第21話 炸裂

 ベルカント軍との初戦に勝利を収め、明日の戦闘に備える為に意気揚々とノマールまで引き揚げてきたエゾナレス軍だったが、異変に気が付いた。ノマール城の城壁の上に翩翻へんぽんとベルカントの旗が翻っていたのだ。


「は?……何かの見間違いだろう?もう一度良く見てみろ!」


 報せを受けたパスチノッソス卿はもう一度確認の者を向かわせたほどであった。やがて物見の者から「やはり間違いない」という報せを再度届けると、思慮深いこの老公は様々な可能性を考えた。


 ナガトワでの戦闘の結果が間違って伝わっており、ノマールの守備兵の隊長が保身を図るためにベルカントに寝返ったのだろうか?あるいは、攻めてくるベルカント軍を欺いて誘い込む策略なのだろうか?……まさか本当にノマール家がベルカントに裏切るとは考えにくかった。なぜならノマール当主であるイプロンス本人が共に行軍しているのだ。

 だが、ベルカントの別働部隊が回り込んでノマール城を奪ったなどということは、もっと考えられないことだった。エゾナレス軍がナガトワの地での戦いを決戦と捉えていたように、ベルカント軍も同様の認識だったはずだ。それだけの兵力をベルカント側もナガトワの地に集結させていたし、別働隊のようなものが形成された……というような報告は一切なかった。

 まるで意味が判然とはしなかったが、とりあえずはノマール城に帰還しなければ戦略が大きく狂ってくる。この地で一晩しっかり休むことが、明日のさらなる勝利の必要条件なのだ。


 パスチノッソス卿は、自ら部隊の最前線に来てノマール城の様子を確認した。

 物見の報せの通り、城壁の上には翩翻とベルカントの旗が揺れていた。だが城門は開け放たれており、城兵がいる気配もない。城門の脇に置かれた二つの篝火が無人のまま燃え続け、城壁の上のベルカントの旗を薄暗く照らしているだけだった。


「……どういうことだ?」


 周囲の側近に尋ねたが首を捻るばかりで、まるで要領を得ない。ノマールの当の領主イプロンスを呼び出しても「精鋭は共に行軍するために率いてきたので、残してきたのは15人ほどの兵士に過ぎない。ただ守備隊の指揮官は自分の弟であり、ベルカントに寝返ったなどということは神に誓ってあり得ない!」と断言した。

つまりこの状況に関しては何ら判断が付かないということだ。


 真相が分からぬのなら軍を進めれば良いだけだ!とパスチノッソス卿は自らに言い聞かせようとした。ベルカント軍の別働隊がノマール城を陥落させた、などということは状況的にあり得ないことだ!……万が一そうだったとしても、現在自分の後ろにはエゾナレス軍の主力が集結しているのだ。仮にベルカントの別働隊のようなものがノマール城を奪っていたとしても、兵力において自軍が劣るなどということはあり得ない。


 だが……パスチノッソス卿の口から「ノマール城に入城せよ!!」という号令が出るには至らなかった。元々思慮深く、老人と呼ばれるに近い年齢となった老公は決断に欠けた。自身が策略を練るのが好きなタイプだけに、これも敵の策略かも知れない……と様々な可能性が頭に浮かんできてしまうのだった。


 実際、昼間の勝利に士気を上げていた彼らの部下たちの中には、国王の深慮に内心苛立っている者もいた。昨日泊まった城に帰還するのに何をためらう必要があるのか?しかも城門は開け放たれており、ただ掲げられている旗が敵国のものだというだけのことなのに……。兵士の多くはそう思ったことだろう。ただ、今まで国王のそうした思慮深さは多くの場合国のためになってきたことなので、士官の中にそれを露骨に出す者はいなかった。


 パスチノッソス卿の逡巡と軍の停止は僅かのもの……時間にすればほんの2、3分だったが、その僅かな時間が様々な変化をもたらした……と後に思い知ることになる。




 わずかの時間ではあったが進軍が停止し、上層部が判断に迷っていることはエゾナレス軍の兵士たちにも伝わっていた。


 勝利と言って差し支えない、昼間のベルカント軍との戦闘での高揚感に水を差されたかのような感覚を兵士たち誰もが抱いた。未知の地や敵国内に進軍してゆくのならば慎重になるのも当然である。だがこのノマールの地は紛れもなくエゾナレスの領土であり、昨夜を明かした城なのである。


 そしてノマール城にベルカントの旗が高々と掲げられている……ということが伝わると、兵士たちには緊張感と不安が広がっていった。だが同時にある意味では士気も高まってきた。昼間の勝利でベルカント軍に対する優位意識を多くの兵は抱いていたのだ。

 たとえノマール城がベルカント軍の手に落ちていたとしても、我々の手にかかればすぐに取り戻せるだろう……というようにである。そうした者たちは「ノマール城に進め!」というパスチノッソス卿の合図を今かと待ち構え、停止している自軍に苛立ちを覚えていたのだった。


 


 だが停止していた時間を切り裂いたのは、パスチノッソス卿の決断ではなくノマール城側の変化だった。

 城壁の上の松明が一斉に点ったのだ。その数はおよそ300ほど。正確な数を一瞬で把握出来た者はいなかったが、城壁の一面が急に昼間のように明るくなった様には、誰もがギョッとさせられた。


「皆の者、気をつけろ!!!攻撃が来るぞ!!!」


 その瞬間反射的にパスチノッソス卿は周囲に警戒を呼びかけていた。長年の戦場経験で、こうして意表を突かれた瞬間に攻撃されることが、何より危険であることを老公は熟知していた。

 実際、エゾナレス軍の固まったタイミングを見計らっていたかのように、次の攻撃が来た。……だがそれは、弓矢や投石あるいは騎馬兵による突撃などの予想していたどれとも違っていた。


(……何だ、アレは!?)


 それは奇妙な軌道で飛んでくる火の玉だった。ふわりふわりと風に舞うタンポポの綿毛のように、4つの火の玉がゆっくりと飛んできた。


 エゾナレス軍とノマール城の城壁との距離はおよそ150メートル。弓の射程距離にはやや遠い距離だ。火矢や、松明を投げたものが届く距離ではないし、なによりその緩やかな飛び方は奇妙なものだった。自然界の物理法則からは外れているような、そんな軌道だった。肉体が死んだ後に霊魂が残り地上を彷徨う……という怪談話を誰もが聞いたことはあっただろうが、それが本当にこの世に具現化したのか?……そんなことを想起させられるような現実味のない浮遊感でもって火の玉は漂ってきた。


 エゾナレス軍の誰もがその火の玉に見入ってしまっていた。あまりに緩やかな軌道からは攻撃性を感じられなかったのだ。


 だが穏やかに見えた火の玉は、着地した瞬間凄まじい攻撃性を発揮した!


 ほぼ同時に着弾した4つの火の玉によって、あたりは一瞬昼間のような明るさで照らされた!そしてまた同時にすさまじい爆裂音がエゾナレス軍全体を覆った!

 まるで雷が突然落ちてきたかのような衝撃だった!閃光をまともに見た者は目が眩んだし、着弾地点の近くにいた者は爆裂音のために耳がしばらく聞こえなかった。兵士たちは誰もが、恐れをなし一時的にパニックになった。大きな被害を受けなかったエゾナレスの兵たちは、まるで雷が間近で落ちたような状況の中で自分が生きていられることを幸運に思ったものだ。


 兵士たちの混乱はかなりのものだったが、それ以上に混乱していたのはエゾナレス軍の馬である。経験したことのない音と光の中で、馬たちはいななき暴れ回ったのである。その混乱ぶりは凄まじいもので、隊列は形をなさず、暴れまわる馬の背から振り落とされる騎士が続出した。


 そしてエゾナレス軍が混乱を極めている最中、次の大音量が響き渡った。だが今度は先程の火の玉が着弾したのではない。男の野太い胴間声が、混乱の頂点にあるエゾナレス軍の喧騒をも塗りつぶすほどの大音声で降りかかってきたのだ!


「聞けいっ、エゾナレスの者ども!!!ノマールのこの城は我々ベルカント軍がすでに頂戴した!!速やかに本領に引き揚げられることをおすすめする!!さもなくば、先程お披露目した『竜の吐息』と、この城の500の兵たちの弓矢をご馳走することになるぞ!!!無駄な命の捨て方をされることのないよう忠告致す!」


 男の野太い声とそれに似合わぬ妙に妙に丁寧な口調、500の兵による弓矢をお見舞いする……という割には静か過ぎる城内の様子。そのどれもが不気味だった。ひょっとしたらあえて誘い込んでエゾナレス軍に壊滅的な打撃を与えようという魂胆なのかもしれない、と一部のエゾナレス軍の指揮官たちは思った。


(チッ!!……何が『竜の吐息』じゃ!そんなもの、この世に有りはせんわ!ハッタリをかましおって!……本気で我が軍を壊滅させるつもりなら、あんな口上を述べたりはせずに攻めかかってくるじゃろうが!!)


 老獪なパスチノッソス卿はそんな時でも冷静だった。だが混乱を極める自軍に、今それを一から説明している余裕はなかった。敵がこうした奇襲作戦をとってきたということは、まともにぶつかることを避けているだけだ。ただ、その奇襲の効果は抜群で、自軍はすでに混乱を極め隊列も成していない状態である。そんな状況で攻勢に転じることは不可能だった。


「退け!……我が領土まで引き揚げるぞ!」


 内心の苛立ちは頂点に達していたが、王である自分が冷静さを失っている……と周囲に見られてはさらなる混乱は必至である。パスチノッソス卿はつとめて冷静に、低い声でそう近臣に告げた。

 すぐさま退却の命令は全軍に伝えられた。ただ、その退却の様も混乱を極めていた。我先にと、隊列をなさずに逃げ出す農民兵たち、馬首を後方に向けたことがより混乱を招き、落馬する騎士……主人を振り落としたことで、より興奮した馬は自軍の中を走り回り、時に落馬した騎士を踏み潰したりと混乱っぷりは目も当てられないほどであった。


 混乱するエゾナレス軍もなんとか隊列を組み直し、ノマールの森を抜けた所でようやく一息吐いた。ベルカントの追撃もここまでは及ばないであろう、という場所まで来たところで(実際には追撃など全くなかったのだが)被害を確認すると、その数は相当なものであった。


 パスチノッソス卿にとって何より腹立たしかったのは、被害はすべて自軍が招いたものだったということだ。あれだけの混乱の中で死者が僅かだったのは幸運なことかもしれないが、およそ100人近い負傷者の中に、ベルカント軍から射られた者はおろか、最初の『竜の吐息』とやらでやられた者など一人もいなかったのである!


「……チッ!まんまとしてやられたな、バカが!!」


 老公が行き場のない怒りを馬の背にぶつけると、馬の控えめな悲鳴が森に吸い込まれていった。




 『竜の吐息』の投下される前の時点で、形勢はすでに風使い側に若干傾きつつあったことは否めないであろう。圧倒的多数の兵力を有していたエゾナレス軍であったが、ノマール城の上にひるがえるベルカントの旗を見ては軍を留め、一斉に点灯した松明に微かとはいえ動揺を見せた。


 その根本の原因となったのは、総指揮官であるパスチノッソス卿の慎重さである。約500のエゾナレス軍が、五人の風使いたちの攻撃を受ける一方の構図が出来上がってしまっていたのだ。最初の段階で軍を留めることなく進めていれば、こうした事態は起きなかったであろう。


 エゾナレス軍がこれだけの被害を受けることになった要因としては、『竜の吐息』が当然未知のものであり、ここまでの攻撃性を秘めたものであることが分からなかったというのが一番である。そしてその未知の兵器に攻撃的な要素を感じられなかった、というのも大きな要素だっただろう。そして、もう一つの要因を挙げるならば、パスチノッソス卿とエゾナレス軍の騎士たち、それぞれのプライドであろう。パスチノッソス卿は再三「うろたえるな!奴らはハッタリをかましているだけだ!」という言葉を自軍にかけていたし、それを受け取るエゾナレス軍の騎士たちも正にそのように考え、隊列を乱すことは恥ずべきことだ……という意識が強く働いた。『竜の吐息』を何か幽霊を用いた肝試しのような感覚で捕らえていたのだった。これだけの攻撃性が秘められているとは微塵も思わなかったわけだ。


 炸裂した『竜の吐息』だったが、実際の死傷者は全くいなかった。何も敵軍に情けをかけたわけではなく、ポグレンの持っていた火薬はもともとが手品用のものであり、強い爆発力ではなく単に派手な音と光とに特化した火薬だっただけのことだ。





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