第3話 家
家に着くと母はビールを飲みながら、ドラマの再放送をみていた。ビールと言っても、第3ビールだ。缶に保冷缶ホルダーに入っており、キリンの鬣だけが見える。ドラマでは、坊主の高校生が甲子園と叫びながら、バットを振っている。見ているだけでむさ苦しい画面から目を逸らす。僕は台所に行き、一杯の麦茶を一気に飲み干す。その後、洗面所に行き、服を脱ぐ。そして、風呂場に行き、疲れた体を洗い流す。いつもと同じように。僕の日常はほとんど狂うことがない。交友関係もほとんどなく、ラインもシフト連絡くらいしか来ない。たまに、店長から飲みに誘われるくらいだ。それも行ったり、行かなかったりとまちまちだ。こうして、同じ時間帯にシャワーを浴び、12時になるとベッドに潜り込む。母は僕のルーティーンを尊重してくれる。なので、僕が帰ってくるであろう10時半頃には風呂場を空けておいてくれるし、洗面所の椅子の上にはバスタオルが用意されている。こうした外部的接触のない日々を淡々とこなしていく。退屈さと人に会いたいと思う欲求よりも人に嫌われたくないという思いの方が大きいのだ。たとえ赤の他人としても嫌われ拒絶されることに心を痛めてしまう。コンビニの店員、業務スーパーの客、同僚すべての人に嫌われたくない、拒絶されたくないという気持ちが芽生える。頭の中ではそんなことは放っておけばいいと理解しているのだが心が追いつかない。頭と心の乖離がどんどんとひどくなり、行動が滅裂となる。最初は小さな矛盾でもそれはどんどんと大きくなり、元々正常だったところにまで異常をきたすようになる。最後にはバラバラになるだけだ。坂の車輪のように加速していき、止められなくなっていくのだ。この矛盾を解決する答えは一体どこにあるのだろう。答えは砂漠から一粒の砂を見つけるのと大差ないのだ。しかも、その一粒がこの砂漠にあるという保証がなく、どんな一粒なのかすらわからない。それをいうなら一粒かさえもわからない。砂漠の砂全てが答えかもしれないし、そんな一粒はないというのも答えなのだ。それに加え、見つけるだけでは意味がない。それを僕が理解し、心から納得できるかどうかなのだ。つまり、砂の粒を一つ一つしっかりと手に取りじっくりと観察し、砂の粒を理解しなければならないのだ。一粒一粒答えになるものと答えにならないものを区別するには途方もない、無限に近しい時間が必要なのだ。僕は人でどんなに長くても100年近くしか生きられない。100年では短すぎるし、加えてこの100年は理論値であって実際の数値ではない。僕の心がこの乖離にどれくらいもつのかはわからない。80年後かもしれないし明日かもしれない。ただ言えることは、僕がその一粒を手に入れて、理解することができるのなら、僕は僕自身の苦しみから解放され、新たな道に不安なく踏み出せるのだろう。
シャワーを浴びを終わった僕はバスタオルで丁寧に体を拭き、服を着る。白いTシャツにプーマのジャージ。これが僕の寝巻きである。動きやすく寝相の悪い僕にとってもってこいなのだ。リビングに行くと母はもういなかった。どうやら、自室に行ったのだろう。ペットボトルに水を入れ、スマホと本棚からトニカクカワイイを二階の自室に持って行く。ベッドフレームから垂れている充電ケーブルをスマホに挿す。YouTubeを起動し、違法と合法にアップロードされた音楽が入り乱れたプレイリストを頭から再生する。取り止めのない日常ギャグ漫画を読んで自己の日々から逃れようとする。この寝る前までの間の時間が最も憂鬱で陰気な時間だ。明日になればなにも変わらぬ日々が訪れ、なにも起こらず、ただ時間だけを浪費していく。僕はどんな人生を望んでいるのだろうか。例えば、この日常漫画のように日々がキラキラと輝いていて、新たな発見や新たな出会いに満ち溢れたものなのだろうか。だが、それが実際に訪れるとなると僕はなにもできずにその出会いから避けてしまうのだろう。その矛盾が今の日々を運んできたのだろう。スマホのスピーカーは恋をしようぜbabyと歌っている。漫画では楽しい学校生活が描かれている。読むのに疲れ、顔を上げる。8畳の長方形の形をした部屋はものが多く、引き戸の妨げにならないように多目的棚の中に大判コミック(AKIRAなど)がありその横には天井までそびえ立つ本棚の中に漫画とラノベが敷き詰められている。さらにその横には本棚と同じ大きさのスチールラックがあり子供の時にハマったバトルスピリッツのカードが入った箱が置かれていたり、5体まとめて買ったけいおんのフィギュアが剥き出しで飾ってある。UFO キャッチャーの景品としては完成度が高いがドラムセットが明らかに小さいことが欠点だ。他にもガンプラの箱や一時期毎週読んでいたジャンプなどがある。ものに溢れた部屋なのにどこかしんとした空気に満ちていた。その空気が僕の孤独感を煽る。電気を消し、布団の中に潜り込む。孤独感から身を守るために、胎児のように身を抱え、自分自身の体温を感じながら、遥か彼方からやってくる眠りを途方もない時間待ち続けた。やがて、時間の感覚さえどこかに行ってしまった頃、眠りが僕を包み込み、ひとときの平安をもたらした。
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