第7話 嘗精祭



 よく見れば、臆の間の混沌のなかにいるのは、律脂庁の者たちだけではなかったヤマイ群の幾人かが、血を流して倒れ、あるいは湯禍と同じように背後から力ずくで拘束されている。臚士たちはそれを取り囲み、腆宗たちが一段高い壇上から見下ろすようにしているのだ。

 弧裂は、首をのばして、人数を数えようとした。途端、背後から背を叩かれて飛びあがった。ヤマイ群の男たちが、暗がりのあちこちに身を伏せている。どの顔も、焦慮を露にしていた。

「湯禍が。どうして」

 稼頭が獣のように唸った。

「すまない」

 打たれたジク犬のように、ヤマイ群を率いていた男が呻いた。弧裂は、手で静かに、と示すと、じりじりと後退し、ヤマイ群たちと合流した。

「どうしてここにいるんだね。打ち合わせの場所と違う」

「目当ての場所に行くまでに、儀式を目にして、湯禍がいきなり発砲して飛び出して行ってしまったんだ。一緒に飛び出していった連中も、あの有様だ。人数が半分になった」

「あいつら、化け物だ。手をかざしてちょっと何か言ったと思ったら、仲間の頭が弾けて、噴水みたいに血がでたんだ」

「首がなくなったのに、ずっとのたうちまわってた」

「なんとか助けに行こうとしたんだが、この人数じゃ仲間を助けながら、あそこにいる全員は殺せない。上からなんとか奇襲できないかと思ったんだが」

「いや。……いや、懸命だったよ。よく堪えてくれた」

 痛ましい思いで、弧裂は一群を見つめた。首なしでのたうちまわる羽目になった仲間は、今でもまだ苦しんでいる、そういう精式であるとは、口に出さずにおいた。

「こっちは成功した。直にこの場も大混乱になる」

 強いて声を落ち着かせて、弧裂は言った。

「本当か」

「ああ。機会は必ずくる。待とう、少しの辛抱だ」

 ヤマイ群を率いる男が、苦悶の声で言った。

「すまん、稼頭。やはり湯禍を連れてくるべきじゃなかった。……あの子に見せるようなものじゃなかったよ」

 ひそめた声を、精一杯に張り上げなくてはならないのは、臆の間の中が騒音と熱気とで満ち満ちているからだ。

 中央に、円形の巨大な炉があった。青白色の光を放ちながらぐらぐらと煮えているその周囲で、腰から下の衣服をまくりあげた腆宗たちが、胙を組み敷いていた。気の狂いそうな音楽にあわせて、詩を歌いあげる。腰が降られる。その度、がくん、がくん、と胙たちの首が揺れた。胙の幾人かは、明らかに命を落としていた。

 これが、嘗精祭だった。嘗精祭の儀式だった。

 弧裂と、声を潜めたヤマイ群は、そろそろとその喧騒を見下ろした。幾人かが呻き、顔を逸らした。

 臚士たちは、本来ここにいるべきではない。儀式に参加できるのは、腆宗以上の地位の者たちだけだった。そのため、腆宗になることを望んで、腆宗のなかでももっと昇格することを望んで、数年前から律脂庁のなかはいくつかの派閥に分かれ、互いに密約と裏切りを繰り返していた。

 嘗精祭当日の今になっても、その派閥は残っているらしい。腆宗のなかでも、臚士の間で、いくつかの島があり、あちこちで衝突が起きている。数十人が大きく声を張り上げ、幾人かがそれに反論し、あちこちから声が飛んだ。その合間に、儀式を行う者たちの、呻きや喘ぎや嗚咽が、広大な空間をいっぱいに埋めている。真っ二つに分かれて激しく議論しているグループもいれば、当面は傍観を決め込む様子の一群もいる。だがいずれも、その目的は同じで、儀式に参加することのようだった。

 天井の中心から、屋根を突き破って伸びている三本の巨大なアブラ煙突の下部が見えている。その下に、青白色の輝きを放ちながら、ぐらぐらと煮えている炉がある。腰を引いた腆宗の一人が、しずしずと立ち上がり、己の衣服を整えると、一体何夜にわたってこうされていたのか、ぐったりと力のない胙を抱えあげた。首から上は袋に詰められているが、はみだした髪は黒く長く、やせ細った体のいたるところに、殴打された痕がある。

 腆宗は、詩を諳んじながら、女を青白く煮立つ炉に放り投げた。

 ざしゃん、と奇妙な音がして、炉で煮立っている青白い何かと、濃い煙が、女の全身に絡みついた。

 ゆっくりと沈んでいく。すっかり沈むと、ぼしゅう、と、満足げな煙があがった。ヤマイ群の何人かは、口元に手をあてて堪えた。音楽が、行為の契機になっているようで、続いて何人かが炉に放り込まれた。ざしゃん。ざしゃん。

「あれが?」

 稼頭が震える声で聞いた。

 弧裂も震えながら頷いた。

 各地の罪人が、臆の間で煙になっていることは知っていたが、その様子を実際に見るのは初めてだった。どうしようもなく、指が震えた。

「人間を溶かして、脂力に変換しているんだ。今は閉じているけれど、儀式が終われば、この上にあるアブラ煙突が開放される。凄まじく濃い煙がでて、それが雲になって、この先何十年と、雨を降らせることができるようになるのさ」

「その雨が降ると、夜警がでるようになるんだろう」

「ああ」

 臆の間の北側の隅に、まだ数十人もの胙たちが、放り出されていた。

 顔が露な者も、覆面で覆われている者もいるが、いずれも年若い人間の女性だ。

 彼女等はこれから、夜警を発生させる、脂力の原料になる。拘束されてのたうちまわっている者もいれば、恐怖ですすり泣いている者もいたが、大半は抵抗する気力も失っていた。すでに、腹が膨らみを見せ始めている段階の女性もいる。

 臚士や腆宗の中から、うまく議論を抜け出した者が、胙の群れに足を踏み入れては物色を始めていた。片端から適当に手足をひきずりだしては、すぐさま衣服を引きちぎり始める臚士もいる。一人で腰を振る者、複数で獣のようにとりつく者。歓喜のあまり泣く者、祈りの言葉を叫び続ける者。ぐったりと力なく揺れるばかりの女たち。




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