第14話 特攻ガトーショコラ

 仏間に入るなり、緒乎奈が遺影に走り出す。

 ちゃんと正座はしているが、飛びつかんばかりの勢いだ。

「天女お姉ちゃん、酷いじゃない! 私から透先輩を奪っておいて、何で私に返してくれなかったの! 何で!」

「どう考えたって、お姉ちゃんが死んだら、私に返さないと可笑しいでしょ。何で! 何で! 何でー!!」

 天女に顔を突きつけ必死と叫ぶ。

 透は勢いに飲まれて唖然とする。

 緒乎奈が一つ深呼吸してから続ける。

「私、お姉ちゃんに取られてから思ったんだ。透先輩の事が大好きだったんだって。だから、日に日に思いが募っていって、もう他の男なんか全く考えられなくって、やっぱり透先輩しか考えられなくて、いくら忘れようと思っても全然ダメで、じゃあどうしようかって考えたら、ある思い付きに辿り着いたんだ。それはね、お姉ちゃんは透先輩の五歳年上でしょ、私とは七歳年の差があるんだよね。だからね、待つことにしたんだ。お姉ちゃんの美しさに翳りが出るのをね。それまでに中身の女を磨いてやるんだって。女子力だって必死に頑張ったわ。でも取り敢えずは学力から、必死に頑張って透先輩と同じ高校に入る事が最初の目標だった」

 緒乎奈は天女に言いたい事を一気に捲し立てた。

 腹の中を全てぶちまける様は何か狂気を感じさせる。

 その狂気を纏わり始めた緒乎奈に透は哀れを感じた。

 緒乎奈は続ける。

「それが何なの! 死んじゃうって、お陰で、私が知らない間に関係ない女に掻っ攫わられちゃったじゃないの! 飛んだ計算違いだわ。本当に私の邪魔ばっかりするんだから」

 緒乎奈は続ける。

「後十年、いや後五年、そうすればお姉ちゃんはオバさんで私は女真っ盛り、お姉ちゃんが私に与えた仕打ちを、今度は私がお返しする筈だったのよ。それなのに何? 死んじゃうってどう云う事なのかな? ねえ、お姉ちゃん!」

 緒乎奈が涙声になっていた。

「ズルいよ、お姉ちゃんは。私の目標を勝手に台無しにして…… 勝手に死んじゃって……」

 緒乎奈が顔を上に向け涙を拭う。

 透は好きなだけ言いたい事を言わせようと傍観していた。

 突然、透に向く。

「私って、醜いでしょ?」

「そうだな、人間は誰しも本心は醜いよ。只、上手く理性で抑えているだけだ」

「透先輩もそうなんですか?」

「当たり前だろ、煩悩に満ちてるよ。でもそれに振り回されたら、幸せにはなれないって知ってるからね」

「そうですよね、他人を殺してまで殺伐とは生きていたくはないです。でも、透先輩は別です。何としてでも手に入れたいです」

「じゃあ、緒乎奈は天女を殺したかったのか?」

「え! 流石に殺してまでは何て考えませんよ」

「じゃあ、緒乎奈は健全だよ」

「そうですかね? 私はお姉ちゃんを蹴落とす事まで考えてたんですよ?」

「そうか、確かに褒められた事ではないな。俺も同じ様な事をやったよ、天女を手に入れる為に、だから人の事は言えないな」

「え! 何をしたんですか天女お姉ちゃんに」

「それは誰にも言えないな。それより、全てぶちまけてスッキリしたって顔になってるぞ」

「はい、言いたい事が言えて、スッキリしました。ここに来いって意味が何となく解りました」

「それ本当に、天女が言ったのか?」

「はい、はっきりと、夢の中ですが」

「そう、夢の中ね」

「透先輩は私の事、よく解ってますよね。何でもずけずけと言っちゃって、透先輩もそうだからお互いよくいがみ合って、よく喧嘩して、でもその後すぐにごめんねって謝って、仲直りして、たった半年ですが相性は抜群でしたよね。でも、殆どは私がいっつも叱られていて、私は良い様に調教されていたみたいですが、それが何か心地よくて、お陰で透先輩がいないと満足できない身体になっていました」

「ちょっと待て、人聞きが悪いぞ、その言い方は」

「私、礼儀や作法なんか全然知らない子供だったから、土夏家の女になるならこうあるべきだって、色々教えてもらって、何か家族の様に迎えてくれて、花嫁修業をしていた様で、とっても楽しかったんです」

「そうだな、親父やお袋は本気で娘扱いだったな」

「透先輩が素を出せるのは私だけでしたよね。けどそれは、恋人と云うよりも妹って感じでしたよね。だって透先輩、手こそ繋いでくれましたが、その先へは一向に進まないんですもん。キスさえしようとしなかったですよね。そのくせ、お姉ちゃんには平気で甘えて、私、本当は羨ましかったんですから。だから、いつかその矛先を絶対に自分に向けさせるんだって、大人の女の魅力が付いたら、甘えさせてあげるんだって、だから必死で透先輩好みの女になれる様に、調教に耐えられたんですよ」

「だから、調教は止めろって」

「だから、私……気付いてました。透先輩が本当は私の事、愛してはいなかったんだって、一生懸命私に好意を寄せようとしていたけど、本当はお姉ちゃんの事が好きなんだって、それを紛らわすために私と付き合ってたんだって、私の事を女として見ていなかったんだって。でも、それでも、私は、楽しかった」

「嘘だろ! そんな事はない。確かに天女を好きだって気持ちは消しきれなかったけど、俺は緒乎奈の事が一番だった。緒乎奈の方が好きだったよ」

「そんなの信じられません。だって、現に、天女お姉ちゃんの方を取ったじゃないですか」

「そ、それは…… それは結果論だ。結果から見たら確かにそう云えなくもないけど、緒乎奈が都合がいいように解釈しているだけだから」

「そうですかねぇ? 確かに結果を知ってる今だから都合がいいように聞こえるのかもしれませんが、当時の私の中には、確かにあったんですよ、そう云った気持ちが。だってキスもしてくれなっかし……」

「それは、俺達中学生だぞ。況してや緒乎奈は一年生だったんだぞ。無理やりそんな事できるかよ」

「え! もしかして遠慮してたんですか? そんなぁ、透先輩は本当に乙女心が解らない人なんですね。女はいつだって、好きな人からキスして欲しい生き物なんですよ。年齢なんか関係なく、勿論、物心が付いてからの話ですけど」

「そ、それなら、キスしてって言えばよかったじゃないか。お前は何でもずけずけ言う性格だろ」

「ほ、ほんと~に、乙女心が解らない馬鹿ですね。そんな事、言える訳ないじゃないですか。ずけずけ言うって云いますけど、私だって乙女なんですからね」

「そ、そうか」

「でも、今なら後悔してます。キスしてって言ったら、透先輩はしてくれたと思うんです。そうしたら、本物の恋人に成れてたかもしれないんです。恥ずかしいからってずるずる半年も待ってたから、取り返しの付かない事になっちゃったんです」

「ごめん、緒乎奈。俺、多分、キスはして上げられなかったと思う。出来なかった様な気がする。これも結果論だけど」

「うっ! やっぱり……」

 緒乎奈の目に涙が溜まり、頷いた。

 そのまま呟く。

「だから、私、何時かは、いつかは……いつかは……」

 緒乎奈の饒舌がやっと止まる。

 透に、打ちひしがれる妹の様な元恋人へ憐憫の情が浮かんでくる。

 透は兄の様に見届ける。

 突然、それを察した様に緒乎奈が涙顔を上げる。

「でも、それが良かったんですよ。変な緊張がなくて、気を使い過ぎる事もなくて、気楽に付き合えた事が長続きした秘訣だったんじゃないでしょうか。長いといっても半年ですが、でもその前の二人に比べたら雲泥の差ですよね。もし、あの時あんな事が起きなければ、今でも一緒に居られたかもしれないぐらいに……」

 透は相変わらずの楽観的思考に微笑むと言った。

「それは、緒乎奈が頑張り屋だったからだ」

「そうですよね。私って凄く頑張り屋でしたよね。だって、普通、夫婦って、五年十年と付き合わないと判らないって言うじゃないですか。それがたった半年で、もう阿吽の呼吸だったじゃないですか?」

 緒乎奈の雰囲気がまた狂気を纏わり始めた。

「それなのに、それなのに……何で透先輩は私を直ぐに頼らなかったんですか? 一生懸命、花嫁修業をして料理や洗濯もできるの知ってましたよね?」

「ごめん。正直に言うと、余りに絶望が強すぎて何も考えられなかった。だから、誰かを頼ろうなんてこれっぽっちも思わなかったんだ」

「え! 一週間もですか?」

「否、最初の方だけ……」

「じゃあ、後の方は?」

「正直、緒乎奈の顔が浮かんだ。けど、頼れる訳ないだろう? 都合がいいように振っといて、都合がいい時だけ呼ぶなんて、どの口で言えるんだよ。常識的に考えてみろよ!」

「そ、そんなぁ…… 透先輩! 全然違います。私の事、本当は全然解ってないです! 私、透先輩ならどんな理不尽な事でも許せます。だってそういう風に調教されちゃったんですから」

「嘘だろ……」

「別れる時に私が言った事覚えてます?」

「否、全然覚えてない……」

「じゃあ、もう一度言います。私はあの時こう言いました。待ってます! いつまでも待ってます! いつか振り向いてくれるまで待ってます! 例え振り向いてくれなくても、待ってます!って」

「何となく、そんな事、言われた様な、気がする……」

「だから、言ってくれれば直ぐにも飛んでいったのに~」

「そ、そうか」

「私、たまに寂しくなると、透先輩の顔を見るために、夕暮れの街角で待ち伏せした事もあるんですよ」

 透は緒乎奈の病的な一面に引き始めた。

「緒乎奈、そんな事まで、ずけずけと言わなくていい」

 緒乎奈が透の嫌悪を察した。

「ご、ごめんなさい! 気持ち悪いですよね、私って…… 粘着体質で、マゾっ気があって、諦めが悪くって……」

「何だよ、自覚があるのか。なら救いようがまだあるな」

「あっ! また始まった透先輩の悪い癖!」

「何がだよ」

「私の事を平気でずけずけ言いますけど、透先輩にだって悪い処、一杯ありますよね?」

 緒乎奈が攻勢にでる様に顔を乗り出す。

「言ってみろよ」おずおずと即す。

「透先輩って、実は我が儘なんですよね。小さい頃から年上の女性にちやほやされて育って、何でも甘えればくれると思ってるんですよね。それから、自分が絶対正しいと思っていて他人を見下していますよね。一見優しそうに振舞っていますが、実は自分と価値観が違う人に対しては、結構冷酷ですよね。それをよく知っているのは、天女お姉ちゃんを除けば私だけですよね」

 緒乎奈の直言は的を得ている。透は天女に忠告されている様な錯覚を覚える。誠実であろうと心懸ける透を怯ませる。

 間髪入れずに緒乎奈が耳元で囁く。

「だから、透先輩? そこまで知ってる私の方が、長い人生の伴侶としては最適なんですよ。多分、千横場先輩だったら、それを知って幻滅して、絶対に別れますよ。間違いないです。だから、考え直しましょうよ。今からならまだ間に合います。鈴ちゃんだって直ぐに慣れて、昔みたいにショコちゃんて言って懐いてくれますよ。その内、気がついたらお義母さんなんて言ったりして、うふふ」

 透を騙そうとする怪しい笑に魅了が入ってきた。

「私とだったら、何でも許されるんですよ。いっくら我が儘言ってもいいんですよ。思いっ切り甘えても応えてあげられるんですよ。透ちゃんのためなら、何でも言う事を聞きますよ」

「緒乎奈、お前、そんな話術何処でおぼえたんだよ。何か、どんどんその気になって来るじゃないか」透が笑を返す。

「天女お姉ちゃんを越えようと思った時です、天女お姉ちゃんは凄く頭が良くて、言葉も巧みだったじゃないですか。だから、必死に話術も勉強したんだです」

 透の魅了がふつと切れた。

「緒乎奈、それは違うな。天女はどちらかと云うと言葉が少ない方だ。確信をぼそりと言って余計な事は言わない。そこには真実と説得力があった。調子いい事をだらだらと並べて洗脳し騙そうとするのは話術じゃない、詐術と言うんだ」

 緒乎奈が失敗したと云う顔を向ける。

 透が真顔を返す。

 透をよく知る緒乎奈が後悔する。絶対にやってはいけない事だったと云う顔で。

 透が言い募る。

「言葉ってさ、何でも有りなんだよ。言うだけなら何でも言えるんだよ。もちろん文章でも一緒だよ。だから重要なのはその次なんだ。言った事の責任を取るか取らないかだ。故意に嘘を付くのは論外だけど、結果的に間違っていたら謝罪するのは当たり前だろ。こうこうこう云う理由で間違いました、だから改めますのでって、納得いく合理性がある理由ならまあ仕様がないってなるんだよ。でもそれがないなら淘汰されないと駄目なんだよ。信賞必罰がない処には信頼が置けないんだよ」

「嘘つきには罰が必要だよ。嘘つきと云う評価をちゃんとしないといけない。それは差別なんかじゃない。それをしない方が差別だ。正直者に対する差別だ」

「だけどね、大抵の人はそんな事考えないんだ。言われた事をそのまま信じるんだ。印象だけ受けて中身をよく考えない。だから詐術が蔓延る。一番影響が大きかったのが、七十年前の―――」

 緒乎奈が慌てて透を止める。

「待って透先輩、話が反れ過ぎてます。ごめんなさい、私が変な事言ったばっかしに、でも、また始まってるよ。相変わらずの自分が正しい、上から目線、価値観が違う人への見下し」

「そ、そうか。でも嘘は言ってないぞ」

「嘘か本当かじゃないんですよ。何も考えてない人は、事実なんてどうでもよくて、直言は只の耳障りなだけなんだよ。その癖、大声には反応するんだから、どう仕様もないよね」

「お、よく解ってるじゃないか」

「そりゃそうですよ、天女お姉ちゃん越えを狙ってたんですから、当然です。実は私、学力だけじゃないんですからね。そうだ、学力で一つ自慢する事があったんだ。私ね透先輩と一緒の高校に行きたいがために一生懸命勉強したって言いましたよね。でもその時の私の偏差値は二ランク上の高校にも行ける程だったんですよ。どうです、びっくりしました? 因みに、一年の主席入学です」

「げ! げげげ……」

 自分は頭がいいと思っている気のある透に、この言葉は直撃した。

「どうです、凄いでしょう? 透・先・輩」

「ああ、凄いな、緒乎奈は」

「えへへ、ありがとうございます」

 緒乎奈が可愛らしくぺこりとお辞儀をした。

 透は尊敬の眼差しに変わっていた。あたかもかつての天女を見てる様に。

 緒乎奈が居住まいを正した。

 透を真顔で凝視する。

「ねぇ、透先輩? 本当によりを戻すのは駄目かな?」

 緒乎奈が天女の知性を帯びた目を向ける。

 透は一瞬、了承をする様な表情をした。

「だ、駄目だ」

「本当に?」

「もう遅い、駄目だ」

「本当に、本当に?」

「ああ、本当に」

「本当に、本当に、本当に?」

「ああ、本当に、本当に、駄目だ」

「本当に、本当に、本当に、本当に?」

「しつこい!」

「ごめんなさい、私、粘着体質だから……そっかぁ~ どうあがいても駄目かぁ~」

「もう、終わりにしよう。気が済んだだろう?」

 緒乎奈がまた泣き始めた。

 ひしゃげた顔で透に言う。

「解りました。きっぱりと諦めます。だから、最後のお願いを聞いてください」

 透が無言で答える。

 緒乎奈は肯定と捉える。

 右手を挙げ宣誓の仕草を取った。

「一つ、元恋人としての最後のお願いがあります。その胸で、思いっ切り泣かせてください」

「いいぞ」

「えへへ、優しい処は変わってないですね」

 緒乎奈が泣き笑いで抱き着こうとすらが躊躇う。

「あっ! ごめんなさい。久しぶりだったから何か照れちゃって、しゃんとしなさい緒乎奈、最後のお別れでしょ」

 緒乎奈にしばしの沈黙が続く。

 気を取り直す様に深呼吸をする。

 突然透の胸に飛びついた。

 緒乎奈が呟く。

「土夏先輩、好きでした。大好きでした。だから、振られて、二回も振られて、もう心はボロボロです。でも……頑張ってこれからも生きていきます。これからは、一人で生きていきます。さようなら……大好きな、透先輩……」

 緒乎奈の涙声が止まる。

 緒乎奈の手が突然締まる。

 口を胸に押し付け、外に声が漏れないように―――号泣が始まった。

 透は黙って耐える。緒乎奈の嘆きの振動を胸に受けながら。

 少し治まったと思ったら今度は叫びだした。

「胸が苦しいよ~ 痛いよ~ 穴が疼くよ~ 息ができないよ~ ハァハァ……」

「……イタイよ、イタイよ、イタイよ~ わぁぁ―――」また胸に口を押し付ける。

「……わたし 天女お姉ちゃんより 早く 産まれてこれば よかった……」

「……助けて、だれか、たすけ、て……」

 透が堪らず抱きしめ返す。

 しばらくして緒乎奈が静かになった。

 透が寝たのかと覗く。

 緒乎奈の真っ赤な目と会う。

「助けてよ、お兄ちゃん!」

「うっ!?」透に刺さった。

「私、いい事思い付いた。恋人はもう諦めます。だけど、透先輩とはもうこれっきりなんて嫌なんです。だから、私、妹に成る事に決めました。義理の妹って事で、世界一献身的な妹を目指します。別に難しいことじゃないと思うんですよ。昔だって恋人らしい事は何一つなかったんですから、妹みたいなものでしたよね。そんな関係を続けられればいいかなって思うんです。勿論、千横場先輩とはあんな事やそんな事をしていただいて構いません。私は、じっと指を咥えて見てますから、だって妹なんですから、お兄ちゃんの恋路を邪魔なんてできませんので。それで私に、もし、別の好きな人ができたら、お兄ちゃんとして門出を祝ってください。そうすれば、何とか生きていけそうな気がするんです。どうですか、透おニイ、ちゃん」

「な、な、何だよ、それ、意味が解らんぞ」

「何を聞いてたんですか、同じことを何回も言わせないでください。透先輩が私を都合がいいように妹としてこき使っていいって言ってるんですよ。掃除、洗濯、料理に育児、何でもござれです。私はそれでも構わないって言ってるんです。そうまでしてでも、透先輩との絆を無くしたくはないんです」

「何だよ、それ、本気で言ってるのか。でもな、今、緒乎奈が言った事、全て奈々で間に合ってるから、必要ないから」

「何言ってるんですか~ そんな事ありえませんよ。今年受験生なんですよね、受験生が主婦の真似事なんて絶対に長続きしませんから、その点、私は一年生なので身軽なんですよ。今はできてるかもしれないですが、その内、絶対に襤褸(ぼろ)が出ますよ。だから、その時に、妹を呼び寄せるなんてのは変じゃないですよね」

「お、おう。確かにそうかもな……」

「でしょう? そう云う都合がいい女で構わないですし、もっともっと調教してくれてもいいですし、嵐の日や豪雪の大変な時に、直ぐに来いって無茶ぶりでもいいんです。何かそれ、愛を試しているみたいで凄く素敵ですよね。但し、放置プレーだけはダメです。私、寂しくて死んじゃいますから」

「そんな事、ぜっていしねえよ!」

「それから……」

 緒乎奈が切り札を切るように臨(のぞ)む。

「このお屋敷のお掃除、あの時でも大変でしたよね。お義母さんとお義姉ちゃんと私の三人掛りでも毎日なんて到底無理でした。今はどうやってるんですか? 誰が掃除してるんですか?」

 透は絶句した。

「してないんでしょ? 使ってない部屋でもせめて年一回ぐらいは掃除した方がいいと思います」

「そ、そうだな」

「まさか、清掃業者にでも頼もうなんて考えてないですよね? 私という便利な妹がいながら、節制と節約をモットーとする土夏家のしきたりに反してまで、まさかですよね?」

「そ、そうだな」

「それから、開かずの間についてはどれくらい知ってますか?」

「関係者以外立ち入り禁止だな」

「透先輩はその関係者に入ってました? 私の知る限り蚊帳の外だったと思うんですけど」

「その通りだ、俺は次男だったから、後回しだったんだと思う」

「実はですね。私、お義母さんに認められて、おそこに入った事があるんですよ」

「なぁ!」

「あそこには、土夏神社がなくなった時の御神体の依代が安置されてるんです」

「それは、薄々知ってたかな」

「土夏家の女に代々伝わる伝承を、私、引き継いでいるんです」

 透が再度絶句する。

「土夏家の伝承は、男ではなく女が引き継ぐんです。だから、透先輩は蚊帳の外だったんだと思うんです。多分、輝お兄ちゃんもあんまし詳しくは知らなかったんだと思うんです」

「ちょっと待て。緒乎奈は正式に嫁になった訳でもないんだから、普通はそんなの有り得ないぞ」

「それは、私も疑問に思ってました。多分ですが、私は土夏家を絶対に裏切らないと信頼されていたんだと思うんです。透先輩は、裏切りましたけどね」

 透が毒に怯む。

「それに、結果的に天女お姉ちゃんが亡くなって失伝になる処だったんですよ。私は保険みたいに考えられていたのかもしれないです。伝承者の女の勘みたいな感じでしょうか」

「そうか。因みに、その内容は俺に教えたりはできないのか?」

「ダメです! 女だけです。その女の条件も子を産める女だそうです」

「そうか」

「今年も、恒例の土夏桜のお花見、ちゃんと執り行いました?」

「ああ、丁度、昨日やったよ」

「じゃあ……あ姉ちゃんがいなくなって、その後に行う神事はやってないんですね、勿論」

「な、何だそれは」

「土夏桜に別名があるのは知ってますよね?」

「天女桜の事か?」

「そう、それです。それってどう云う意味があるのかまでは知らないでしょう?」

「ああ」

「伝承者の意味なんです。天女お姉ちゃんが六代目って事なんですよ。あっ! そう云う意味だと次の七代目は緒乎奈桜になってしまいますね、うふふ」

 透は自分の手が届かない処の展開に寒々とした。

 取り敢えず、気になる神事について訊く。

「何だよ、その花見の後でやる神事って」

「それは、伝承者にしか出来ない事です」

「やっぱり、そうなのか…… なあ、緒乎奈。それ今度お願いしてもいいか?」

 緒乎奈が妖しく笑う。

「私の事、頼ってくれるんですね」

「ああ、お願いしたい」

「なるべく早い方がいいです。桜が散りきったら手遅れになりますから、明日の放課後なんかどうでしょうか?」

「解った。それでお願いするよ」

 今の透には滑稽な妹の件を一蹴しようしていた考えなど吹き飛んでいた。

 土夏家の因縁めいた話に、拒絶した緒乎奈が妹でもいいから透に協力したいと云う話は、実はとても有難い事なのだと思えてくる。

 そんな想いに耽る透に、緒乎奈が期待の篭った目で見詰める。

 だが、どうしても確認しておかなければならない件がある。

 透が訊く。

「緒乎奈は怖くないのか?」

「何がですか?」

「土夏家の呪いだよ」

「ああ、それですか」

「やっぱり知ってたか。それより反応が軽いな」

「だって、呪いなんて馬鹿馬鹿しいですよ」

「そっか、基本俺と同じなんだな」

「基本って事は、透先輩は信じてるんですか」

「ああ、天女が亡くなってからは、もしかしてとは思う様になった。それと、鈴にも及ぶかもしれないと考えると、とても恐怖を感じる」

「あらら、らしくないですね、お姉ちゃんが死んでかなり気落ちしてたんですね」

「ああ、それもあるかもしれない」

「呪いなんて云われてるのは、遺伝的短命の言い訳だったり、邪悪な人間によって巻き起こる周りに与える影響なんかを云ってるんだと思います。私に言わせてみれば、人間の方が圧倒的に恐ろしいですよ。それに、土夏家の周りに邪悪な存在なんて居ませんよね。だから、ちゃんちゃら可笑しいですよ」

「それは、俺も同感なんだけど。実はさ、その件で鎮魂祭をする事になったんだよ」

「え? 透先輩がですか? 信じられないです」

「実は氏子の三家に頼まれちゃって、断りきれなくてさ」

「ああ、あの三家ですね。もう、何となく判っちゃいました。けど、伝承者が参加しないんなら、全く意味がないです。気休めにもなりませんよ」

「それは、何でだ?」

「えーとー、駄目です。伝承者の守秘義務です」

「そんなものまであるのか?」

「言わぬが花って奴です」

「それは知らない方がいい、中身がないって事か?」

「それは言わぬが仏の方です。ちゃんとした意味はあります」

「そうか、意味か。解った、それ以上は訊かない」

「それがいいです。でも一つだけ言っておきます。土夏家の伝承とは、呪い何かとは全く関係ありません。それ処か、土夏家の女として立派にやっていく、伝統を受け継ぐ、とっても尊い宝なんです。だから、誇りにこそすれ、恐れる必要なんてこれっぽちもありませんので」

 緒乎奈が気品高く無い胸を張った。

 透の呪いへの不安が一掃された。

 且つ、先祖を敬い血統を尊ぶ透の琴線にぴたりと触れる。

 透の前に頼もしい伝承者緒乎奈が聳える。

 そんな透に緒乎奈が最後通牒を突き付けた。

「もし、妹として認めてくれるなら、私、鈴ちゃんにちゃんと伝承をしますよ」

 透には脅迫に聞こえた。逆に云うと、認めなければ伝承しないと云う。

 透の腹が決まった。

 緒乎奈が追い討ちをかける。

「今日、お姉ちゃんが来いって言った本当の意味は、この事だったんじゃないかと思えてきました。私もここに来て、思いっ切り泣くまで、忘れてましたから…… それでは透先輩、返答は如何に?」

 緒乎奈が品格高く微笑む。

「それ本当に妹だけなんだろうな? どさくさに紛れて変な事しないだろうな?」

「解りました。そこまで言うなら、ちゃんと兄妹だって契約を結びましょ」

「それ効果あるのか?」

「勿論です。女に二言はありません」

「解った。男にも二言はない」

 緒乎奈がまた宣誓の仕草をする。

「じゃあ、契約です。今から、私こと、加藤緒乎奈は土夏透に義妹として義兄弟の契を交わします。産まれは違えど、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、いや、違った。死ぬ時は一緒だとこの杯を交わします」

 緒乎奈が親指で杯を作る。

 透も真似る。

 二人が杯を突き付け口に運ぶ。

「私、この家にいる時だけ、土夏緒乎奈に成りたいです。だから、お兄ちゃんって呼んでもいいですよね?」

「ああ、構わないよ、緒乎奈」

「お兄ちゃん、うへへぇ~」

「じゃあ、緒乎奈。義妹になったんなら、天女は本当のお姉ちゃんだからな。ご焼香をしてあげてくれ」

 緒乎奈のだらしない顔が正される。

 緒乎奈は見事に焼香の作法を振舞った。

「よく知ってるな、焼香の作法なんて」

「何言ってるんですか、お爺ちゃんの法事で叩き込まれたじゃないですか」

「そうか、そうだったな」

 本来の用が呆気なく終わった。

 緒乎奈はずっと正座をしていたのに何事もなかった様に起立した。

「緒乎奈は足痺れないんだ?」

「土夏家の女足る物、一時間や二時間の正座ができなくて務まるもんですか」

 これが調教の現れだったかと歓心を向ける。

「お兄ちゃん! あそこの果物、そろそろ食べちゃった方がいいですよ。この匂いはもうすぐ腐りますから、あっ! このバナナもうダメだよ、捨てちゃいましょ」

「だ~! 捨てるな! 中はまだ大丈夫だ」

 世話焼きでお兄ちゃん第一主義な義妹の誕生は、天女の意思であったのだろうか―――透はそんな感想を抱きながら天女を見詰める。

 透が小さく呟く。

「なあ、天女~ 何であんな余計な事言うんだよ」

 天女の呟きが聞こえる。

 ―――「えっ! 私知らないわよ~」

 ―――「でも、よかったじゃない。土夏家の伝承が途切れなくて」

 ―――「それも私の心残りの一つだったんだよ」

 透はこれから、修羅場へと向かう。

 食卓で待つ皆に義妹の誕生を説明するために……

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