第3話 マロングラッセ参戦

 大型モールは奈々と父娘が初めて出会った例の場所だ。

 実はここ、真剣に見て回ったら一日掛かりになってしまう程に広い。大抵の生活用品は取り揃えられ、その業界の有名チェーン店舗が軒を連ねる。それだけに留まらず、病院、塾、カルチャースクールなどがテナントされていた。その近辺には、スポーツジム、映画館、劇場、遊技場、パブ、ライブホール、ホテルなどが寄り添う、総合娯楽施設と化していた。

 時刻は昼を回ったので、食事をするために真っ先にそこの最上階へと向かった。

 三人で食堂街を色々と廻っていると、鈴がある店の前で立ち止まった。

 鈴が父親の顔を伺う。

「ここがいいのか? 鈴は」透が訊く。

 鈴がしまったという顔をすると、慌てて首を振った。

「ううん、あっちでいい」鈴は向かいの店を指差した。

 鈴が指差した先は大衆イタリアンの店だった。

 透がそれを確認すると、納得した顔をして視線を元の店に戻す。

 何気なく壁の案内板に目が向くと、そこに[誕生日のサービスは予約が必要です]との文言が目に入った。

 ――透が遠い目をする。

「お父さんはこの店がいいんだけど、鈴も付き合ってくれる?」

 気不味い顔の鈴が、笑顔になって縦に首を振った。

「ねぇ、この店すごく高そうなんだけど、大丈夫なの?」奈々が透の財布の心配をする。

「否、そうでもないよ。雰囲気だけでそこそこ高めって位だから」

 高級な雰囲気を醸し出す佇まいの店構え。洒落た看板には『創作料理 二光』の文字が目立つ。

「この店、オーナーが『イッコ、ニコウ、サンコン』の噺家の平毛二光(たいらげにこう)さんなんだってさ」天女の説明をそのまま伝えた。

「へぇ~ あの大食い落語家の二光さんなんだ。わたしは透くんがいいなら、別に構わないけど……」

「それなら決まりだ。じゃあ、入ろうか」

 三人が店内へと踏み込むと、高級感溢(あふ)れる調度品と内装の装飾が別次元へと誘った。

 侍女姿の店員が近寄ってきて「三人様ですか?」と案内を始める。

 透が代表して頷く。偉そうなのはこの店の雰囲気の所為(せい)だろう。

 店内は食事時のためか、結構混んでいた。唯一、空席のあった通路側の窓際の席に案内される。透と奈々が向かいに座る。鈴は躊躇わず奈々の隣に座った。

 透が唖然とした悲しい顔を向ける。鈴は澄ましていた。奈々がそっと鈴の頭を撫でてご機嫌な顔をする。

 店員が微笑ましく見つめながらメニューをそっと置く。「お決まりになりましたら、そちらの呼び鈴でお呼びください」と言って、呼び鈴型ブザーを示すと立ち去った。

 三人は落ち着いた雰囲気を醸し出し、メニューを眺める。

 透は絶句した。その金額と時折現れる時価の文字に……

 奈々は鈴と並んで同じメニューを見つめている。

 透が奈々を垣間見る。奈々も絶句していた。

 鈴はメニューが読めなかった。だから一言「すずは、まえとおなじのがいい~」と言った。

「俺もいつものかな?」透は紳士然として常連振って言う。

 奈々が二人の会話を聞いて、目を剥いた。

「えっ! こんな高いお店にいつも来てるの? 鈴ちゃんの態度から、来たことがあるんだなとは思ったんだけど、まさか常連だったなんて。あのお屋敷もそうだけど、透くん達ってお金持ちなの? それよりこんな格好で大丈夫なの?」場を読んで小さめな声で捲し立てた。

「ごめん、奈々、ちょっとからかっただけだ」

「何が?」

「えーと、俺たち今日で二度目だから、常連じゃないから」

 奈々が透と鈴を交互に見る。

 鈴はにこにこしている。

「二度目って、常連じゃないのね……じゃあ、またわたしのこと騙したんだ! 鈴ちゃんの『前と同じの』で、完全に引っかかっちゃたのか、もぉ~透くんって、ほんと意地悪なんだから~」奈々が例のふくれっ面になった。

「ごめん、奈々、そんなに怒らないで。後、余程の事がないと、こんな贅沢はしないから」

「余程の事?」

「前回は婚姻記念日だよ、普通は一生に一度だろ?」

「え? ということは、この店、あの写真のお店なの?」

「そうだよ」

「じゃあ、今日は何なの?」

「今日は……奈々と出会った記念だな」

「え? それが余程の事なの?」

「そうだよ、奈々は今日、俺たち父娘を救ってくれたじゃないか。これから頑張ろうって気持ちに変えてくれたんだ。それが余程の事に充分値するから、俺たちの感謝を受け取ってよ」

 奈々は戸惑っていた。自分ではそれ程の事などとは露ほどにも考えていなかったのだろう。

「わたし、ただ、押しかけただけ――」

 透が奈々の言葉を遮る。

「奈々、そうじゃないよ。家に来てくれて、本当に、ありがとう」透が微笑む。

「ななおねえちゃん、おうちにきてくれて、ありがとう」鈴も笑顔を向ける。

 一瞬で奈々の目が潤った。

 透にはにかむ。そして、笑顔で鈴に頷いた。

「こちらこそ……ありがとう」

 奈々は受け入れてくれた感謝の気持ちを満面の笑みで二人に表した。

 三人で微笑み合う――

「わたしもいつものでお願い」奈々がメニューを閉じてそっと言った。

「鈴、そこのボタン押していいよ」透が呼び鈴を指す。

 鈴が嬉々として呼び鈴を押す。

 ちりん、ちりんと可愛らしい音が響いた。

 侍女が待ってましたと席に寄って来る。微笑ましい笑を浮かべながら。

「ランチセット2つに、お子様セット1つ」透が慣れた所作で言う。

「ランチセットがお二人様で、お子様セットがお一人様ですね。お飲み物は何時お出ししましょうか?」

「奈々、後でいいか?」

「はい!」貞淑な返事だ。

「じゃあ、後で」

「畏まりました」侍女が会釈してさがる。

 立ち去るのを待ってましたとばかりに、奈々が透へ目配せする。

 透が何だと視線で応える。

 奈々が居住まいを正した。

「付かぬ事をお伺いしますが、家計の方はどう遣り繰りされているのでしょうか、収入は有りますの?」奈々の雰囲気が変わっていた。先程のふくれっ面で正体は暴露されているので今更だが、貞淑を演じている様だ。

 隣にはお淑やかにずっと澄ましている本物の淑女が居る。

 透は付き合ってやるかという顔を向ける。

「お嬢様、お金のことは御心配なさらずに。収入はありませんが、一生、食べていけるだけの蓄えは有りますよ」

「まぁ~ それでは、遊んで暮らしていけるのですか?」奈々の目が心持ち輝いた。

「いいえ、当家は倹約をモットーとしていますので、贅沢はしません」透が人差し指を立てて振る。

「それは良い心掛けですこと」おほほほという口を手先で秘す。

 と、突然―――

「もう止めて~ このキャラ耐えられない」庶民派の奈々が照れる。

「恥ずかしいなら、始めからやるなよ」と透も仮面を外した。

「だって、からかわれて悔しかったんだもん」頬を膨らませる。

「ななちゃんとおとおさん、ドラマみたいだったよ」鈴も聞き分けのいい子役を辞めた。

 その後の奈々は箍(たが)が外れて取り留めのない話を続ける。

 周りからも歓談の声が聞こえるので、おしゃべり禁止のマナーなどはないだろう。

 三人が団欒の和を囲っていると、ワゴンに乗って料理が運ばれて来た。

 給士は執事姿の男だった。

 運ばれた料理は名も知らぬ物ばかりだ、鈴のお子様メニューを除いては。

 奈々は和洋折衷の混沌とした料理をいたく気に入っていた。

 なかでも「これ、絶品じゃない!」と目を見開いて絶賛する料理があった。

 ホワイトソースにハーブと思われる香辛料がまぶされた蛤料理だった。

「こんな美味しいものが食べられて、しあわせ~ 鈴ちゃんにも一口あげるね~」と大振りの蛤を切り分け、鈴の口に持っていく。

「おいし~い! しあわせ~」と鈴が喜んで真似る。

 ここから奈々の料理談義が始まった。

「これ、今度挑戦してみようかな。けど、こんな大きな蛤は買えないな~」

「かかってるハーブは、バジルとパセリは間違いないわね。あとは、多分……コリアンダーとマスタードシードかな?」

「ホワイトソースも蛤にぴったりだね。牡蠣グラタンとかあるから貝類はとても合うんだね」

「ここのシェフかなり研究してるのね、お金が取れる程の完成度の料理を創作するのは、すごぉ~く大変なんだよ」

「わたし、料理で冒険しないのよね。教えてもらったレシピはもう完成度が高いから余りアレンジすると変な味になっちゃたりするから。わたしの料理は実はまだまだなんだぁ~」

 奈々はとても幸せな顔をして、はしゃいでいた。

 そんな奈々を透は微笑んで相槌を打つばかりだった。

 鈴はふわふわ卵のオムライスに夢中だ。

 奈々のおしゃべりが、ふと止まった。自分だけが夢中になって話していた事に気付いたのだろう。

 一抹の寂しい表情をしてから、また話し続ける。

「わたしの家も、無駄遣いはしない倹約家でね、滅多に外食なんてしないんだ。だから料理が得意になっちゃたのかも……」

 透はまた、頷くだけだった。奈々の話題に、また、乗ってこない。

 突然――透が一人だけ違う制服を着た女性に向け、手招きした。

 店内を警眼していた秘書姿の女性は『主任』の名札を胸に付け近づいてきた。

「すみません。これで写真を撮ってもらえませんか?」透が撮影アプリを起動したスマホを渡す。

 透は、内装のデザイン機密保持のために店内が撮影禁止であり、それが許されるのが主任だけである事を知っていた。 

「この角度からならいいでしょう」と主任がスマホを受け取る。

「奈々、鈴を膝の上に載せてこっちに寄って」と言いながら自らも寄る。

「掛け声はいつものでお願いします」透が言う。

 主任の顔が何かを確信した表情になったと思うと、すぐに照準合わせに戻っていった。

「それではいきま~す。1+1は~」

 にっと三人が笑うと、カシャと音が捉える。

 主任が透に確認を即すと、透が受け取り「どうもありがとう」と言った後、主任は深くお辞儀をしてから持ち場へ帰っていった。




ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ




 奈々に着信が来た。

 奈々が届いた写真を開く。

 そのタイミングで透が話しかける。

「奈々、バースデイカードを見つけてくれて、ありがとう。後、写真を見せて寂しい思いをさせちゃって、ごめんね。これはその……お詫び?」

 奈々が写真をじっと見つめる。

「お詫びじゃないよ。これは……わたしにとっての希望だよ」

 奈々が新しい世界を見つめる。

 ふと、奈々が何かに気付く。

 奈々が見た写真には、後ろに一人の女性が映っていた。照準が合っていないのか朧ろげであったがショートカットである事は判断できた。

 奈々が写っていたその位置を確かめようと振り向いた。

 そこに倉瀬真音が立っていた―――


 奈々達の窓際席から通路を隔てた向かいの店舗の窓際に、制服姿の倉瀬真音が立ち上がり、こちらを見ていた。

 奈々の目と真音の目が会う。

 真音はにやにやと笑っていた。

「透くん、見つかっちゃった」奈々が窓の外を指差し、動揺して言う。

「誰? うちの学校の制服だね。顔は見た事あるな」透が興味なさそうに言う。

「同じクラスで親友の倉瀬真音」

「ん~ それで何か拙いの?」

「別にまずくはないんだけど……ばれちゃったかな? あははぁ」

「なんだ、変な噂が立つとか気にしてるのか。俺は昔から噂なんて全く気にしなかったからいいけど、奈々は困るよな」

「ううん、違う。真音に限って、そんな事にはならないんだけど、ただ、恥ずかしいだけ」

「ん~ その気持ちも解らない訳じゃないけど、いいじゃないそのくらい」

「え~! やだよ~ だって、わたし、胸を張って『彼女です』って言えないんだよ!」

「……」

「透くんは恥ずかしいの意味を取り違えてるよ! 彼女にもしてもらえない、情けない女って意味の……」

「それに関しては……本当に、ごめん!」

「あ! ごめんなさい。絶対に言っちゃいけない事でした。今の、無かった事にして下さい」奈々が頭を下げた。

「こちらこそ、無かった事にして、ごめん」透も頭を下げた。

 二人が向かい合って頭を下げてる横で、鈴が面白くなさそうな顔をして見つめていた。

 二人が同時に顔を上げると、笑を向け合う。

「それで、どうしようか?」奈々が困った顔で言う。

「何も悪い事している訳じゃないんだから、堂々としていたいんだけど、嫌だよね?」

「そうね、真音の性格だと、多分、根掘り葉掘り訊いてくると思うのよ。それにいちいち答えるのも面倒だし、できれば避けたいかな」

「よし、解った。逃げよう!」

 透が鈴の手を取ってレジへと向かう。

 奈々が向かいの店を垣間見ると―――真音は既に居なかった。 

 透が素早く会計を済ませると「鈴、おいで」と背中を向けてしゃがむ。

 奈々が様子を見ようと先に店外に向かった。 

 奈々の視線の先にまだ真音の姿は見えない。 

 鈴は嬉々として透の背へ飛び込む。

 透が走って逃げる体勢が整うと、奈々が先に店を出た。

「やあ、奈々! こんな所で偶然ね」脇から真音の声が降りかかる。

 奈々が振り向くと顔が引き釣った。

 真音が両手を後ろで組んで前かがみに近づいてくると、窮鼠をいたぶる猫の手で奈々の肩を叩く。顔は相変わらず、にやけている。

「そ、そうね、偶然ねぇ~」

 遅れて透が店を出てきた。 

「やあ、土夏君! こんな所で偶然ね」初対面でも気さくな対応をする真音。

「どちら様でしょうか?」奈々から名前を聞いている筈だが、知らない振りをする透。

「初めまして。倉瀬真音と申しま~す。十七才独身で~す。バスケット部所属で~す。今日は、うちの娘の奈々が、た・い・へ・ん、お世話になってる様なので、取りも直さず、ご挨拶に伺いました。よろしくお願いしま~す」両手の指先をぴんと伸ばし。体育会系のびしっとしたお辞儀をする。

 真音の惚けた言い回しに押され、透に例のスイッチが入った様だ。

「それはわざわざご丁寧に、土夏透と申します。娘の奈々さんには日頃から凄くお世話になっております。こちらからもよろしくお願いします。奈々の、お・か・あ・さ・ん」透は軽く会釈する。

 顔を上げた真音の目が爛々と輝いていた。

「土夏君って、こんなキャラだったの! まさか、乗ってくるとは思わなかったよ~ お母さんはとっても嬉しいよ~」嬉々として、まだ続ける真音。 

 その時―――

「おとおさ~ん、はやくはしってよ~ にげるんでしょ~」透の背中から声が降りる。

「鈴、ごめん。悪い女に捕まっちゃったんだ。もう逃げられないんだ」と言って鈴を降ろした。

「わるいおんなのひと? つかまっちゃたの?」透の顔を覗く。

「え? 私の事? 悪い女?」真音が虚を突かれる。

「そうだよ、ななおねえちゃんをいじめる、わるいひとだよ~」真音を指差した。

 突然、幼女に指を突きつけられた真音は―――口を開け、目を点にして、凡そ女の子がしていい表情では無かった。

 点になっていた目が泳いでいく。

 鈴への視線から、透へと移り、奈々で止まる。

 奈々が鈴に近寄り抱き上げる。

「鈴ちゃん! この女の人はね~ 奈々ちゃんのお友達で悪い女じゃないのよ~ ただ、意地が悪いだけなんだからね~」奈々がぽろりと本音を出す。

「いじ? がわるいひと?」何が悪いか解っていない。 

「あんた、何て事言うのよ! それ、フォローになってないじゃない!」真音が堪らずとツッコム。

 思わぬ展開だと困惑顔の真音が、透に目を向けた。

「それより、この子は誰?」

 ―――奇しくも、奈々との邂逅(かいこう)と同じ展開が始まった。


 透のバツイチ、鈴の連れ子の事情を聞いた真音は驚愕の表情で黙り込む。

 奈々はその表情に思考に耽る時の真音の姿を思い出した。

 しばらくして、真音の高速演算が終了したのか、透に顔を向けた。

「土夏君、ちょっとだけお時間もらっていい? 私まだ席取ったままだから、一緒に来てくれない? 背だけでなく器も大きそうだから、ちょっと位いいよね?」真音がお願いという形の命令をする。

 奈々の手はもう掴まれていて、連行されるのを待つばかりだ。

「解った。少しだけな」

「真音、わたしの許可は?」奈々が掴まれた手を振りほどこうとしながら言う。

「意地悪を告げ口した奈々には、拒否権はありません」手に力を込めて言う。

 その様子を見ていた鈴が「ななちゃん、いじめないで~」と心配そうに言った。

「鈴ちゃん、大丈夫よ~ 決して虐めたりはしないから、意地悪はね、虐めじゃなくて、可愛いからするのよ~」

「そっか~ ななちゃん、かわいいもんね~」と言った鈴はもっと可愛いかった。

「それでは、行きましょう」真音が奈々を拉致して先に向かう。

 牽引される奈々は、もじもじと照れている。子供の様に大人しくなって。

 透が鈴の手を引き、後に続く。

 向かいの大衆イタリアンの店は、入口に待ち行列ができる程に混んでいた。

 待ち行列の脇を堂々と真音は進む。入口の店員に「待ち合わせしていたんで」と一言断って三人を引き連れる。

 奈々は奥に押し込まれ、隣で真音が退路を塞ぐ。向かいに鈴と透が座った。

「食事は終わってるのよね? ドリンクだけでいいかしら?」真音が仕切る。

 奈々と透が頷く。その様子を見て鈴も頷く。

「鈴ちゃん、じゃあ、ここ押してくれない?」真音の声は優しい。

 鈴が仕方がないなという表情で押すと、しばらくして店員が来た。

「ドリンクバー2つ追加で」と真音が注文する。

「ここは強引に誘った、私が持たせていただきます」

 真音が一礼すると、一同を見回した。

「それでは、改めまして、3年A組12番、倉瀬真音です」

「多分、20番位の土夏透です」

「どなつすずです。ごさいです」

「どなつななです。ななさいです」奈々に可愛いがまだ残っていた。

 木枯らしが吹き抜けた。

「……奈々ぁ~ はずしたよぉ~」真音が白い目で見る。

 奈々が顔を両手で隠し、蹲(うずくま)る。

「恥ずかしいなら、やるなよ」透がツッコミで助ける。

「ななおねえちゃん、かわいい~」鈴のツッコミは、奈々を益々恥ずかしめた。

「どうすんだよ、これ」透の再度のツッコミ。

「土夏君はツッコミが上手ね。流石に男の子だね~」真音が戯る。

「おい、下ネタはやめろ! 子供が居る」透は真剣な表情に戻る。

 真音がしまったと言う顔をする。

 透がにやりと笑う。

「それも、ツッコミだったんだ」真音もにやりと返す。

「でも、本当に下ネタはやめろ」

「解った、子供がいない時にね」真音がウインクする。

「まのんちゃんって、おもしろ~い」

「ありがと~ 鈴ちゃん! 真音ちゃんて呼んでくれて、悪い女じゃないからね~」

 真音が鈴に、柔かに笑い顔を向ける。

 その顔が奈々の方に向き直ると、真顔に戻った。

 奈々と目が合う。

 奈々が怯える。

「取り敢えず、飲み物取ってくる」透が鈴の手を取り席を立つ。

 透と鈴が離れていく。何故かドリンクバーコーナーとは別の方向だった。

 奈々が寂しそうに見つめる。視線だけが二人を追っていく。

「わたしもドリンク取ってくるわ」奈々がこの場を抜け出そうと立ち上がる。

「駄目! あんたは後にしなさい!」真音が肩を抑え無理やり座らせる。

「わたしもジュース飲みたいな~」

 真音が自分のコップを奈々の前にダン!と置く。

 いよいよ尋問が始まる。

「今日はデートか何かだったのかな?」

「そんなようなものかな? あはは」

「これからのご予定は?」

「ん~ 特には」

「ごめんね、奈々」 

「へぇ?」

「私、二人を見かけて気が動転しちゃてさ~ 思わず連れてきちゃたけど、よく考えたら、野暮なことしてるよね? 鈴ちゃんが言った通り、悪い女になってたよね? だから、ごめんね」

「ん~ そうだね。わたしは気まずいだけだけど、透くんと鈴ちゃんにはかなりの迷惑になってるよ」

「え! 透くん??」

「あっ! え~と、鈴ちゃんと透くんは二人共土夏じゃない、だから、一緒の時だけ―――」

「そうか~ それで、いつから付き合い始めたの?」

「ちょっとまって真音、今、話そらせたでしょう? 迷惑に戻すわよ、重要なんだから」

「あれ~ 奈々はチョロインだったのに、今日は一味違うな~」

「だって、透くんと鈴ちゃんに係わる事だもん」

「なんかそれ、家庭を持った奥さんみたいだよ。子供と旦那が大事みたいな」

「……学年一位には敵わないな~」奈々の戦意が萎んだ。

「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうやって! はい、100文字以内で答えよ」

「無理よ、いきなり、そんな簡単に5W1Hで答えさせないで」

「今日は、奈々、結構、強情だね~」

「ねえ、真音、透くんと鈴ちゃんに本当に迷惑になるから」

「ごめん、じゃあ、一つだけ答えて。土夏君は鈴ちゃんを残して、奥さんを亡くしたばかりなのよね?」

 奈々が頷く。

「奈々はそこに同情したの?」

 奈々が頷く。

「そこに奈々は付け込んだの?」

 余りにも冷たい言い方に奈々は即答できなかった。

「……結果的には、そうなるのかな?」

「それで、奈々は幸せなの?」

 奈々は判らなかった。

 奈々は答えられなくなった。

「奈々、私はね、自分を土夏君に置き換えて考えて観たの。まず、高校生で結婚なんて、余程愛してないとしないわよね。それが待ってた様に資格を得てやっと結婚できたと思ったら、翌日に死に別れたのよね。多分、その悲しみは計り知れないと思うの。だって結婚だよ! 恋人じゃないんだよ! もちろん今の私には、そんな人はいないんだけど、もし、それ程の相手がいたらと考えたら、私だったら……後追いするわ! 幼子を残していかなければね。独身で~すなんて無神経な自己紹介した自分を殴ってやりたくなったわ」

 真音が奈々の目を覗き込む。

「…………わたしは……そこまで考えてもみなかった……」奈々の目に涙が浮かぶ。

 真音が続ける。

「そんな状態の時にさぁ、他人を受け入れられるものなのかなぁ? 私だったら他の男に見向きもしないかなぁ、絶対無理だな~ 長年、土夏君を見てた奈々なら何となく解るよね、土夏君の性格。多分、私の予測、当たってるよね。だからさ~ 今の奈々との関係、凄く興味があるんだよね~」腹黒真音倉瀬躍如。


 真音の視点は奈々が透の嘆きを理解する道標となった。

 奈々は透の今までの行動に思いを馳せる。 

 ―――「なんか、めんどくさくて」透の怠惰。

 ―――「わたしが、ご飯作ってあげようか」透の困惑。

 ―――「さっき美味しいって言っただろう」透の憤怒。 

 ―――「ななちゃん、おかあさんみたい」透の嫉妬。

 ―――「迷惑なんだ、もう来ないでくれ」透の宣告。

 ―――「寂しくて、ずっと泣いてた」透の独白。

 ―――「俺、鈴と寝てない」透の後悔。

 ―――「洗濯、やってない」透の不精。

 ―――「俺、ずっとこのままだったかもしれない」透の感謝。

 ―――「天女の事、忘れるように努力する」透の決意。

 ――――――そして、思い浮かぶ情景。

 空弁当とインスタント容器の詰まったゴミ袋。

 割られた女物の茶碗の残骸。

 埃の溜まった部屋の角。

 玄関に置き捨てられた郵便物。

 手入れがされてない荒れた裏庭。

 透くんの擦り切れた拳(こぶし)の傷跡。

 鈴ちゃんの少し伸びた爪―――――― 

 ……奈々は俯いて動けなくなった。

 チョコバナナがドーナツホールを見つけた―――奈々が透の悲しみを共有できた瞬間だった。




ママママママママママママママママママママ




 真音の手へ奈々の手が伸びた。

 奈々が俯いたまま言う。

「真音は、今日一日、部活じゃなかったの?」

「昨日、顧問から連絡があって、急遽、午前で終了に変わったのよ」

「ねぇ~ 真音、これから家に来てくれない。ここじゃゆっくり話せないから」奈々が泣き顔を真音に向ける。

「やっと話す気になったか。いいでしょう、付き合いましょう」真音が貧しい胸を張る。

「ありがとう」奈々が小さく応える。

 真音がグラスを持って立ち上がった。

「奈々、飲み物取りに行くよ」

 奈々が涙を拭ってから続く。

 奈々と真音が席に戻っても、父娘はまだ戻っていなかった。

「あの二人どこ行っちゃたんだろう」家族を探す母親の様に、奈々が店内を見回す。

「多分、トイレでしょう」真音が確信を込めて言う。

 奈々が一気にグラスの半分程を飲み干す。

 真音は一口だけ口に含み、飲み込んでから言った。

「鈴ちゃんってさ~ 奈々にそっくりだよね」

「え! そうかな~ 自分じゃ良く解らないよ」

「始め見た時、思わず奈々の子かと思ったよ。あんた、私の知らないうちに子供産んでたって訳じゃないよね」

「バカ言わないでよ。鈴ちゃんが産まれた時、わたし、まだ中学生だよ!」

「一応、中学生でも出産は可能じゃない。あくまで可能性だけど。そうしたら父親は土夏君でも有り得るのか?」

「え! そんな事、本人に訊ける訳ないじゃない! けど~ 多分違うと思う」

「その根拠は?」

「わたし透くん家で家族写真を見ちゃったのよね~」

「ほ~ もう家に上がる程の関係だったのか~」

「そ、それは、家に帰ってからゆっくり話すから……」

 奈々が続ける。

「そこにはねぇ、鈴ちゃんを抱いた奥さんの隣に、透くんにそっくりなお兄さんが居たんだ。だから、鈴ちゃんのお父さんはお兄さんだと思うよ」

「ん~ そうなると、土夏君、否、もう透君でいいや。透君は義理のお姉さんと結婚した事になるね」

「そうなるのよね。あと、真音は透くんって呼んじゃ、ダメ!」

「え! やっぱり彼女に成ってたんだ! 等々、吐いたな!」真音の顔が引っかかったなとにやりと嗤う。

 と、言った瞬間―――奈々の顔が泣きそうに変わった。

「もしかして、違ってた?」

「それも、後で話す……」

 真音にはもう、何となく関係が解った。

「じゃあ、それは置いておいて、鈴ちゃんの話に戻りましょうか」真音が話題を変えた。

 真音が続ける。

「今の鈴ちゃんを大きくして、女子高生にすると―――奈々になるね」

「それ、勝手な妄想だよ」

「ううん、違う、そのぐらい似てるって事。もしかして、鈴ちゃんの実母と奈々は血が繋がってたりしないかな?」

「知らないよそんな事。透くんの奥さんとは会った事もないし」

「じゃあ、訊いてみればいいじゃない」

「そこまでする事なの?」

「そこまでする事なの! そのぐらい似てるよ。七不思議に入れたいぐらい」

「ん~ あとの六つは?」

「ん~ 取り敢えず一つは、顔は奈々だけど、性格は私に似てるって事かな?」

「なんであんたに似るのよ! 鈴ちゃんが可哀想でしょう!」

「そうだ! 七不思議ではなく、奈々不思議の方がぴったりだ。あ! 来た! それじゃ、次は土夏君の尋問の番だよ~」

 真音の視線の先には、戻ってきた父娘の姿があった。


「透くん、鈴ちゃん、お帰り」奈々が母親の様に迎える。

「透君、お帰り~」真音も便乗する。

 奈々が真音を睨む。

「透君、スッキリした?」奈々を無視する真音。

 透はいきなりの名前呼びに表情を厳しくした。何かを察した雰囲気だった。

「スッキリしたのは、鈴だよ」思わずと云った答えだ。

「おとおさん! いわないでよ~!」と言って、鈴が頬を膨らます。

 鈴の淑女気取りに、奈々と真音が笑顔を向ける。

「透くん! 訊いてもいい?」

 奈々が機先を制した。真音の尋問を牽制し、透への迷惑に配慮する。 

「いいよ、千横場さん」優しく応えた。

「透くん!」

「解ったよ、奈々!」透が了承した。

 真音は二人の様子を俯瞰(ふかん)していた。

 尋問官代理が始めた。

「わたしと鈴ちゃんって似てる?」

 透が無難に答えた。

「笑った顔は似てるかな?」

「じゃあ、わたしと天女さんでは?」

 透が奈々に困惑する。意図が掴めないといった様に。

「全然、似てないよ」透が顔を上に逸らす。

 真音の嘘発見器が発動した。 

「そう、じゃあぁ、天女さんの旧姓は?」

 奈々は何の策もなく、早くも確信に迫った。

 透は顎に手を当て、奈々の取り留めのない質問に顔を見返した。

「何でそんな事、訊くの」素直に疑問を呈する。

 奈々が一度視線を真音に向けた。

 真音は素知らぬ振りをする。

「真音が、わたしと鈴ちゃんがそっくりって言うから、もしかして親戚だったりしないかな~とか思っちゃって。えへぇ」奈々の策はデレだった。

 奈々がもう一度視線を真音に向けた。

 真音は素知らぬ振りをする。

 透は度々真音を気にする奈々を訝しんで凝視し始める。

 透の視線は照れる奈々の目元にあった。

 奈々のそこには涙の跡がくっきりと残っていた。

「玉庭(たまにわ)だよ」奈々へ素直に答えた。

「え~~!? うそぉ~~! わたしのお母さんの旧姓も玉庭だよ!」思わず大声を出す。

 奈々が目を丸くして続ける。

「お母さんの旧姓は玉庭(たまにわ) 多和芽(たわめ)」

 奈々は急いでテーブルのナプキンを取ると、取り出したポールペンで[玉庭]と書いた。

 透が目を丸くして頷く。

 真音も驚くが、棚から牡丹餅(ぼたもち)の笑顔に変わる。

 鈴はストーローを咥えじっと見ている。

「それで、天女さんのお父さんとお母さんの名前は何て言うの?」

「いないんだ。天女は小さい頃に両親を亡くしたようで、お爺さんに育てられたって言ってた」

「そう、じゃあ、そのお爺さんの名前は解かる?」

「一度だけ、会った事があるだけだからな~ なんだったけか~ 確か―――あっ! 隆だ! 玉庭(たまにわ) 隆(たかし)」

 透が奈々からボールペンを奪い、[隆]と書く。

「多分、この字だったと思う」

「ありがとう、透くん! 帰ってお母さんに聞いてみる」

「それで、仮に、親戚だったとしたら、何か変わるのかよ、奈々」既に過去の事だという意識が透から見て取れた。だからといって妻は戻って来ないのだと。

「もぉ~ 解ってないなぁ、透くんは~ ロマンだよ! 運命を感じるじゃない」

 奈々がにたにたと笑い、首を傾ける。

 向かいの鈴が釣られて、首を傾け笑い返す。

「あ! その顔! 全く同じ顔してるよ」真音がここぞと指摘する。全くが大げさだったが。

 そして二人の会話にも、ここぞと指摘する。

「今、透君は何か変わるのって言ったけど、親戚だったら、堂々と家に入っても、可笑しい事にはならないんじゃないかな?」

「そうだよ! もう他人じゃないんだよ! 堂々とご飯を作りに行けるんだよ~」奈々の目の色が変わる。親戚はもう確定事項だ。

「奈々、別に何も変わらないよ。いつでも来て下さいって言ったじゃないか」

 確かに透にとっては何も変わらないのだろう。透の認識はそうなのだ。

 しかし、奈々の意識は全然違った。

 その温度差を真音は慮(おもんばか)り、一計を案じた。

「ねぇ~透君、私の事も、真音って呼んでよ」真音は試すように怪しく微笑む。

 奈々の嬉々とした顔が変わり、空かさず真音を睨む。

「解った、倉瀬!」

「この~ いけず~」真音が唇を突き出す。

「いけず~」鈴がすぐに真似た。その姿が面白かったのか唇まで突き出している。

「おとおさん、まのんちゃんにも、いってあげれば~」鈴のは只の配慮だけだろう。

「なぁ鈴、大人になったらね、男の子が女の子の名前を呼ぶのは、簡単にしちゃいけないんだよ。名前で呼ぶのは、特別な相手だけなんだよ」

「そっか~ まのんちゃんはとくべつじゃないのかぁ」

「そうだよ」

「じゃあ、ななちゃんはとくべつなの?」

 透が絶句する。

 奈々と真音の期待した目が透を見つめる。

「取り敢えず、倉瀬はダメだな」誤魔化した。

「いけず~」鈴が使いこなしていた。

 真音は、鈴が代わりに思った通りの展開にしてくれた事に感謝した。

「ごめん、やっぱり倉瀬でいいわ」してやったりの真音。

 透が言った。

「解った、真音」

 透は真音に踊らされた事に気付いて、反骨心を露わにしていた。

 今度は真音が絶句した。 

「私、ちょっとおトイレ行ってくる」と急に立ち上がった。

「奈々も付き合って」と睨む奈々の手を取った。

 トイレは混んでいた。通り過ぎて店外へ出る。

 奈々が空かさず言った。

「ねぇ、真音、あんた、透くんに馴れ馴れし過ぎよ!」

「ごめん、奈々。私、読み間違えた。あんた達もっと深い仲かと思ってた。土夏君やっぱり奥さん以外は女と見てないかも」

 攻守が入れ替わった。

「知ってるわよ! そんな事! もう分かってるんだから!」

「本当に、ごめん」真音が頭を下げた。

「真音が――― あ・や・ま・っ・た」

 真音が顔を上げると、奈々が希少動物を見る様な顔になっていた。

「ごめん、つい調子に乗っちゃった。土夏君って、冗談が通じるし、乗りがいいし、なんか相性の良さを感じるのよね。それに、今の土夏君には、哀愁があって―――」

 真音が気付いた。奈々の表情に嫉妬の隈(くま)がある事に。

 これまでの奈々との付き合いで、初めての事だった。

 真音が希少動物を見る様な顔になる。

 しかしそれも束の間の事だった。般若隈(はんにゃくま)が臍(ほど)け始める。

 代わりに、真音を見つめる奈々に、いつもの甘えが現れた。

「透くん、真音と何か凄く楽しそうに話すんだもん、わたし気が気じゃなかったんだからね。それに、真音は透くんに凄く……お似合いなんだもん…… ねぇ、真音! お願いだから……透くんを、取らないで……」奈々が涙を噛み締める。

 真音の前に、いつもの内気な奈々が居た。

「奈々はそんな風に思ってたんだ、ごめんね。私、奈々がずっと土夏君の事、見てたの知ってたよ。だから、取ったりなんかしないよ~」真音が奈々の頭を撫でる。

「本当に! 良かった~ 真音、いつもありがとう。一年の頃からずっと側にいてくれて、後腐れない断り方とかアドバイスしてくれて、変な男に引っかからないように気を使ってくれて、ほんと、頼りになります。ありがとう、お母~さん!」

「やだね~ こんな大きな娘はいらないよ。まだ、鈴ちゃんの方がましだね」

「え! 鈴ちゃん狙ってるの? ダメだよ、鈴ちゃんも!」

「それ、只の例えだから、本気にしない」

 奈々に笑顔が戻る。

「それじゃあ、作戦会議は奈々の家に行ってからという事で、このまま一緒に行く?」

「わたし、これから寄る所があるから、真音は先に行ってて、勝手に部屋に上がってていいから」

「解った。部屋を荒らして待ってるわ。それじゃ、戻りましょ」

 

「ななちゃん、まのんちゃん、おかえりぃ~」鈴が迎える。

「ただいま~」二人が応える。

 二人が席に座ると、透が話しかけた。

「随分と早いな、スッキリできたのか?」透はジョークで迎える。

「おとおさん! おんなのこに、そんなこといっちゃ、いけないんだよ!」

「鈴、大丈夫だよ。真音に言ったんだから」

「こら! 私にはデリカシーはないのかい」

 鈴は会話に着いてこれないで、首を傾げた。

「まのんちゃんは、おんなのこじゃないの?」

「まのんちゃんは、中身がおばさんなんだよ」透の言葉に毒が混ざった。

「ちょっと、土夏君! いい加減にして」

「透でいいよ。おばさん」

 透は明らかに、真音に悪意を持っていた。

 奈々は黙ってそれを眺める。

 真音は透の毒に嫌われた事を自覚する。奈々のためには歓迎だった。

 普段の真音なら気にしない筈だったが……真音の心がそれに騰(あが)らった。

 真音が葛藤する―――

 ドーナツホールを覗いたマロングラッセは、その穴から目を背ける事ができなくなっていた。それは、同情なのか、母性なのか、好奇心なのか、それとも自分が経験した事もない、深い恋を知りたいという憧憬なのか……それらが全部入り混じって、穴を埋めたい衝動に駆られる。

 一方、その穴を埋めるのはチョコバナナが相応しいと思う―――

 結局、真音は透に嫌われる道を選んだ。

「おばさんはそろそろ帰りま~す」道化を思わせる明るい一声。

 真音が立ち上がる。

「あ! 会計は私だったね、先に払っておくから」と伝票に手を伸ばす。

 すっと透の手が伸び、先に伝票を取った。

「いいよ、俺が出す」透が見栄を張る。

 真音の目には嫌味に映った。

「よ! 旦那! 太っ腹!」腹に届かない手が胸を叩く。

 真音は透の嫌味に乗った。

「ちょっと待って! 真音が強引に誘って、出すって言ったんじゃない」奈々が怒る。

「真音、調子に乗りすぎ!」追い討ちをかける。

「すいません調子に乗りました」と言って伝票を奪い、頭を叩く。

「奈々、鈴ちゃん、どぉ―――透君、じゃあ、お先に~」逃げるように背を向ける。

「ばいば~い」鈴の明るい声だけが見送る。

 透の目には真音が強欲でお調子物に見えただろうか―――そう思われれば成功だ。

 真音は会計を済ませると、慌ただしく店を後にした。

 思ったより、透に嫌われる事が辛っかったのだろう―――真音は口を噤み、目から一雫の汗を流していた。




ナナナナナナナナナナナナナナナナナナナナ




 真音がいなくなると、奈々が謝罪した。

「透くん、ごめんね。迷惑だったよね」

「そうだな。それより、何か嫌な事でも言われたのか? 泣いたんだろ?」

「え? 違うよ!」

「ななちゃん、いじめられたの?」鈴が咄嗟に反応した。

「あのね、鈴ちゃん、透くん。真音はね、わたしの一番のお友達なの。だから絶対虐めたりなんかしないよ。たまに、意地悪されるけど」

「うん、わかった」

「でも、泣いた跡が見えたぞ」

「うふふ、それはね、あ! 鈴ちゃん、ここから先は、大人の話だから、大人しくしててね」

 聞き分けのいい鈴は黙って頷いた。

「それじゃあ、真音が何故ここまで強引だったのか、の話から始めるね。真音はね、学校でのお母さんなの」

「え! じゃあ、あの自己紹介は本気だったんだ」

「そうね、あながち間違えじゃないわね。お母さんって意味はね、母親が娘の恋愛を心配する様に、わたしの恋愛の相談に乗ってくれる事なの。例えば、上手な告白の断り方とか、後腐れない断り方とか、まあ、ほとんど断り方なんだけど。それでね、もう解ってると思うんだけど、わたしが透くんの事を好きなのを気づいていたのよね。だから真音、一緒に居るのを見て、思わず、舞い上がっちゃたんだと思うの。だって、お母さんなんだから。だから、透くん……真音の事、許してあげてね」

「俺、今の話だけで、二人の関係が解っちゃったよ。否、なんか、凄く、解ったような気がする」

「それからね、真音って、凄く頭が良くて、すぐ先読みをするのよね。なんか探偵みたいに振舞って、たまに間違って、痛い思いもするんだけどさ」

「ああ、何かそんな感じだったな」

「それでね、今回もね、真音がそれをやってたんだけど……透くんの立場に置き換えて考えてみましたって言って、わたしに諭したの…… ここからは真音が言った事をそのまま話すね。―――普通、高校生で結婚するなんて余程、愛してないとしないよね。それが待ってた様に資格ができて入籍したと思ったら、翌日に死に別れたのよね。その悲しみは到底計り知れないものだと思うの。私だったら、後追いするわ。幼子を残していかなければ――― そう言って、土夏くんの性格を知ってるわたしなら、解るよねって、多分、当たってるよねって言われて…… わたし、その時初めて、透くんがずっと塞ぎ込んでた時の気持ちが理解できて、思わず泣いちゃったんだ」

 透は黙って聞いている。

「あ! あと、真音が、独身ですって無神経な自己紹介をした自分を殴ってやりたいって、後悔してた」

 奈々もそこで黙った。泣きそうな顔だった。

 透が応える。

「ありがとう、奈々。真音が奈々の親友だって事が良く解ったよ。今度会ったら、謝らないとな」

「やっぱり、真音の事、嫌ってたんだ」

「なんか、嫌な奴だと思ってた」

「それで、今はどう?」

「うん、凄くいい奴だな」

 奈々の心は複雑だった―――

 親友を嫌って欲しくない一心で、真音の一面を漏らしてしまった。それが透の認識を変えたのは良かったが、今度は逆に、それが好意に変わってはしまわないかと、不安が沸々と募ってくる。

 不安を払拭したい奈々が思い付きをしゃべった。

「ねぇ、透くん。やっぱり気分転換ならさ~ どっかパァ~と遊びに行きたくない? 動物公園なんかどうかな~ 鈴ちゃんもその方がいいと思うんだけど、どう、鈴ちゃん?」鈴を出しにする奈々。

 乗ってこない鈴を見ると、寝ていた。

 呆れ顔で透は見返す。

「残念だったな」にやりと笑う。

 奈々が、バツが悪そうに苦笑いを返す。

「違うの! わたしが行きたかっただけじゃなくてね、今日一番の迷惑は、鈴ちゃんだったじゃない。鈴ちゃん、ずっとつまらなそうにしてたから―――」

「今日はもう遅いから駄目だな」

「じゃあ明日!」目を輝かせて、顔を近づける。

「明日はやる事があるから、来週ならいいかな」

「じゃあ、来週の土日は空けておくね」

「了解」

「それで明日のやる事って?」

「家の年間行事で、花見をやる」

「へぇ~ さすが土夏家、年間行事もあるんだ」

「否、普通の家でもやってる事だけだから、神社特有の行事じゃないよ」

「なんだぁ、唄を詠んでたから、何かあるのかと思ったわ。少し期待しちゃった」

「もしかして、神社に興味でもあるのか?」

「巫女さんぐらいかな? ちょっとマニアック?」

「実は、倉庫にまだ残ってるよ、巫女服」

「え! それ着てみても大丈夫な物なの」

「いいよ、ちゃんと洗えば」

「そうか~ じゃあ、機会があれば着てみたいな」

「そんな機会はないぞ、もう神社はないんだから」

「それは、なんか見繕ってさ、それに、わたしは資格があるから大丈夫だし」

「なんだよ、巫女服着るだけなら、資格取得なんかいらないぞ」

「違うよ、わたし、まだ、処女だから……」真っ赤な顔になる。

「おい! そんなことは言わなくていい! それから、恥ずかしいなら言うな!」

「ごめん、つい流れで」

「流れでも、普通は言わないぞ」

「違うよ。透くんだから、言っても良いかなって……」

「じゃあ、計画的じゃねえか」

「ばれたか、てへ」

「てへって、舌は出すなよ」

「じゃあ、やっちゃうよ~ てへペロ」ペコッと舌をだす。

「あ~ やっちゃったよ」

「なんか、透くんと漫才してるみたいで、凄く楽しいね」奈々がにこにこして言う。

「真音が居たら、大変な事になりそうだな」

「あ! それいいかも~ 透くんと両手に花って感じ」

「自分で花って言うなよ」

「透くんってツッコミ上手だね。やっぱり男の子?」

「それ、真音とさっきやっただろう」

「さっきは子供がいる前でって言ったじゃない、鈴ちゃん寝てるからいいじゃん」

「そうだけど、おまえ、下ネタ出来んのかよ」

「あんたは得意なの?」

「お! あんたって言ったな」

「透くんだって、おまえって言ったじゃん」

「夫婦漫才だな、それじゃ」

 ここで突然、会話が止まった。

 奈々の目が潤みだして―――涙が流れた。

 透が唖然と見つめる。

「透くん、とってもとっても楽しかった。わたし、不安で不安でどうしようもなかったんだ。バカに付き合ってくれて、ありがとう」と言って、泣き笑いをする。

「何だよ、不安って」

「ううん、言えない! 奈々の秘密!」

「子供みたいに言うなよ。鈴ならわかるけど」

 奈々がにこりと笑うと言った。

「巫女さんから脱線しちゃたね。お花見に戻りましょう」

「ああ、そうだった。花見ってのは、家の庭に、樹齢三百年程の八重桜があるんだ、そこで毎年家族で花見をするのが、定例行事になってる」

「庭にそんな大木あったかな? 洗濯の時は見なかったよ?」

「神社がなくなった時に、上半分が切られたんだって。後、丁度、建物の影に隠れて見えにくい所にあるんだ」

「そうなんだ、それで……わたしはご一緒しても大丈夫……ですか?」

「何で敬語になってる?」

「だって、家族じゃないから」

「ああ、ごめん、家族って決まりなんか無いよ。そんな堅苦しい儀式じゃないんだから、普通の花見だよ。たまたま家族だけだったって話」

「じゃあ、わたしもいいの?」

「もちろん、元々、誘うつもりだったよ。それに、家族になる前の天女も参加してたから」

「じゃあ、わたしも家族予定者だね、うふふ」

「いや、そういう意味じゃないから」

「じゃあ、真音も誘う?」

「ん~ 駄目じゃないけど…… あ! その桜には名前が付いていてさ~ 天女桜って呼んでいたんだ…… ごめん、奈々が嫌だったら参加しなくてもいいよ」

「別に嫌じゃないよ。そういう事なら、真音はやめておこうね。それより、わたしが参加しなかったら料理とかどうするの?」

「奈々さん! お願いします!」透がお辞儀をする。

「分かってるじゃない! この奈々さんが、腕を振るってあげようじゃないの!」

「奈々、ありがとう」

「料理は、適当に重箱に詰めればいい?」

「それで結構です」

「じゃあ、買い出しに行きましょうか。あ! そうだ! わたし今日、一旦家に帰る用事があるから、買い物が終わったら行くね。その後、晩御飯を作りに戻るから」

「俺は、買い物が終わったら、鈴と一緒に帰ってるよ。後、花見の準備に草取りしないといけないから」

「じゃあ、そろそろ出ましょうか」と言って、奈々が鈴を抱き上げた。

「ん~ 五歳児となると結構重いね」

「無理するな、変わるぞ」

「大丈夫、やれるまで抱かせて」

 鈴は、奈々の温もりを感じると指しゃぶりを始めた。

 奈々がそれを優しく見つめる。

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