第3話 旅立ち
アクティノがよたよたと床を歩き回っている。
「アクティノ、もう少ししたら出かけるからね」
「おそと?」
「そう。お外」
セリーニがそう言うと、アクティノはにっこりと笑って両腕を振り上げた。
「お外!!」
嬉しそうに飛び回っているアクティノ。純粋に可愛いな、と思った。子供を育てていると思い通りに行かないことの方が多いし、独り身だった時の方がよっぽど楽だったと感じてしまう事も何度もある。せっかく掃除をしたばかりの床に食事をこぼされたり、お腹が空いたと泣き喚いたと思ったら食事の時間には食べたくないと怒りだす。上手く意思疎通が出来ないということがこんなに辛いのだということを、セリーニは生まれて初めて理解した。だが、ほんの一瞬子供が無邪気な笑顔を見せるだけで、そんな考えも消え去ってしまうのだ。自分がこんな風に子育てをしているなんて、昔の自分が知ったらどう感じるのだろう。
セリーニは物置のドアを開けた。しばらく掃除もしていなかったのでドアを開けた瞬間に埃が舞った。物置部屋の天井には蜘蛛の巣が張っている。部屋の中にはたくさんの木箱、襟の伸びた洋服、錆びたフライパン等様々なものが収納されていた。その中には、旦那の服や日用品もあった。捨てられずに取っておいたが、だからといって頻繁に手入れをする訳でもなく、ただ物置の中に置きっぱなしになっていた。
彼女は木箱の上に乱暴に引っかけられていた革製のホルダーを指先でつまみ上げた。埃をかぶっていた上に少しかび臭い。ホルダーを軽く振って埃を落とす。ヒビやほつれは無いようだった。セリーニはもう一度ホルダーを振って汚れを落とすと、さっそく腰に巻いてバックルで長さを調節した。少し服に皺が入るが指は通らないくらいのキツさで調整する。それから寝室に向かうと、ベットの横に立てかけてあった刀を手に取りホルダーに差した。右手で刀の柄を握り、刀身は抜かないまま上下左右に動かしてみる。
「よし。――それにしても、刀を差すなんて久しぶりだなぁ」
今度は、刀身を少しだけ鞘から覗かせた。鍔と鞘の間から、黒い刀身が現れた。窓から差し込んだ光が刀身に当たり、鈍い輝きを放つ。
「ママ、かたな?」
「そう。よく覚えてたねぇ、アクティノ」
セリーニはアクティノの頭を撫でる。アクティノは微笑んだ。
「さて、そろそろ向かおうか・・・」
そう言って彼女はリビングの椅子の背にかけてあったコートを引っ手繰り、袖に手を通す。手を握ったり開いたりしてグローブに問題が無いかもチェックした。ブーツの靴ひももしっかり結ばれている。これならうっかり靴ひもを踏んで転ぶことも無いだろう。
椅子の座面に置いてあった大きなリュックも背負った。このリュックにはセリーニの荷物だけでなく、アクティノ用の着替えやスプーン等も入っている。恐らく普通の女性は持ち上げるだけでも相当きついが、セリーニなら問題なく片手で持ち上げられた。
「おいで」
アクティノはパタパタと小さな足音を立てながら彼女に駆け寄り、その足に全力で抱きついた。セリーニは愛おしそうにアクティノを見つめると、一度しゃがんでぎゅっと愛娘を抱きしめた。そしてそのままアクティノを抱き上げ、ドアノブに手をかけた。その時にほんの少しだけ躊躇った。本当にアクティノを連れて行っていいのだろうか?もし魔王と戦うことになったら?魔王が居なかったとしても、道中何かしらの魔物に出会う可能性はある。その時娘を守り切れるのだろうか。だが、もし仮に街に置いていくとして、安心して預けられる人間なんているのか?今も生き残っている親族の顔を思い浮かべて、セリーニはうんざりした。どう考えても娘を手放しに預けられるような知り合いは居なかった。セリーニはドアノブを回してドアを開けた。
セリーニが家から出ると、家の前の草原に大きなドラゴン3体とレオ、それから1人の隊士が控えていた。ドラゴンはざっと見ただけでも体長3mは超えている。その瞳は紫色に怪しく光り、額には大きな天秤の紋章が入っている。ドラゴンの鱗は水中の魚のようにみずみずしく、爪は大人の男の指を三本束ねてもまだ敵わないほど太い。背中には鞍がつけられており、飛んでも落ちないように革のベルトを自分の体に巻き付けられるようになっている。
「もう準備はいいのですか」レオが言った。
「・・・ああ」
「それでは向かいましょうか」
「そうだな――・・・んっ?」
「ですから、準備ができたのでしたら向かいましょうかと言いました」
「あ、隣町まで送ってくれるのね」
「いえ。俺も同行することにしました」
「へっ?」
彼女は開いた口を閉じ忘れたまま、レオを見上げた。確かにレオとは顔見知りではあるが、何故一緒に来るのだろうか。正直、そこまでの間柄だとは考えていなかった。
「貴女が逃亡するのを防ぐ為に監視役をつけろと国王がおっしゃったので、俺が立候補しました」
「そりゃまた急な・・・」
「では、参りましょうか」
知人だからこそ多少気楽に会話しているが、第三隊とはいえレオは王国騎士団の隊長だ。もし赤の他人だったなら、多少なりとも敬意をもって対応すべき相手だろう。それに、神告庁の指示でも無ければ、王国騎士団の隊長がただの旅人に同行するとは考えづらい。
セリーニは訝し気にレオの顔を覗き込んだが、レオはそれを無視するように手を差し出した。
「あう!!!」
バチ、とレオの手がはたかれた。セリーニに抱っこされていたアクティノが彼の手をはたき落としたのだ。
「「・・・・・・・」」
セリーニとレオは目を合わせ、次の瞬間ぷっと噴き出した。頬を膨らませて怒っているアクティノを見て、二人は思わず笑ってしまった。レオの意図が分からないという点は解消されていなかったし、突然魔王を倒しに行けと言い出した国王に対する不信感も消えていなかった。だが、アクティノの純粋な行動を見ているとそんなこともどうでも良くなってくる。なるようにしかならない、と良くも悪くも諦めがついた気がした。
「アクティノちゃん。俺はお母さんを取ろうとしてるわけじゃない。ただ、ドラゴンに乗る手助けをしようとしただけだよ」
「きっとアクティノは、そんなの要らないって分かってるんだよ」
そういうと、セリーニはドラゴンの足元に歩み寄った。ドラゴンは彼女のことを見ようともしなかったが、セリーニは気にせずその背中にひょいと飛び乗った。
「・・・どうやらアクティノちゃんが正しかったようですね」
レオもセリーニに続いてドラゴンの背に飛び乗った。レオの部下である隊士も、慌てて革紐に足をかけながらドラゴンによじ登る。部下が何とかドラゴンの背に上って鞍のベルトを体に巻き付けたのを確認し、レオは手綱を引いた。
「ドラゴンの操り方は!?」
「父親に習った!」
「では、基本通りに!」
パン、と手綱の乾いた音を皮切りに、3体のドラゴンは大きな羽を左右に勢いよく伸ばす。ドラゴンは姿勢を低くすると、太い両足で地面を蹴り思い切り、何度か羽をはばたかせた後に空高く飛び立った。地面に落ちる影は小さくなりながら、遠くへと消えていく。
ドラゴンの羽ばたきでまき散らされた木の葉がゆっくりと空から落ちてくる。残された家からは、物音一つしない。静かな風の音だけがあたり一面を包んでいた。
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