第13話  桃参保育園は夜討ち朝駆け(後編)

 奈々と透が揃って校門を出る。

 そこで奈々がやっと声を掛ける。

「透くん、先に買い物を済ませてから鈴ちゃんのお迎えでもいいかな?」

 透は只、奈々の横にくっついているのみで反応しない。

「透くん?」

「ああ、いいよ」

「鈴ちゃんは何時までなら大丈夫なの?」

「五時の契約だけど、六時までなら大丈夫」

「そう、よかった。何とか間に合いそうだわ」

 透がまた黙った。

 奈々は色々話し掛けようと口を開きかけるが、その都度、透の沈痛な面持ちに躊躇い踏み止まる。

 奈々にまで憂鬱が伝染しそうで何か突破口をと考えていると、透から動いた。

「奈々は何も訊いてこないんだな……」

「透くんから言ってくるのを待ってたからだよ。今は辛そうだけど、心の準備が出来たら、きっと話してくれるって信じてるもん」

「そうか、気を利かせてくれていたんだ。ありがとう、奈々、心配かけちゃったね」

「うん、とっても心配だよ」

「……あの子はさぁ、前に話した俺が捨てた後輩なんだよ。まさか必死に勉強して院叡寺にまで追っかけてくるなんて夢にも思ってなかったんだ」

「その子、ショコナちゃんって言うんでしょ?」

「えっ! 何で知ってんだよ!?」

「鈴ちゃんが教えてくれたんだ、虐めたんだって言ってたよ」

「鈴か……なら仕様がないな。緒乎奈はね、俺を追ってこの学校に入学したんだってさ。天女が死んだ事を知ったから、縒(より)を戻したいって言ってきた」

 奈々が不安な眼差しをぶつける。

「安心しろ、奈々。俺には今、奈々がいるって断ったよ」

 奈々が安堵の眼差しを向ける。

「二回も虐めちゃったんだよ。それに、今度の方がずっと辛いだろうなぁ……」

 奈々が慈愛の眼差しで言った。

「透くんはやっぱり優しいねぇ。でも、しょうがないよ、応えられないならほっとくしかないんだから、下手に同情なんかしたら相手が余計辛くなるんだよ」

「そうだな。くよくよしても仕方ないか」

 奈々が頷くと言った。

「それじゃあ、鈴ちゃんのお祝いの準備のお買い物に行きましょ」



トトトトトトトトトトトトトトトトトトトト



[スーパー世留]での買い物が終わると、奈々の用事でプリクラコーナーに向かった。

 保育園の送迎者用の登録写真をプリクラで済ませるそうだ。変な加工をしなければ本人確認に支障はないので問題はないだろう。

 到着すると、そこには何故か真音が居た。

 奈々と待ち合わせていた様で、部活を早退してまでの用事は真音も保育園の送迎者に登録するためだった。

 真音のお迎え要員は多いに越したことはないと言う言葉に、透は甘えた。

 そこでの本来の目的は直ぐに果たされた。しかし、真音と奈々の悪乗りから、それぞれの透とのツーショット、全員でのスリーショット等を透が散々に付き合わされる。

 奈々と真音が楽しんでいる雰囲気に絆(ほだ)された透は、時間を忘れる程に一緒になって楽しんでしまっていた。

 女子高生との初めての高校生らしい付き合いに、満更でもないと羽目を外す。

 透が真っ先にお迎えの時間が迫っている事に気付くと、三人は慌てて保育園に向かった。


 桃参保育園に到着するや否や、鈴が奈々へ飛びつく。

「ななちゃ~ん!」「鈴ちゃん!」

 生き別れで再会した様な抱擁。鈴の甘えは日に日に昇華していく。

 羨ましそうに見詰める真音に鈴が気付く。

「まのんちゃ~ん」「鈴ちゃん」

 忖度した様な真音との抱擁。

「まのんちゃんもきてくれたのぉ?」媚びる様な笑顔。

「そうだよ。真音ちゃんも、たまに来るからね」

「ありがと~」

 忘れられた透に担任の花笛先生が近づく。

「土夏さん、天女さんの事はお気の毒でした。力になれなくて申し訳ありませんでした」深々と頭を下げる。

「いいえ、こちらこそ大変なご迷惑をお掛けしました。色々対応して頂き感謝致します」透も頭を下げる。

「それで、家庭の方はどうなんですか? 奥さんがお亡くなりになって不自由はしていませんか?」

「ええ、何とか頑張っています」

「そう? 土夏さんは高校生ですよね? 料理や洗濯はちゃんと出来てるんですか?」

「え~と、ちゃんとはできないんですが、何とか……」

「そうですよね! それでご迷惑ではないなら、今度、私にお料理とお洗濯をさせて下さい。勿論、お金なんか取りませんから」

「えっ! それは…… ありがとうございます。百華(もか)先生のお気持ちだけ頂きます。しかしその件は、もう間に合っていますので……」透が奈々の方を見る。

 百華先生が確認する様に奈々を見る。

 奈々と真音に挟まれ笑顔の鈴。

「鈴ちゃん、それでとっても元気なんですか。それはよかったですね」ちらりと向ける奈々への視線に安堵の色は全くない。 

「それは、あの二人のお陰なんです」透は奈々へ労(ねぎら)いの視線を向ける。

 呼ばれた様に奈々と真音が鈴の手を引き近づく。

「始めまして、千横場奈々です。これから鈴ちゃんの送迎に度々きますので、よろしくお願いします」奈々が頭を下げる。

「同じく、倉瀬真音です。私達、透くんのクラスメートで、二人で天女さんの穴を埋めることになりました。鈴の事、これからもよろしくお願いします」真音も頭を下げる。

「桃組担任の花笛百華(かふえもか)です。こちらこそよろしくお願いします」営業スマイルを湛える。

 透が早速と切り出す。

「それで百華先生に少しお話を伺いたいんですが、お時間あります?」

「ええ、少しなら構いませんよ」

「それでは……」

 鈴の顔を一瞬見て躊躇うが、問題ないだろうと続ける。

「あの日の天女の様子を、包み隠さず教えて欲しいのですが」

 百華先生が直ぐに鈴を見詰める。

 その視線が透に戻ると、透が頷いて言う。

「鈴のフォローはもう終わっているので、包み隠さず話して頂いて大丈夫です」

「そうだったんですね、フォローは済んでるんですか。それは幸いです。私も折を見て話さなければと思っていたんですが、早くもその機会が出来て少しは気を落ち着かせる事ができそうです」

 意味有り気に言う百華先生に一同が改まる。

 百華先生が口を開く。

「あの日の天女さんは、まるで別人でした。険がある顔つきに刺々しい話し方、それに何となく感じる影が薄い印象、近寄りがたい雰囲気でしたが、私は仕事柄に普段通り接していました。そんな中、あれが起こりました」

 大まかな話を知っている透と奈々が息を呑む。

「準備が全然終わっていないのに天女さんが帰ろうとしたんです。私は直ぐにどうしたんですかと声を掛けました……」

 ―――百華先生を睨みつけ天女が言う。

「アンモニア臭がする!」

 鼻をひくつかせ天女が鈴に近寄る。

 鈴のお尻に顔を近づけると言った。

「鈴! またお漏らししたね!」

「えっ! すず、おもらししてないよ?」

「嘘おっしゃい! ここまでプンプン臭ってくるのよ!」

「すず、おもらしなんかしてないよ!」

「何で嘘つくの? お母さん嘘つきは嫌いだよ?」

「すず、ウソなんかついてないもん!」

「鈴ちゃん?」

「ほんとだよ?」

 天女の顔が鬼女に変わる。

「スッチー」

 鈴が怯える。

 天女の手が伸び鈴の頬を叩く。

 鈴が唖然と放心するとみるみると目に涙が貯まる。

 百華先生が慌てて鈴の前に立ち塞がる。

「叩くのはいけません! それにアンモニア臭なんかしてないですよ!」

 鈴が涙を零しながら叫ぶ。

「すず、おもらしなんかしてないもん!」

「すず、ウソなんかついてないもん!」

「ウソついてるのはおかあさんだもん!!」

 鈴が一時の間を開けた後、息を吸い込んでから呪詛を吐く。

「うそつきママなんか、しんじゃえ~!!!」

 天女が驚愕に打ちひしがれた後、眉間に皺を寄せて立ち上がる。

 そのままフラフラと裸足のまま外に出る。

「天女さん? どうしたんですか?」百華先生が後を追う。

 天女が立ち止まって庭の桜を見詰める。

 ぼそぼそと呟いた。

「輝ちゃん……お義父さん……お義母さん……ヤダ! 鈴は連れて行かないで……」

 天女が頭を抱えるとそのまま蹲った。

「どうしたんですか? 天女さん! 大丈夫ですか!」

 百華先生が肩を揺するとそのまま倒れる。

 天女は苦悶の表情で意識を失っていた。

 百華先生が浅野先生に助けを求めると、直ぐに救急車が手配される―――

 奈々が鈴を抱きしめている。

 真音は新たな詩篇を編(あ)む。

「百華先生、ありがとうございました」

 透は何とも言えない顔でお礼をする。

 全員が無言になった。

 周りではまだ迎えが来ない数人の園児が無邪気に遊んでいる。

 園児への気配りの視線を怠る事なく話し続けた百華先生にプロ意識を感じる。

 その視線が透へ一心に注ぐ。

「土夏さん、天女さんがいなくなって、色々お困りな事があると思いますが、私に出来る事なら何でもお手伝いしますよ。遠慮なさらず言ってくださいね」と透に微笑む。

「ありがとうございます。お気遣い感謝します」

 お願いする事など何もないと思っている透だが、優しさに対する礼節はしっかりと返す。

 真音が慇懃に言った。

「大丈夫です。お困りな事は私達二人で全部対処できますので、何も気になさらずとも結構ですから。先生は保育園での時だけ、しっかりお願いしますね」

「そ、そうですか」

 百華先生と真音が視線をぶつける。

 透が慌てて動く。

「それじゃあ、帰る準備をしようか。真音もこっちに来て」

「はい! 透君」

 透が帰り支度の説明を奈々と真音に始める。

 奈々が卒なくこなす。

 迎えでは送りでの時間に切羽詰った緊張感はない。心に余裕が出来た透は掲示板をゆっくりと眺める。

 いちご狩りの予定が今月末にあった。

「わたし、これ参加した~い!」隣で奈々が叫ぶ。

「奈々はいちご好きなのか?」

「うん、大好きだよ」

「解った。じゃあ、申し込みしようか」

「ちなみに、鈴ちゃんは?」

「すずも、だ~いすき~」そのまた隣の鈴が答える。

 透は去年のいちご狩り遠足を思い出す。

 ―――鈴は子供とは思えない量のいちごを食べた。

 ―――天女もいちごは大好きだった。

 ―――ビタミン豊富で美容にも良いと言い訳をしながら、鈴以上の量だった。

 ―――透が美しくなるなら一杯食べてと煽てたから。

 ―――食後は二人してうんうん唸っていたので、昼ご飯は抜いた。

 ―――十個程度しか食べれなかった透はお腹を空かせて付き合った。

「写真、貼り終わったよ」奈々の声で我に返る。

 透がどれどれと確認する。

 身分証明書の様に毅然とした表情の二人のプリクラ写真が並んでいた。

 少し真面目過ぎるのではと思いながら写真を眺める。

 奈々の写真の下には[1号]、真音の写真の下には[2号]と記入されている。

「何だよ、これは!」透が指差す。

「勿論、お迎え一号と二号だよ」真音が平然と言う。

「何だよ、お迎え一号、二号って」

「そのままの意味だよ。奈々が一号でプライマリー、私が二号でセカンダリーだから」

「プライマリー? 優先順位の事か?」

「違うよ、それはプラオリティ。敢えて言えば、正と副かな? 私はバックアップだから」

「それなら、正と副って書けよ!」

「駄目だよ、それだと正室と副室みたいじゃない」

「そんなの誰も思わねえよ! それより副室ってなんだよ、側室だろ」

「あ! 間違えた、正妻と副妻だった」

「それもねえよ。何だよ副妻って、新種の野菜か?」

「じゃあ、正JKと副JK?」

「そんな言葉聞いた事ねえよ、どんなJKだよ正副って、それ今作っただろ?」

「旦那~ ピチピチの制服JKですぜ~」

「もういい止めて! 結局、真音が言いたいのは、妾って事なんだろ?」

 真音が突然、言わ猿の手で口を覆う。

 目がタブーを犯した奴を見てる様だ。

「何言ってるの透君! 保育園で不謹慎だよ。駄目だよ~子供の前でそんな言葉出しちゃ~」

「真音、この野郎~」透が睨む。

「野口一郎からロー(LAW:法)を取った無法者が野郎なんだよ~」

 透が何を言ってるんだと見返す。

「最後の郎を取って野口一(のぐちはじめ)、それで野(や)ローって事か?」

「違う違う。ちゃんと文字で思い浮かべて、真ん中にローがあるでしょ」

 透の右手が顎に掛かると考え込む。

「野口一郎? ロー? ああ、そうか上手いな。それ真音が考えたのか?」

「下らない小説を書いてる、どこかの作家だよ」

 真音と透がニタニタと見つめ合う。

「ねえねえ、透くん、真音。鈴ちゃんが呆れてるから、そろそろ夫婦漫才終わりにしてよ!」

 奈々がそう言った後、鈴と顔を見合わせて一斉に頬を膨らます。

 こちらは母娘漫才だ。

 常軌を逸した馴れ合いに百華先生が唖然としている。

 土夏一行は平然と挨拶をして撤収した。

 門に向かって歩いている時に透が急に立ち止まった。

 視線の先は自転車置き場だ。突然そちらに走り出す。

 一台のママチャリの前で停まり検分を始めた。

 後輪の跳ね上げ止めフレームに[土夏 天女]と住所がはっきりと書かれている。後部に子供用座席が付いていてピンクのヘルメットが置いてある。そこには[どなつ すず」とある。

 透がおもむろにハンカチを取り出すと、サドルやハンドルを拭き始める。

「ごめんな、鈴女(すずめ)」透が呟く。

「それ、天女さんの自転車なの?」奈々が真横から顔を出す。

「ああ、鈴女号って言うんだ」サドルを摩る。

「これ、私が使ってもいい?」

「いいけど、鍵がないから今日は無理だぞ」

 奈々がハンドルを取り押すとスタンドが外れ動いた。

「鍵掛かってないよ」始めから知ってましたと云う表情。

 透が拍子抜けして驚く。

「えっ! そんな筈ないんだけどなぁ、天女はここから徒歩で通勤してたんだ」

「じゃあ、忘れちゃったんじゃない? よくあることだよねぇ」

 それは奈々だけだと云う思いを飲み込む。普段の天女からは考えられなかった。

 奈々が動かした所為でハンドル中央にぶら下がっていたお守りが揺れた。 

 千間(せんげん)神社の交通安全のお守りは、ちゃんと御利益があった様だ。今更、健康祈願だったらなんて考えても始まらない。

「じゃあ、これお願い」買い物袋を透に託す。

 奈々がヘルメットを鈴に被せて後部座席へ乗せる。鈴と奈々の荷物を前籠へ放る。

「じゃあ、先帰ってるね」「バイバ~イ」奈々と鈴が遙々と去っていく。

 見送った透と真音が奈々の独断に唖然と見送る。

 押しながら一緒に帰るもんだと思っていた透は真音を見る。

 その視線を受け止めた真音が歩き出したので、透も付き合う。

 立ち止まって話すなど時間の無駄だと云う態度が伝わる。

 透が横に並ぶと真音が口を開いた。

「奈々はやる気が出ると積極的になるんだよ。独断専行とも言うけど」

「やる気って、何の?」

「何のって、今日は鈴ちゃんの快気祝いなんでしょ? 奈々、凄く張り切ってたんだから、私だってそのために部活を早退したんだからね」

「え! そうだったの? 俺はてっきりお迎えの写真を貼るために来てくれたんだと思ってたよ」

「あ、そうね。それは事実だわ。本来の目的はそっちが優先だったんだけど、今はお祝いの方が優先かな。最初から私も参加するつもりだったし」

「そんな大袈裟なお祝いじゃないぞ。発端も奈々から言ってきた事だし」

「そんな事ないよ~ さっきも聞いたけど、トラウマ級の事件だったみたいじゃない。それを払拭できたんだから、透君はやっぱり凄いよ。ちゃんとお祝いしてさ、鈴ちゃんにもう大丈夫だよってはっきり示す事は必要だと思うな」

「そうだな。言われてみれば、俺もそうかなって思うよ。ありがとう、真音、付き合ってくれて」

「どういたしまして。さっきも言ったけど、私も頑張って天女さんの穴を埋めるからね」

「ありがとう。お言葉に甘えるよ」

「それじゃあ、早速なんだけど、巫女の件、引き受けてあげるよ。但し、その都度部活を休まないといけないんだから、日程は早めに教えてほしいの。後、練習日は一回のみにして、その一回で全部覚えてみせるから。だから、参加できるのは練習と本番で二日だけだからね」

「ありがとう真音。すごく頼もしいな。それに、部活まで休ませて本当に悪い」

「そうね、気にしないで何て言わないわ。逆にもっと恩を売っておこうかしら。高校最後の総体が近いの、だから今の練習は結構、切羽詰まってるかな」

「本当にごめん」頭まで下げた。

「ごめん、ちょっと言い過ぎた。家の学校って進学校じゃない、だから運動部系はすべからく弱小なのよね。だから強豪校の練習に比べたら大したことなくて、実を言うと二日休んだからってそんな大袈裟な事にはならないのよ。ごめんね」

 透が真音の気まずそうな顔を見つめた。

「……真音は俺が冗談や皮肉で言い返すとでも思ったのかな? でも俺だって、そんな誠実な対応には流石に茶々は入れられないから。それから、真音は今、言い過ぎたって、俺が本気で気にするかもって心配して嘘の言い訳をしてくれたよね。そう云う気配りができる真音は、本当に尊敬するよ」

「え! べ、別に嘘なんか言ってないけど……」

「本当は俺の方が無理をお願いしてるんだから、もっと恐縮しないといけないのにさ、ありがとう真音。俺は絶対に付け上がったりしないからね。そう云う真音の優しい処が、俺は好きだよ」

「そ、そうよ。私だって、優しさに付け上がらない人になら、優しくできるんだからね。で、でも、男の人でそれが出来るのは……透君だけだから……」

「真音も可愛い処があるんだ」

「可愛い? 私が? そんな筈ないでしょ! 私は可愛気がない女なんだから、可愛いは本当に可愛い奈々だけにしておいてよね」

「真音は可愛いが駄目なんだ」

「そうじゃないわ。可愛気がない女に可愛いなんて、見え透いた嘘にしかならないでしょ? 滑稽でしかないんだから、恥ずかしいだけじゃない」

「う~ん、よく分からん。可愛い処があったから、可愛いって言っただけなんだが」

「だから、それは可愛いじゃなくて、前に透君が寛容を示せって話の時の、優しさに付け上がらないって言葉を信じたから、透くんは嘘付かないって信じてるから、それを信じたから素直に従っただけの事じゃない」

「そう云う処が可愛いんだよ」

「まさか~ 私は可愛気が皆無な女なんだよ」

「可愛気がない女の前提はどうやっても崩れないんだ」

「そう、ずっと言われ続けてきて、もう身に染み付いちゃってるんだ」

「そうか、結構、根深いんだな」

 透が心配そうな顔を向ける。

 真音がにこっと微笑んで戯る。

「何だ、冗談か?」

「うふふ、さあどっちでしょう。でもね、これだけは確実に言っておこうかしら。部活を休んでまで手伝ってあげるって事は、それだけ透君の事を大切に思ってるって、事だからね」

「ありがとう、真音。本当に有難いよ」

「どういたしまして。それから、一つ確認したいんだけど、巫女は二・三人って聞いてるんだけど奈々と私の二人でもう充分? もう一人はいらない?」

「見つからなかったら二人だけでお願いしようかな。多分、もう伝はないから、いないだろう」

「それじゃあさぁ、今日紹介した杏ちゃんでもいいかな。実はもう了解を貰ってるんだけど」

「流石真音、手回しがいいな。来てくれるんだったらお願いするよ」

「但しね、条件があるの。私と奈々は透君との付き合いで受けるんだけど、杏ちゃんは透君とは全然親しくないじゃない。だからアルバイトみたいな扱いにして欲しいいんだけど、それでもいいかな?」

「解った。どの位出したらいいんだ?」

「実はね、杏ちゃん家のお蕎麦屋さんが休業中だって話はしたじゃない? お父さんの復帰の目処が立ってないらしく、家計が苦しいらしいの。だから一日当たり一万でどうかな? 出せる?」

「時給千円時代で、それ高くない?」

「別に長期契約とかじゃないんだし、スポット契約なんだから普通だよ。日雇いで一日掛りの日当は一万とかだよ、ある意味肉体労働なんだから。それに友達価格って事で、杏ちゃんは今必死で家業の手伝いをしてて、その時間を奪う事になるんだから、そこの処の考慮もしてあげてほしいの」

「一日掛りじゃないんだけどなぁ。まぁ、解ったよ。取り敢えず、時給、日給とかの考えは全て辞めて、一括の請負契約で三万でどうだ?」

「ありがとう、透君、じゃなかった。よっ! 旦那、太っ腹」

 真音の手が今度はちゃんと透のお腹に届いた。

「真音は優しいな、友達の心配をして交渉人の真似事までしてるんだから。杏ちゃんって、そんなに大事な友達なんだ」

「そうだよ、まあ、奈々程の絆はないけど大事な親友かな。あっ! そうだ。杏ちゃんって彼氏がいるらしいの。一度も会わせてくれないし自称なんだけどさ。だから、もしかしたら処女じゃないかも」

「それは別に気にしないよ。黙ってれば判らないんだし、生娘なんて建前なんだから」

「私と奈々は本物だからね。建前じゃないからね」

「ああ、自称な」

「ひど~い! なに、それじゃあ証明しろってのぉ!」

「ご、ごめん。口が滑りました」



ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ



 鈴を後ろに載せ自転車を必死に漕ぐ奈々は長い陸橋の坂道を登る。

 この陸橋は三十メートルもの段差を結んで緩い傾斜とするため数百メートルにも及ぶ。

 この地に引っ越してきた小学生の時に聞いた話で、この陸橋から先は昔は海だったそうだ。全て埋立地で院叡寺海岸は人口海岸だった。奈々が今立っている陸橋の終点はかつての断崖の海岸線だ。

 一気に登りきった奈々は、汗をかき太腿を震わせて立ち止まる。

「ななちゃんすご~い! おかあさんだったら、とちゅうでとまっておろされるんだよ~」

「そう なの ななちゃん だって きつかったよ」

「すずおりなかったの、はじめて~」

 鈴のはしゃぐ姿に頑張った甲斐があったと、爽快な顔で今来た傾斜を振り返る。

 長い陸橋の傾斜の先に街が一望の元に広がる。

 遠くの地平線には何艘ものタンカーの影が見える。

 赤い図書館が目立つ母校がある正面には海浜公園とプール。左手側には卸売市場。右手側にヨットハーバーが見える。

 しばらく眺めていると鈴が話しかける。

「おかあさん、でんどーだったらよかったのにって、いっつもいってた」

「デンドー? ああ電動自転車ね」

「いっかいかったんだけど、すぐぬすまれちゃったんだ~ だから、もう、かわないんだって」

「そうかぁ~ ひどいね~」

「ひどいねぇ~」

 しかめっ面の二人が見合う。

 

 土夏邸に到着した奈々は車のない寂しい駐車場に自転車を置く。二台分は停められる広々とした駐車場の脇に寄せた。

 駐車場の裏から廻り正面玄関に向かう。

 玄関に紺のブレザーとグレーのスカートを履いた女子高生が立っていた。

 彼女は奈々に驚いた視線をぶつける。

「緒乎奈ちゃんですね」

「な、なんで千横場先輩が居るんですか!」

「だって、透くんの彼女ですから」

「そうですけど、だからって……もう、そういう関係なんですか?」

「そういうって、どういう関係?」

「だから、家に上がり込んで、あんなことや、そんなことをする関係です」

「そうですね。家に上がって、あんなことや、そんなことをやってますよ」

「うっ!」

 鈴が奈々の袖を引っ張る。

「ななちゃん、だれ~」

「緒乎奈ちゃんだよ」

「え? ショコナちゃん? はじめまして、どなつすずです」鈴がお辞儀した。

「鈴ちゃん、違うよ。はじめましてじゃないよ。昔よく来てたショコちゃんだよぉ」 

 鈴は首を傾げる。

「小さかったから、覚えてないんだね……」緒乎奈が泣きそうな顔で言う。

「それで、どういったご用件ですか? 緒乎奈ちゃん」

「気安く名前を呼ばないで下さい!」

「そう、解ったは、加藤さん!」

 奈々の迫力に緒乎奈が怯む。

「それで、何の用?」

「透先輩にお話があるんです」

「気安くわたしの彼氏の名前を呼ばないでくれる!」

 緒乎奈が黙る。

 奈々は睨む様に見詰める。

「透くんとは約束してるの?」

 緒乎奈が首を振る。

「じゃあ、帰りなさい」

 緒乎奈が突然、泣いた。

 奈々が不意に隣を見る。

 隣の鈴が驚愕の視線を向けていた。

 奈々は笑顔を返す。

 鈴が余計に萎縮する。

「天女お姉ちゃんに、お線香を上げる許可は貰っています……」

「それ、今じゃなくてもいいんじゃないの?」

「いえ、駄目です。早くしないと天女お姉ちゃんが消えちゃうから」

「消えちゃう? それはどういう事、まさか、幽霊にでもなってるっていうの?」

「……私、今日、早退したんです。家に帰って泣き崩れてたら寝落ちしちゃって、そしたら天女お姉ちゃんが出てきて、しきりに謝ってくるんです。ごめんねって。だから、どうしても今日中に会いたいんです」

「会いたい…… そう、解ったわ。わたしが勝手に家に上げるのは、本当は拙いんだけど、透くんがもうすぐ帰って来るから、リビングまでは入れてあげる。だから勝手に奥には行かないでよ、約束して」

「解りました、千横場先輩」

 奈々が鍵を取り出し扉を開ける。

 緒乎奈が呟く。

「家の鍵まで貰ってる……」

 奈々は緒乎奈をリビングのソファーに座らせる。

「鈴ちゃん、帰ったら直ぐに手洗いとうがいだよ~」

「は~い」鈴が奥に消える。

 奈々はエプロンを付け夕食の準備を始める。

 緒乎奈が話しかける。

「完全に母親になってますね」

「そうよ、もう娘みたいな者だから」

「そう云えば、鈴ちゃんと千横場先輩って似てますね」

「だって、血が繋がってるんだもん」

「え!」

「私と天女お姉ちゃんは再従姉妹なの」

「え~!」

「どう、びっくりしたでしょ」

「ええ、じゃあ、千横場先輩って、馬の骨じゃなかったんだ……」

「なによ、馬の骨って」

 緒乎奈は黙る。

 それ以降、緒乎奈は一言も話さなかった。


 透と真音が揃って帰る。

「ただいま」「ただいま~」

「おかえり~」鈴と奈々が揃えて迎える。

「お~い、奈々。何で先に行っちゃうんだよ。信じらんねえな」

「え! 何となくだよ。だって自転車があったから」

「何だそれ、山があるから登りましたみたいな理由は、相変わらず天然だな」

「え! わたしって天然なの? そんなことないよね、真音。わたしそんなにボケてないよね」

「奈々~そこが天然たる所以(ゆえん)だよ~」

「え! 意味が分かんない」

「まあ、奈々だからな」

 透が傍とリビングを見る。

「えっ! 何で、緒乎奈がいるんだよ!」

 緒乎奈が悲しい目で透を見詰める。

 驚く透に近づくと言った。

「天女お姉ちゃんが、しきりに謝ってくるんです。ごめんねごめんねって。だから私、謝られても遅いって言ったら、じゃあ会いに来なさいって言うもんだから―――」

「それは、いつの話だ!」透が凄い剣幕で訊く。

「そ、それは、さっき眠ってた時です」

「なんだ、夢か~」

「でも、妙にリアリティがあって、私、直ぐにここまで飛んできちゃったんです」

「……そうか解った、天女の所に案内するよ」

 透は緒乎奈を連れ仏間へと消えた。

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