第15話 停戦の使者は苺の森の雪見天使

 緒乎奈はお騒がせしましたと一礼して、何事もなかった様に帰った。

 お祝いの準備は等に出来ていて、しらけた雰囲気が透を迎える。

「ごめん鈴、奈々も真音もごめん、経緯(いきさつ)は後で話すから」

 真音は透の胸部をじっと見詰めた。

 奈々は憐憫の表情を透に向けると、直ぐにキッチンに立った。

 鈴はスプーンを手にとって不満顔だった。

 天女が見たら間違いなく窘(たしな)めていただろう。

「おとうさ~ん、おそいよ~」

 窘めるべきの透は断腸の思いで言う。

「鈴、はしたないから止めなさい」

 鈴は我に返ってスプーンをそっと置く。

 雰囲気が更に悪くなった。

 奈々が何事かと振り向いて首を傾げる。

 察した真音が救いの手を差し伸べた。

「鈴ちゃんは、偉いね~ 立派な女の子だよ」

 鈴が柔(にこや)かに微笑むと、雰囲気が一気に和む。

 土夏家の天使の微笑みには、天女(あまめ)の思いが篭っていた。

 杞憂な透の心も軽やかになり、浮き上がった視線が食卓を臨む。

 テーブルの真ん中に大きいホールケーキが鎮座していた。鈴が大好きな苺がふんだんに盛られた生クリームケーキだ。

「奈々? これもう切り分けちゃっていいよな?」

「そうね、誕生日じゃないからロウソクもないし、いいかな? それより、二日続けてケーキになっちゃったけど、大丈夫だった?」

「俺は決して甘党じゃないけど、甘すぎない奴なら大丈夫だよ。勿論、ケーキバイキングなんて以ての外だけど」

「キャー! すず、それ、いってみた~い」黄色い嬌声が響いた。

 そこに欲望にまみれた天子の顔があった。

 透は、今度は窘める事が出来なかった。それよりも本能が窘めるなと叫ぶ。否、天女が必死に止めてと叫ぶ。

「キャー! わたしも、一回、行ってみた~い」こちらからも黄色い嬌声の七歳児。

 まさか、真音までは―――

「キャー! 私も~」態とらしく両手で口を秘す真音。

 一気に華やいだ雰囲気に、しらけた雰囲気が消し飛ぶ。

 透の憂鬱も一気に晴れた。

 三人が期待の篭った目で一斉に見詰める。

 透には何が言いたいのか一目瞭然だ。

「うるうる」鈴が口に出す。

 後悔先に立たず、後先の事も考えず、後顧の憂いを残さず、後腐れなく言い放つ。

「解ったよ。奢ってやるから、三人で行ってこい」

「キャー!」三部合唱が木霊する。

 余程嬉しかったのか鈴は大はしゃぎだ。

「おとうさ~ん、ありがと~」

 大食い天子がだらしなく微笑む。

 今まではこんな顔を透には見せてくれなかった。多分、スッチーの時だけ許されていたんだろう。今までの透に対する鈴の反応が、他人行儀であったのだとひどく寂しく響く。叔父の透と云う除け者感がどっと押し寄せる。真の家族ではなかったと云う疎外感―――否、違う。本当は透の方が鈴を姪としか見ていなかったのだ。

 だからこそ、これは素を晒す鈴が透を父親として認めた表れなのではないのだろうか。真の父親として認めて、甘えてくれているのではないだろうか。

 衆目に晒されている場でもなし、内輪だけの場に何ぞ肩を張る必要があろうか。

 天女が必死に窘めようとする透を止めた訳が瞬時に理解できた。

 透は愛娘(まなむすめ)へだらしなく微笑み返す。

 愛娘の笑顔に天女の面影が浮き上がる。

 ふと、そこに一つの思い出が甦った。

 今日の鈴のお祝いに打って付けの慶事として、透は祝福を画策する。

「やっぱり蝋燭を立てよう、鈴、ちょっと待っててね」

 透はリビングに向かう。

 リビングボードの引き出しを開け、中の小箱から袋を一つ取り出す。

 袋から出すと透明ケースに入ったキャンドルが現れ、それを大事に持ちダイニングへ戻る。

 透が一つ、鈴の前にキャンドルを置く。

 幼女の天子が型どられたキャンドルだった。

「これはな、お母さんが気に入って買った物なんだよ、鈴に何となく似てるから一目で気に入ったんだってさ。だから今日は、これを使ちゃおう」

「いいのぉ~」

「勿論、問題ないぞ。お母さんだって、絶対喜んでくれるさ」

「ねぇ、わたしにも、それよく見せてよ」奈々が透の前に居た。

「ホントだ~ 鈴ちゃんにそっくり~ 鼻なんておんなじだよ~」

 奈々が手に取って顔を寄せる。

「でも、これ火をつけたら溶けちゃうんでしょ? もったいなくない?」

「それは大丈夫だ。保管用だってもう一つ買ってたから。多分、部屋で大事にとってあると思う」

「ふ~ん、天女さんって、用意周到なんだね」

「そうだったな」

 テーブルの反対側から声が掛かる。

「奈々~! 焦げちゃうよ!」真音が抜け目多分な奈々に言う。

「あぁ~ やばい~」慌てて戻る。

 透がケーキの真ん中の苺を数個取り除き隙間を作ると、天子を慎重に鎮座せしむる。

 鈴の顔がぱっと綻ぶ。

 奈々の方も丁度料理が終わったようだ。

「真音、運ぶの手伝って」

「はいよ~」

 運ばれてきたのはオムライスだ。

 ふわふわとは云えない卵が乗っかる、ごく普通のオムライス。それが家庭的な雰囲気を醸し出す。

 鈴の分だけはタコさんウインナーの乗っかった特製オムライスだった。 

 奈々の分だけは少し焦げ目があった。

「鈴ちゃん、お腹ぺこぺこだよね。ごめんね、こんなに遅くなっちゃって」奈々は慰めの言葉を送る。

「ほんと迷惑よね。こんな時に押しかけてくるなんてさ」真音は不満の言葉を送る。

「じゃあ、始めようか」透は雰囲気が台無しにならない様に直ぐに流す。

 透が蝋燭に火を灯す。

 奈々が間髪入れずに照明を消す。

 雪化粧の苺の森に囲まれた天使が暗闇に浮かび、鈴へ祝福を授ける。

 透がナレーションを始めた。

「お母さんが死んじゃったのは、決して鈴の所為ではありません。あれは不幸な事故だったのです。お母さんはとても後悔していたのだと思います。だから、お母さんは奈々ちゃんを鈴に合わせたのです。お母さんは奈々ちゃんなら鈴の事をお願いできると託したのです。そしてお父さんにも託しました。鈴の事をちゃんと見ていないから、おねしょなんかする様になったんだよと怒りました。今回お父さんはやっとそれに気付く事が出来たので、晴れて鈴のおねしょは止まりました。そのお陰で、鈴は昔の元気な鈴に戻ることができましたとさ、めでたしめでたし」

 鈴が透に顔を向けて、確認する様に頷く。

「じゃあ、鈴。思いっ切り息を吸って~」

 鈴が勢いよく息を吸い込む。

「そら消せ~」

 鈴が弱々しい息を必死に吹きかける。

 炎はゆらゆらと揺れるばかりだった。

「鈴ちゃん、頑張れ~」女性陣が援護する。

 炎は消えることなく鈴の息が切れた。

 鈴が困惑した顔になる。

 透も蝋燭がちょっと大き過ぎたかと困惑した。

「鈴? 一人で出来ない時はどうするんだっけ?」

「おとおさんもてつだって、ななちゃんとまのんちゃんも、てつだって」

「そうだ。じゃあ、全員で一斉に行くぞ! せえ~のぉ」

 四人で一斉に吹きかけると一瞬で掻き消えた。

「鈴ちゃん、おめでと~」女性陣からの祝福。

「鈴、おめでとう」透も続く。

「ありがとう」暗闇に鈴の喜びが響く。

 奈々が照明を灯した。

 呪縛が晴れた鈴の顔が皆を見回す。母親を失った代わりに、これから人生を支えてくれる面々を。

「奈々、包丁を頂戴。俺がケーキを切り分けるから」

「はい」直ぐに振り向いて取り寄せる。

 少しだけ溶けた天子を弾くと、六つに切り分けた。

 全員に配ると透が唄を詠む。

「いただきます」真音も違和感なく唱和に付いてきていた。

「わ~ おいしそ~」鈴が真っ先にケチャップを取りタコに塗(まみ)れさす。

 真音が初めての唄に感激の表情を浮かべる。

「透君、本当に綺麗な声だね。私、感激した~」

「ねえ、真音。言った通りでしょ?」何故か得意気な奈々。

「そうか」透はあっけらかんと答える。

 透はケーキから食べる。

「[和折香(わをか)]のケーキは甘くなくて美味しいよな」

「本業は和菓子屋なんだけど、和菓子離れで仕方なくってのが切っ掛けだったそうよ。和菓子と洋菓子は製造方法が全く別物だから、企業努力ってのも大変だよね」真音が薀蓄で応える。

「へ~そうなんだ。流石、真音は物知りだな」

「こんなのは本当の雑学よ。私はお菓子作りも興味があったから、たまたまよ」

「へ~真音はお菓子も作れるんだ」

「まあ、本のちょこっと首を突っ込んだ程度よ。奈々だってクッキーぐらい焼けるしね?」

「はい、クッキーとかカップケーキなら、あと、プリンとゼリーも結構簡単だよ。でも、さすがにプロとは比べられないから、そんなに期待はしないでね」

「わ~い、すず、プリンだいすき~」食べ物の話にはちゃっかり割り込んでくる鈴。

「鈴ちゃん、今度ねぇ。一応『こだわり卵のとろけるプリン』ってレシピで憶えたんだけど、今一、とろけないんだよねぇ」

「ははは、あの蕩(とろ)けない、とろけるプリンだね」真音が微笑む。

「俺は、オーソドックスな固めのプリンが好きだな。カラメルの苦味が利いた」透も微笑む。

「そうね、そっちなら簡単に作れるわ、任せといて」奈々も微笑む。

「すず、プリンだいすき~」鈴も微笑む。

 奈々が鈴に微笑み返すと思い出した様に透に顔を向けた。

「そういえば透くん。今日の帰りに院叡寺陸橋を登ってきたんだけど、あそこ凄くきつかった~ やっぱり電動自転車じゃないと辛いよね。それでね、鈴ちゃんから聞いたんだけど、電動自転車買って一日で盗まれちゃったんだって?」

「ああ、その話か。天女はあそこ登る時、何時も半ばから押してたなぁ~ それで電動にしようと思わず買ったのはいいんだけど、翌日ルンルン気分で買い物に行った矢先に呆気なく盗まれたんだ」

「ふ~ん、ひどいね」奈々の口が尖る。

「ひどいね~」鈴の口も尖る。

「俺は直ぐに駆けつけて盗難届にも付き合ったんだけど、天女は意気消沈してて、そんな思いをさせた犯人を本当に腹立たしく思ったよ」

「ふ~ん、ひどいね」奈々の口が尖る。

「ひどいね~」鈴の口も尖る。

「本当、腹立つ」真音も尖らす。

 透がそうだろうと頷くと続けた。

「それから数ヶ月して、大掛かりな窃盗集団が摘発されたんだけど、それが隣国の犯罪組織の下請けだったんだ。上層部は既に本国に逃亡してて、捕まったのが末端の構成員ばかりだったらしい。勿論、家の自転車はもう海外に流されていた様で出てこなかったけどね。それでね、驚いた事に、その末端の中に留学生がアルバイト感覚で参加してたんだってさ。そいつはね、日本人の税金から数十万円もの補助金を貰って援助を受けていながら、日本人の財産を奪ったトンデモない奴なんだ。方や、日本人の大学生には奨学金と云う名の借金を背負わせて、日本政府もトンデモない処だよな。自国民を苦しめて、外国人に金をばら蒔くって、外国人優遇は自国民差別だって解ってるんだろうか?」

 脱線した透の話に着いてこられたのは真音だけだった。

「それ、勿論解っててやってるんだよ。そのカラクリは政治家と大学の癒着だね。学校は留学生を受け入れればその分、補助金が入る。日本人は一文にもならない。政治家は斡旋して、外国と学校からのキックバックが入る。政治家の中にも自分で学校を設立して名簿だけの留学生をたくさん抱えてるなんて凄まじい奴もいるんだよ。外国人優遇だって莫迦な占領民には差別だと解らないだろうって、高を括ってるんじゃないかな」

 透が応えて更に脱線させる。

「為政者には人徳が必要だよな。現在の為政者は敗戦利得者がほとんどだから、私腹を肥やすのが最優先なんだろうな」

「そうよね、為政者にはノブレス・オブリージュが必要だよね」

 透と真音が見合って互いに頷く。

 奈々が溜息をついた。

「ねぇ、透くん、真音。意気投合して熱くなるのは結構なんだけどさぁ~ 鈴ちゃんの前でさぁ、そんな話をされても、鈴ちゃん全然面白くもないと思うんだぁ~ 今日のこれ、誰のためにやってるのか判ってる? 今は鈴ちゃんのお祝いなんだよ! 少しは考えてよね!」

 真音が真っ先にごめんと呟く。

 透は場を弁えず調子に乗っていた事に我に返る。

「ごめん、鈴」

 鈴は何処吹く風だと黙々と食事をしていた。

 抗議をする様に口いっぱいに頬ばって。

 透は勿論、窘めない。

 奈々が何か思う処があるのか、透をじっと見詰める。

 奈々が真剣な顔で話し始めた。

「透くん、今、鈴ちゃんに、はしたないって言おうとしたでしょ?」

「えっ! ああ、確かに思ったけど、言わなかっただろう?」

 奈々が天女の笑顔で微笑む。

「よく我慢したね、透くん。天女さんは躾に厳しかったって聞いてたから、透くんもそれに倣ってそうするんじゃないかなって、ふと思っちゃったんだ。別に土夏家のしきたりに、とやかくいうつもりもないんだけど、何か、今は何となくそれは違うかなって考えが過ぎったの、何か上手く言えないんだけど、天女さんの意志のようなものが……今は良いんだよって訴えかけてきたような気がしてくるの……」

 同じ思いをしていた透は震撼とする。

 別に天女の声が聞こえた訳ではない。

 鈴を見ていると、さめざめと伝わってそう思えてくるのだ。

 奈々もそうなのだろうかと思っていると、奈々が続けた。

「行儀よくするための躾は、もちろん必要だと思うの。でも一日中とか大変だし、家族の前でとかは気が緩んでもいいんじゃないかなって思うんだ。だって家にいるのにストレスが溜まるなんて、とてもじゃないけど長続きしないと思うし、その内、居場所がなくなっちゃうじゃないのかなって思うの。でも、いくら家族だからっていっても周りに不快な思いをさせない程度での話しだけどね。だから、要は減り張りだと思うのよ、お祝いの時なんかは羽目を外してもいいんじゃないかな?」

「そうだな、奈々の言う通り、減り張りは必要だよ。実は俺もそれはちゃんと理解してるんだ。家は兎に角、食事時の躾がやかましくてね、育ちや品性は食事の時に現れるってよく言われてたんだ。だから俺も、口やかましく言われて育ったんだけど。でも正直、家族の前では少しぐらい緩んでもいいんじゃないかって、何時も思ってた。けど、何故か、家の女性陣は厳しかったんだよね。女は特に隙を見せちゃいけないって言うんだ。だから天女も鈴に対して厳しかったんじゃないかと思うんだ」

「それ一理あると思う」真音が威勢良く食い込むと続ける。

「男って、女の隙を見つけると侮るんだよね。まあ、女も女に対してするんだけど。それがスケベ心に繋がったり、安く見られたりして粗末な扱いになるんだよね。私、凄く解るわ、その考え方。透君もそう思うでしょ?」

 透から直ぐには返事はなかった。

 それ処か顎に手を当て考え込み始めた。

「え? 思わないの? てっきり透君なら解かると思ったんだけど…… じゃあ、奈々―――はいいや」

「なんでよ! わたしは解るわよ!」

「だって奈々って、隙だらけじゃない。私が付いてないと危なっかしいんだから」

「え~ そんなことないよ~ たまに勘違いとかするだけじゃない」

「あ~ 自覚なしか、こりゃ苦労するわ、私が」

「確かに、真音には苦労かけて、色々助けてもらってるけど……」

「でしょう?」

「でも、男には隙なんか見せてないよ。安い女なんて思われたこともないし、そうだよね、透くん。わたしは隙がある女じゃないよね?」

 透がやっと口を開いた。

「俺は全然そうは思わないな」

「え? わたしって隙がある女なの? 安い女に見えるの?」

「俺は、だらしなかったり、みっともない行動をする奴に侮りを見せる事に、男女の差は関係ないと思う。だから、例え奈々に隙が多かったり、俺の脇が甘かったりしても全く同じだと思う」

「でもさ、結構、男の方はバカだ~で笑って済んじゃう傾向があるじゃない、でも、女はそれじゃ済まないのよね。そう云う雰囲気って存在するのよ。だから決して同じじゃないわ」

「え! わたし隙が多いの??」

「真音がそう感じるのって、多分、真音だからだよ」

「それ、どう云う意味?」

「真音は隙がない女だよな。だから逆に隙ができると凄く目立つんじゃないかな。これが奈々だったらどうだ? 多分、奈々だからで笑って済ませちゃわないか?」

「そうね、確かに」

「え!? やっぱり、わたし……」奈々はいじけた様な顔をする。

「まあ、真音が言う男の方が許される傾向が高いのは認めるけど、男女関係なくはしたない奴は嫌われるよ」

「それも一理あるわね」

「あっ! 解った。だから女は猫を被るのか!」

「そ、それも一理あるわね。でも、透君の考えだと、男だって同じじゃない……女の方が圧倒的に多いけど」

「そうだな。だから猫を被って襤褸を出さない様に、普段からちゃんと出来る様にはしておくってのが大事だと思う」

 鈴は急に行儀よく背筋を伸ばして、黙々と小口で食べ始めた。やれば出来るんだと証明する様に。

 透がその様子に相好を崩す。

「天女は多分、俺に鈴の良い処を見せようと必死だったんじゃないかと思う。だから、俺の前では厳しさを見せていたんだと思う」

 鈴の背筋が益々伸びた。

「鈴はちゃんと出来るんだから、偉いぞ」

 鈴が笑顔で応える。

 透に父性が漲ってきた。それは奈々と真音にも及ぼし始めていく。

「真音は食べ方が凄く綺麗だよな。品があって、スプーンの使い方が美しいぞ」

「家の母も凄く厳しかったのよ。男は特にそう云う処で侮るから隙を見せるなって。お母さん、男に対してちょっと偏見があるのよね」

「そうか、その影響だな、さっきの言動は」

 透が奈々を見る。

 奈々はまだ、いじけている。

「それから奈々。俺が奈々の名前を挙げたのは、あくまで例えだからね。決して奈々に隙があって、だらしないなんて思ってないからね」

「そ、そうだよね。透くんはやっぱり解っててくれたんだね!」

 いじけた表情が一転して綻ぶ。

 真音の鼻が白む。

「それで、脇の甘い透君は緒乎奈ちゃんに何て言われたの?」

 透が等々来たかと構える。

「え~とだな……」

 真音は何かを掴んでいる様な鋭い視線を向ける。

 奈々は何の心配もなく興味だけの視線を向ける。

 鈴は興味なしと黙々と食べる。

 透は話す段取りを再構築する。

 黙っている透に真音が余裕は与えないと急かす。

「緒乎奈ちゃんの態度、何か落ち着いてて一変してたよね? 何かいい事でもあったのかしら」

「え?」奈々はそんな事、思ってもいなかった様だ。

 真音と奈々の視線が透に刺さる。

 いよいよ、修羅の刻が始まる。

「え~とだな、緒乎奈は天女の遺影に文句を飛ばしてたよ。何で勝手に死んじゃうのって泣きながら。それで、私から俺を奪ったんだから私に返すべきだって訴えてた。勿論、天女が奈々を選んだ経緯なんか話してないから、知らない筈なんだけどね。それで……懲りずに奈々と別れて縒りを戻そうって言ってきた」

「まさか、オーケーした訳じゃないよね」奈々が焦る。

「勿論、即、断ったさ」

「ふっ」奈々の肩の力が抜ける。

「それだけじゃないよね?」真音は訝しむ。

「緒乎奈とは三年前に付き合っててね。その時にもう土夏家の嫁にでもなったかの様な待遇を受けてて、色々教え込まれていたんだ、土夏家のしきたりとか。その中でも最重要なものがあってね、土夏家には女だけに伝わる伝承があって、代々の嫁と娘に伝えていったらしいんだ。何故か緒乎奈はその伝承を受け継いでいたらしく、今日、死んだ天女に呼び出されたのは、その事を俺に伝えるためだったんだって言ったんだ。天女の霊前で思い出して、俺に伝えるべきだって思ったらしいんだ」

 透は一呼吸於く。

「今回、その正当な伝承者の天女が死んで、伝承が途切れたんだけど、唯一、残った緒乎奈が鈴にそれを受け継がせたいって、その使命は全うしたいって言うんだ」

「それ本当の事なの? 本当にそんな伝承が存在するの?」真音が食い付く。

「ああ、俺は男だから知らされてなくて確認しようがないんだけど、でも多分、有ったんだと思う」

「ちょっと待って、私はその話、凄く嘘くさいと思う。だって緒乎奈ちゃんとのお付き合いはきっぱりお断りしたのよね、だったら透君との関係を繋ぎ止めるために作り話をして、関係を断ち切らない様にしようって魂胆に思えるの、都合のいい話に聞こえるのよ」

「それも一理あるが……」

 奈々が堪らず割り込んだ。

「わたしは、有ると思う。有ってもおかしくないと思う。だって唄を詠むしきたりが存在してるんだよ、その女だけの伝承だって、有っても不思議じゃないと思うんだ」

「奈々……」真音が呆れる。

「そうだな、俺も奈々と同意見だ。実は、俺には有っても可笑しくない理由が解るんだ。それはね、土夏家の女は皆、凄い美人が多かったんだってさ、美人薄命って言うじゃない、伝承とはそれに対する身の振り方みたいな物じゃないかと思うんだ。それから、土夏神社が無くなった事とも関係してるのかもしれない。だから、一子相伝とかじゃなくて、女なら全員に伝えていたんだと思う。だから……決して有り得ない話ではないと思うんだ」

「二人がそう言うなら、私も有るって事で納得するよ。でもまだ一つ、納得いかない点があるんだけど、緒乎奈ちゃんとは半年程度の付き合いだったんだよね。そんな相手に大事な伝承なんか本当にするかしら?」

「ああ、それか、俺も最初に思った疑問だな。でも全然可笑しくないと思ってる。家の母親はね、確かに甚(いた)く緒乎奈を気に入ってたんだ。我慢強く頑張り屋で土夏家に相応しい女の子だって、実の娘の様に可愛がってた。時には厳しく、時には優しく。だから、有っても可笑しくはないかな」

「ふ~ん」二人が同時に頷く。

 真音は見直した様に―――

 奈々は羨ましそうに―――

「それでだ! 緒乎奈を土夏家の妹として迎える事にした」

「えー!」

「妹ー!?」

「そうだ、義理の妹として扱う事にした」

「ちょっと、何莫迦な事言ってるのよ、透君!」

「透くん、それどういう意味なの?」

「え~と、緒乎奈は恋人になる事をきっぱり諦めた。だからそう云う関係は一切持たない。ちゃんと宣誓して契約を交わした。その代わり、土夏家の伝承者としての努めを果たしてもらうに当たり、妹としての立場を与えた。今後、緒乎奈は俺の妹として扱ってくれ」

「そんなの嘘に決まってるじゃない。透君に近づくための方便だよ」

「え~ じゃあ、ここに出入りするの? 嫌だよ、透くん」

「それなんだけど、奈々は俺の恋人として認めてもらった。その事に関しては一切、口を挟ませない。兄の恋路の邪魔はしないとも誓ってくれた」

「え! 恋人……」奈々が赤面する。

「透君、そんなの信じたの? 何か、罠の匂いがするよ」

「そうか、二人には緒乎奈の事が信じられないか……」

「透君は、やっぱり脇が甘いよね。そんなの隙をついて何をするか分かった物じゃないよ。近くに置けば、幾らでも隙を突かれるのよ」

「恋人か~……」

「緒乎奈は人間的に問題はないぞ。素行が悪かったり、悪事を働いたりは絶対しない。約束だって破らないし、それ処か、求めた物は必要以上に頑張って信頼に応えようとする。だから、妹として迎えても問題はない」

「問題あるよ! 透君とは兄妹でいいけど、私達はどう対応したらいいの? 私達は邪魔扱いされないの?」

「そうよ透くん、わたしはちゃんと、お姉ちゃんとして認めてくれるの?」

「それは確認してないけど、そこの処も弁えていると思う。そんな事したら俺が怒るって解っているだろうし、今度、ちゃんと言い聞かせておくよ」

「解ったわ、透くん。それなら異議はないわ。わたしは妹として認めてあげる」

「ちょと奈々! 本当にいいの?」

「うん、いいの」

「あんたも、甘過ぎ」

「実はさ、緒乎奈の義妹の話は、最初から断ろうと思っていたんだ。だって、普通じゃないだろ、どう考えたって。でもね、俺の考えが変わったのは、伝承を絶やさない事が一番なんだけど、それ以外にもあってね、それは、緒乎奈って、本当は俺の事が好きなんじゃないって気が付いたんだ」

「え!」「嘘!」

「そう思った切っ掛けは、俺との付き合いが絶たれた後に、直ぐに妹に成るって言った時だった。普通は恋人を諦めて、直ぐに妹でもいいなんて思わないよな。だからそれはどうしてだって考えたら、一つの考えに思い当たったんだ。それは―――緒乎奈は俺個人ではなく、土夏家に強い憧れを持っているんじゃないのかなって、本当に好きなのは、俺個人じゃなく、この土夏家なんじゃないかって思ったんだ。だから、恋する土夏家と繋がるためなら、妹でも構わないんだよ」

「そ、それって、土夏家の財産が目当てって事なの?」

「そうよ、それだと緒乎奈ちゃんて危ない女の子なんじゃない?」

「あっ! それ全然違う。全く逆の視点だよ。緒乎奈の憧れってそっちの方向じゃないんだ。俺がそう考えた、その根拠はね……緒乎奈の家庭環境にあるんだ。緒乎奈の母親は若い男を作って蒸発しちゃってるんだ。父親は仕事人間で家庭を顧みない人らしいんだ。だから、両親の愛に相当飢えていた。そんな時に知り合ったのが俺で、俺の両親から愛されて、本当に喜んでいたんだ。土夏家に対する思い入れは普通じゃなかったよ」

「そうなんだ……」

「それから、緒乎奈って思ってる事を包み隠さず話す奴でね、自分に不利益な事でも正直に話すんだよ。だから、本当に金目当てなら、それらしい事を言ってきていたと思う。勿論、そんな素振りは一切無かったよ」

「透くんがそう思うなら、大丈夫だね」

 真音は一人納得していない顔をする。

「私はやっぱり反対! 絶対に反対! 緒乎奈ちゃんの事、よく知らないからだけど信用できない。本当は財産が目当てなら、中から食い尽くされるよ。透君の土夏家が好きっだって言葉が凄く不気味に感じるのよ。私は考え直した方がいいと思うの」

「真音は何をそんなに警戒してるんだよ」

「だって、あの子、普通じゃないもん、振られたその直後にまた言い寄るなんて、普通の女の子のメンタルじゃないわ」

「そこか。それは相手が俺だからだと思う。俺に対する執着が三年物だからな、そう簡単に引き下がれないんだろう。その気持ちを俺はわかるんだ。何てったって、俺も天女に一年執着したから。俺と諸乎奈はそんな処が似てるんだよ」

「透君は、それ平気なの?」

「ああ、諸乎奈の事はよく知ってるからな。あいつは嫌がる事はしないよ」

「じゃあ、今日の事は、嫌じゃなかったって事?」

「そうだな、拒絶する程、嫌じゃなかった。俺は本当に嫌なら拒絶するから」

「そうなんだ、私、透君の事、よく知らなかったみたい」

「それでだ、諸乎奈にも巫女として参加して貰う。何てったって土夏家の伝承者だからな」

「わたしは、別に、問題はないかな」

「もう、諸乎奈ちゃんの事は決定事項みたいね。私がとやかく言っても変わらないみたいだから、もう透君の意思に従うわ」

「ありがとう、真音、奈々。これから妹の諸乎奈の事、よろしく頼むよ」

 透は安堵に肩の力を抜くと、気付かれない様に溜息を付く。

 途端に食卓が祝いの席に華やいで見え始めた。

 透は慌ててオムライスに食らいついた。

「奈々、このオムライス、とってもおいしいよ」

「うん、でも、ごめんね、全然ふわふわじゃなくて」

「おいしいよ~ ななちゃん」鈴が満面の笑みで問題ないと返す。

「何言ってるんだよ! この家庭的な処がいいんじゃないか」透は本心で返す。

「ありがとう」奈々も満面の笑みで返す。

 真音は「よかったね」と奈々に微笑み掛ける。

 鈴が微笑みの食卓を満足気に見回す。

「ななちゃん、まのんちゃん、おとおさん…… ありがとう!」

 鈴が微笑む。天女と同じ微笑みで。

 失った母親の代わりに素を晒せる新たなる三人に、微笑む。

 もう何も気に悩む事はないと颯爽とした微笑みで、無邪気に心を晒す。

 ドーナッツリングの穴が塞がり始め、透の甘い生クリームが注がれる。

 奈々の甘い甘いバナナクリームが注がれる。

 真音の少し甘いマロンクリームが注がれる。

 チョコレートクリームもそこに加わってくれるだろうか……

 それとも苦いビターチョコ……

 

 数日後、保育園に[3号]と書かれた写真が貼られた。

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