第2話 嫌疑

 平屋を二つ縦に並べてもまだ余裕がありそうな程、謁見の間の天井は高かった。ターコイズブルーに塗られた天井には、神々と天使の姿が描かれている。天井の中心から、馬車よりも一回り大きなシャンデリアが天井からぶら下がっていた。そのシャンデリアには無数の魔法結晶と宝石がはめ込まれている。

 部屋をぐるりと取り囲むステンドグラスの窓からは、色とりどりの光線が入り込んでいる。日の光は女神を象ったステンドグラスを通り過ぎ、毛の長い緋色の絨毯へ光を落とした。


「よく来た」


 しゃがれた低い声。セリーニが膝まづく先の階段をさらに十数段上がったところに、国王アセイアは座っていた。でっぷりと太った体に真っ白になった髪。指には大きな宝石がはめ込まれた指輪。その手を置いているひじ掛け付きの玉座は、彼よりも一回り大きく作られている。金で塗装されたこの玉座にも、所々に煌びやかな宝石がはめ込まれていた。

 天井に描かれた天使達は一体どんな気持ちでこの丸々と太った国王の姿を見下ろしているのだろう、とセリーニは考えた。もし自分があの天井の天使だったら、見るのも嫌になって目を塞いでしまうに違いない。だが天井の天使達は目を逸らすことも無く常にあの国王を見守り続けているのだ。天使というのも難儀なものだ。


「それが前勇者イリオの娘か。大きくなったものだ」


 国王の背後のステンドグラスから差す日光のせいで逆行になり、彼の表情はよく見えない。目の前にいるのが国王と知ってか知らずか、アクティノは両腕をばたつかせて煌めく埃を捕まえようとしていた。


「セリーニ、今日お前を呼んだのは、お前の旦那のことで1つ言っておかなければならないことがあるからだ」


 セリーニは黙って首を垂れている。理由も言わずに突然呼びつけておいて謝罪の言葉も無いのだろうか。本当なら文句の一つも言ってやりたかったが、国王から許しが出るまでは口を開いてはいけないという礼儀くらいは知っていた。その為セリーニは何も言わずに耐えていた。


「お前の旦那であり前勇者のイリオは、約一年前に魔王を倒し、その際殉職した。そのことは彼の仲間から聞いている。その点については実に感謝をしている――いや、していたというべきだろう」


 国王の後ろに控えていた化粧の濃い侍女らしき女が、国王の額の汗を柔らかそうなタオルで拭った。国王や侍女の表情を細かく認識できない程の距離があるが、彼女の香水がこちらまで漂ってきた。


「だが、ここ最近魔物の動きが活発になってきている。その上、魔王セルンヴェッラの姿を見たというものまで現れた。これは一体、どういうことだ」


 国王の語気が、次第に強まっていく。国王の侍女はさっと後ろに下がった。


「イリオの仲間達はこの街を去り、依然行方不明である。お前の旦那は仲間と共謀し、この王を、この国を、謀ったのか?」

「そんなはずは――!!」


 国王を警護している第一隊の隊員が、ドン、と槍の石突で床を叩いた。一度顔を上げたセリーニだったが、再びうつ向いた。

 一体どういう事だろう?セリーニの頭の中は真っ白になった。旦那が亡くなったという知らせを聞いて、初めは実感すら湧かなかった。葬式を上げようにも遺体すらなかったのだ。実は生きていていつか帰ってくるのではないかとも考えたが、アクティノが二歳になっても帰ってこないので最近ではもう諦めていた。諦めたとき、やっと涙が零れた。それが、魔王が死んでいなかったとはどういうことなのだろう。

 彼女自身が、国王に問いたかった。もし魔王が死んでいなかったのだとしたら、過去のあのセレモニーやパレードは一体何だったのか?魔王が死んだことを誰も確認しなかったのか?


「我々も魔王の後継者が生まれたのかと考えたが、それにしては早すぎる。新たな魔王が生まれる際には魔族同士の争いが激しくなると聞くが、最近そういった報告も受けていない」


 魔王に似た魔物でもいるのだろうか?例えば、前の魔王に兄弟が居たとか。考えても考えても、答えは出そうになかった。


「この責任をどう取るつもりだ。セリーニ・デラ。答えてみよ」国王は矢継ぎ早に続ける。

「まして、ここに来るまでに城門の一部を壊したというではないか。あれはそう安いものではないぞ。お前が一生働いても、返せるような金額のものではない」


 脂肪のたっぷりついた顎を揺らし、国王がニヤリと笑ったように見えた。

 責任を取れと言われても、と彼女は困惑した。魔王が生まれた責任はセリーニには無い。別に彼女が魔王を産み落とした訳でもない。確かに旦那は魔王討伐の任を受けた。だが、彼なら必ずやり遂げるとセリーニは確信していた。それなのに今更魔王がどうのと言い出して、突然責任とは一体何なのか。責任を取るとは、一体何をしろと言うのか。まさかこんな幼子共々死ねとは言わないだろうと願いたかった。そして彼女は、やっと責任の意味を理解した。


「私の旦那も、一緒に旅立った仲間も、そのような嘘を着く男ではありません。・・・ですが本当に魔王が生きているというのなら」


 セリーニは大きく深呼吸をした。


「亡き夫の仕損じた仕事を私が成してみせます」


 セリーニは爪が掌の肉を抉るほど拳を強く握った。


「——そうか。では、すぐにこの国から発つと良い。隣国までは我が王国騎士団のドラゴンを貸してやろう。そういえば、お前の子供は娘だったな?」

「・・・そうですが」

「子供を連れての旅は厳しかろう。我々が預かっておいてやろうか」


 ぞわり、とセリーニの肌が粟立った。理由は分からないが、吐き気を催した。こんな場所で吐くわけにも行かないので、ごくりと唾をのみ込む。


「恐れながら」後ろで様子を見ていたレオが、すっと前に出て片膝をつく。

「この子供は既に大人を吹き飛ばす怪力を持っています。先程も我が隊員が殴り飛ばされ、現在治療院にて療養中です。恐らく勇者の血筋による能力でしょうが、こんな子供をわざわざ預かってやる必要も無いかと」


 その話を聞いて、国王はあからさまに顔をしかめた。


「そんな話は聞いておらん・・・分かった、今の話は無しとしよう。子供を連れてすぐに国を発て」

「・・・畏まりました。我が国王に、幸あれ」


 セリーニは首を垂れたまま立ち上がると、踵を返して足早にその場を去った。これ以上この空間に居たくなかった。


「我が国王に幸あれ」一礼すると、レオもその後を追いかけていった。


◆◆◆


「出来レースだな」


 謁見の間から出たセリーニは、後ろをついてくるレオにそう言った。彼女の掌には血がにじんでいる。


「俺は何も知らず・・・こんな話・・・」


 レオは頭痛を抑えるように額に掌を当てた。

 セリーニはアクティノをあやすように軽く上下に揺れながら、絨毯がずっと先まで伸びる城の廊下を歩いている。壁には代々の国王の姿が描かれた絵画が飾られている。その中には現国王アセイアの肖像画も飾られていた。セリーニはその肖像画に唾を吐きかけてやりたかったが、廊下を警備している隊士がチラッとこちらを見た気がしたので止めておいた。


「私はいいけど・・・アクティノが」そう言ってセリーニは、指先でアクティノの頭をそっと撫でた。

「子供を連れて行くなんて、あまりにも危険すぎます。もしよければ、俺が預かりましょうか?」

「子育てのこと何も知らないでしょ。大体、国王にバレたら何かいわれるだろ」

「そうですが・・・」


 レオは足を速め、セリーニの横に並んだ。彼女の背中から、アクティノが澄んだ空色の瞳でレオを見つめている。


「あなたの旦那―イリオ勇者は俺の憧れでした。俺はまだ実力不足だったし、神託を受けられなかったから当時は何の力にもなれなかった。でも・・・子供を預かるくらいなら・・・」


「冗談止して。子供を預かるくらい?子育てっていうのがどれだけ大変なのか分からないからそんなこと言えるんだ。アクティノは私が連れていく。この子は私の子供だから」


 セリーニが廊下を進んでいると、目先の階段から白いフードコートを着た5~6名ほどの一団が降りてきた。フードを目深に被っているせいで顔は全く見えないが、胸の金製の徽章には天秤の絵が刻み込まれている。彼らの姿を見るや否や、階段付近で警護していた隊士が敬礼をした。フードコートの一団は隊士の方を見もせずにこちらへ歩いてくる。

 セリーニは廊下の端に退き、彼らの様子をうかがった。フードコートの面々は廊下の真ん中を通り過ぎ、セリーニ達のことを一瞥もせずに謁見の間の方へと消えていった。

 態々こっちが避けたのに会釈一つしないとは、まるで国王の親戚みたいな態度だなと彼女は思った。それとも、この城にそぐわない女子供が歩いていると見下されていたのかもしれないと思ってまた腹が立った。


「あいつらは?」


 レオはセリーニに耳打ちした。


「神告庁(シンコクチョウ)の一団です。勇者を指名する集団ですよ。イリオ勇者も彼らに指名されています。彼らには近づかない方が賢明です」


 近づけと言われたってお断りだ、とセリーニは思った。

 

「ふうん。ま、いいか。私はとにかく旅の支度を整えないと、国王に何言われるか分かったモンじゃないや」

「・・・本当に行くのですか?魔王が不在とは言え、魔王城の付近は粗暴な魔物も多いと聞きます」

「そもそも魔王が不在かどうかも怪しいんだろ?」

「そうですが・・・」

「言う事聞かなかったらどうせ反逆罪になるんだろ。投獄されるよりは自由に旅をしていた方がまだマシだよ。元傭兵らしくね」


 そう言って、セリーニは階段を下りて行った。

 レオは俯いたまま廊下に立ち尽くしていたが、セリーニの姿が完全に見えなくなると突然何かを思い立ったように振り返り、元来た道を戻っていった。



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