第30話〜そして異世界人は旅に出る
黄昏の朱色の日差しが時守の里を染め上げる。
いや、これは朝焼けかもしれない。
ユウキは高台にある一本杉の上で、布で隠されない方の目で擬似的に創り出された太陽を見て思った。
時守の里は時間の流れが非常に曖昧で、さらには常識にも縛られない。
いつの間にやら日が暮れていたかと思えば、月ではなく太陽が天辺にあったことなどまだ平常の範囲だ。
太陽が2個、月が4つ、さらにはオーロラが出た時でも里の住民たちは誰一人として驚いてはいなかった。
この異空間の創造にはあの混沌の女神が関わっている。
まともであるはずがない。
無意識に左目を隠す布の眼帯を撫でる。
この数年でそれが癖になってしまった。
音もなく地上に降り立ったユウキは歩き出す。
これが夕暮れであろうと朝日であろうと旅立つ時であることに変わりはない。
最後にみんなの墓に挨拶をして行こう。
時守の里で過ごすこと数年。
ユウキは異世界で成人を迎えた。
「それではオウルさん、オクタさん、行ってきます」
時守の里では時の流れが不確かなだけでなく、この世の法則からもズレているため、ユウキの外見にほとんど歳をとったような変化は見られない。
しかしこの数年の修行により見違えるように身体は鍛え上げられ、放つ気配はすでに並ではない。
見るものが見ればユウキを子供だと侮ることなどできないだろう。
オウルを始めとした師匠たちに叩き込まれ、刻み込まれた技術と実力はこの世界で一人で生きていけると太鼓判を押されるほどなのだから。
いずれオウルを含めた7人の師匠には恩返しをしたい、ユウキはそう思う。
「気をつけて。いずれまた会うこともあるでしょう」
オウルたちもまた今日、時守の里を旅立つ。
この里にいる限り外界ではほとんど時間は流れない。
オウルのさじ加減で時守の里の時間の流れを限りなく止めておくことも可能だ。
しかしそれには限界はあるようで、このデタラメな異空間は永遠には止めていられない。
オウルという鍵がなければ存在出来ない異空間。
時間を歪めておくことのできる時間の限界が訪れ、そして再び異空間を開くことができるようになるのもしばらく後になる。
ユウキはこの数年で伸びた髪を無造作に後ろで括った。
身体は年を取らなかったが、髪は伸びた。
なぜか髭は伸びなかった。
窓越しに壁に掛けられた、擦り切れたり縫い目のある古ぼけた学ランを見る。
身長が伸びたわけではないが、体格が変わってしまい着るには窮屈なためここに置いていく。
今ユウキが来ているのは丈夫なシャツにズボン、鉄板の仕込まれた靴にいくつもポケットのついた厚手の上着。
その上から地味なローブを羽織っている。
服や荷物に使われた材料は時守の里で手に入るものだ。
生地は伸縮する滑らかな糸で、半端な刃物では傷一つつかない上に熱にも強い。
使われている鉄も黒曜鉄と言われる、ただの鉄とは比べ物にならない高度を持つ鉱石。
他にも里の鍛冶師や道具師が作った様々なアイテムをユウキは所持していた。
この数年で慣れた布の眼帯を撫で、反りのある剣を腰に佩く。
時守の里にいる鍛冶師の老人に頼み込んで打ってもらった特注の逆刃刀だ。
とにかく頑丈で、折れず曲がらず、切れ味がないことを除けば最高の武器。
鍛錬にも使っていたもので、見た目以上の重量のためいい修行になる。
他にもいくつも武器や道具などを各所に仕込んでいる。
長旅に備えた装備や荷物は持った。
後は異世界の地に戻るだけ。
「わふっ!」
トトトッと走ってきたチョコがユウキの足元で止まる。
「オウル様、お姉様、行って参ります」
そしてユウキの隣でバーシャンか深々と頭を下げる。
彼女の装いも旅支度がされたもので、仮面を除けば一目で旅人と分かる。
バーシャンもまたユウキと共に旅にでる。
これは以前から決まっていたことらしい。
オウルが腕を一振りし、そして次の瞬間にはユウキたちは深い森の中に立っていた。
仰々しさも特殊さもない、呆気ない最後だった。
見渡せばここはどこかの森の入り口近くらしい。
「行こうか」
「ええ」
「わふっ」
二人と一匹は歩き出す。
そして森を出て草原に立つ。
どこまでも続く平野。
見渡す限りに人影はなく、せいぜいが生き物の影しか見えない。
「【跳】ぶよ。掴まって」
ユウキはバーシャンがチョコを抱いて、そして肩を掴んできたのを確認すると布の眼帯を外し、逆刃刀を構えた。
ゆっくりと閉じられていた【瞳】を開き、世界を視る。
そして逆刃刀を振るった。
次の瞬間。
その場からユウキたちの姿は消える。
一行はどことも知れぬ森から、草原から旅を始めた。
Silent Chain第一部完
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