子持ち女勇者は旦那を探す
BLTsandwich
第一章 夫の痕跡
プロローグ
――ドンッ
星の降る夜空に、金色の花火が咲いた。その花火を追うように、赤・青など色とりどりの花火が打ちあがり轟音と共に花を咲かせた。パラパラという音を立てて、咲き終えた花火が民家に落ちていく。
花火の下には無数の民家が並び、その中央に通る街道を派手な格好をした女性たちが踊りながら通り過ぎていく。男たちは酒瓶片手に肩を組み、女たちは腕に下げた籠から紙吹雪や花びらを辺りにばらまいた。
「魔王が死んだ!魔王が死んだ!勇者イリオが魔王を倒した!!」
子供達は歌いながら大人達の隙間を駆け抜けていく。
城のバルコニーからは、頭に金の王冠を乗せた丸々とした男が民衆に手を振っていた。
浮足立った街から少し離れた場所にある、平原に建てられたレンガ造りの平屋。セリーニは窓から遠い街の騒ぎを見ていた。城下町から花火が上がり、夜空を明るく照らす。城下町は何時になっても寝静まることはなく、民家の窓からも城の窓からも煌々と明かりがもれている。普段は朝市の声も子供達の騒ぎ声も届かないのだが、今夜だけは街から離れたこの家にも住民たちが騒ぎ立てる声が届いていた。
よくもまぁそこまで喜べるものだ、と彼女は思った。魔王が死んだからといって、自分の人生は突然変わるのだろうか。敵が死んだら、明日には幸せが道端に転がっているのだろうか。もしそうでないのなら、一体何をそんなに喜ぶのだろう。自分は約一年の間じっと旦那の帰りを待っていた。でも、結果幸せは転がっては来なかった。それなのに、彼らは一体何を祝っているのだろう。
セリーニは窓の額縁に置いた薄桃色の封筒を手に取った。封筒の糊は剥がされていた。国章が刻まれた封筒からクシャクシャになった便箋を取り出す。花火の光が手元を明るくした。
『勇者イリオは名誉の死を遂げられた。彼の功績により我が国の平穏が約束された事をここに表する。尚、魔王討伐の報奨金については後日。以上』
便箋には、これだけが記載されていた。高そうな香のかおりも、発色の良いインクも、セリーニにとってはどうでも良いことだった。
どこか遠い国の男の話をされているようだった。去年まで自分と一緒に暮らしていた旦那が死んだと言われているのに、全く現実味が無かった。「そういえば向かいのお家のお爺さん亡くなったらしいわよ」と近所の噂好きの女性から言われたような感じだ。
セリーニは乳母車で静かに眠る幼子を見た。幼子は花火の音にも驚かず、紅葉のような小さな手をぎゅっと握ったまま、静かな寝息を立てていた。
◆◆◆
「うわぁああん」
真昼の庭に、赤子の泣き声が響いた。赤子の金色の髪が太陽の光できらきらと輝く。
物干し竿に掛けられたタオルがふわりと揺れ、風が石鹸の香りを運ぶ。地面に咲いた白い花々の上に洗濯物の影が揺れている。
「どうした、アクティノ」
赤子は庭に置いたゆりかごの中で、小さな拳を握りながら顔をしかめて泣いていた。
さっきまで手に握っていたおもちゃはいつの間にか落としてしまったらしい。口の端からは涎が垂れている。まだ2歳になったばかりの赤子・アクティノは、「マンマ」と舌足らずに言いながらまた大きな泣き声を上げた。小さな涙の粒がポロリと彼女の丸い頬を伝って落ちた。
「お腹すいちゃったのかな。ママが今ごはん作ってあげるからなー」
セリーニはそう言ってアクティノを優しく抱き上げると、家に戻った。アクティノはその手でセリーニの服をしっかりと掴んだ。
彼女は家に戻るとすぐにアクティノを子供用の椅子に座らせた。木製の椅子は座面が高めに作られており、後や横に寄りかかっても落ちないように囲いが付いている。前から滑り落ちてしまわないよう椅子をテーブルに近づけると、セリーニはコンロの前に立った。ガスを着けると、壁面の物置に置いてあったマッチ箱からマッチを一本取り出した。シュ、とマッチを擦り小さな火をつける。それをコンロに近づけるとコンロに火が移った。壁に掛けてあった片手鍋に、瓶に入ったミルクを注ぐ。しばらくするとミルクから白い湯気が登り始めた。セリーニは良い香りのするフワフワのパンを棚から取ると、それを手で千切ってミルクに入れ、木製のお玉でかき混ぜた。
部屋全体にミルク粥の香りが立ち込める。セリーニはガスを止めると布巾かけから一枚の付近を取り、水に濡らして絞った。それをキッチンに敷き、片手鍋を上にのせて粗熱を取る。片手鍋の上に手をかざして温度を測る。
それから白い陶器の皿にミルク粥をよそうと、木製の子供用スプーンを突っ込んでからダイニングテーブルの上に置いた。
子供用の椅子の上で、待ちきれずに両腕をばたつかせるアクティノ。セリーニはスプーンでパン粥を掬うと口でふーと息を吹いて軽く冷ましてから、それを食べさせた。アクティノは嬉しそうにそのスプーンを頬張った。
「美味しい?」
セリーニがそう聞くと、アクティノは不思議そうな顔のまま頷いた。小さな口にはパンの欠片がくっついているが、彼女は気にせず木製のスプーンに再び食らいつこうと前に手を伸ばす。
彼女は旦那の事を思い出した。そういえば彼も大食いだった。アクティノは旦那に似たのかもしれない。もしそれを知ったら、旦那はきっと喜んだだろうと考えると急に惨めな気持ちになった。せめて子供の前に居る時くらいは、暗い顔はしたくない。セリーニはアクティノの口についたパンを指で拭ってやった。
食事をぺろりと平らげると、アクティノはすぐに船を漕ぎだした。そのまま眠気に抗うことなく、すやすやと寝息を立て始めた。
さっさと皿を洗わなければ、とセリーニは無意識に思った。家事はやれるときに片付けないと、どんどん溜まってしまう。たった2人暮らしだが、子供を育てていると色々なものが汚れたり壊れたりするので、大人2人だけの時よりよっぽど家事の量が増えたように感じた。アクティノが綺麗に平らげた皿に手を伸ばす。
―ふと、家の外から物音がした。
出入口側の窓の外には草原が広がっており、その草原のずっと先に城と城下町が見える。城下町の喧騒はここへは届かない。出入口と反対側の窓からは林が見えるが、こちらからも木々が風に揺らされ、木の葉が擦れる音しかしてこなかった。しばらく耳を澄ましていると、今度は確実に人の声が聞こえた。だが内容までは聞き取れなかった。
もともと人づきあいが良い方ではなかったにしろ、旦那が死んでからというもの郵便屋以外の人間がここを訪ねてきたことは無い。それなのに今更人の気配がする。気にしすぎなのかもしれないが、女の勘とでも言うべきか、胸の底がぞわぞわする感じがした。
セリーニは寝息を立てるアクティノをそっと両腕で持ち上げて、奥の部屋へ入るとベッドの上にその子を寝かせた。薄い毛布を掛けてやる。ついでにベッドの横に立て立ててあった刀を手に取る。
刀の鞘を左手で掴むと、その柄に逆の手をかけた。セリーニは足音を消しながら、一歩また一歩と玄関にゆっくり忍び寄る。静かに息を吐くと、蚊が飛ぶ音よりも小さく息を吸う。靴の裏が、フローリングの表面をかすめて小さな音を立てた。次の瞬間
ドンドンドン!!!
けたたましいノック音が響いた。木製のドアが、ブルブルと震える。奥の部屋で、アクティノが目覚めて泣き出してしまった。
「失礼!セリーニ・デラはいらっしゃるか!!」
聞き覚えのある声だった。セリーニはうんざりした顔で、ドアを乱暴に開けた。本当は少しだけ安堵していた。
「うるさいな、レオ。アクティノが起きちゃっただろうが」
オレンジ色の髪をした背の高い男を見上げて、セリーニは言った。
「それは失敬。それにしても第一声から相変わらずというか・・・」
ドアの前に立っていたレオという男は、黒い制服を着用していた。ロングコートも黒。制服の深紅の縁取りが、生地の黒を際立たせている。胸には金色の階級章。腰には剣を帯刀していた。
レオの後ろには甲冑を着けた3名の騎士が控えている。彼らはどこか緊張感のある面持ちでセリーニをじっと見つめていた。
「で、今日は何?夫の形見でも見つかった?」
セリーニは冷笑しながらそう言った。今更夫の事について話が出るとも思っていなかったが、少しでも不安にさせられたことについて仕返しがしてやりたかった。
「いえ、そのような用件では・・・。ただ、主命により貴殿を迎えに参りました」
「子育てで忙しい」
「主命・・・つまり国王より召喚されているのですよ」
「今忙しい。アクティノが泣いてるから失礼」
セリーニがドアを閉めようとすると、レオは慌てて靴を隙間に挟み込んだ。だがセリーニが思い切りドアを閉めようとしたせいで、レオは強か足を挟まれてしまい「ガン!」と痛々しい音が響いた。レオは小さくうめき声を上げる。後ろで控えていた騎士達も、心配そうな目でこちらをのぞき込んだ。
「なぁんだよ、忙しいんだってば。国王は今更何なんだ?私たちは生活は保証してもらっているし、今更文句なんて言いたくは無いけど、でも正直なところ言わせてもらうとこれ以上国王とは関りたくないんだよ。もう旦那の一件で十分だ」
「これは命令なのですよ。聞き入れられないというのなら引きずってでも城に連れていきます。その時に娘さんも連れていく余裕があるかは分からない。必要なものを準備して娘さんを抱いていける今のうちに、さっさと快諾してしまった方が貴女にとってもいいのでは?」
「そもそも何で呼ばれている訳?大した理由じゃなかったら怒るけど」
そう言うと、レオが少し動揺したのが分かった。
「それは・・・俺も聞かされていないんです。兎に角今日中に連れて来いと」
「は?人を呼ぶのにそんな事ある?」
「重要機密に関わる事なのでしょう・・・俺も概略だけでもいいから教えてほしいと言いましたが、駄目でした。でももし貴女が来てくれないのなら、俺はどうなるか・・・」
ドアを右手で押し開けながらレオはそう言った。セリーニは大きく舌打ちをすると、ドアから手を離した。ドアは再び大きく開き、レオの足はやっと解放された。彼は少し安堵した様子で息をついた。
「支度するから待ってて」
セリーニは、流石にレオのことが哀れに思えてきていた。本当は城になんて行きたくは無かった。まして自分の大切な子供を連れていくような場所ではないと、なんとなく感じていた。今まで登城したことなんてなかったし、国王の姿も稀に祭事の時に見るくらいのものだった。このまま無視して家の前で待たせ続けたら、レオはどうするだろう?と心の片隅で思った。だが、彼は何度でも全力でノックするのだろう。その度にアクティノが驚いて泣き出してしまってはこちらの身が持たない。仕方なく、セリーニは抗うことを諦めた。
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