デッドウエイト

 私はエリの脱走に加担したし、ミミは追撃側でありながら味方を撃って私を助けた。必ず何かしらの罰が与えられるだろう。

 天使は駐機場で待っていた。出待ちだ。だからコクピットを出るのがすごく嫌だった。私はできるだけ時間をかけてハーネスを外し、できるだけ時間をかけてキャノピーを開けた。

 でも、実際には天使の対応は想像と全然違っていた。彼女は私たちを褒めた。

「おかえりなさい。2人とも素晴らしいフライトだったわ。ユキ、あなたがエリを手伝ってくれなければこんなに盛り上がることはなかった。格上相手に見事なカウンターを決めたわね」

 天使――オリヴィアは両手を広げてまず私をハグした。スポーツで優勝した選手にメダルをかけてやる時みたいな中身のないハグだった。

「ミミ、あの背中撃ちは最高にクールだった。何の手掛かりもなくパートナーを探し当て、裏切られた彼女を裏切りで救い出した。いいドラマだったわ」

「えへへ」ミミはオリヴィアの胸に顔をこすりつけながらヘラヘラしていた。


「ねえ、お咎めじゃないの?」私は訊いた。

「お咎め?」オリヴィアは心底意外そうに首を傾げた。

「懲罰?」

「なぜ? あなたたちは期待以上のものを見せてくれた。むしろ評価の対象だわ」

 どうやら本気で言っているようだ。そう、この空域で重要なのは規律ではない。テレビに映した時に面白いが撮れているかどうかなのだ。

「今夜はAディナーね。デザートにケーキをつけてもいい」

「ケーキ?」ミミはそれを聞いてオリヴィアの胸の谷間からスポンと顔を抜いた。


 ケーキはとても甘かった。ひとえに甘いと言っても色々種類があるんだな、という感じ。

 サクサクの生地とクリームが層状に重なっていて、一番上にシロップ漬けの赤いいちごが王様みたいに乗っていた。

 でも可能ならステーキのあとに食べるのは遠慮したかった。空腹の時の方が旨いはずだ。なぜディナーで満足した直後にこんなものを食べるのだろう?

 部屋にはテレビがあって、エリの映像が出たのは二口目のフォークをケーキに刺した時だった。

 それはおそらく塔の上から撮られた映像だった。ズームで解像度が粗くなって機種まではわからない。レシプロ機の形をした黒い影が真っ青な空をバックに飛んでいるだけだった。

 でも、ナレーションが「今日脱走を試みた2機のうち1機」と言ったし、直前に私たちの空戦のハイライトが流れていたから、それは間違いなくエリのメッサーシュミットだった。

 脱走なんてそうそう毎日放送されるものじゃない。いや、考えてみればテレビが見れるようになってから初めてじゃないか。

 エリはしばらくまっすぐ飛んでいたが、突然翼を立てて旋回を始めた。高度を下げながらカメラの方に向かってくる。

 そしてその背後を白い筋がすっと通り抜けた。

「ミサイルだ」私は呟いた。

 私が言ったのとほぼ同時に画面の中では爆発が起きていた。露出が飛んで一瞬全面が真っ白になり、あとには粉々になって飛び散るメッサーシュミットの破片だけが残っていた。黒い油がレンズに飛んできてぼやけた黒い丸になって映っていた。爆発はそれくらいカメラの近くで起きていた。

「あー、逃げられなかったね」ミミは口の中でフォークについたクリームを舐めながら言った。

「監視役の戦闘機に始末されたんだ」私は言った。実際、2機編隊のジェット機が画面にも小さく映っていた。

 遠い。でも速い。レシプロ機とはスピードが段違いだ。

「え、よかったじゃん、出し抜かれなくて」とミミ。私がネガティブなトーンで言ったからだ。

「そういうことじゃない」

「じゃあ、私を踏み台にしたのに失敗しやがって、ってこと?」

「それも違うな。なんだろう……」

 私は自分の中の気持ちがよくわからなかった。私を見捨てたやつが死んでざまぁみろなのだろうか。それとも脱走の夢を叶えられなかった哀れみ、あるいは絶望なのだろうか。

 ミミもしばらくぼーっとテレビを見ていたが、少しして急に背筋を伸ばした。

「ていうか、レシプロ機でミサイル躱すのってすごくない?」

「だからハイライトで流されてるんだろ」

「あ、そっか」

「ああ、でも、それは近いかもしれない。感心みたいなものだな。あいつは一発でもミサイルを避けたんだ。チャフも警報もない、後ろだって見づらい飛行機で一発は躱したんだ。それはすごいよ」

「そいつはヤキモチだね、ユキちゃん」

 ヤキモチ、か。

 私は羨ましいのかもしれない。それはただの感心ともまた少し違う。

 私はまだ半分残ったケーキをミミに差し出した。

「何?」

「あげるよ」

「じゃあ遠慮なく」

 ミミはとりあえず全部口に入れてから「でもなんで?」ともごもご訊いた。

「食べる前に訊けよ。胃もたれしそうなんだよ」

「ほら、聞くほどの理由じゃねぇや」


 私は部屋を出て格納庫に向かった。

 戸口でオリヴィアが待っているのが見えた。

 口の中で舌打ち。監視カメラか何かで見てたんだ。

「ケーキは美味しかった?」オリヴィアが訊いた。

「次はおやつに出してよ」と私。

「次?」

「私はあんたと戦いたい」

「拳法で?」オリヴィアは構えをとった。天使は線が細いからサマにならない。

「それで画になるなら構わないけど」

「じゃあ空にしましょう」

「あんたは自前の翼で飛ぶのか?」

 私はオリヴィアの翼を指差した。天使は天使だ。単独で飛翔能力を持っている。

「まさか。的が小さすぎて当てられないでしょ?」とオリヴィア。

「イジェクトした兵士を撃ったことはあるよ」

「そう。彼、回避機動はとってた?」

「……いいや」

「いいわ。明日10時。あなたはミミに疾風を借りなさい」

 案外あっさり挑戦を買ってもらえたので拍子抜けだった。


 翌朝出直すとオリヴィアはカーキ色の飛行服を着ていた。翼を中に入れているせいで背中がゴワゴワしていた。

「なんか妙な格好だな」

「自前の翼は使わないもの」

「デッドウエイトだ。嵩張るし、重いし、邪魔だ。そんなんで荷重を受けられるのか?」

 私は訊いた。Gがかかったら背凭れと背中の間に翼の骨が挟まって痛そうだ。

「案外平気なのよ」オリヴィアは肩を竦めた。

 駐機場で疾風と並んでいるのは空冷の複葉機だった。CR42ファルコというやつだ。ベージュをベースに黄色と緑の斑点で迷彩してある。プロペラは3翅の可変ピッチ、全体的に空力的な洗練も効いている。 

 が、複葉機だ。疾風の相手になるのだろうか。

「複葉機としてはソ連のI153と並んで最も後発のグループに属する。他の列強が単葉機を成熟させた頃に出世した機種だもの。エンジンパワーもある。武装も12.7ミリ2丁とまずまず」オリヴィアはそこで薀蓄をやめて私を見た。「スペシャルルールでやりましょう。同時に離陸して一対一の短期決戦。使用空域は隣の塔までの距離を半径とした円の中。私は発砲しない。私が撃墜されればあなたの勝ち。私が逃げきれば私の勝ち」

「待て待て、全然対等な条件じゃない」

「私とあなたの一対一が対等?」

「……そりゃあ、違うだろうけど」

「これはエキシビションよ。普通のゲームとは違う」

「それで、私が勝ったら?」

「願いを1つ聞いてあげる。この空域を出たいと言うなら、もちろんそれも受け入れる」

「あんたが勝ったら」

「あなたには引き続きここで戦ってもらう」

「よほど自信があるようだね」

見縊みくびられるのも癪だもの。負けてあげる気はないわ」


 私は先に離陸して6000mまで高度を上げた。相手は逃げれば勝ち。こっちはそれを捕まえなければ負け。当然こっちから仕掛ける展開になる。頭を押さえるのが定石だ。

 条件を聞くと一見逃げるだけの方が有利に思えるかもしれないが、行動に制限がない分、攻撃側の方がゲームをキャリーしやすい。機体性能を考えてもハンデをもらっているのは私の方だ。きちんと決めなければメンツが立たない。

 眼下はほぼ無雲。ファルコはベースの塔を巻くようにして速度を保って旋回していた。高度差は2000mくらいか。

 エンジンがしっかりクールダウンする2歩くらい手前で私は降下を始めた。滑空で風を受ければ嫌でも冷えていく。

 オーバースピードで舵が固まらないように1000mほど降りたところで一度水平に戻す。

 ファルコはまだ悠々と旋回を続けている。

 まさか気づいていないのか?

 基本的に複葉機はコクピットの前上方を上翼が覆っている。私はその死角を狙って相手のコースの前方から仕掛けることにした。

 ナイフエッジから背面へ。スーパーダイブ。

 旋回のGが消え、体が額の方へズルズルと落ちていく。

 ファルコの機影が照門に入る。

 そこから偏差をとってさらに深い降下へ。

 スロットルを絞って音を――気配を消す。

 絶好の角度。

 残り500、ファルコがぱたんとロールした。側面を向けて左旋回。

 私はラダーを踏ん張って射撃。

 が、弾道はファルコの腹下を通り過ぎる。目測より浮き上がりが大きい。やはり軽さか。

 食いつこうにも速度差がありすぎる。追いきれない。

 私はスロットルを押し上げ、ハーフロールして旋回、上昇に入った。仕切り直しだ。反復して攻撃できるだけのエネルギー差はある。

 と思っていた。

 しかし、だ。

 振り返った時、ファルコとの高度差は500mもなかった。

 高度差というより、距離だ。

 追われているような体勢に近かった。

 複葉機はスピードは出ないが揚力は強い。単純な上昇力なら疾風にも引けを取らない、か。


 私はスピードで引き離して水平面で一撃離脱を続けることにした。

 大きく旋回して射撃位置へ。

 ファルコはやや下方からヘッドオンの動き。

 これは明らかにフェイント。

 私が撃つのに合わせてハーフロール、下へ旋回。

 私もすぐに追う。

 互いの軌道が絡み合い、一瞬2機が横並びになった。

 ファルコが右旋回。

 私も右旋回。

 外周から追い詰めるつもりだったけど、風防の枠を超えて正面に入ってきたファルコはすでにこちらを向いていた。

 旋回が速すぎる。

 私は咄嗟にバレルロール。

 撃たれないのはわかっていても体が反応してしまう。

 すれ違う。

 振り返る。

 ファルコはすでに上面を見せていた。やはりおそろしく小さな旋回だ。まるで透明なリングがあってその内側を走っているみたいな機動だった。

 

 私は再び距離をとって上昇した。次に向かい合った時、ファルコはほとんど同高度にいた。

 私が射撃位置につくとファルコは降下で増速して鋭い回避起動をとり、私の背後ですかさず上昇に転じて失った高度を取り戻した。上昇の隙を狙おうとすれば私は速度を捨てなければならない。単純旋回ではファルコに分があるから、それは悪手だ。私は数度の交差で決定打を撃ち込むことができなかった。

 高度は2500mほどで下げ止まった。エンジンは加熱していた。残弾も少ない。私はG負荷と集中で酸欠になりかけていた。そのくせファルコはぴんぴんしているように見えた。スピードは出ていないのに旋回は軽快で上昇もスムーズだった。

 コクピットの中ではあの天使も汗だくになって青ざめているのかな。

 いや、全然そんなふうには思えない。勝ち目が思い浮かばなかった。

 垂直面と水平面の一撃離脱はもうやった。一対一、それもこの快晴では本来の奇襲効果はほぼゼロだ。

 なら、今まで避けていた旋回戦か。

 より鈍重な飛行機であえて旋回戦を挑む。むしろその方が意外性はある。


 私は緩上昇してスピードを上げ、今まで通り一撃離脱の形で突っ込んだ。

 ファルコもやはりビーム機動で降下、スピードを上げる。タイミングを測ってこちらに旋回してくるだろう。

 私は逆にそのタイミングを読んでスロットルを絞り、フラップをいっぱいまで下げると同時に思い切り操縦桿を引いた。

 軌道を変えるんじゃない。機首の向きが変わればいい。

 剥離する空気が主翼を震わせ、ギシギシギシと嫌な音になって足元に伝ってくる。

 空が回り、ファルコの機影がボンネットに吸い込まれる。

 偏差は合っているはずだ。私は射撃ボタンを押した。すぐにカチッと弾切れの合図。

 ファルコがボンネットの陰から現れ、太陽を隠すように上昇していった。まだ飛んでいる。

 それに、とうとう上を取られた。こちらは失速スレスレ。エネルギー量で完全に負けている。

 私はラダーを踏み、スピンに入ろうとしている機体を水平飛行に戻した。翼を振って降参のジェスチャー。

 ベースに戻って私が先に着陸。ゆったり降りてきたオリヴィアはやはり汗もかいていなければ息も上がっていなかった。

「勝たなければならない、というのは高速機にとってとても重い足枷だわ。好きな時に仕掛けて、好きな時に逃げられるのが特権なのだから」

「低速機の特権は?」

「高速機に高速機としての動きを強いるところ、かしら」オリヴィアはコクピットの縁に腰掛け、首を傾げたまま言った。いささかスレた傾げ方だった。

「避けられるのはわかる。旋回が小さいのもわかる。でも、なんであんなに早く高度を取り戻せたんだ?」

「なぜなら、軽いから」

「軽いったって……」

 ゲームには史実通りの機材を使わなければならない。材質の軽量化などは反則――。

 ……?

 私はファルコの下翼に登って機首のパネルを開いた。そこにはあるべきはずのものがなかった。空洞だ。エンジンの支持架が丸見えだった。

「機銃は?」

「言ったでしょ、私は攻撃しないって。なら、デッドウエイトよ。重いし、嵩張るし、邪魔」

「なァ……」

「12.7ミリ2丁でも一式で70キロは超える。自重比で約4パーセント。上昇と旋回は重量が最も響くスペックだわ。武装しないだけで戦闘機がどれほど強くなるか」

「本末転倒だ。武装しなきゃ相手を落とせない」

「そうかしら。ユキ、あなたは私とのヘッドオンを避けたわ。撃たれないのは知っているはずなのに。それに、なぜ最後諦めたの?」

「弾切れだよ」

 オリヴィアはファルコの翼端に目を向けた。よく見ると上翼と下翼をつなぐブレースが1本抉れていた。完全に外したと思ったけど、私の弾が当たっていたようだ。

「最後の射撃は悪くなかった。まだ弾があるって思わせておけば、そのあと回避した拍子に翼が分解していたかもしれないのに。まだ詰めが甘いわね。ケーキは撮れ高を見てから考えるわ」

「いらない」

「何?」

「ケーキはいらないし、Cディナーでいい。自分のマヌケな画でご馳走なんて」

「そう、それなら納得できるまで頑張ることね」オリヴィアは飛行帽をしたままの私の頭を押さえてコクピットから足を抜き、翼の下に飛び降りた。






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翼剣のグラディアトル 前河涼介 @R-Maekawa

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