懲役十年

 私の甘ったるい見込みが藤森君自らにより打ち砕かれ、死刑囚ってこんな気持ちなのかなと思いながらお父さんに殴られた私のせいで、校長先生と担任の先生は何にも悪くないのにペコペコ頭を下げていた。



 そして浅村さんに謝りに行く前に、私は学校から放り出された。

 停学は覚悟していたつもりだったけど、それすら許されない形での問答無用の退学処分。




 生徒会副会長。成績優秀。おまけにそれなりの美人で男からもモテていた私は校内の誇りだったはずだった。

 それが一転して埃、いやそれ以下の存在になり下がった訳だから、先生たちがブチ切れるのも至極当たり前だった。








 それで私はお父さんに縋った結果大叔父さんの工場に送られ、そこで全く経験のない工場労働者をやらされる事になった。

 その上に夜はコンビニで働かされ、それこそ二十四時間とまでは行かないにせよ週休一日の十六時間労働。


 化粧は接客業に必要な分しかさせてくれず、当然スマホも業務用のそれでしかない。



「一刻も早く、金を返したいんだろ」



 お父さんのその一言と一枚のメモ用紙に書かれた文字が、何よりも重くのしかかる。







 五〇〇〇〇〇〇円————そう500万円。




 それが、お父さんとお母さんが私に突き付けたお金。




 浅村さんへの賠償金として、それぐらいのお金を払わなければならなかったらしい。お父さんの年収の八割ぐらい、それこそ貯金がすっからかんになるような大金だった。


 自分の生活費をどれほど切り詰めれば足りるのか、まったく見当もつかない。


 そんな私にあてがわれたのはこれまでの私の部屋の四分の一の大きさの、風呂トイレキッチン全部共同の築半世紀の三畳一間のアパート。もちろん、まともな荷物なんか置けやしない。テレビすら動かせそうにない。




 そんな場所で休みの日に何をするかと言えば、寝てるだけ。


 たまに起きていたとしても、テレビを見る事すらしないでふらふら、ふらふら。



 きれいなお洋服だのお菓子だのを見ても、ただ目の毒なばかり。洋菓子なんてそれこそ週イチのごちそう、って言うかその週イチだってコンビニバイトの売れ残りの自爆営業的なそれ。本当に自腹でとなるとそれこそ月イチ。

 和菓子はまだ事務所で出してくれるけど、それだってせいぜい週に二度。



「たまにはいいじゃないか、好きな物あるんだろ?」

「……モンブラン」


 かろうじて絞り出したその言葉に大叔父さんは応えてくれたけど、正直おいしくなかった。

 物が悪いんじゃなくて、これを食べてるたびに大半のケーキの食べられない浅村さんの顔が目に浮かんでしまう。怒ってるのか泣いてるのかわからないけど、とにかく浮かれ上がる事を許さないって顔。


 最初の五年間で十回食べたけど、それからはもうとても食べられなくなった。

 だから、洋菓子と言っても口にしているのはせいぜいが有名メーカーのクッキーぐらい。これだって牛乳入りだからとても食べられるものじゃないんだけど、それでもまだこんなことができるのかと思うほどには私の面の皮ってのは厚かったらしい。








「嬢ちゃん、金欲しいんだろ?」

「ダメよ、こんなに肌と手の荒れた子にお酒注いでもらいたくないわよ」


 そんな生活を数年続け、帰りが遅れて夜の町をとぼとぼ歩く私に向かってこんな声が投げ付けられた時もあった。


 もうとっくにハタチなんぞ過ぎて煙草もお酒も解禁された頃だってのに、いやまだ二十代前半だってのに水商売からさえもお断りされそうなほどに私の体は荒れていた。


 帰って鏡を見て、それでビックリする気も起きない。


 汚らしいんじゃなくて、実に重苦しい。借金をした人の顔ってのがあるんだよなとかって大叔父さんは笑ってたけど、まさしくそんな顔だった。




 それで時々、お駄賃目当てに昭和の女である大叔母さんにも付いて回った。


 自炊や裁縫の手引きなどいろいろしてもらったし、お金目当てには荷物持ちでも掃除でも何でもした。

 その度に何度も何度も失敗しては厳しく叱られ、その度に浅村さんはもっとつらい思いをしてるんだろうとか考えた。


 あの時の浅村さん、ほとんどナイフを刺されたのと同じような、いやもっとつらくて苦しかったのかもしれない。そう考えれば自分なんて大したことない。


「浅村って子の事を気にしてるの?」

「はい…………」

「今は私の話を聞きなさい!」


 その逃げ道を見破られて怒鳴られた事もある。

 毎回毎回殺そうとした存在を逃避先に使うのだから仕方がないのかもしれないけど、私はやっぱり人間として程度が低いんだなとため息を吐いた。







 そんな事を何度も繰り返すうちに図々しくも傷心した私に気付いた大叔母さんの顔から急に険が取れ、哀れみのそれに変わって行った日があった。


「何よ、私が言い過ぎたっての?」

「全然そんな事は……あーあ……」

「あなた、抱え込み過ぎなのよ。あなた若いからできるでしょ?ちょっと付き合いなさいよ」


 また殺そうとしたも同然の人間に頼った事に気付いた私を、大叔母さんはいきなり旧家そのものの家に上げた。


 そんな畳ばかりが並ぶ家の隅っこの和室でアナログテレビとファミコンを見せられた時には、本気で血の気が引いた。

 畳敷きの和室にたたずむ私より年上のその置物は、まるで悪気なく私の心を鋭く突き、その上にささっている白いカセットもまた、白って色が嫌いになっていた私の心をえぐった。


「大叔母さんこれ……」

「息子に買ってやったやつよ。今じゃすっかり新しいのに移り変わってるけどね。息子が孫のために買って来たの見た時は本当驚いちゃったわ」


 一生触らなくてもいいと思っていた代物を若いからと言う理由だけで、いきなり握らされることになった。バイトはおろか工場労働よりもっとも縁遠いと思っていた代物との出会いに、我が身の零落ぶりを改めて思い知らされた。


「あら動いたじゃない、ねえ対戦しましょう?知ってるでしょ?」

「存じ上げません……」

「あらまあ、でもま、やれば慣れるから、ねえねえ!


 それでそのままささっているゲームの相手をさせられた。古めかしいドット絵が躍り出し、変な生き物がうごめいている。



 で、相当なハンデを付けてもらったのに、一戦も勝てない。



 大叔母さんはクスクス笑ってた。実に楽しそうに笑ってた。


 厳しい大叔母さんがこんなに笑えるだなんてとか、こんなもんうまくったってと開き直るとかするには、あまりにも私はダメすぎた。



「あなた、うちの孫ともいっしょに」

「私の相手は教育に悪いです!」

「汗に塗れて働く人の姿が?」

「私は人殺しですから……!」


 大叔父さんには跡取り息子の叔父さんとその奥さんや子どもたちもいたし、既にお嫁に行ってたけど叔母さんもいた。


 大叔母さんは私に叔父さん夫婦やお孫さんたちとその時一番新しいゲーム機で対戦させたかったらしいけど、私の存在はあまりにも教育に悪すぎる。その事だけは、はっきりと言っておかなきゃいけないと思った。



「その主張だけはできるのね……」

「はい」

「いいんじゃない、もういい加減」

「お父さんと約束したんです、500万円持って来るまでは帰らないって」

「あの子も背負い込みやすいからね、まったくやなとこが遺伝しちゃって。まあ世間様は厳しいけどねえ」



 あの事件の前までの私は親孝行でも親不孝でもなかった。

 もちろん今の私は親不孝の極みであり、親に縋っている以上逆らうことなんかできるわけがない。


 私は人殺しなのだから。


 それが許されるのは一体いつなのか、刑法で行けば十年とかかもしれないけど、そんな風に私が苦しんだ所でどうにかなる訳でもない。

 大叔母さんが言うように、世間は永遠に私を許してくれない。わかり切った事だ。




 こんな私に友だちなど、できるはずもない。作る気がないんだから。



 工場でもお金稼ぎにしか頭の行かない私に声をかけるのは、大叔父さんの跡取り息子である従兄弟の叔父さんを始めとする年長者ばっかり。

 コンビニなら同年齢も多いかもしれないけど、そこでも私はひとりぼっち。



 大叔父さんの工場の人は私の事情を知ってたからか優しかったけど、コンビニの子たちはずけずけと入って来る。

 携帯もない、スマホもない、おしゃれもしない私は容赦なく孤立して行った。単純に、何もかもが足らなさ過ぎた。




「借金背負ってるって聞いたけどさー、一体何があった訳?俺んとこの親父のように酒飲み過ぎてアル中になったとか」

「私の大叔父さんに聞いてください。とにかく、1円でもお金が必要なんです」

「まったく、ギャンブルだか女だか知らないけどさ、本当に悪い親」

「私が作ったんです!」


 私などが必要なぐらいには大きな工場のある片田舎。そんな場所で情報が伝わるのはむしろ早い事を私は教科書の知識として知っている。ひと月もしないうちに身の上をベラベラと話し始めた地元の子たちに向かって、私は恥部を思いっきりぶつけてやった。


 工場労働の果てに疲れ切った肉体を引きずってコンビニまで来るような女。もちろん最終学齢は中卒、しかも両親は不在。訳ありだと考えるのが常識だろう。


「いいじゃんいいじゃん、教えてよ、隠しっこなしだからー」

「遠慮のない人ですね」

「もしかしてさ、エンコーしてその時逆に訴えられたとかって……」

「そういう事です」



 だと言うのに絡んで来る人間たちに向かって結局私は売春していたと言う言い訳を作り、人殺しと言うより重い罪を隠した。

 どっちが社会的に見て重い罪なのか、そんな事はわからない。私の意志で、この子たちと付き合うためにこんな仮面をかぶった。


 もっとも、これは大叔父さんと相談した結果作った出来合いの言い訳だった。

 親を殺すか、親を別れさせるか、不貞行為を働いたか、いじめられたか、いじめたかどれかを選べと言われた際に私は不貞を選び、それを使うことにした。いじめたと言う真実を言えないのもまた、どこまでも弱い私の証明だった。

 ためらったのは、問い詰められなければ言い返すつもりもなかったからに過ぎない。







 しかし、穴だらけの理屈などその気になれば案外すぐにばれる。


「戸頃、あんた援助交際なんかしてないでしょ」

「そんな」

「だってさ、知ってるんだよあたし。あんな男くささの極みみたいな職場にあんたが務めてる事。そんなとこにいる男なんてさ、独身でないとしても絶対性欲持て余してるって、ああソースはうちの叔父さん、まだ三十一だってのに四人も子供作っちまってさ」



 援助交際していたくせに、男だらけの職場にいるのに、まるで男に無関心な私の行動をにらんでいた女子高生、正真正銘の十八歳女子高生によって、一年ほどで私の嘘は看破された。


「だからお金を返したら!」

「でもさ、あんたみたいなのって援助交際するようには思えないけど、男狂いにも目先の金に釣られるようにも見えないしさ、1円単位でこつこつ金貯めて、そんで売れ残り品を恥も外聞もなく持ち帰るようなさあ」

「人間、欲望のためならば素直になれるの!」

「胸に抱えてると体に悪いよ、ほらそんな嘘なんかやめてさ」



 これは嘘じゃない。500万円を早く返して、そしてそれからお父さんお母さんから許しをもらわない事には私の人生は何にも始まらない。援助交際すらできやしない。

 彼女はめちゃくちゃ素直な、悪気のない、好奇心と善意だけに満ちた顔をして問いかけて来る。


 ああ、あの時の私と、たぶん同じ顔だ。あの時も素直さと好奇心だけはあった。悪気はめちゃくちゃあったけど、それ以外全部同じだ。


「でも、その、大叔父さんに止められてるから……」

「もう水くさいんだから、あのじいさん本当にもう、あんたをこき使い過ぎだよ」

「大叔父さんを悪く言わないでください!あなたなんかに話す言葉はありません!どうしても、どうしても知りたいのならば大叔父さんの家まで一緒に来てください!」


 それでもついカッとなって、と言うかなおも往生際悪く逃げる私に、彼女はあいかわらず善意をむき出しにして寄り添って来る。

 それで大叔父さんの名前を出してつい怒鳴ってしまい、無駄に人をひるませてしまった。


「ああもうわかったわよ、わかったわよ!あんた、少年院に入ってたんでしょ!」

「そういう事です」

「そりゃそうよね、あんたからパパママの話が出て来ないはずよ……」


 結局彼女は、私が事件を起こして少年院に入っていたと言う事で親から半ば勘当されて高校も中退させられ、それで親類に身請けに入っていると言う解釈をしたようだ。

 ほとんど正解だ。実にありがたい解釈だ。彼女はそれを言いふらす事もなかったぐらいにはいい人物であり、それから私に無駄に関わる人間が減るぐらいには貢献してくれた。


 彼女は高卒と共にバイトをやめ、現在は都会に出て一人暮らしをしているようだが、もし縁があったらまた会ってお礼を言いたい。








 そのコンビニバイトも九年間でやめ、もうそろそろやり直してもいいのではないかと言う大叔父さんの言葉を聞いた私は受験勉強を開始。すっかり忘れていた事をいろいろ思い出しながら、定時制高校への編入を目指した。


「でも学費は」

「わしが出す」


 大叔父さんに何もかもすがりながら、紙と鉛筆を必死に握り続けた。


 この時にはすでに、貯金は470万円を超えていた。肌荒れとしわと、それから白髪を犠牲に、私はお金を積み重ねて来た。あと一歩だった。

 もっとも今更受かった所で何になるのかとは思ったけど、それでも大叔父さんのためにもやらなければならないと言う思いを武器に必死に机にしがみ付き続けた。


 とにかくそんなこんなで無事定時制高校にも合格し、同時に延々十年かけて500万円を作り上げたのが、ほんのふた月前の事だった。


 両親にも来てもらえた。十年ぶりに心からの笑顔を見せてくれた。

 そのついでに電話のかけ方を忘れたと言うと、二人とも深くため息を吐いた。


「それでだ。お前自ら、500万円を届けに行け。そして、きちんと藤森君と浅村さんに謝れ」

「それでもし許されなければ」

「それならそれでいい。結果をきちんと報告しろ。いずれにせよ、父さんと母さんはもうお前を許す。これ以上の事があれば今度は味方になる」


 私のせいで毛のなくなったお父さんの言葉を素直に飲み込み、今日こうしてお父さんに教えてもらった藤森君の家までやって来ようとした。


 十年間の清算のために。




「よう、人殺し」



 そこで私は、こう言われたのだ。

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