第10話 夜警



 阿鼻叫喚となった。

「脈々糸を!」

 捲眼怒が言いきることはできなかった。

 湯禍の動きは、目にも留まらないほどだった。

 拘束していた男が地面に叩きつけられたと思ったら、次の瞬間には捲眼怒の顎を一撃していた。

 頭上から、ぱんぱんと銃声が響いた。

 腆宗の衣服を着た者から順に、次々と撃たれていく。撃たれた者からは、血がでた。何人かは、自分が何をされたのかがわからないようだった。楽器を抱えていた臚士たちが、悲鳴をあげて頭を抱えた。

「気を付けろ! 夜警が来るぞ!」

 弧裂は頭上に叫んだ。同時に、白い影が己にまとわりつくのが見えた。あっと言う間もなく、目の前に暗い口が見えた。

 ぽおんと軽い音がして、夜警が風船のように弾けた。

 傾斜した柱を器用につたい降りて、菌規銃を持った稼頭が下りてくる。腰を抱えられた、下に飛ぶ。ぬるぬると滑る、だが固い地面。

「急げ」

 弧裂は咄嗟に稼頭を見た。

「探すなら今だ!」

 駆けだした。

 血臭と絶叫が、場を支配している。腆宗も臚士も、瞬く間に夜警に捕らわれていく。ぐったりと力ない胙より、脂力の満ち満ちた男たちのほうに寄せられている。

 夜警は、そういう生物だった。

 ありとあらゆるものを食らう。特に強いものを、大きいものを。世界を、真に真っ平らするために生まれたのだ。

 生者と死体が五分五分の地面に、ヤマイ群が降り立った。止めようとする者を撃ち、あるいは刺し、まだ息がある仲間たちを助け起こす。

 弧裂は、地面に這うように駆けた。

 手近な胙から、とにかく覆面をはがしていく。顔が次々とでてくる。力ない顔。岩のように腫れた顔。ざんばらに切られた黒い髪。抉られた眼球。削がれた鼻。傷はついていないが、およそ生気のない顔、顔、顔。

 夜警が腕を伸ばしてくる度、稼頭の菌規銃がそれを散らした。散らすだけだ。夜警は殺すことができない。精式が及ぶ範囲ならどこにでも姿を見せるし、脈々糸が切れた今、律脂庁を夜警から守るものは何もない。

 混乱し、悲鳴をあげながらも、自力で夜警を散らすことのできる、腆宗や臚士もいた。精式を操る生来の才覚があってこその、腆宗であり臚士だった。

 うち一人が、咆哮をあげて弧裂に突進してきた。稼頭がとっさに肉挿しに持ち替え、それを押し戻した。肉が突き刺される音がした。血の臭いが濃くなる。弧裂は必死で、あらゆる体液でぬるぬると滑る地面を這った。

 指が覆面を剥いだ。

 でてきた眼球には、まだ力があった。

 弧裂と目が合った。

 永遠のような一瞬だった。

「聞こえていたの」

 力なく言う声は、がさがさとして、およそ人がだせる声ではなかった。顔ではなく、喉をつぶされたようだ。

「夢じゃないの?」

「ああ。赤芽あかめ

 感慨もおろそかに、弧裂は刃物で彼女の拘束を解いた。

 ごん、と地面が揺れた。

 夜警が突如揺れて、霧散した。幾人もが、中途半端に食べられたまま、地に投げ出される。途端、ぶしゃっと血や、血以外の体液があふれ出た。

 炉が、揺れていた。

 煮立った表面が、右に、左に揺れる。ざぶん、ざぶんと、正体不明の青白いものが揺れる。肉の臭いをした、蒸気があがる。

 弧裂は片腕を振って、声を張り上げた。

「逃げるぞ!」

 止めようとした腆宗もいたが、攻撃の精式が練れるほど冷静な者は誰もいなかった。そうなると、獣との戦闘に慣れたヤマイ群の敵ではない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る