第2話 自由人

 僕は、ものが溢れかえった業務スーパーの中に一人で佇んでいる。こうして来るかもしれないお客さんを待つことも仕事のうちなのだ。時刻は午後9時34分。この時間帯は客の入りも少ない。加えて、この時間帯の従業員も少ない。シフトがうまく噛み合わない時は僕一人で店を切り盛りする時もある。それに加えて、店長が休む時もしばしばある。まさに今日がその時だ。誰もいない店内を見渡す。空いていない段ボールの山が形成されていて、その頂上にはビスコが段ボールから生えてきたかのように並んでいる。他には、レジの付近、僕のちょうど左前にどら焼きが段ボール一杯にある。どら焼きの源みたいなものがあって、温泉のようにここから湧き出しているかのようだ。まだ秋だというのに店内はいつも真冬のように寒い。剥き出しの冷蔵ケースから冷気をどんどんと排出していく。この業務スーパーは10時で閉店なので、コンビニのように24時間ではない。だが、この冷蔵ケースだけは24時間年中無休で働いている。そういうことならこの店で一番働いているのは一人ぼっちの僕ではなく冷蔵ケースなのだ。たとえ真夏であろうが、一瞬たりとも休めない冷蔵ケースに同情しながら、店内を薄暗く映し出す古臭い蛍光灯の光をぼんやりと眺める。店内の軽快なBGMとは裏腹に、僕の心の中には暗くどんよりとしたものが立ち込めていた。かと言ってそれを解決しようとするには途方もない努力と時間と運が必要なのだ。僕はそれを嫌い、そして諦めた。マンネリ化した日々を何も変えずに過ごしている。

 結局、あれから客は誰一人来なかった。いつもの手順通り業務スーパーの制服から着替え、荷物を持ち、店内の電気を落とし、タイムカードを押し、ガタガタ滑りの悪いシャッターを閉め、鍵を掛けた。その鍵を右のポケットの中に押し込み、左のポケットからバイクの鍵を取り出す。年季の入った中身がスカスカのTW200が僕を待っていた。鍵を差し込みハンドルロックを解除してから、キックペダルを出し、二、三回上下に動かす。そして、全力で右足に力を入れ、勢いよく蹴る。すると、軽快な音を立ててエンジンが動き始める。一回でかかったことに少し喜びながらヘルメットをつける。普段なら3回くらい蹴らないと掛からないことが多い。今時のバイクならボタンひとつだが、20年前のバイクとなるとそうはいかない。正直なところこんなに面倒くさいバイクは嫌いだ。でも、家にあるバイクはこれしかなかったのだ。このために普通免許とは別に普通二輪免許をとる羽目になった。僕は数回噴かしてから、業務スーパーを後にした。

 ヘルメットの中では音楽が流れている。携帯からbluetooth飛ばしてヘルメットに内蔵してあるスピーカから音が流れる仕組みだ。尾崎豊、十五の夜。古いバイクには古い曲が合う。音楽は未来の絶望に押しつぶされて、ぺちゃんこになった僕の心をそっと慰めてくれる。大人になれない出来損ないが聞く曲には持ってこいだ。夜の薄暗い闇の中をヘッドライトが切り裂く。だが夜の闇は深く厚いので豆電球ひとつでは大した亀裂も入れられずに、僕の視界には闇が多くを占めていた。その闇は不安を誘い、ヒステリー球がキリキリと締め付けられる。逃げ出すように、アクセルを回す。風に身を溶かして、不安をろ過していく。赤信号であろうが無視して、チープなスリルに身を浸しながら、心が透明になっていく感覚を味わう。僕の心にこびりついた暗い粘り気のある黒い物体を吹き飛ばしてくれる。思考がすっきりと洗い流され、一時的であれ僕を未来という鎖から自由になれる。そして、今という一瞬に僕という存在の全てを集約してくれる。嫉妬、プライド、学歴、劣等感。それらの他人との比較から一切解放される。僕はぼくである。それが事実であり真実なのだ。だが、常にそう割り切れるほど強くはないのだ。何もかもを論理的に片付けられるのなら、こんなことにはなっていないし、もし片付けられたのなら何もかもが理想と寸分違わず現実になっていたのかもしれない。だが、元々感情的な本質は変えられないし、押さえつけるとしても限度がある。押さえつければ跳ね返ってくる。こんなことは小学生でもわかることだ。人は機械ではないのだ。

 社会の負け組はこうして言い訳をしながら夜の街を駆ける。

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