第6話 黒と白と赤

 僕の卒業アルバムというものは残っていない。一年前の春、ハガキに書かれた受験番号の下の不合格という文字を目にしてから二週間後の話だ。その日は卒業式でもあった。僕は精神的な疲れと滑り止めも全滅だったという恥ずかしさから欠席した。この時、僕の世界はバクっていて、朝になっても日が昇らないし、夜になっても眠くならなかった。それに、1日という概念すらも認知できなくなっていた。ただ、スマホに出てくる数字が3から4、4から5へと増えていくだけだ。この時の睡眠というもの自体に嫌悪感と恐怖を抱いていた。正確には、睡眠に行き着くまでの空白の時間が苦痛だったのだ。それは今と変わらないのだが、この時はずっとそれが大きかった。人間の体は食べることと同様に睡眠も必要とする。しかし、それを拒む僕は極力起きているようにするのだが、気がついたら眠っていたなんてことが多く、椅子に座ってネットサーフィンをしていたら眠っていて(気絶と言ったほうがいいかもしれない)時計が一時間進んでいたりした。体の疲れは一切取れず、ただ、どんよりとした黒く湿った霧が体全身を駆け巡り、細胞の一つ一つのエネルギーを吸い上げていった。締め切ったカーテンから漏れ出てくる光を見ながら、耳につけたイヤホンから流れてくる下手くそなロック、ブルーハーツの青空が聴こえる。利き手である右手をじっくりと眺めた。自分で言うのもなんなのだが、綺麗な手だった。すらりと長い指がバランス良く手のひらから伸びている。手荒れなどもなく男にしてはきめ細やかな白い肌を持っていた。透き通るような白さは僕の存在を消してくれるような色だ。熱い液体が両頬を伝い、顎でぶつかり合い、滴は一直線に落ちていった。僕は立ち上がり、押し入れに入ってある幼稚園、小学校、中学校、高校、全ての卒業アルバムを手に持ち、引き出しからマッチを取り出し、外に出た。ぼんやりとした空の下は薄暗く、太陽の光が微かにしか届かない。向かいの家が灰色の透明な板を挟んだようにぼやけて見える。2月の残り風が暖かい室内で暮らす僕の身を切り裂く。耳が焼けるように冷たく、白い手は一気に赤く染まっていった。靴下なしでサンダルを履いているため、足先が一気に冷たくなり、すでに小指が取れそうだった。この冬の気温は寒いではなく痛いと言う表現の方が合っているかもしれない。くすんだ銀色のバケツに全ての卒業アルバムを手から溢れるように入れる。ガシャガシャと甲高い音が住宅街の中を駆け巡る。マッチを一本取り出し、勢いよく擦り付け火を付け、バケツの中に放り込む。また、マッチをつけ、放り込む。引火しづらい紙を使っているためなかなか燃えなかったが、全てのマッチを放り込む頃には、勢いよく燃え上がっていた。過去の記録は一瞬のきらめきを放ちながら灰となっていく。その灯に手をかざす。じんわりとした微かな温かさが僕の指先をほぐしていく。その温かさは血液に乗り、少しずつすこしずつ全身を温めていく。この時、僕は何も考えていなかった。目の前でゆらゆらと揺れている刹那的な火をただじっと見ていた。久しぶりの空白は黒い霧は姿を消し、ただ目の前で火だけを映した。火も弱まり始め、僕の息も白くなくなり、あたりがほんの少し明るくなる。そして数分もしないうちに、より明るくなり、向かいの家もはっきりと見えてくる。火は灰の中でか必死に燃料を探していた。だが、その甲斐虚しく、火は白い煙だけを残して消えてしまった。僕から温かさがすっと消えてただ冷たい風が僕の体を撫でる。だが、僕はその場から一歩も動こうとはしなかった。ただじっと灰と風に煽られながらゆらゆらと天にのぼっていく白い煙をじっと見えていた。

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