カウンター
私たちは段取り通り3回ほど交差して距離を詰め、そのまま雲の下に潜り込んで編隊を組み直した。視界はほぼない。方位計の針と互いの航法灯が頼りだ。10mも離れると光が見えなくなる。アクロチーム並みに密な編隊だった。互いに操縦技量の信用がなければできない。針路が間違っていたり横風を読み違えたりしていたら突然目の前に現れた塔に激突していてもおかしくなかった。
少し高度を上げ、薄雲に紛れて滑走路に滑り込む。幸い無人島のようで、機体を止めても誰も出てこなかった。だいたい格納庫のシャッターが錆びついて蔦が這っていた。
エリは非常口を突き破り、中からハンドルをぐるぐる回してシャッターをこじ開けた。2人がかりで109の主翼を押して格納庫に押し込み、またぐるぐるとシャッターを閉じて形跡を消す。戸袋に擦れて剥がれ落ちた蔦の葉もきちんと拾っておいた。
「はぁ! 腕、やばい。取れそう。取れてない?」とエリは格納庫の床にへたり込む。
「取れてない、取れてない」
「ああ、ほんとだ」
エリは自分の手が動くのを見て安心していた。
ケガのせいで力仕事は彼女任せになってしまった。見張りは私がやろう。階段を探して上り始める。
「脚、大丈夫?」
「ゆっくり行けば」
結局エリもすぐに追いついてきて横に並んだ。ただ私は彼女の肩は借りなかった。左の手摺に寄りかかっていけば体を持ち上げるのは片足でも十分だった。
10階くらい上って雲の上に出たのを確かめ、野生の垣根の中に身を隠して双眼鏡を構えた。救難ヘリが雲海の上を飛び回っている。わざわざ見なくてもローターが空気を叩く音で大体の位置までわかった。
「よしよし、探しているわね」エリはそれを見て言った。
「あんな雲の上から、何が落ちてるかなんて見えないだろうに」
「目で見てるわけじゃない。レーダーを使って地形をスキャンしているのよ」
「それだって、今落ちた機体か、3日前に落ちたのかひと月前に落ちたのか、わからないはずだ。片付けているところなんて見たことがない」
「どうかしらね」
「新しい機械のことは私もよくわからない」
私はそう言いながら双眼鏡の焦点をヘリに合わせた。カメラを担いだ人間が側面のドアから身を乗り出している。捜索シーンも撮れ高になるらしい。
「カメラ担いでやがる」
「悪い傾向じゃないわ」とエリ。
「何が?」
「私たちの逃亡がショーになるんなら、きちんと出口が用意されてるだろうってことよ」
「そうかな。出口のない箱の中で嬲り殺しにする楽しみもありそうだけど」
「それは人を選ぶわ。普通は結果が気になるのよ」
「まあ、まだ逃げたとは思ってないんじゃないかな」
私は双眼鏡を上に向けた。ジェット戦闘機の2機編隊が悠々と弧を描いている。高度が高すぎて機種まではわからない。
「エリはここから出て何かやりたいことでもあるわけ? それともただここが嫌なだけ?」私は訊いた。
「うーんとね、あるよ。でも今は言わないでおくわ。言ったら叶いそうにないでしょ?」
「言えてる。そいつはたぶん正しい」
「ありがと」
「ところで、脱走に成功したやつなんかいるのかな」
「いるわ。外から流れてくるラジオで聞いたの。この空域から逃げてきた子が保護されたって、ニュースで」
「何人?」
「1人だったかな。複数形ではなかったと思うわ。自分で飛んで逃げるのだから、見つかっても1人でしょう?」
「……それもそうか」
エリは頷く。
「あと2時間くらいは待ったほうがよさそうね。食べ物を探してみる」
結局エリが飛び立つのを決めたのは午後3時過ぎだった。空は静かになったし、それ以上待っても暗くなるだけだ。こちらは肉眼しかないが、追手はレーダーを使ってくるかもしれない。暗さはデメリットにしかならない。
あまり気にしていなかったけど、Bf109は武装していた。機首のパネルを開くと機銃にベルトが差し込まれていて、中身は訓練弾(一定距離で急激に貫通力が落ちる)ではなく汎用実弾だった。榴弾と曳光弾が色分けしてあるのだ。なんなら訓練で殺し合ってもらっても構わない、ということらしい。一度空中に上がってしまえば気の休まる場所などどこにもない。それが私たちの世界だ。
エリはまた雲海の上を東に向かって飛んだ。200㎞も飛べば空域の外に出られるはずだ。編隊の間隔をうんと開いて横並びになり、2人で全天を警戒する。やはり真後ろが見えない。
「来たね、追手だ」私は言った。
「私にも見えた。7時」とエリ。
「2機? 機種はわからないな。こっちより速いのは間違いなさそうだけど」
「でもレシプロ機だ。ジェットじゃない」
「まあね」
「……結局、これもゲームなのね」エリはうんざりした口調で言った。「まぁ、いいわ。上下に開きましょう。私が上取っていい?」
「いいよ」
高度を上げた方がエネルギー優位になる。つまりそのあと長く機動を続けられる。が、相手がこちらを2機とも落とすつもりなら先に狙われるのは確実に上にいる方だ。ハイリスク・ハイリターンというやつか。
エリは緩上昇で1000mほど上り、その間私もスロットルを絞ってジグザグに飛んだ。前に出すぎるとエリが襲われた時にカバーできなくなる。
追手も高度を上げながらぐんぐん迫ってくる。よほど余力があるのか、それとも全力で長時間ぶん回せるエンジンを積んでいるのだろう。
当然、追う方より逃げる方が優速じゃゲームとしてつまらない。圧倒的不利から逃げ
「ユキ、追手も2機だけなんて思い込んでないよね?」とエリ。
「雲の上にはいないよ。下からも来ない」
「もっと上にもう2機いた。降ってくる」
そう言うと同時にエリ機はくるりと反転、追ってきた2機にヘッドオンを仕掛ける。牽制の曳光弾が見えた。もみくちゃになりながら交差し、まずエリが真下に向かって急降下してきた。上空にいた1機がそれを追い、ヘッドオンですれ違った1機がさらにそのあとに続いた。
「こんな劣勢から4機は無理だろ」
「そういうゲームなのよ」
わかっちゃいるけど、だ。
私はスロットルを押し込んだ。スピードを上げながら大回りに旋回、エリを追う相手の背後を狙う。
エリは相手の一番手の射線の下へ下へと潜り込みながら右旋回、追い抜かれる直前で逆に切って、いとも簡単に真後ろを取った。
速度と旋回が揃った一瞬のタイミングを捉えて一斉射。
パイロットに直撃したらしい、相手は静かに落ちていく。見事なカウンターだ。今まで見た中で一番綺麗かもしれない。
だが2番手はまだエリの後ろにいた。それをやるのはカバーの私の役目だ。相手の腹側に直交するようなコースで突き上げ、80mくらいの距離で弾を叩き込んだ。
当たりどころが悪かったのか、一瞬でプロペラが弾け飛び、エンジンが炎に包まれる。飛び散った外板の破片の中に赤い丸が見えた。日本機か。日本の戦闘機は形にあまり特徴がないので機種の判定が難しい。
あと2機。1機は2番手のカバーだったのか、私の背後に貼りつこうとしていた。かなりエネルギーを使ってしまったので1人で引き離すのは難しいが、エリが降下の勢いで再上昇して上から敵の鼻先に狙いをつけてくれれば助かるはずだった。私はそれを見込んでカバーに入ったのだ。
が、エリは実際には上昇することなく、速度を保ったまま東へ飛んでいた。
見捨てられたのだ、と気づいた瞬間、背後の敵の翼が折れて火を噴いた。
一瞬何が起きたのかわからなかった。
空中分解――自滅ではない。
爆発の煙から最後の1機が飛び出してきた時、そいつが前の1機を撃ったのだ、と察した。誤射ではない。故意だった。
間もなく至近距離で横並びになる。そしてようやく合点がいった。そいつは疾風で、コクピットに乗っているのはミミだった。こちらに手を振っていた。
私は返事をするよりもとにかく深くため息をついた。安堵の息だった。
「エリ、1人で逃げればいいよ。私はもう少しここに残る」
「ごめんなさい。どうしても捕まりたくなかったの」
私はそれ以上何も言わなかった。あえて見捨てたのは許されることじゃないけど、生き残りのために最良の手段を選んだことは咎められるべきことでもなかった。
私はミミに手信号を送っていつも使っている周波数に合わせた。
「ミミ?」
「え、そうだよ?」
「追手は?」
「追手?」
「そっちの人数」
「ああ。私で最後。もう安全なのです」
「ふぅ。――参ったな。あそこでミミに撃ってもらわなかったら私は落とされてたよ」
「えへへ」
「なんで私だってわかった? 私だって言われてた?」
「いんや。あの下から食いつく飛び方はユキちゃんだなって」
「それでわかるのかよ……」
「え、わからないの?」
「ぐぬぬ」
よくそんな判断で味方を撃ち殺せたものだ。
ミミは左にバンクして、そこでちょっと思い止まってそのままロールで1回転、正立に戻った。
「ユキちゃんも逃げるの?」
「いや、ミミに助けてもらって気が変わった。ミミは逃げたい?」
「うーん、私は別にいいかなぁ」
「わかったよ」
「じゃあ、帰ろー」
ミミは改めて機体を傾け、西北西に機首を向けた。私もそれに合わせる。
脱走を試みたパイロットがどういう待遇になるのかわからなかったし、私が撃墜されなくてもミミに与えられた任務の成功条件を満たせるのかもわからなかった。
ただ、もう追手は来ない。それは確かだった。
天使たちが拒まない限り、私には帰る場所が用意されているのだろう。少なくとも、生きている間は。
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