第20話 決戦!

「おい!来たみたいだぞ!」


 ノマール城の物見の塔に上って、東の森の方角に目を凝らしていたバリシナンテスが、慌ててディストールたちの揃っている中二階の部分に下りてきた。


「おい、おっさん。あんまりうろたえるんじゃねえよ、みっともない。……ノマールの守備兵たちに見られていることを忘れるなよ!」


「う、うろたえてなどおらんわ!……うろたえておるのはディストール、お前さんの方じゃないのか?……ま、初めての実際の戦場だからのう、無理もないがな」


 実際の敵を目前にしても、いつもと変わらぬ様子で小競り合いをしているディストールとバリシナンテスであった。ポグレンは、この期に及んでもまだそのやりとりをするのか?と戸惑った様子だったが、クラムートとナシェーリはいつもと変わらぬ二人の様子を見て少し安心した。


 もちろんディストールもバリシナンテスも平常心とは言えなかった。当然と言えば当然であろう。ディストールは、バリシナンテスが言ったとおり戦場に出ることが初めてだったし、バリシナンテスも何度か戦場に出たことはあったが、隠密行動ではなくこうして敵軍と面と向かって対峙することは初めてだったからだ。


 そうなのだ。彼らは『風使い』という隠密集団であり正規の訓練を受けた兵士ではない、そもそもこうして戦場で敵と面と向かって対峙する、ということを想定して訓練を積んできた集団ではないのだ。


 ただディストール自身に関して言えば、先にエゾナレス城下に潜入した時の方が緊張していた。それでも潜入して、情報を得て、脱出する過程で敵兵を倒す……その全てが初めてだった割には、冷静に全て対処出来たと思う。むしろ無我夢中の為せるものだったのかもしれない。実際に行動を起こさなければならない局面になれば、硬さもとれるだろう。

 こうして敵を目の前にしながら、じっとしていなければならない局面こそが一番緊張する場面なのかもしれない。


 すぐにデイストール自身も物見の塔の最上部に、はしごをつたって駆け登りエゾナレス軍の様子を観察した。


「……まだだ!……もうちょい近くまで来い!」


 ノマール城の最上部に翩翻と翻るベルカントの旗を見て、エゾナレス軍は多少迷うだろう。


 先程の戦で勝利した相手国の旗が、自軍の帰還する城に掲げられているのだから当然である。


 それとは相反するように開け放たれた城門を見て、思慮深いパスチノッソス公は様々な可能性を考えて軍を留めるだろう。短慮な人間が指揮官だったならば、とりあえず入城してみることだろう。そうなってしまっては風使い側の戦略は根本から覆されてしまうが、あの老公がそんな短慮なわけはない、という確信がディストールにはあった。何の迷いもなく無防備に入城してくるような人間ではないはずだ。


 その時に軍を留めておくのがどの場所になるか?というのが、約500のエゾナレス軍に5人で攻撃を仕掛ける彼らにとってはとても重要なポイントであった。エゾナレス軍が留まる場所が、想定と50メートル違ってしまえば、作戦の変更を余儀なくされる。

 それほどまでに風を操るという彼らの能力はナイーブなものとも言えるし、立てた作戦も紙一重の危ういものだったのだ。


「よし、そこだ!……止まれ、止まれ!」


 物見をしていたディストールは、思わず声に出して念じていたほどだった。


 そしてその念が通じたのか、エゾナレス軍は想定していた場所にほぼ当てはまる形で軍を止めた!……と言っても神への祈りが通じたわけではなく、そこにはそれなりの理由があった。


 この当時の弓矢の飛距離は約150メートルほどであった。ノマール城に向かう街道は一直線であり、エゾナレス軍が弓矢の射程距離を外して待機するのであれば、その場所が最もノマール城に近い安全な場所、と言えるのだ。ただこれは、ベルカント側の攻撃の第一が弓矢によるもの……という前提である。もし「ベルカント軍の兵力が多く、第一撃が弓矢による牽制的な射撃ではなく、騎兵による突撃かもしれない」という想定がエゾナレス軍の方にもしもあったならば、一旦軍を後方の森まで下げてから、斥候を派遣する、という安全策も有り得ただろう。そうはならず、ディストールの想定の場所に軍が留まったのは、やはりエゾナレス軍に慢心があったと言えよう。

 やはり昼間の勝利が勢いを与えていたのである。勢い、というものは良い方に作用することもあれば、悪い方に作用することもあるということだ。


「よし!敵は予定通りの場所で軍を留めたぞ!作戦開始だ!」


 ディストールは再び物見の塔の中二階に下りてきて、そこに待機していたクラムート、ナシェーリ、ポグレンに告げた。皆それに無言でうなずいた。流石に誰もが緊張していた。一人バリシナンテスは依然として物見の塔の最上部に留まっていたが、これも作戦遂行のために必要な配置であった。


 待機しているエゾナレス軍から斥候の兵士が数名出てきて、ノマール城内の様子を覗っているのが分かったが、そのまま放っておくことも事前に決めていたことだ。彼らに数少ない弓矢でも射ようものならば、たちまちこちらに兵力がないことが露見してしまう。敵方にとって不気味な存在であるためには、ただひたすら沈黙を保つ必要があったのだ。


 彼らは合図をして、配置についたことを互いに確認した。


「よし、作戦開始だ!」


 ディストールが皆に風で合図を送り、いよいよ彼らの作戦が始まった。


 まずは松明の点灯である。それまでに用意した300本の松明は城中二階の城壁にずらりと揃えて準備してあった。これが成功すれば、すくなくとも300の兵が城内に居る!と、外のエゾナレス軍には錯覚させられることが出来るかもしれない。


「よし、点火だ!」


 ディストールの合図で、ポグレンは種火をすぐ近くの一本の松明に移した。彼らが現在いるこの物見スペースは、左右100メートルほどに広がる城壁のちょうど中央に位置する。そして300本の松明は、総計200メートルほどの中二階の城壁にずらりと並べてあったのだ。油を染み込ませ、ポグレンの持っていた『火の布』を細くちぎり導火線として連結されていたのだ。


 中央の松明から種火が走り、暗闇を切り裂くように、300本の松明が一瞬にして灯った様は中々神秘的ですらあった。


「お~、スゴイスゴイ!うまくいったね!……今度ボクのショーでも応用させてもらおうかな?」


 ポグレンは子供のような声を上げてはしゃいだ。これが彼の今回の作戦の唯一と言っていい仕事だったのだ。もちろん事前の下準備を考えるならば、彼抜きには今回の作戦は有り得なかったのだが。


 必死になって準備した連結式の松明が、想定どおり灯ったのは作戦の第一歩の成功でもあり、はしゃぐポグレンの気持ちも分からなくはなかったが、ディストールにとってはこれからが作戦の本番であり、もちろん相槌を打っている余裕はなかった。


 ディストールはじっとエゾナレス軍の観察を続けていた。目を凝らし、そして灯った松明の光でエゾナレス軍から発見されないように、城壁の隙間からエゾナレス軍の静動をじっと確認していた。


 真っ暗闇の新月の夜ではなかったが、自分の方が急に明るくなり、向こうは依然として暗がりの中である。遠方を見る能力に長けた彼らは昼間であれば150メートル先の敵兵の表情もなんとなく見えるのだが、この状況ではそこまではっきりとは見通せなかった。


(……なーに、顔の表情が見えなくとも、動きを観察しているだけでも、心理状態は手に取るように分かるものだ)


 ディストールには、城壁の上に一斉に灯った松明に慌てているエゾナレス軍の様子がよく見えていた。


(……さすがに、松明が灯ったくらいで隊列を乱すほどはエゾナレス軍も甘くはないか。……だがそれもどこまで持つかな?)


 エゾナレス軍も日頃から訓練を行っている正規の騎士の軍隊であるから、慌てふためいて隊列を崩すようなことはなかったが、一斉に灯った松明を目の当たりにした前列の騎士は、必死の力で自らの乗る馬を制御している様子が見て取れた。そうなのだ、人間は理性の力で恐怖や驚きを抑え込むことが出来るが、騎士を乗せる馬はそれほどではない。もちろん馬も平素からよく訓練されていたが、普段と違う事態には動物としての本能が出る。今はまだ制御されているが、より大きな刺激でもって混乱が生じれば、それはあっという間に全体に広がるという兆候は感じた。


 ふとディストールのもとにクラムートが近寄ってきて、耳打ちした。


「ねえねえ、ディストール。『あわてるな!城内にあれだけの兵がいるはずは無い、あの松明は単なるハッタリだぞ!』って向こうの指揮官が言ってるよ。さすがにそこまで上手くはいかないね」


 先述した通りクラムートは特に耳が良い。この距離でも敵の指揮官の声が聞こえたということだ。


「なーに、そんな指示を出さなきゃいけないほどには動揺が広がってる、ってことの証拠だ。サンキュー、クラムート。……よし、ここらで投下といくぞ」


「オッケー!」


 クラムートはいつものふわふわした声で返事をした。ディストールはやや離れた場所にいたナシェーリにもアイコンタクトで投下のタイミングが来たことを知らせると、彼女もやや緊張した面持ちでうなずいた。




 

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