第1話 登城
アクティノがセリーニの背中で泣いている。
「おー、怖いねぇ。ほんと、むさっ苦しくて嫌になるねぇ」
セリーニはそう言いながら、アクティノをあやした。
アクノス王国。城を中心として円形に城下町が広がっており、民家の屋根は数えるのも憚られるくらいにぎっしり集結している。レンガ造りの家が最も多く、屋根の瓦は住民が好みの色で染めている。魔法結晶が入れられた街灯は一定の間隔で立っているが、太陽が煌々と輝く今の時間帯は何も照らさずにただのモニュメントと化していた。レンガ敷きの街道を駆け回る子供達、色とりどりの魔法結晶を売りさばこうと声を張り上げる商人、今日の夕食の献立を決めようと路傍に集まる主婦、メイン通りを駆け抜けていく馬車。あちこちから話し声や笑い声、馬車の車輪の音が聞こえてきた。
アクノスの城は山城となっており、その城を取り囲むように土地を切り開き、家を建て、田畑を作り、人々は暮らしていた。北門から入ると幅広い街道が山城の上まで一直線に続いているが、セリーニの家から城下町に入るにはまず南門を通らなければならなかった為一行はかなり遠回りをする羽目になった。
足元から伸びる影の角度が変わっている。家から1時間ほどかかったが、王国騎士団のレオに連れられてアクノス王国の城下町を歩いてきたセリーニは、やっと城門前まで到着した。セリーニの周りを王国騎士団第三隊の黒い制服を着た歩兵と騎馬隊が取り囲み、仰々しい雰囲気を醸し出している。
セリーニと一行の周囲には、一定の距離を保ちつつも野次馬がひしめき合っている。縄で繋がれた罪人でもあるまいし、ただの母子のことを一体何だと思っているのか?思い切り睨みつけてやりたかったが、彼女はそれを我慢した。もし自分を取り囲む野次馬が、自分の夫が前勇者だと知っていたら。そしたら夫が命を賭して勝ち取った名声を自分ごときが汚すことになる。自分の娘まで馬鹿にされてしまうかもしれない。それは避けたかった。
「申し訳ありませんが、城はもうすぐです。辛抱してくださいね」馬上からレオが言う。
「本当だったら昼寝をしている時間なんだよ、アクティノは。それがこんなやかましい所に連れてこられたんじゃ、泣きたくもなるよ」
セリーニがギロリ、と睨むとレオは苦笑した。
「他の方に預けることは出来なかったのですか?」
「アクティノの面倒は私にしか見れないんだよ」
「それは気負いすぎでは?」とレオ。
「そう思う?」
「ええ」
「ならアンタが面倒みてくれよ」
そう言うと、セリーニは背中からアクティノを離し、両腕でそっとレオの方に持ち上げた。アクティノは鼻水をダラダラとたらしながら、レオをじっと見つめている。レオはたじろぎながら、後ろに控えている歩兵に目くばせした。
歩兵は始めは驚いた様子だったが、渋々アクティノを受け取ろうと、その腕を伸ばした――
ガァアンッ!!
何かが激しく打ち付けられる音。
アクティノを受け取ろうとしていた歩兵は吹き飛ばされ、果物を売っていた屋台を破壊しながら3mほど吹き飛び気絶した。果実の破片と果汁が宙を舞う。集まっていた野次馬達が、一斉に黙り込む。周囲は突然静かになった。ベチャ、と果実が地面に落ちる音だけが残った。
アクティノの小さな掌がほんのり赤らんでいる。
「あぁ、アクティノのお手てが・・・」
そう言ってセリーニはアクティノの赤くなった手をさすった。
アクティノは生まれる前から力が強かった。セリーニのお腹の中に居る時、アクティノが足で彼女の腹を蹴る力は尋常では無かった。セリーニはアクティノが生まれる前からこれは大物になるだろうと確信していたが、生まれてすぐに玩具を破壊する力があることを知った時は流石に驚いたものだ。
「お、おい!大丈夫か!」
我に返ったレオは慌てて馬から降りると、吹き飛ばされた歩兵に駆け寄った。レオが腕で歩兵を起こす。彼は腕をだらりと垂らしたままピクリとも動かない。レオは彼の口元に耳を近づける。歩兵は気絶をしているだけのようで、静かに呼吸をしていた。
「だからアクティノの面倒は私しか見れない、って言ったんだ」
そういうとセリーニはくるりと踵を返して城門の前へ戻っていった。
彼女の目の前には大きな城門、さらにその奥にはアクノス城がそびえ立っている。その城は老朽化も少なく、美しい白壁を空高く伸ばしている。白壁には所々に紋章が刻み込まれていた。柱部分に描かれた唐草模様の装飾は金箔で彩られ、白と金のコントラストが美しい。
そしてその城に入るための城門は大理石で作られており、城門の両脇にそびえる物見櫓にあるレバーを押すことで鎖が扉を引き、城門が開くようになっている。
先程からその門の前でずっと待っているにも関らず、城門が開く様子は無い。アクティノが隊士を吹き飛ばした時の顛末を見ていたからか、それともこちらから「開けてください」と懇願することを待っているのか、門の両脇に立っている門番たちは横目でこちらを見るだけで自分たちから声を掛けるそぶりも見せなかった。
こちらだって来たくて来ている訳では無い。それを、何故門番に頭を下げたり酒を強請る女性宜しく猫なで声でお願いをしたりしなければならないのか?そうでなくてもイライラしているというのに、野次馬は1人、また1人と増えていく。ちょっと力の強い幼子とその母親が歩いているだけだというのに何が面白い?セリーニはこめかみでドクドクと脈が打つのを感じて、1つ深く息を吐いた。だが、決して冷静になっていた訳では無かった。
「さて、お邪魔しますかね」
セリーニは突然、右腕をバン!!と扉につける。両足でしっかりと地面を踏みしめ右腕で城門を押す。門の脇に立っている門番はその様子をにやにやしながら見ている。たかが女が1人で開けられるわけが無い、とでも思っているだろうか。
「意外と重いな」
セリーニは右腕を放すと今度は右足でバコ、と扉を蹴った。そして、城門の右扉がものすごい音とともに内側に開いた。ちなみにこの城門は本来外開きである。
城門を蹴った音は轟音となって城下町に鳴り響き、その時の勢いで発した風があたりの木から枝葉をむしり取っていった。城門の表面にヒビが入り、削れた破片が枝葉と共に地面に転がった。轟音に驚いた鳥たちが空高く飛び立つ。想定外の方向へと引きずられた城門の鎖は物見櫓から引きずり出され、たわんだままユラユラ揺れた。
「きゃははは」
アクティノがセリーニの背中で嬉しそうに笑っている。もしかしたら自分が置かれている状況を理解して居るのかもしれない。だとしたら頭のいい子だな、とセリーニは思った。
「さぁ、さっさと用事を済ませて帰ろうな」
そう言って、すっきりした気持ちで城の中へと入っていった。レオも門番も、驚きのあまり口をぽかんと開けたままその後姿を見つめることしか出来なかった。
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