは十分の一程度に見えた。
レオが手綱を強く引く。それに続いてセリーニも両手で手綱を手前に引いた。ドラゴンは羽を少し立てて、ゆっくりと円を描くように地上に下りていく。地面から吹き上げる風が、レオとセリーニのコートを激しく巻き上げる。
地上近くまで下りてくると、ドラゴンは数回強く羽ばたいて一気に地面へと着地した。ドラゴンの足が地面の土を抉り取る。巻きあがっていたセリーニのコートが、ゆっくりと垂れ下がった。ドラゴンがしっかりと地面に両足をつけたことを確認すると、セリーニは握り込んでいた両手から力を抜いた。
それから、レオとセリーニは体に巻き付けていたベルトをさっさと解き、ドラゴンの背から飛び降りた。彼らの背後からベシャ、という音がしたので振り返ると、着地に失敗したレオの部下が地面に突っ伏していた。
「・・・お前の部下、大丈夫?」
そ彼女らがオリヒオの街に入る頃には、すっかり日が暮れた。夜空には無数の星が輝き、いつの間にか東の空に大きな青白い月が登っている。本来であればもう少し早くに到着する予定だったが、ドラゴン酔いをしたレオの部下を休ませていたら思いの他時間を喰ってしまったのだ。流石に夜は危険だからと大急ぎで街に向かって歩いてきたおかげか、オオガラスの群れに襲われることも無く到着できたのは幸いだった。
街に入るとまず入口にある駐屯所に寄った。駐屯所から出てきた隊士は赤い制服を着ており、レオの率いる第三隊の隊士であることが見てとれた。レオは駐屯所の隊士にドラゴン二頭を預けた。ドラゴン達は終始大人しく隊士にしたがって、ドラゴン用の厩舎へ連れられて行った。
オリヒオの街は中心にある広場から十字に街道が伸びており、さらにそれぞれの街道から枝分かれした小道が複雑に入り組んでいる。街道沿いには三角屋根を被ったカラフルな木造の家が立ち並び、そのアーチ窓から漏れ出た暖かな光が、石畳に落とした影を不規則に揺らしていた。
「蝋燭の光・・・」
セリーヌは、自分の胸の中で静かに寝息を立てているアクティノを起こさないように呟いた。
「ええ。アクノスの城とその城下町に来る魔法結晶はこのオリヒオを経由して届けられますが、アクノスでの需要が高すぎてこの街には行きわたらないのでしょうね」とレオ。
「街灯には魔法結晶が使われているようだけど」
セリーニは街道沿いに並ぶ街灯を見上げた。夜空に向かって伸びる黒い街灯の先には六角柱状のガラス容器が乗っかっている。その中に、透き通った白色の魔法結晶が入れられていた。魔法結晶は火の力も借りずにひとりでに輝いている。
「公共のものは賄えても、個人には行きわたらないのでしょう」
「なんだかな・・・」
「蝋燭の光を見るのは久しぶりですか?」
「いや、家では今でも蝋燭だよ」
「それは珍しい」とレオは驚いた。
賑やかな民家の横をセリーニ達が通り過ぎた時、右手の街灯がパッと光が消えた。
「丁度結晶の力が切れたんですね。あまり質が良くないものが出回っているのかもしれません」レオは街灯を見上げながら言った。
「ふぅん・・・。それにしても、その部下は大丈夫なの?」
セリーヌはレオの背中をチラリと見やった。レオに背負われた彼の部下は、可哀想に、まだ真っ青な顔をして手足を力なく垂らしていた。
片や幼い娘を抱え、片や大人の男を背負って歩いている。その上レオの方は王国騎士団の制服を来ており胸には隊長を示す金のバッジを着けているのだから、滑稽な状況だった。今が夜でなければ、レオはロングコートの前を閉じることになっただろう。だが幸いなことに、街道を歩いているのは数人の酔っ払いや浮足立って騒ぎ立てている若者くらいだった。もちろん、奇異な目では見られた。
「まぁ、ちょっとしたドラゴン酔いです。特に問題ありませんよ。俺が突然貴女に着いていくと言い出したものですから、ドラゴンを王国に返しにいく人間が必要になったもので彼を連れてきたんですが・・・」
「人選ミスじゃないかな・・・」
「申し訳ありませ・・・うぷっ」レオの部下は嗚咽を漏らす。
「おい、頼むから背中で吐くのはやめてくれよ」
「はい・・・隊長・・・」
セリーヌは一瞬だけ同情に満ちた瞳でレオを見た。隊長といっても、色々大変らしい。
それから二人は街道をまっすぐ進み、街の中心部へとやってきた。ここまでくると、看板を下げた宿屋が複数見つかった。歩みもどんどん遅くなり、足が上がらなくなってきていたセリーニとレオは、一番近くの宿に入ることにした。
「俺が空きを確認してきます。少々こちらでお待ちを」
そう言って、セリーニの返答を聞く間もなくレオは宿屋に入っていった。
レオの帰りを待つ間、彼女はぼうっと空を見上げた。夜空が美しいというのはどこでも共通らしい。勿論、アクノスの城下町で見る夜空は除く。アクノス城とその周辺には無数の街灯があり、その街灯にも、各々の民家でも魔法結晶を使っている。そのせいで夜空は幾分白んで見えた。セリーニは自宅から見える夜空やアクノスの城下町は隙だったが、アクノスの城下町から見える夜空は嫌いだった。
静かに寝息をたてているアクティノを撫でる。アクティノは少しだけ身じろぎしたが、自分の親指をしゃぶりながらすやすやと寝続けている。
宿屋の軒先に掛けられたランプの中の蝋燭が、ジジジと音を立てて揺れた。ランプに集まってきていた羽虫が驚いて飛び立つ。蝋燭の炎が一瞬大きく揺れて、セリーヌの周りが闇に浸食された。だがすぐに再び炎が力を取り戻し、辺りをはっきりと照らし出した。すると、すぐそばに男が立っていた。体の半分だけを蝋燭に照らされて、まるで半身を何処かに置いて来てしまったみたいだった。
セリーヌは驚きのあまり、2m程後方に飛びのいた。砂利に足を取られ、左ひざを地面につく。ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、アクティノが目を覚ましてぐずりだした。セリーニはゆっくりと、相手を刺激しない速度で刀の柄に手を添えた。
「失礼。お姉さん、今何してるの?僕これから飲みに行くんだけど、一緒にどう?」
耳に着けたシルバーのピアスが揺れている。そのピアスを指でいじりながら、男は湿っぽい笑顔を見せた。茶色い巻き毛は肩まで伸びており、瞳は灰色。シャツの胸元は大きく開いている。
「見たら分かるだろうけど、私は子供がいるんだ。他を当たって」
セリーニがそう言っている間も、男はセリーニの足先まで舐めるように視線を動かした。セリーニの肌にぞわり、と鳥肌がたつ。会話をしなくても分かる。この男は、苦手な種類の人間だ。
「僕そういうの気にしないから大丈夫」
「そういうの?」
「そう。シングルとか、そういうの」
「私がシングルとは限らないでしょ」
「そう?なら旦那さんが来る前に、一杯だけさ」
「だから―—」
再度セリーニが口を開いた瞬間、アクティノが大声で泣き出した。夜道を歩く住人が、何事かとこちらを見た。セリーニはバツが悪くなり、刀から手を放した。
「おーよちよち、大丈夫だよー!びっくりさせちゃったねぇ」
男はそう言いながらずいとセリーニに近寄った。そして何も断らずにアクティノの頭を撫でた。セリーニの体に怒りが漲った。自分の大切な娘に、許可なく触れてほしくなかった。彼女は不快感を隠そうともせずに、男の腕を掴んだ。ミシ、と男の腕の骨が軋む。
だが、セリーニがそれ以上怒り続けることは無かった。アクティノが満面の笑みで笑い出したのだ。
「可愛い子だねぇ。名前は?」と男。
「・・・アクティノ」
「アクティノちゃんね!よろしくねー。ところでお母さんは?」
「私だけど」
「そうじゃなくて、お名前」
「・・・」
「あ、ちなみに僕はエラフリス」
「私は――」
セリーニが名前を伝えようとした時、宿屋の扉が勢いよく開いた。宿屋から出てきたレオの背中にはもう部下の姿は無かった。先に休ませてやったのだろう。レオはセリーニとエラフリスと名乗った男の姿を交互に見ると、エラフリスのことを睨みつけた。
「あ、旦那さん来ちゃったか」とエラフリス。
「こいつは私の旦那じゃない」
「あれ?そうなの?」
「どちらにしろ」レオは高圧的な態度で言った。
「我々はもう休みます。どこのどなたか知らないが、お引き取りを」
エラフリスは少し考えるそぶりを見せてから、ニカッと笑って手を振った。
「残念だけど、今日は1人で飲むとするよ。それじゃあ、またどこかで」
そう言って、彼は街の闇へと消えていった。
◆◆◆
セリーニはベッドの淵に腰かけていた。ベッドで寝息を立てるアクティノの胸を、優しく一定のリズムでポンポンと叩いている。透明な鼻水が小さな鼻の孔から垂れている。くすりと笑いながらティッシュで拭ってやると、ティッシュを丸めてから部屋の隅に置いてあったゴミ箱に向かって投げた。丸まったティッシュは綺麗な放物線を描きながらゴミ箱に入った。
壁に掛けられた時計を見上げると、すでに夜中の2時を回っていた。アクティノを寝かしつけていたら、いつのまにかこんな時間になっていた。いつもの事だ。正直朝から色々ありすぎて疲れ切っていたし、さっさと眠りたかった。だが、不思議な高揚感が心を満たしていることにも彼女自身気が付いていた。
セリーニはベッドを揺らさないようにそっと立ち上がると、部屋の奥にある吐き出し窓からベランダに出た。二階から街を見下ろすと、街はすっかり寝静まっていた。
「眠れないのですか?」
横から声がした。右を見ると、レオもベランダに出ていた。片手に酒の入ったグラスを持っている。
「アンタ、お酒飲めるようになったの?」
「いえいえ、相変わらず弱いです。でも少しくらいは、いいかと思いまして」
「珍しいこともあるもんだ」
「セリーニさんもいかがですか?」
セリーニは後ろをチラッと見た。アクティノは相変わらずぐっすり眠っている。今日くらい、一杯やっても罰は当たらないだろう。
「一杯だけ、貰おうかな」
小さな声でそう言った。レオは少し嬉しそうに笑って部屋の中に戻ると、まだ使っていないグラスを持ってきて瓶から琥珀色の酒を注いだ。ベランダ伝いにその酒を受け取ると、セリーニはぐいっと半分胃に流し込んだ。アルコールの独特な刺激臭が鼻を通る。胃の中がカッと熱くなるのが分かった。だが、旨かった。
「相変わらずお強い」
「・・・お酒はね。でも子供を産む前に比べれば弱くなったよ」
「それでも俺よりは強いですよ」
「どーだか」
セリーニはベランダの柵にもたれ掛かり、酒をもう一口飲んだ。
「ねぇ、レオ」
背中を向けるようにして柵にもたれていたレオは、少しだけこちらに顔を向けた。
彼にこんなことを聞くのは間違っているだろうし、きっと困らせるだろうなと分かっていた。だが、セリーニは聞かずにはいられなかった。もしかしたら酒を飲んでいたからかもしれない。
「イリオは私に嘘をついたんだと思う?本当は生きていて、どこかでのんびり暮らしていると思う?」
「・・・」
レオは黙り込んだ。セリーニから彼の表情は見えなかった。
「もし私に嘘をついていたとしても、生きててくれたら良いなって思っちゃうのは馬鹿だよね」
そう言ってセリーニは自嘲気味に笑った。やっぱり言わなきゃ良かったな、と後悔した。もう一口飲もうとグラスを傾けたが、もう酒は無くなっていた。
「貴女の旦那さんは、そんな人ではありませんよ」
「・・・そうだと良いけど」
少し冷たい風が、赤く火照った頬に吹き付けた。夜は少しずつ更けていった。
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