第8話 ティラミス風味アイス牽制

トトトトトトトトトトトトトトトトトトトト




「どうしたの? 真音?」泣き顔の真音に、奈々が案じて声掛ける。

 真音が自分の涙に気付くと、恥ずかしそうに拭った。

「嬉し涙よ。おめでとう、奈々!」奈々にはにかむ。

「うん! ありがとう、真音!」真音にはにかむ。

 突然、誰かの振動音が響く。

 真音がスマホを覗く。

「奈々のお母さんからだ!」

 真音が応答する。はいはいと頷いた後、奈々へスマホを突きつける。

「えっ! 何で真音のスマホなの~」奈々が挙動不審になる。

 虚を突かれながらスマホを受け取る。

「何で直接わたしにかけないのよ~」と粋(いき)がる。

 この不意打ちは、明らかに何か勘ぐっての事だった。

『・・・・・・ 』

「今、みんなでお花見してるの」

『・・・』

「ソメイヨシノじゃなくて、八重桜だから」

『・・・お勉強は・・・やったの~』

「大丈夫だよ。ちゃんとやったから」奈々の目が横に逸れて真音を見る。

『・・・・・・・・・・・・』

「晩御飯はいらないから、じゃあね」

 通話を切ると言った。

「危なかった~~ 心配かけちゃったみたい、うっかり連絡するのを忘れちゃてたよぉ」

 奈々がぺこりと舌を出す。その仕草は鈴と同じだった。

 孝太と幹太が奈々の知られざる面に驚く。

「あっ!」奈々が手を口に当てる。

「いっ、今のはねぇ、鈴ちゃんの癖を見ているうちに、な、なんか、伝染ちゃったんだよね……」もじもじとしながら鈴を見る。

 鈴がぺこりと舌を出し、首を傾げる。

 そんな様子を見ていた透は、奈々の嘘をつく時の仕草をしっかりと記憶しながら言った。

「俺だけの秘密じゃなかったのかよ」

 透くんだけの秘密、だった筈の奈々の迂闊さに、皮肉を込めて軽蔑の目を向ける。

 奈々が申し訳なさそうに、上目遣いで応える。

「ごめん、透くんにしか見せるつもりじゃなかったんだけど、つい、うっかり……」

「ついねぇ~ 奈々は本当に、うっかりさんだねぇ」

「でも、いいじゃない! ここ、透くんの家なんだから、学校じゃないもん!」

 等々、頬まで膨らます。

「なんだよ。今度は頬まで膨らませて、完全に開き直ってるな」

 唐突に透が奈々の頬を突(つつ)く。

 奈々が嬉しそうに恥ずかしがった。

「子供扱いしないでよ……」

 甘い空気を醸し出す二人に、外野から野次が飛ぶ。

「なに目の前でイチャイチャしてんだよ~ そんなのは二人きりの時にやれよな~」テノール幹太。

「何でおまえばかりモテるんだよ! ムカつく野郎だー!」バリトン孝太。

「いいぞ~奈々ぁ~可愛いよ~ 透君は可愛いのも好きみたいだから、そのまま本性を晒しだせ~」アルト真音。

「そう云えば、千横場さんって、学校と全然雰囲気が違うよな。内気で話しかけづらい人だと思ってたけど、本当はこんなに可愛い人だったんだ」バリトン孝太。

「そうそう、本当は千横場さんも二重人格なんじゃね~」テノール幹太。

「そうなの~ 奈々は本当は二重人格なのだ~」アルト真音。

「そうなの、わたしも二重人格。透くんとお揃いなんだぁ~」ソプラノ奈々。

 透は、二重人格をネタに冗談を噛ますこいつ等、に温かい想いを抱く。二重人格の透を怖がるでもなく、気味悪がるでもなく、普通に接し続ける。孝太も毒舌が踏み込むと流石に洒落にならないと思ったのか、空気を読んでいる。只の友達ではない親友と呼べる程に絆を感じていた。孝太と幹太は以前からで、奈々は恋人? そして真音には……相変わらず小癪な奴だが、取っ付き易い親しみを感じる。四部合唱のセレナーデは透の心を癒してゆく。

 奈々が未だに真音のスマホを持っていた事に気付くと、真音に「ご迷惑をおかけしました」と言って返した。

 それを見た透が、ふと思い出して慌てた。

「あっ! やばい、俺も忘れてた。担任の寺見(てらみ)先生に明日から登校しますって言っとかないと。先生にはいつ登校出来るか判りませんなんて言って、迷惑かけたからね」そう言って、透はスマホから通話を開始した。

 先生は一コールで出た。

『ハ~イ! 透くん? どう、元気になった?』

「こんにちは、アリスさん、お陰で元気になりました」

『そう、それはよかったねぇ。じゃあ、もう登校できるのかな?』

「はい、それなんですけど、明日から登校しようと思います。今まで色々ご迷惑をお掛けしました」

『わたしのボルシチとピロシキの差し入れは役に立ったようね?』

「はい、あれは本当に助かりました。鈴も喜んでました」

『それは作った甲斐があったわ~ 鈴ちゃんも元気?』

「鈴も元気ですよ。明日から保育園にも行かせますので」

『そうなんだ、じゃあ、そっちで助清とも会えるね』

「はい、それでは詳しい話は明日、登校してから話しますので」

『解ったわ、それで鈴ちゃんって今近くにいる?』

「居ますよ、隣に」

『助清が鈴ちゃんの声が聞きたいってどうしても言うから、代わってあげてくれる?』

「解りました。ちょっと待ってください」

「鈴ぅ、助清くんがお話したいってよ」鈴の耳へスマホを充てる。

 奈々が通話が終わるのを待ってましたとばかりに噛み付く。

「透くん! アリスさんってなに? 寺見先生とはどういったご関係? なんで鈴ちゃんのことまで知ってるの?」いつの間にか隣にいて袖を引っ張る。

「ちょっと待って、奈々! 鈴の電話が終わったら話すから」奈々の両手を握りしめて落ち着かせる。

『〈リンちゃん! だいじょうぶ?〉』

「うん! だいじょうぶだよ~ ありがとう、レンくん」

『〈きいてよリンちゃん。ミーシャがねぇ、あかちゃんうんだんだよ~〉』

「いいな~ すずもあかちゃんほしぃ~」

『〈こんどみにおいでよ!〉』

「いくいく、すずいくぅ~」

『〈それでね、まっしろでね、けがふさふさでね~ すりすりすると、きっもちいいんだ~〉』

「すずも、すりすりしてきもちよくなりた~い」

『〈あと、アベレンジャーのあたらしいのもあるんだ。リンちゃんもキララちゃんもってきなよ、そしたらいっしょにみられるよ〉』

「いいよ~ レンくんがみせてくれるなら、すずのもみせてあげる」

『〈それからね、リンちゃんがいないときにね、ピエロがきてね、すっごくおおきいシャボンだまをつくったんだよ~ そのストローがね、ボクのうでぐらいあったんだ、こどもじゃくわえるのもできないよぉ〉』

「すごーい、そんなおっきいの、すずのおくちに、はいんな~い」

『〈あとね、あとね、ペロがまたでたんだって、ショウちゃんがまたペロペロされたってさ~〉』

「きゃー! すず、ペロペロされるのヤダー」

『〈それじゃ、リンちゃん、またあしたねぇ。リンちゃんとずっとあってなかったから、あしたはおままごと、いっしょにやってあげるよ。じゃあね、バイバ~イ〉』

「レンくんありがとう、やっとやってくれるんだぁ~ じゃあね、バイバ~イ」

 注釈:〈 〉内は隣にいた透と奈々だけに小声で聞こえていた内容である。興味がある方は〈 〉内を省いて再度お読みください。

「レンくんがしてくれるって!」鈴が期待の篭った目で透にスマホを渡す。

「そうか、よかったな」透が念の為通話断を確認しながら言った。

 野次馬達が鈴へ驚愕の顔を一斉に向けていた。

 奈々が再度、透の袖を引っ張る。

 透のスマホが鳴った。

 奈々が耳を欹(そばだ)てる。

「はい、透です」

『ごめんね、助清が勝手に切っちゃって、実はまだ話はあったのよ~ それでね、鈴ちゃんも丁度家に来たいって言うじゃない。だから、今晩、家にご飯食べに来ない?』

「今晩はちょっと無理です」

『え! もしかして遠慮してる? そんなの気にしなくてもいいのに、今週うちの旦那、出張でいないんだから、本当に遠慮はいらないのよ?』

「え~とですね、アリスさん? 旦那さんがいないなら、尚更行けないですって。留守中に若い男を連れ込んで、近所に不倫の噂でも発ったらどうするんですか。少しはそう云う処も気にして下さいよ」

『何言ってるの、透くん、バカなこと言わないでよね! 私は旦那一筋なんだから、そんなこと有り得る訳ないでしょ! 私はね、鈴ちゃんと透くんがちゃんとご飯食べてるか、本当に心配してるんだからね。そんなことは二の次なの。だから、遠慮しないでって言ってるのぉ!』

「そこまで気にして頂いて有難うございます。けど、なんとかやってますので、そんなにご心配して頂かなくても大丈夫です」

『そうなの? 本当はね、まだ学校に行けないなんて言い出したら、また押しかけようと思ってたのよね。あ! そうだ! こっちに来るのにそんなに抵抗があるなら、これから助清連れてそっちに行っちゃおうかしら?』

「いや! それはちょっと困ります。突然来られてもこちらにも準備がありますので、本当に大丈夫ですから」

『本当に遠慮してるんじゃなくて~? 鈴ちゃんが寂しがってない?』

「ええ、鈴も大丈夫ですよ」

『そっかぁ~ じゃあ、本当かどうか確認しに行っちゃおうかしら?』

「だから、突然来ちゃ駄目ですって、今日は駄目ですよ!」

『助清が会いたがってるんだけどな~』

「アリスさん! 子供を出しにしないで下さい」

『だって、助清が鈴ちゃんに会いたがってるんだよぉ、可愛い助清のお願いは聞いてあげたいじゃない?』

「それは家も鈴は可愛いので聞いてあげたいですよ。ですが、そこは何とか言い聞かせて下さい。明日会えるじゃないですか」

『そうねぇ~ 解ったわ、仕方ない明日会いましょう。今日は寂しく二人でご飯にするかな?』

「はい、そうして下さい。今日は色々ご心配掛けて有難うございました。それではまた明日」

『じゃあね~ また明日ぁ、バイバ~イ』

 透が通話を切った。

 奈々が等々、透の袖を千切れんばかりに握り締めている。

 顔を合わせると、目に嫉妬の炎がめらめらと揺らめく。

 盛大に勘ぐっているその相手の寺見先生は超が付く程の美人なのだ。本名は寺見・スフーミン・アリス。天女からの情報に拠れば、旧姓アリス・スフーミン。ロシア系米国人で英語、ロシア語、日本語の三カ国語を話す英才で、ロシア語教室の当時生徒だった商社勤務の寺見氏と知り合い結婚。二年前に日本の教員免許を取得し高校の英語教師に、一子の寺見助清(てらみすけきよ)君は母親似の銀髪イケメン。鈴の事をリンちゃんと呼び、鈴もレンくんと渾名(あだな)で呼び合う程の仲だ。そして先生本人も銀髪長身の美人だ。最近は三十路を迎え、ロシア人女性らしく肉付きが良くなって、妖艶さが増していた。

 透は奈々の迫力に負けて少々退避(たじろ)ぐ。

 奈々は童貞の件から独占欲が目覚めた様で、それに比例して嫉妬心も露わにし始めた。それに気付いた透も、向けられる嫉妬に可愛らしさを見出し、同じく比例して愛おしさが増していく。

 何も恥ずべき事をしていない透は、有りの儘(まま)を話そうと決意した。

 透は奈々の両手を振り解くと強く握りしめて言った。

「え~と、まず出会いは保育園だ。二年前に先生と息子の助清君が入園してきて知り合いになったんだ。最初は天女だけとの知り合いだったんだけど、鈴と助清君が仲良くなりだして、母親がうちの学校の教師だって事が判ったんだ。で、今度担任になってびっくりって感じかな。家の家庭事情も知ってて、天女が死んでから一度、家庭訪問がてらに料理を作って持ってきてくれたんだ。まあ、関係と云えばそんな処かな。あ! アリスさんって呼んでるのは、天女が最初そう呼んでって頼まれたらしくて、俺もそれに倣っていただけで、別に他意はないよ。だから、勘違いしないでも大丈夫だ」

「ふ~ん、そうなんだぁ~ 単なる勘違いなんだ~ あんなに親しく話してたのに? 家を行き来する程の仲なのに? それで、今日はダメって、他の日はいいんだぁ~」 

 奈々が頬を膨らまし詰め寄る。

 黙る透に奈々が更に畳み掛ける。

「他に料理を作ってくれる人は、いないっていったじゃん!」

 アヒルの様に口を突き出して上目遣いに睨みつける。

 奈々の誤解は全く解けていなかった。自分以外に料理を作る存在がいた事に憤りを感じている様だ。透の弁明は納得のいく内容だったと思うのだが、奈々にとって原因や理由はどうでもよくて、事実だけが問題な様だ。感情に負けて理解を示す意欲が見受けられない。

「たったの一回だけだから、単に忘れてただけだから……」奈々の熱視線に思わず目を逸らして言う。

 透は無意識に孝太と幹太に助けを求める様に視線を向ける。

 以前に寺見先生との保育園の父兄繋がりを話した事があったので二人は事情を知っている筈だ。しかし、これ程の親密さとは思ってもいなかったのだろう、孝太と幹太は訝しい顔を一斉に向けた。更に、奈々の悋気に触れる事を気遣い、余計な詮索をしようとはしない。

 真音と与音は、透と寺見先生との関係など知らない筈で、口を開け目を丸くしていた。否、与音はもしかしたら天女から聞いていたのかもしれない。

 そんな中で鈴が奈々の火に油を注いだ。

「すず、レンくんのおうちにいきたいなぁ~~」

 奈々が鈴に振り返り驚愕の目を向ける。

 鈴は素直な気持ちを言っただけっだったが、奈々は裏切られた様な顔をする。

「鈴! 今日は駄目だぞ」透が即、駄目出しをする。

「うん、わかってるぅ」アヒル口で答える。

 この二人は癖が伝染る病気にでもなっているのか。

 鈴が奈々の驚愕に答える様に言った。

「レンくんのあかあさんは、すずのおかあさんになるんだよ~」

「え~! 鈴ちゃんまで!?……」奈々は爆発を抑える様に震えながら下を向く。

 鈴が奈々の反応に益々困惑して言った。

「すずはレンくんとケッコンするんだもん」

「あっ! そういうことなの? な~んだぁ~」奈々が晴れやかに面を上げる。

 突然、孝太が鈴と奈々の会話に割り込んだ。

「駄目だよ鈴! 鈴は孝太お兄ちゃんのお嫁さんになるんだろ? 後十年待ってるからな」

「ダメぇ~ すずはレンくんとケッコンするんだもん」

「こらぁ! やめろロリコン!」審判真音が指を突きつけ、テクニカルファールを言い渡す。

「俺はロリコンじゃねえよ。だから十年待つって言ってるだろ」

「孝太、それでもダメだろ! 十年後でも鈴ちゃん中学生だぞ、その時お前は何歳だよ、事案案件だな」幹太も孝太を阻む。

「じゃあ、十一年だ、そうしたら鈴は十六歳だよな?」

「残念でした! その頃は多分法改正されて、女も十八歳になってるよ」真音の表情は真剣だった。本気で孝太を阻止に掛かっている。

「え! そんな話が出てるのか?」

「決定じゃないけど、そんな話が出てるらしいよ」

「ん~ じゃあ、十三年か~ 鈴ちゃん、俺、頑張るから!」

「ダメぇ~ すずはレンくんとケッコンするんだもん」

 透がいいに加減しろと駄目出しする。

「孝太! そんな頑張りは不要だ。お前に鈴はやらん!」

 隣で奈々がうんうんと頷く。

「そんな~ 俺の花嫁育成計画が~ 光源氏計画が台無しだよぉ!」

「お前、何勝手な計画立ててるんだよぉ!」

「だって昔、鈴ちゃんがお嫁さんになるって言ってくれたんだぜ。だから、そこは何とかお願いしますよぉ~ お義父さん!!」

「巫山戯んなよ! そんな事、鈴はもう覚えてねえよ。それより、お前みたいな気持ち悪い義理息子(むすこ)はお断りでぇい!」

「何だその似非(えせ)江戸っ子は、そんなら、こっちだって口約束だろうが約束は約束でぇ~ぃ、ちゃんと落とし前はつけてもらうぜぇ、べらんめぇ~!」

「すずそんなこと、いってないもん! すずはレンくんとケッコンするんだもん」鈴がべそを書きそうな顔になった。

 孝太が慌てて取り繕う。

「くぅ~! 選りに選って五歳の餓鬼に負けるとは、この孝太様も年貢の納め時か~」

「はいはい、落ちも着いた事だし、そろそろ狂言も終わりにしましょう」与音が柏手を二回打ち締める。

「何か透も昔に戻ったって感じだな。久しぶりだよ、江戸っ子ネタは」孝太が透に微笑む。

 透も「そうだな」と言って微笑み返す。

 孝太の狂言で場の雰囲気も落ち着いた処で、与音がお暇(いとま)を言い出した。

 序(つい)でにと幹太も帰ると言い出す。

 孝太は鈴へ名残惜しそうにしていたが、一緒に帰る事にした。

「そう云えば、俺も忘れてた!」孝太が透に突然言う。

「家の親父が金に困ってるならいつでも相談に来いってよ」

「それは、金を貸してくれるって事か?」

「ああ、そうだな。多分、土地を担保にだろうな」

「まさか、あの生臭坊主。家の土地を取り上げようって魂胆じゃないだろうな」

「多分、そうだろうな、ってのは冗談で、家の寺の関係扱いにして、法人格を取得して税金対策とかってのじゃないかな」

「それでも寺の土地になったら、取り上げられたのと同じにならないか?」

「まあ、そうだな、俺の目の黒い内は大丈夫だが、代替わりしたらどうなるかわからないかな」

「それ胡散臭いから、やめておくわ」

「そうか、真面(まじ)な処、うちの親父は悪い様にはしないと思うんだけどな?」

「でも、金には困ってないから、やっぱりいいわ。気持ちだけ貰っとくって伝えておいてくれ」

「解った。何か有ったら相談に来てくれ。あっ! それと俺からもう一つあった。お前、未成年者だよな? 成人の天女さんが亡くなったら後見人とかどうするんだ? それこそ、家の親父に頼んだ方がいいんじゃないか?」

「あ、それねぇ。未成年でも一度結婚すると法律上は成人扱いになるんだよ。酒とか煙草は駄目だけど、他は成人と同じだから何も問題はないんだ」

「へぇ~ そうなんだ。じゃあ、特に困った事はないのか」

「そうだ、心配してくれて有難う」

 透は生臭坊主の顔を思い浮かべる。町内界隈の菩提寺で道明寺の住職。阪奈孝太の父親で、町内会の名誉役員で何か権力を持っていそうな地元の顔役だ。土夏家とは土夏神社の頃から神仏習合の密接な関係があったが、明治の神仏判然令により分離された。現在、土夏神社は道明寺境内に遷神されている。拠って、土夏家と道明寺には透以前までは強い繋がりがあった。

 話は終わった様だと幹太が立ち上がる。

 孝太がそれに続く。

「それじゃあ、与音ちゃんと千横場さん、ご馳走様、序でに倉瀬も」

「ご馳走様、与音ちゃんと千横場さん、序でに倉瀬」

「誰が序でにだよ! 全然感謝してないぞ!」

「どういたしまして、阪奈くん、久里洋くん」

「孝太、幹太、気を付けて」

「じゃあな、透、鈴ちゃん」

「鈴、待ってるぞ~」

「バイバ~イ」と幹太に言った後、孝太へ舌を出す。

「おう、ありがとう」

 孝太と幹太が去る。

 与音もお暇と立ち上がる。

 透に近づくと耳打ちした。

「後で連絡する」それだけ言うと琴を担ぎ挨拶もなく帰っていった。



 

ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ




 表情にこそ出していないが、未だに嫉妬の炎を内に貯めていた奈々は、透に耳打ちして立ち去る与音に訝しい目を向ける。奈々の女の勘がそうさせた。

 奈々はいよいよ、アリスさんの件を追求しようと透へ矛先を向ける。

 奈々の鼻先が透の目先へと先陣を張る。が、その矢先に、真音に機先を制された。

「透くぅ~ん! お金に困ってないって、資産はどの位あるのぉ~」

 猫なで声でしな垂れる真音の瞳は円印になって黄金色に輝いている。

「真音に教える謂(いわ)れはないぞ」透は膠(にべ)も無く答える。

「え~ いいじゃ~ん! 教えてよ~」透の腕を掴み左右に降る。

「なんで真音に教えないといけないんだよ」透は真音の腕を振り払う。

「じゃあ、奈々! あんた未来の奥さんなんだから、あんたから訊いてよ?」

「おい! 勝手に嫁にするな!」

 真音に矛先を牽制されて拗ねた顔をしていた奈々は、瞬時にその表情を輝かせる。

[未来の奥さん]と[透の資産]と云う魅力ある二つの金字塔は、真音の横槍への不満と透への嫉妬の二つの煩悩を一瞬で脇に追いやる。

「ねぇ、透くぅ~ん! 前に言ってた一生食うに困らないって、具体的にはどの位なのぉ~」奈々も透にしな垂れる。

 左右から美女に挟まれた透は困惑していた。

 透は奈々の質問には流石に無碍(むげ)にしない様で、人差し指と親指を顎に充て考える素振りをする。

 透が鈴を見た。

 鈴は豹変した二人の女に興味津々な目を向けていた。

 透が右手を上げ指を五本広げる。

 奈々と真音の口が[ご]を作る。

 それを見届けた透が頷く。

 しばらく沈黙が続く。

 透はこれだけで終わりのつもりらしい。

「それだけじゃ、解かんないよぉ~」奈々が代表して駄々を捏(こ)ねる。

 透が今度は左手を上げる。親指と人差し指で[0]を作っていた。

 右手が指折りで数え、左手の丸印を前後する。

 透は八回指折りをした。

 真音が目を剥くと自分の指で再確認する。

 真音が「きゃぁ~」と奇声を上げた。

「五千万?」奈々が思わず口に出す。

「違うよ奈々!」真音の口が[お][く]と動く。

 奈々が「きゃぁ~」と奇声を上げると、透の腕にしがみつき固める。

 反対側で真音も釣られて腕を固める。

 鈴が遊びと勘違いして「きゃぁ~」と言いながら胸に飛び込む。

 奈々と真音が羨望の眼差しを透に向ける。

 真音が黄金色の瞳を揺らしながら躙(にじ)り寄って言う。

「それに不動産の評価額は含まれてるの?」

 透は顔を後退(あとずさ)りながら首を振った。

「透君って凄~い。お金持ちで、イケメンで、背が高くて、器が広くて、童貞で、家持ちで、資産持ちで、金持ちで、可愛い子持ちで、姑がいなくて、舅がいなくて、悲劇の主人公で、お姫様が私の親友で、お金持ちで、超ちょぉ~優良物件じゃ~ん! 凄い、凄~い! 信じらんな~い!」

 真音のテンションが上がり過ぎて、壊れ始めた。

 真音がいきなり立ち上がる。

 両手を透へ伸ばす。人差し指が透を指差していた。何故が親指が上を向いている。

「Get you!」綺麗な発音で信じられないと英語で言う。某芸人の捩(もじ)りだろう。

 真音の奇行に三人が奇怪な目を向け奇妙な空気が流れる。

 真音は暴走した自分に気が付いた様で、顔が慌て出す。

 壊れかけの真音は思春期の少女から大人に変わる。

 挙動を誤魔化す様に、そのまま中指を伸ばした。

「フレミングの法則で~す」

 真音の右手と左手がそれぞれフレミングの法則を形作っていた。

「え~と、右手が発電で―――」と言いながら右手を回転する。

「左手が電磁力で―――」と言いながらの左手の親指を動かす。 

「透君へ私から愛の電磁力を注入~」とその動作を続けながら言うと、最後に―――

「Goooo!」左手親指だけ立てて透へ向ける。これも某芸人の捩(もじ)り、否、そのままだ。

 見守る三人の目は奇怪から奇々怪々に変わる。

 壊れかけの真音はまた思春期の少女へと戻ってしまった。

 そして―――本当の幸せ教えてよと透に言う。

「わたし……もう二号でもいいよぉ~ 勿論、一号は奈々でいいから~」真音は恍惚の表情を浮かべて、また腕に縋り付く。

「すずしってるよ~、それぇ、アベレンジャーでしょ~?」鈴が嬉々として割り込んできた。

「ななちゃんが1号なの? そんでまのんちゃんが2号なら、すすは3号がいい!」

 鈴の言うアベレンジャーとは、昨年度放映していた戦隊物で、陰陽師戦隊アベレンジャーの事だった。赤の1号セイメイ、青の2号ドーマン、桃の3号サクヤ姫、黄の4号妖狐タマモ、黒の5号役鬼オズノと続く。

 奈々は子供番組を知っている事を悟られない様にそこには触れない。真音には何の事だか解っていないだろう。だからと奈々が言った。

「鈴ちゃんは娘なんだから、愛人にはなれないよ」

 真音の二号発言に冷静さを失っていた奈々から、愛人と云う子供には不適切な単語が思わず飛び出る。

「え! サクヤはアイジンじゃなくて、アイゼンだよ~」

「うん、そうだね。サクヤの名前は愛染(あいぜん)咲夜(さくや)だね」

 鈴の勘違いに失言が覆い隠されたが、それに油断した奈々は、更に失言を繰り返した。

「うん、そうだよ。でも、やっぱり、1号はおとおさんがいいな~ ななちゃんはオッパイおおきいから、4号のタマモにしてよぉ~」

「えっ! そ、そうだね……」

「そんでね、セイメイのシキガミのカッパとテングがカンタとコウタぁ~」

 鈴までもが高揚し始め、透は左、右、前と興奮した美少女達に囲まれる。

「奈々はアベレンジャー知ってるんだ。流石に保母さんだね。勉強の為にそこまでするんだ」

「うん、そうなの……」奈々は好きで見ていたなんて、とてもじゃないが言えない。透の勘違いに唯々諾々(いいだくだく)と乗り、失笑を向ける。

 それよりと透に縋り付く真音を見つめた。

 透くんは真音の二号発言に確乎として拒絶するだろう。

 奈々は不思議とそれに嫉妬していない自分に気付く。アリスさんの件でもう嫉妬心がいっぱいなのだろうか。仮にも透くんと恋人同士になったと云う余裕なのだろうか。どちらも違う様な気がする。多分だけど、真音が二号と云う謙虚な姿勢を示したからではないだろうか。奈々を飽(あ)くまで正妻として立てると云う宣言でもある。独占欲の琴線に触れない訳ではないが、真音は決して悪魔ではない。これが全く知らない女なら絶対に受け入れられないが―――

 奈々は実は喜んでいる自分に気付く。もし、真音が本当に二号になったなら、奈々と真音は一生側に居られるのだ。別々の家庭を持ったら、そんな訳にはいかない。同性として一番信頼でき、親愛を注ぎ合う二人。問題は多々あれど、魅力的な可能性に喜びが含まれる事を禁じえなかった。

 奈々は真音との徒(ただ)ならぬ絆を思い出す。




トトトトトトトトトトトトトトトトトトトト




 それよりもと透が真音を見つめ言った。

「金に目が眩む女なんかお断りだよ!」

 真音がむっと食いしばるといきり立った。

「違うわよ、透君! 私を見くびらないで! 私を、贅沢して遊んで暮らそうなんて考えるそこらの莫迦(ばか)と一緒にしないで。私は資産運用の事を考えてるの。それだけの元手があったら、不労収益で就労しなくてもよくなるのよ? その時間を使って色んな事が沢山できるわ~ もっともっとお金を増やすのよ、お金はお金のある所に集まるんだから~」

「お~い、真音? 妄想に走るな! 何で俺の金で資産運用しようとしてるんだよ」

「大丈夫よ透君! お金の事は私に任せなさいって!」

「結局、金に目が眩んでるじゃねえか」

「じゃあ、訊くけど、今そのお金はどうなってるの? 現金? 預金? 債券? それとも貴金属?」

「全部だな。親父はリスク分散してたから」

「割合は?」

「株式が―――って、おい、真音、調子に乗るな! そこまで言う義理はない。もうこの話は終わりだ」

「え~ じゃあ、預金だけでも教えてよ。今の金利って無いに等しいじゃない? 預金してもタンスと同じで、お金が死んでるんだよ。実質、物価が上がったら価値は下がるんだよ。それに銀行だっていつ潰れるか判んないんだよ。保障額はたったの一千万だけなんだよ。もったいないよぉ~ だから教えてみぃ~」

 真音はもう有頂天外となっている。全く透の拒絶に応じないし、追求が留る処を知らない。

 答える気がない透の様子にも、真音は揚々と食い下がらない。

「先物やFX何かの投機は論外だけどさぁ~ やっぱり健全な処で、賃貸物件に充てるのがいいと思うんだよね。何処で誰をターゲットにするかで大きく変わるんだけど、アパートかマンションを建てて賃貸収入を得るの、一階を店舗にして上が居住物件なんてのが良さそうじゃない? 何十年かで元は取れるんだし、代理店に管理を丸投げすれば煩わしい事は何にもないし、預金で眠らしとくよりず~っと良いと思うんだよねぇ~ 後、賃貸物件で相続すると税の優遇措置があるんだよ」

 真音は刻々と透に顔を近づける。

 透は真音のこの話向きに少し興味を唆(そそ)られた。真音の目を凝視する。

「文字通り、時は金也だよ。建物の耐用年数にも拠るんだけどねぇ」

 真音は透が興味を示したと思ったのか、味を占めて、為(し)たり顔を向け蛇足を書く。

「後、この広い庭の土地活用とかは?」

「真音! この土地には絶対に手を出すな!」

 透は真音の顔を両手で掴むと知(・)たり顔の真音へ凄む。

 土夏神社跡地の禁忌への短慮を攻める様に真音の目を覗き込む。

 透と真音の顔はもう触れんばかりの距離だ。

 奈々は咄嗟(とっさ)に覗き込む。

 鈴は透のあの仕草に後退る。

 真音が「はっ!」と我に返った。

 透に顔を掴まれ動けない。その距離に目を見開き、どんどんと赤面させていく。

 透も我に返るがもう遅かった。

 真音が唇を尖らせ突き出した。

「ぎゃー!?」透が真音を突き飛ばす。

「真音!! 今キスしたでしょ!!!」奈々が烈火の如く吠える。

「まのんちゃんがキスしたよぉ」鈴が証言する。

「してない! してない! ギリギリのとこで触れてはなかった!!」透が慌てて弁解する。

「嘘です! ちゃんと見てました!」奈々が透に詰め寄る。

「解った。触れたよ。けど、真音が口を突き出したからだぞ!」

「違います! 透くんの方が悪いです! あんな事されたら、好きな女の子だったら、絶対にキスしちゃいます。だから、誘った透くんが悪いです」

 透は奈々のとんでも理論に呆れた。

(可笑しい、奈々は真音に対して怒ってるんじゃなかったのか? 何で俺を攻める?)

「透君、酷いよ。何で可弱(かよわ)い女の子を突き飛ばすの? 酷いじゃない!」

 真音は科を作ってしな垂れて艷(なま)めく。おまけに片手が手のひらを向けて口元を秘す仕草が妙に芝居がかって、態敏(あざと)さが露骨に現れていた。真音の手から浄瑠璃の糸が伸び、それを操る小悪魔が見える。

「何が可弱いだよ。どさくさに紛れて何て事しでかすんだ!」

「え! 何を言ってるのかしら? あそこまで誘っておいて、それはあんまりじゃないですか。可弱い女に責任を被せるなんて、一端の男として最低な事じゃありませんの?」歌舞伎の女方(おんながた)の様にゆったりと台詞を吐く。

「何が可弱い女だよ。都合がいい時だけ可弱くなるなよ! お前の本性は等にお見通しなんだから今更なんだよ! もう芝居はいいから、何であんな事したんだよ?」

 透の緊(きつ)い言い方に戯(おど)け気味だった真音が豹変した。今までの可弱い女から強気な女へと役を変える。

「そんな事、決まってるじゃない! 透君が身動きできない様に押さえつけたからじゃない! 窮鼠猫を噛むって知ってる? 私は全く抵抗できない状況に追い込まれたの! だから、ああするしかなかったのよぉ!」

「何、その言い訳? 無理があり過ぎだろ? 身動きができないって、逃げる手段なんかいくらでもあっただろ? 手で払い除ければいいし、引っ掻くとか叩くとか、いくらでも抵抗できるだろ!」

 真音が三度(みたび)豹変する。透に見せた事のない可愛い女だった。

「そんな事、できないよぉ…… 本当に嫌なら、そうするけど、そうすると透君が怪我しちゃうかもしれないじゃない……私、透君を傷付けたくないもん。もうこれ以上透君を悲しませたくないもん。だから、そんな事できないもん……」

「え!?…………」

「……私、透君の事が嫌いじゃないから、無理やり押さえつけられて抵抗できなくなっちゃたんだから、何かお前は俺の物だみたいな感じにさせられちゃって、あんな事されたら、ついしたくなっちゃうじゃない? ……それより、透君こそ、何であんな事したの? どさくさに紛れて女の子の顔を押さえつけるなんて……無理やりキスしようとしたとしか考えられないじゃん…… 私をその気にさせたのは透君だよ?」

「ちょっと待て、真音! 俺には全くそんなつもり無いから! それに……あ、あれは……ちょっとした癖みたいなもんだ」

「じゃあ、なに? 透君はその気もない女にキスを迫る癖があるって云うの? それ危ない男だよぉ~」

「わたしも、透くんが迫っているように見えました!」

「おとおさんは、すずとキスしたかったのぉ~」

 透の両手が勢いよく虚空を打ち払う。 

「違が~う! あれは鈴に言い聞かせる時の俺の癖なんだ。鈴に躾(しつけ)てる内に自然とああなっちゃたんだよ!」

「え! じゃあ、私を躾ようって事? なに? 調教でもしたいのぉ~ 私を虐めたかったの? 透君ってそんな性癖があるんだぁ~」真音が妖しく流し目を送る。

「何で、そ・う・な・る―――」

「透くんが先に手を出したのが、やっぱりいけないです!」

「おとおさんがまのんちゃんをいじめたのがわるいよ!」鈴が集中して早口になり始めた。

「え! 俺が悪いの? 何でだよ~?」

「おとおさんおんなのこいじめちゃいけないんだよ!」

「そうよ、透くん、反省してください」

 透は真音の言い分にも一理あると理解を示し始めた。自分の迂闊な行動に反省の色も見え始めた。しかし、透は決して屈しない。ああ言えばこう言う真音に不撓不屈を滾(たぎ)らせる。

「兎に角! 俺は真音にキスしようなんてしてない!!」しかし、説得力がない。

「透くん、大声を出して威嚇するのは良くないと思います。それは声を使った暴力です。暴力で無理やり捩じ伏せようとする男は最低です。やっぱり、透くんが全て悪いです!」

「おとおさんまのんちゃんにあやまってよ~」

 完全に四面楚歌、為らぬ、三面姦歌状態に、透は退避ぐ。

「ご、ごめん……」

「取り敢えずさぁ~ その気がなくてもやった事に対しては、過失責任があるよね?」真音が後援の支持を得、攻勢に出る。

「真音には何の責任もないのかよ」

「え! 私? 私に何か責任ある? じゃあ透君言ってみぃ~」

 質問に質問で返す透にも、余裕の表情で不敵な笑みを浮かべる。

 透が真音を見返しながら、ゆっくりと顎に手を充てる。

「まずは、人の資産を無理やり聞き出そうとした。他人の個人情報を取得するには細心の注意が必要で承諾が必要なんだ。否、聞き出したのは奈々だったか? じゃあ、教唆だな―――」

「え! 教唆? 私は命令なんかしてないよ、お願いしただけだしぃ~ それよりさ、個人情報って友達になったり付き合いが深まったりしたらさぁ、必然的に告知し合うものじゃない? と云う事はだよぉ~ 透君は私の事が信用ならないって言いたいの? 私が他人に漏洩(ばら)すとでも思ってるの? お前なんか、友達でも何でもないって言いたい訳?」

「い、否、そんな事は全然思ってないよ! けど、普通、資産情報なんか余程深い仲でもないと教えないだろ?」

「何言ってるのよ~ 女はね打算と現謹(げんきん)で出来てるの、だから相手の年収を気にするんじゃない、年収が男のステータスになってる意味は解るでしょ? 婚活サイトなんて最優先事項じゃない。だったら、資産情報ぐらい訊いたって悪い事じゃないでしょ」

「真音、お前、婚活サイトに登録してるのか?」

「してる訳ないじゃない! 私、未成年者だよ。興味があって覗いただけよ。あっ! 興味ってこれからのビジネスとして有望かどうかって事だからね!」

「お前、そんな事まで考えてるのか? 資産運用も色々勉強してるのもその一貫か? だからって安易に訊いていい事じゃないだろ。それに、俺はお前の婚活相手じゃない」

 真音がじっと透を見つめた。

 透はふとその目に金の色が消えている事に気付く。

「だから、婚活なんかしてないって……」真音は呆れ気味に呟くと、一つ溜め息を付いてから続けた。

「言っておくけど、私、金が男の全てだなんて思ってないからね。金の亡者みたいに思わないで…… 実はね、私には夢があって、経済的にも社会的にも独立する事なの。その為にはこつこつ働いてお金を貯めないといけないの。でもね、それにはかなりの時間と労力が必要で、もし信頼できる人が私に投資してくれるなら喜んで縋りつくわ、だって時は金也だもの。それでね、透君なら信頼できるかなって思ってたのよ。だからね、お金が先じゃなくて、信頼が先なのよ」

 真音は透の資産に目が眩んでいた。金目当てに媚びる現金な奴だなんて思っていた。しかし、しっかりとした信念をもった大人だった。確かに目が眩んでいたが、それは真音が社会的に成熟しているからではないだろうか。どう云う経緯で透を信頼できたのかは判らない。真音は透を大人の目で値踏みした結果なのだろう。

 透は真音の目に好意の色を見つけた。言っていることは勝手で都合が良くて図々しくて神経を疑うぐらい強引だ。けど、妙に澄んでいて綺麗な瞳は険悪感を与えない誠実さを感じる。

 真音がそれを察した様に言う。

「私、二号に成るって言ったよね? その意味分かる? 私の人生を捧げるって事だよ? それに、私達キスまでしたんだよ、もう深い仲じゃない!」

 真音は本気だとばかりに真面目な顔を向ける。

 透はどさくさ紛れに言った先程の二号発言は冗談と捉え聞き流した。今度は告白を通り越して求婚擬(まが)いにまでなっている。

 何故か透に驚きはなかった。それは真音の顔に恋愛感情が伺えなかったからだ。「恋は病気、私はそんなものには惑わされない」知性的な真音の顔はそう言っている様だ。

 そんな真音の顔を見ながら、今度は透がゆっくり真音を値踏みする。

 現実を見、謹(つつし)み深い現謹さは頼り甲斐がある。

 常に打算で動き小賢しい様は強かさを見せる。

 強引な程の行動力に富み、時に厳しい正義感に溢れ、抜け目無い洞察力などは賞賛されるべく長所だ。

 学年一位の実績は弛まない努力の結果を思わせる。それを鼻に掛ける傲慢さがない処などは気品さえ感じる。

 それが何故、こんなに前途ある人材が妾になど成りたがるのだろうか―――

 思わず奈々を見る。

 奈々は無言で頷く、

 奈々は何故二号に反対しないのだろうか?

 奈々は何故嫉妬しないのだろうか?

 奈々は何故―――頷いたんだ?

 真音は―――やっぱり金が目的だ。

 真音は透を利用しようとしている。

 真音は透を愛してる訳じゃない。

 真音は透を無言で見つめている。

 その顔に透が決断して言う。

「お断りだ」

「そう」真音はその一言だけ返す。

 あっさり引き下がった真音が話題を変えた。

「じゃあ、話を戻して、他には私の責任って何があるの?」

「俺の資産運用に色々口出ししただろ?」

「それが何だって言うの? 只の提案じゃない。それより不動産運用に興味持ってたじゃない?」

「ああ、それね。はっきり言うけど、そんな事は等に知ってるんだよ。一つ付け加えておくけど、不動産てのは本当にいい物件は富裕層に先に取られて、残った物が市場に出回るんだよ。だから不動産屋で探しても碌なもんしか手に入らない。信頼できる伝手がないと迂闊に手は出せないものなんだ」

「そ、そうなの? 確かに有り得そうな話だわ」

「序でに言うと、その信頼ってのが一番大事な事で、不動産屋ってのは仲介手数料で儲けてるんだよ。だから良い物件だろうが悪い物件だろうが手数料が入れば良いんだ。リスクは全て客が取るんだからね。まあ、その場合、客からの評判は落ちるけど。この仕組みは他の資産運用でも同じで、証券も銀行もFPも一緒だ。だから、迂闊に資産運用だなんて言わないでくれる?」

「私は善意で言ってあげたのよ」

「それは小さな親切大きなお世話だな」

「小さくてもいいじゃない」

「それは真音らしくないな。小さな親切なんて相手への迷惑でしかない。それは本人の自己満足で単なる偽善だ」

「邪悪より偽善の方がまだ真面(まし)でしょ」

「それはその通りだけど、真音? 本当にそう思ってる?」

「ごめんなさい。知ったか振って調子に乗りました」

 真音は然程悪いと思っていない軽い会釈をする。

 透は始めて真音を言い負かせて口角を上げると続けた。

「じゃあ、責任を認めろ!」

「え! 何でそれがキスさせた事の責任になるの? 今までの話の中で全く因果関係は見受けられないんだけど?」

「ん~ じゃあ、最後だ。真音は家の庭の土地活用に触れただろ。ここは旧土夏神社の跡地で勝手に触れて欲しくない聖地なんだ。真音がそこに触れたからつい、頬を掴んでしまったんだ。その行動をさせたのは真音だからね、責任はあるでしょ?」

「ん~ 聖地ときたか…… まず、私はその事実を知りませんでした。しかし知らなかっとは言えその件に関しては謝罪します。けど、私は土地活用を提案しただけで、実際に、この土地を潰せとか売りに出せなんて直接侮辱する発言はしていません。透くんの言い分は故事付けが多分に多く無理があります。拠って聖地侮辱には当たらないと考えられます。以上の論証により透君の訴訟は却下とさせて頂きます」

「おいおい、それらしく言えば道理が通るとでも思ってるのかよ?」

「え! じゃあ、こちらから逆に言わせてもらうけど、そんな理由だけで、乙女の顔を掴んでいいとでも思ってるの? 透君は処女の私の体に触れたんだよ? 手篭めにする様に押さえつけたんだよ? そんな事されたら普通はレイプされると勘違いするよね? 況してや私、処女なんだから! そこで透君に求刑します、徹君の罪は暴行未遂です!」

 真音が人差し指を突きつける。

 真音は伝家の宝刀を抜いた。等々女を武器にした。

 ここに透の完全敗北が決した。

「ななちゃん? レイプってなに?」

「す、鈴ちゃん!! 鈴ちゃんはまだ知らなくていいのよ」

 脇での会話を聞き流しながら透は絶句する。

 真音は鈴の存在を思い出して奈々へ苦笑を向ける。

 真音が被告人の透へ言った。

「じゃあ、話を戻して、キスさせた事の責任は取ってくれるんでしょうね?」

「否! キスしたのは真音だから! それに暴行未遂なら、その相手にキスするってのは動機の反証にしかならないだろ?」

「誘った透くんが悪いです」

「おとおさんがグリグリってしていじめたからだよ~」

「キスを誘導した責任の事を言ってるの! 私がキスしたのはその必然だから」

 三面姦歌状態は透の道理を引っ込める。

「わ、解りました。暴行未遂は認めませんが、軽率な行動をした事を渋々ながら認めます」

「そう、それなら処女の私に心理的な性的虐待を加えた事に対し、謝罪を要求します」

 透は口を噤(つぐ)み無愛想な顔を向けるが、真音に正対すると土下座した。

「申し訳ありませんでした」

「はい、自白捕りました。謝罪したと云う事は罪を認めたと云う事になります」

 透が勢いよく起き上がると早口で宣う。

「そのヤクザ理論は日本の和の文化に対する否定だよね。せめて日本人同士では止めようよ、そこだけは国際化なんてしたくないんだ」

 真音は含み笑いをする。

「そうね、法律の世界ではそうだけど、友達同士の関係では止めましょう。それなら、私と透君は大事な友達って事でいいかな?」

「勿論だ。真音は奈々の親友なんだから俺の親友でも有る」

「ありがとう。これからも親友と云う事でよろしくね」真音がウインクした。

「こちらからも、よろしく」透が真音に手を伸ばす。

 真音がその手を取り握手した。

「じゃあ、これで和解と云う事で」透が笑顔を向ける。

「いいえ! これとそれは別です。透君って、貞操観念持ってるよね? それも結構強く。じゃあさぁ~ 私の貞操観念も理解できるでしょ? 私、あれがファーストキッスだったんだよ~ だから、もうお嫁に行けないんだよね~ だからぁ~ 責任とってくれる?」真音が乙女の恐喝をする。

「どうやって?」

「そうねぇ~ ……私の男になれ!!」乙女の強請(ゆすり)をする。

「嫌だ! 断る」

「何でよ~ こんな美少女がお願いしてるのに何で断るのよぉ!」乙女の強要。

「どこが美少女だよ」

「いいのよ。女は自分が美人だと思ってると美人になれるんだから」乙女の暗示。

「嘘つけ。それは化粧の腕が上がってるだけだ」

「そうよ、女は化粧の腕と髪型と服装でいくらでも美しく見せられるんだから」乙女の虚勢。

「それは全部見せかけだろ?」

「そうよ、それにはお金がい~っぱい掛かるんだから、だから透君の女になれば美人って訳なの」乙女の集(たか)り。

「わたしのお母さんも凄くお金かけてるよ」奈々の割り込みは独り言として無視される。

「それ、話が逆になってるぞ}

「いいのよ、結果オーライ」

「俺は、女を外見じゃ選ばない」

「嘘! 嘘! 嘘~!! そんな訳ないじゃない。男も女も外見が九割だよ」

「じゃあ。俺は残りの一割だ」

「奈々はどうなの? 絶世の美女だよね? やっぱり外見じゃない!」

「わたし美人じゃないよ!」奈々の割り込みは独り言として無視される。

「ななちゃんはカワイイ!」鈴の割り込みも独り言として無視される。

「それは違う。俺は奈々の内面が好きだ」

「じゃあ、天女さんは醜女(ぶす)だったの?」

「天女は…… この世で一番美しかった」

「何よ~ 透君の言ってる事は矛盾してるじゃない」

「してない。けど……始めて天女を見た時に、その外見に一目惚れしたんだけど、それは中学生の時の俺であって、今の俺じゃない。天女と云う女はそれは完璧な女だった。知れば知る程、その内面は素晴らしくて、優しくて、厳しくて、寛容で、如才なくて、俺は女神と思うほど尊敬していた。もうこんな女性は二度と現れないだろう」

「なんか凄く都合がいい様な話だね」

「だから外見は二の次だ」

「じゃあ、私はどう? 外見は美人じゃないんでしょ? 性格は奈々程じゃないけど、内面は結構イケてると思うんだけど?」

「だから、外見は二の次ってだけで、美人が嫌いな訳じゃないから。真音は……そうだな、素晴らしい能力を秘めていると思うよ。但し意地が悪くなければだけど。それと、外見も美人の部類に入れても可笑しくはないかな」

「そ、そう!? 透君の目から見て、私、美人なんだ…… わ、私、そんなに性格悪くないでしょ? ちょっと緊いって言われるけど、他人を傷つけたりはしないよ……」

「はっきり言って、真音の性格は好きだよ。話していて楽しいし、その負けん気も嫌いじゃないよ」

「え! 私、この性格を褒められたの始めてだよ。皆んな打ち負かしていくと、めんどくさい奴だって敬遠するんだよ。だから、高校に入ったら大人しくしようと思ってたんだけど、攻められるとつい過剰に反応してずけずけと言っちゃうんだよね」

「そうか、そんな処も天女にそっくりだな」

「え! 私、天女さんに似てるの?」

「え~と、頭が良い処と積極的な処かな。もっと寛容で大人の落ち着きが出たらそっくりだな」

「じゃあ、私の事、好き?」

「嫌いじゃないな」

「じゃあ、好きなのね?」

「否、嫌いじゃない」

「も~う、好きって言え!」

「だから、嫌いじゃない」

「解った。透君は意地悪だって事が解った。それに微妙に集点がずらされてるのが解った。何か煽てられてる気がする」

「否、ずらしてるのは真音でしょ? 俺は素直な気持ちを言っただけ」

「じゃあ、はっきり訊くけど、私は天女さんの代わりになれる?」

「外見は奈々が天女にそっくりだ。内面は真音に落ち着きを与えたらそっくりだ。けど、天女の代わりはこの世にいない」

「そ、それよ! 私、良い事思いついちゃた! 奈々と私でセットにすれば天女さんになるよね。それならセットで貰っちゃえばいいじゃない」

「否、奈々は良いとして、真音は駄目だ。一番肝心な寛容さが足りてないんで天女には到底及ばないよ。有能な人間に在りがちだけど、人の能力には優劣があって、どうしても出来ない事ってのが何かしらある。出来る奴は出来て当たり前だと思っている。その溝を埋めて付き合っていくのに必要な事が寛容だと思う。真音はさ、そういう事を態度に表さないけど、全然考えてないでしょう?」

「え~! そんな事ないよ! 寛容なんてのは相手に拠るわよ。ともすれば付け込まれたり侮られたりするんだよ、安易にそんな態度は見せられないでしょ?」

「じゃあ、俺に対して寛容じゃないのはどう云う事なんだ?」

「あのね、透君。その発言凄く格好悪いよ。寛容を示すってさ、何か上から目線じゃない? 私あんまり好きじゃないのよね、そう云う態度。だから、透君が下手に出て寛容に扱ってって言われるとイメージが崩れて幻滅しちゃうなぁ。寛容じゃなくてせめて優しくしてって言うならまだ我慢できるけどさぁ~ それより透君は寛容にすると絶対に付け込むよね?」

「それは真音が天女の代わりになれるかって訊くから、そう答えたんだよ。俺は寛容で優しい女性は大好きだよ。その云う母性には甘えたくなるんだけど、勿論それに付け込んだり何かしないよ、それは冒涜する事になるからね。だから敬意を評してちゃんと礼は尽くすよ」

「透君って、もしかして甘えん坊なの?」

「天女はたっぷり甘えさせてくれたぞ」

「それは大人と未成年者だからでしょ。それに元お姉さんなんでしょ。私達は同じ高校生なんだから、いきなりそんな関係は無理だよぉ」

「そんな事ないよ。年齢は関係ないと思うけど?」

「本当に~ 本当に付け込まない?」真音が訝し目で覗く。

「勿論」透の心眼が妖しく光る。

「解ったわ! じゃあ、今回の件は透君に寛容を示して、貸一って事にします!」

「その貸しは俺が出来る事で頼むよ」

「勿論、そのつもりよ」真音の心眼が妖しく光る。

「じゃあ、俺からも話を戻して、一番最初に戻るけど、抑(そもそも)、真音が金に目が眩んだ事が発端だよな?」

「え! まだ続けるの? また蒸し返しにならない」

「同じ話をする気はないよ。それに今までの話はこの事とは別でしょ?」

「それなら今度は私が質問に質問で返すわ。衣食満ち足りて礼節を知るって知ってる?」

「勿論知ってるけど、それが何か?」

「食うに困る生活をしてると働く為に生きてるみたいじゃない? 文化的で安穏な生活はお金があってこそじゃない?」

「それも日本人の勤労に対する冒涜だな。社畜文化への冒涜でもある。和加保利(わかほり)さんが泣いてるよ。昨今は美徳じゃなくなってるけどね」

「若堀? 誰それ?」

「ワーカホリック」

「はい、座布団一枚没収。簡単に言うと、金に目が眩んで何が悪い、だよ」

「ほ~、開き直ったか」

「だって仕様(しょう)がないじゃない。今の時代は金持ちと貧乏人の差が開いて二極化してるんだよ。一生懸命働いてるだけじゃ貧困層の継(まま)なんだよ。年金なんて貰えそうもないし老後だってまともな生活は送れないんだよ。出来る事なら玉の輿に乗りたいじゃない。それに貧乏人は結婚もできなくなってるんだよ。余った女は金持ちの二号になるのも必然じゃない?」

「解った、真音が自分の欲望に忠実なのは解った。けどさ、歯に衣着せぬ言い方は如何なものかと思うよ。それより露骨過ぎるのは品格が問われるよね。天女は凄く品格もあったよ。まあ、そんな処も真音らしいと云えば真音らしいんだけどね」

「ちょっと、品格がないって失礼しちゃうわ。それだって寛容と同じでTPOに応じて使い分けるわよ。私は透くんを信頼してるから本心を曝け出してるのに、それを言われたら御終いだよ」

「親しき仲にも礼儀ありだぞ」

「それはねぇ、逆に言うと礼儀や品格を捨ててでも透君に近づきたいからだよ。私の性格はもう解ってるでしょう、大丈夫だと思ったら真っしぐらに突き進んじゃうの。私、人生を捧げるって言ったじゃん。それだけ信頼してるんだよ。だから……これ以上私の信頼を疑わないでよ……」真音が乙女の祈りをする。

 透は本気らしい真音に閉口した。

 透は黙っている奈々を見る。

 奈々が目を合わせると透が言った。

「それより、奈々? お前も金に目が眩んでたよな?」

 脇で金に目が眩んでいた奈々が慌てだす。

「わぁ、わたしは、お金に目がくらんでなんか、ないよぉ?」奈々の目が逸れる。

 奈々には金に目が眩むのは恥だと云う概念はある様だ。

 確かにお金があれば大抵の物は買える。金があれば幸せだ、金が全てだと云う意見も全否定出来ない。幸福観なんて人によって違うんだし―――

 けど、金で買えない物だって沢山ある。実はそっちの方が人生に於いて大切だったりするのじゃないだろうか。

 例えば―――自分の子供、親、兄弟、愛する人、愛したい人、愛されたい人、そして、それらとの思い出…… 鈴は決して買えない。今は亡き、親父、お袋、兄貴、そして天女も買えない…… もし金で買えるなら全財産を投げ打ってでも、天女がほしい! 

 透は今ある幸せを探す。

 ―――鈴の笑顔

 ―――奈々の笑顔

 透は今ある災いを探す。

 ―――真音の笑顔

 禍を呼ぶ女が透に呼び掛ける。

「ねえ、さっきの不動産の話だけど、透君は何でそんな話知ってるの? 何処から聞いてきたの?」

 透は素直に明かす。

「天女からだよ。天女には法律事務所で働く先輩がいてね、情報源はその人らしいんだ。学校では教えてくれない色々な事を天女には一杯教えてもらったよ。学校で教えてくれるのは建前ばかりでほとんど役に立たないけど、実際にあった隠蔽された史実から社会の既得権益の仕組みまで人間の黒い部分をたっぷりとね。それは多岐に渡っていて、政治、経済、歴史、宗教、犯罪、洗脳、詐欺など社会に出て本当に必要な様々な事だった」

「ん~そうか~ 確かに建前や綺麗事よりも、危険管理出来る様に手口を知っておく事は重要だよね。天女さんって、本当に凄い人だったんだね……」

「でも、天女は直接知識を教えてくれる訳じゃなくてね、自分で検証しろって言うんだ。勿論、色々指標してくれるんだけど、その時に他人の評価は聞くな、事実だけを見て感想、憶測、時評などは無視しろ、最後は自分で判断しろって言うんだ。自分が信じたい方向へ偏り出すとその原因と目的を見極めろって言うんだ。最初は判断できないんだけど、情報が蓄積されるとその内判って来るんだよね。その時に天女が口癖で言っていた事が、その事で誰が得するか、何の為にそんな事を言うのか考えろって事だった。その何かを調べると見えてくるんだ、人間の醜い部分が―――虚偽、隠蔽、改竄。そのお陰で情報収集能力とその判断力がかなり培われたよ。そして、そこから得られた答えはね、突き詰めると目的はほぼ金と名声だった。後、男女の泥々とした色恋話とかもあったかな……」

「な~んだぁ、透君、解ってるんじゃない、やっぱり世の中はお金だって事が。私も色々調べるけど目的はお金だよ。それと情報の信頼性って個人では検証するのに限界があるのよね。結局はその発信者の信頼度で決めるしかないんじゃないのかなぁ。メディアリテラシーって本当に難しいよね。それと重要なのが双方向の媒体であるかって事だよ。多分、天女さんが言ってる事は新聞、テレビなんかの一方向メディアの評論を無視しろって事だと思うんだよね。逆に双方向メディアなら色々な視点の意見が聞けるし面白いよぉ~」

「そうだね、真音の言う通りだよ。でもね、お金は目的じゃないよ。手段であり道具だ。他に為すべき事の為の利便性が高いモノだよ」

「じゃあ、透君は何が一番大事だと思う? 一般論じゃなくて透君個人の考えとして」

 真音は透の人間性を推し量る格好の質問をぶつける。

 顎に手を当て考える透に奈々が興味津々と食い付いた目を向ける。

「俺は人との出会いだと思う」

 透は哀愁を込めた目で虚空を見つめる。

 真音と奈々が先を即す様に頷く。

「人生で一番大事な事は、如何に優秀な人を師にできるかだと思う。その師は求める方向によって全く変わってくるんだけど、それは……物心付いてからの話だな」

 透がまた虚空を見つめ一呼吸置く。

 真音と奈々が先を即す様に頷く。

「まず始めに出会うのは親だな。人は生まれた時は真っ新(さら)だから、その後の人格形成に多大な影響を与えると思う。価値観、文化、道徳、教養なんかの刷り込みは、子は親の鏡なんて言うし、遺伝子を受け継ぐから潜在能力はそこで決まるし、だから、この出会いが一番大事だと思う」

 真音は何故か黙り込む。

 代わりとばかりに奈々が言う。

「それ只の運じゃない」

「そうだな、確かに虐待して子供を殺す様な人間が親になったら、子供じゃどう仕様もないよな。抑、この世は人の力ではどう仕様もない事で満ちている。だからそれを言ったら全ては運って事になっちゃうよ。出会いも運次第だしね。誤解を招く言い方だったけど、要するに俺が言いたいのは、その運命的な出会いを大切にしたいって事だ」

「透くんは運命論者なんだ。じゃあ、わたしとの出会いも運命かなぁ~ うふふぅ、わたし始めて透くんを見た時、思ったんだよね。生まれた時からすでに今日の日は定められていて、あなたに出会うためにわたしの道が敷かれていたんだって。名も知らぬ同士が引き寄せられて行くんだなって。それが一目惚れなんじゃないかなって……」奈々が恍惚の表情をする。

 透が引き気味に顔を引きつらせる。

「それ、どう考えても、運命論者は奈々の方だろ? それより全てが運だなんていったら努力の意味がなくなるだろう? 俺は飽くまでどう仕様もない事が有るって言いたかったんだよ。それが出会いと―――別れだ!」

 透の虚空に天女が現れた。

 その隣に兄貴が立つ。

 その後ろには親父とお袋が佇む。

「俺は中学の時、両親と兄を亡くした。文字通り親を亡くして始めてその有難味を味わったんだ。親ってのは本当に有難いものなんだって思い知った。けど、その時に一つだけ救いがあった。姉ちゃんが居てくれた事だ。俺はその家族との出会いに今でも感謝しているよ」

 透が唯一残った鈴を手繰(たぐ)り寄せる。

 鈴の小さい手が唯一残った透を掴む。

「そして、これは鈴の面倒を見ていて始めて解った事なんだけど。大変だけど可愛い可愛いって一生懸命子育てをしていく内に、傍と思ったんだ。自分もこうやって一生懸命手をかけてくれたんだな~って思ったんだ。そうしたら、急に両親の事がとっても有難くなって、それで、もう親孝行ができないんだな~って思って、親父とお袋に申しわけなくって、ありがとうの一つも言えなくって、こうかいしても……しきれなくって…………」

 透は虚空の両親に無邪気な子供の視線を向けると、目に一杯の涙を貯めた。

 真っ赤な目の奈々がびっくりして呟く。

「そうだったね、透くんにはもう親孝行ができないんだったね……」

 透が涙を堪える様に上を向いて、一つ溜息を付く。

 不意に口元が歪むと細めた目から涙が零れる。

 透が堪らず呟く。

「それでね…… そのすくいはね…… その救いとはねぇ、この間、お別れしちゃったんだぁ…………」

 虚空の天女が慈愛の笑みで娘を呼ぶ。

〈おいで、スッチー〉口が動く。

 鈴の小さい手に力が篭る。

「それで…… 俺の人生の師は……天女なんだぁ…………」

 奈々が堪らず反応する。

「透くんにとって天女さんは只の奥さんってだけじゃなかったのね。本当に本当に大事な人だったんだぁ。透くんはそんなに大事は人を亡くしたばかり、だったんだぁ…………」

 奈々が鈴の上から透に覆いかぶさる。




ママママママママママママママママママママ




 真音が突然、嗚咽を漏らした。

 真音レス行から湧き上がった泉が目から溢れ出す。

 透が真音の涙に驚愕する。

 視線に気付いた真音が顔を伏せる。

 透が突然、真音の両手を取った。

 驚いた真音が透を仰ぎ見る。

 透は父親の顔で真音を見つめていた。

 透の優しい声が真音の母性に降りかかる。 

「真音は本当は凄く優しい子なんだね」

 真音は咄嗟に首を振る。

 透の寛容な声が真音の母性に降りかかる。 

「隠さなくってもいいよ、真音。今まで勝気に責め立てたのは、優しい自分を守る鎧だったんじゃないのかな?」

 真音は咄嗟に驚愕の表情を返す。

「もしかして昔、その優しさに付け込まれたりしたんじゃないのかな?」

 真音は黙って奈々を見る。

 奈々が苦渋の表情をした。

 奈々を見つめる真音は、また黙りこくった。


 透が鈴の脇を持ち、目前に立たせる。

「親は子を選べないし、子も親を選べない。だから、俺は鈴に、俺が父親で良かったって思われたい」父が娘にはにかむ。

「すず、おとおさんが、おとおさんでよかったよ」娘も父へはにかむ。 

「そして、次の世に必要な人材として育てて行く事かな。俺は鈴を出来るだけ天女に近づけたい。それが天女に対する恩返しと、残された俺が生きていく証かな……」

 透が鈴の頭を撫でる。

 鈴が甘え顔になる。

「なに? その老人みたいなセリフ。透くんはまだ高校生だよね? まだまだ自分の研鑽に励む歳じゃないの? 透くんジジイ臭~い」

 奈々が嫉妬を含んで茶化す。

 透は奈々を睨む。

「あのなぁ~ 俺は確かにまだ高校生だけど、既に一児の父親なんだ。鈴の将来を担って行く責任があるんだよ。そこは責任感があるわーって褒めるべきじゃないか?」

「わたしだって鈴ちゃんに美味しくて健康的な御飯を食べさせてあげられるわよ! 食事ってすごく大事なんだからね」

 戯れ会う事、夫婦の如し。

 奈々が脱線させた話を透はまだ語り足りないと強引に戻す。

「俺は天女と兄貴の遺伝子を引き継ぐ鈴を育てる事でしか、両親へ応えられないんだ。それが唯一残された餞(はなむけ)で親孝行なんだ。別に偉業を達成する事が人材って訳じゃないんだよ。御先祖様から受け継いだ、伝統と文化を守って次の世代へ残して行く事、それだけでいいんだ。今日の花見だってその一貫なんだ。人はそうやって命を紡いで消えていくんだ。その経(たて)の糸は恰(あたか)も川の流れの様に…… それが一番、俺にとっては大事な事なんだよ」

 真音が呟く。

「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水に在らず」

 透が呟く。

「そうだ。世の中にある人と棲家とまた斯(かく)の如し、だな」

 奈々が呟く。

「わたしは古文苦手……」

 鈴は何の事か解らないので呟かない。


 微妙な間が、父親の透は結局、娘の鈴が一番大事だよって話を終わらせる。

 そろそろお開きの頃合の雰囲気が流れる。

 そんな空気を全く読まずに真音が突然言った。

「私の母はね…… 未婚の母なの」

 真音はさらりと個人情報を明かす。その一言は透の資産情報に見合わない重さを備えていた。

 真音の独白に透が絶句する。

 透は、折しも娘に対する父の愛を語ったばかりだった。

 真音は透を見つめる。

 いつもの小賢しさの欠片もなく、無垢な少女の表情を晒す。

 真音は透への親愛の証とばかりに言葉を白(は)く。

「私、お父さんを知らないんだ~ 会った事もないんだぁ、名前も知らないんだぁ、だって、産まれた時からいなかったんだもん……」

 真音が自虐な笑を向ける、ぽろぽろと泣きながら。

「鈴ちゃん、良かったね~ こんな素敵なお父さんがいてくれて」

 真音が崩れた笑みを鈴に向ける。

 鈴が「うん!」と満面な笑を返す。

 真音が憧憬の視線を透に向け、言葉を綴る。

「でもねぇ、家のお母さんは凄い人なんだよぉ。仕事が凄くできてお金も一杯稼いできて、家事も全部こなせて、子育てだってちゃんとしてきたんだからぁ」

「私の自慢の母親なんだよ。お金がどれだけ大事か教えてくれたのもお母さんだし、女手一つで生きていく方法やら、自活する練習やら、一生懸命に私を育ててくれたんだぁ」

「嘘の見抜き方とか、危ない男の見分け方とか、外見を褒める奴は下心があるとか、サイコパスとか、ナルシストとか……」

 真音が黙って聞く透に縋る視線を送る。

 真音が言う。

「でもね~ そんな生き方は辛いんだよね。全部一人でやるのって凄く大変なんだよね。お母さんは普段、泣き言一つ言わないけど、お酒飲んで帰ると私だけに愚痴を言うから判るんだぁ~」

 つぶらな瞳が慈愛に満ちる。

 そして、最後に言う。

「私の一番大切なものは……お母さん」

 透が堪らず口を挟んだ。

「そんなお母さんに出会えて、しあわせだな」

 真音が満面な笑で頷き返すと言った。

「私ね、子供の頃は何て厳しい親なんだろうって、ずっと思ってたんだ。他の家はお父さんが居て、お母さんが居て、子供の為に世話を焼いて上げて、ぬくぬくと子供を遊ばせて、とっても羨ましいなってずっと思ってたんだ。けどね、最初は家が母子家庭だから仕方ないんだって、お母さんの手伝いをするのは当たり前なんだって思ってたんだけど、それは違うって、今になってやっと理解できたんだ。お母さんは決して自分が楽をしたいから私に家事をやらせてるんじゃなくて、私の将来に役に立つからやらせてるんだって思えたんだぁ」

 ここで真音は母親語りが過ぎたと思ったのか、間を空けた。

 透が先を即す様に訊く。

「何でそう思う様になったのか、凄く気になるな」

 真音が照れ笑いをすると続ける。

「何故そう思ったのかと言うとね、私が物心ついたある日、お母さんが家事についての話をしてくれたんだけど、家事は生きてく上で必須の能力なんだって、家庭内で一人は必要なんだって、だから男がやろうが女がやろうが誰かを雇おうがそれぞれの事情でやればいいんじゃないのって言うの。私も確かにそうだなぁって思ったんだけど、家はお母さん一人しかいないから選択の余地がないと思ってたんだ。けどお母さんは他にいないからやっているなんて思ってないって言ったの。それでね、お母さんはね、娘のためにしたいからって言ったんだ。自分の娘が可愛くて、愛してるからって言ったんだ。それからね、いつか私が子供を産んだ時、絶対に同じ気持ちになるって断言したんだ。何でかって言うと、私はお母さんの子供だからなんだって。それが何となくなんだけど、納得できちゃったんだよね」

 真音が益々饒舌になって、母親自慢に傾き始める。

 透がそれを無意識に増長させる。

「真音のお母さんって、自立した凄い女性って印象を持ったけど、結構母性たっぷりの優しい女性なんだな、何か、惚れちゃいそうだ」

「止めてよ、同級生がパパなんて洒落にもならないじゃない」

 透の冗談に尚更、気を良くする。

「家の母はね、私の教育の為なら全てを捧げてくれるの。必要ならどんなに高い参考書でも買ってくれるし、高額なゼミでも受講させてくれるの。娘の将来の為ならっていくらでも出してくれるんだ」

 透が間髪入れず合の手を入れる。

「それは、金よりその大切な金を注ぎ込む娘の方が、大切だって事だな!」

 真音が虚を突かれて「はっ!」と驚く。

 真音は今更ながら、その理屈に気が付いた。

「そんだけお金が賭かるんだから、ちゃんと実績を残しなさいって言われて、その考えにまでは至らなかったわ」

 透が当たり前の顔をして言う。

「俺は、お金は対人関係を測る物差しだと思うんだよ」

 真音が興味深そうに見つめる。

 透が勿体ぶって目を細めると、続けた。  

「お金はやはり大切だろ? 家族とか仲のいい友達とかに無償でお金を貸すのってさぁ、信頼があって始めて成り立つじゃない? その貸す相手との関係が金より価値があると思えば貸すと思うんだよ。まぁ、俺の価値基準だけどな」

 真音がまた、目を金色に輝かせて乙女の祈りを放つ。

「私も透君の大切な人になりたいの、だから、透君、私にお金頂戴?」

「真音、それ台無しだよ」

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