第19話 束の間の休息
「おい、おっさん!アンタはデブなんだから少しは自制しろよ!」
「うるさいわい!わしはお前らよりも体格が立派なんだから、お前らよりもカロリーを摂らなければならんのだ!」
「も~、二人ともやめなさいよ!」
プラハムが彼らの居る広間の前まで行くと、ドアの外まで何やら争う声が耳に飛び込んできた。すわ何事か!?と驚いてドアを開けてみると、リーダーの少年ディストールと大男のバリシナンテスとが掴み合いをしており、少女ナシェーリがその間に入って仲裁をしようと試みている場面だった。
重大な作戦を前にナーバスになり、何か仲違いをしたのか?と思って近付いたプラハムだったが、近づいてみると争いの原因は一目瞭然だった。
「……おい、何をしてるんだ?君たちは……」
「あ、……プラハムさん。……どうも」
ディストールはプラハムの姿を認めると、バツが悪くなったのか、掴んでいたバリシナンテスの手を離した。バリシナンテスの方も右手に持っていた鶏肉を、大皿の上にそっと戻した。
彼らの目の前にはサンドウィッチ、鶏肉のから揚げ、ジャガイモのグラタンなどが並んでいた。「彼らの要望があれば食事を提供してやれ」ということをプラハムは命じていたので、それが城のコックが提供したものなのだろうということはすぐに察しがついた。
「……なあ?……まさかとは思うが、食べ物のことで争っていたわけではないよな?」
年端もいかないガキどもとは言え、流石にそんなことはないだろう?と思って尋ねたプラハムの言葉に、ディストールは少しおどけながら答えた。
「……いや~、ノマールの食事は美味しいですね!俺たちの村は海岸の漁村なんで、魚ばっかり食べてるんですよ。……だから久しぶりに食べるこの鶏肉が美味しくて、ついですね……」
そう言うと彼はペロっと舌を出した。
プラハムは呆れて、なんと返答すれば良いのかまるで思い付きもしなかった。敵地に乗り込んできて、食事のことで味方同士でケンカをするなど、馬鹿げているとしか言いようがないからだ。
「……まあ、存分に食ってくれて構わんよ。ある程度は君らに協力すると約束したしな……。だがそんな調子で大丈夫なのか?」
怒鳴りつけたくなる気持ちをなんとか抑え付けて、あくまで冷静にプラハムは尋ねた。早急に彼らを見限った方が良いのではないか?という気持ちが大きくなっていたからだ。自分の部下が同様のことをしていたならば、問答無用で殴りつけていただろう。
戦争になれば本当に食料が窮乏して味方同士で争う、というケースも当然ある。平時からこんな調子で争っているようでは、部隊としては失格である。
だが再び食事を再開した彼らを見ていると、目前の食欲で味方同士争ってしまうような幼稚な少年少女……という先程の印象とは少し違っているように感じた。
……何というか、いつもと違う食事を純粋に楽しんでいる、3歳児という感じだろうか。少年少女たち、と呼ぶにはあまりに精神年齢が低そうだった。リーダー格の少年ディストールと、ひげもじゃの大男バリシナンテスは、相変わらず鶏肉が一個多かっただどうだのでモメているし、クラムートとかいう小さい少年はジャガイモを頬張りすぎてノドに詰らせ、それを少女ナシェーリが母親のような様子で背中をさすっていた。
ポグレンは、流石に彼らのこうした様子についていけないようで、少し遠慮気味に彼らの様子を伺い、お茶ばかりを飲んでいた。
そんなポグレンにディストールが声をかけた。
「おい、ポグレンさん!もっと食っとかないと後でバテちゃうよ?」
「……いや、ボクは君らみたいに神経が図太く出来てないんだよ!……っていうか、もうすぐエゾナレス軍が戻ってくるんだろ?こんな腹一杯食べてて、戦になった時に動けるのかよ!?」
ポグレンの疑問は当然のものにプラハムには思えた。それに対しディストールは5秒ほどかけて口内の物を充分に咀嚼してから返答した。
「いや、戦はそろそろ終わった頃だろうから……ここに到着するまではまだ2時間くらいかかるんじゃないか?だから今のうちに飯を済ませとくのさ。……飯だけじゃない、出来れば少し仮眠もとっておきたいところだな」
「正気かい!?ディストール君!」
あまりに大胆なディストールの発言に、ポグレンは軽い悲鳴を上げた。
「……?おかしいか?……エゾナレス軍を撃退した後も、俺たちはやることがいっぱいだぜ?ナガトワに戻ってポンテ卿に報告しなきゃいけないし……場合によっては、またノマールまで戻ってきて城内の人々とベルカント本隊との連絡役みたいなことをしなきゃいけなくなるかもしれないしな。……ポグレンさんだって、ナガトワに戻ってポンテ卿には会わなきゃいけないだろうし、家族の元に帰るんだったら早いほうが良いんじゃないのか?」
(……コイツ!正気か!?既にエゾナレス軍を退けた後のことを考えているだと?)
プラハムは耳を疑った。僅か5人で500人近いエゾナレス軍を退けよう!……という発想が既に常軌を逸しているが、さらにはその勝利を当然のものと考え、その後のことまで考えて行動している?「戦をなめるのも大概にしろ!」と叫びたかったが、なんとかそれを押しとどめて、もう少し彼らの様子を観察することにする。
部屋を見渡すと、2~30本の松明と、何やらカボチャくらいの大きさの紙の玉が3つあった。それとは引き換えに、先程見たときは部屋中に散乱していた作りかけの松明はほとんどなくなっていた。ふと疑問に思いプラハムは尋ねてみることにした。
「なあ?……あの大量に作ろうとしていた松明を使う作戦はもう止めにしたのか?」
「ああ。もう配置は大体済ませたんですよ。……プラハムさんもすぐに目にすると思いますよ」
ディストールが何気ない風を装って答えた。
(……配置を済ませた?本気か、こいつ?……どこにやったのかは分からんが、この短時間でそんなことが可能なのか?)
プラハムの目が不審気に泳いでいると、ディストールは得意気に説明し出した。
「ふふふ、俺たちは別に松明作りのプロってわけではないんですが、流れ作業は得意なんですよ。一人で全ての工程をこなして完成させるよりも、作業を分担して3人で一本の松明を完成させるようにした方が作業効率は上がるんですよ」
「ボクらの村は商人が多いから、たまにこういう作業を協力してやったよね~。ディストールの親父さんが怖くってね!……『効率を考えて仕事をしろ!』って顔見るたびに怒られたよね?」
「そうだったな……二言目には効率、効率!ってとにかく口うるさかったな!」
童顔の少年クラムートが昔を懐かしむと、ディストールは苦笑交じりに答えた。
「なるほどな、そういうものか……」
大規模な家内制手工業というのはまだまだ発展していない時代であったが、そうした流れは商人から起こった。効率を徹底する、という視点が純粋な騎士であるプラハムにはとても新鮮で、目から鱗が落ちるような思いがした。
(……ということは、こいつらは作業の時間を余らせて、余裕を持て余して飯を食っていたということか?……こいつらは俺の想像を超えている、のか?……だが実際そうでないとは言い切れん。『異能力』というやつも、本当にこいつらが言うとおり、先程の食堂で見せた手品とは比べ物にならないレベルのものを秘めている、という可能性もあるかもしれん。……となれば僅か5人でも、引き揚げてくるエゾナレス軍を退けることも可能なのかもしれん)
「……なあ、先程ナガトワでの決戦の様子を探らせていた斥候が戻ってきた。……大勝利ではないが、ベルカントに勝利してエゾナレス軍はこの城に引き揚げてくるぞ、おそらくあと一時間半ほどだろう。」
「……へ~、そうですか。そいつは重要な情報をどうも」
ディストール目を細めてそれを聞き、感情の見えない返事をプラハムに返した。
斥候からの情報を彼らに教えたこの時点で、プラハムの彼らに対する協力は決定的となった。
いや、やはりその通低にはプラハム本人の、ベルカントを選びたい、という心理が働いていたのだろう。
(……あと、1時間半か。……エゾナレスには派手に負けていてもらいたかったんだが、ポンテ卿は何やってるんだよ!……と愚痴っても始まらないな。……ま、俺たちの作戦は多少厳しくなったが、勝算は充分にある。……ま、結局上手くいくかは神のみぞ知る、ってやつだな)
プラハムからの情報を聞き、ディストールは再び頭の中であれこれと計算をし始めた。
エゾナレスがベルカント軍に勝利して、士気の高いままノマール城に引き上げてくる、というのは当初の目論見とは違い、かなり痛い。
そもそもディストールが今回の作戦を思いついたのは、ベルカント軍がエゾナレス軍を叩いているその間に、何かそれに乗じて我々『風使い』として目に見える功績を上げられないか……という所からの発想だったので、その前提が覆されたわけである。
だがもう後戻りは出来ない。それでも勝算は充分にある……とディストールは踏んでいたから、彼自身のモチベーションが下がることはなかった。
前向きに考えるならば、プラハムから斥候の持ち帰ってきた生の情報を引き出せた、というのは大きなプラス要素と言っていいだろう。最終的な結果がどちらに転んでも良いように、あくまで静観の立場を保とうとしてきたプラハムが、多少こちら側に付いたことの表れでもある。
もちろん状況次第では、再び寝返る可能性もあるが、ゆくゆくはベルカントに付きたい……という言葉が本心であったということの表れと見てもいいだろう。状況が微妙ならばこちらに協力的になる可能性も高くなったと見て良いだろう。
(……にしても、準備がこれだけ早く済んだ、というのは大きかった。これでプラハムの俺たちへの態度が左右されたとしたら儲けもんだな!)
こうして派手に飯を食い、「これから仮眠だ!」といかにも余裕綽々といった態度をプラハムにあえて見せたのは、彼と城兵に対する一種のハッタリである。
数百本の松明作りと、大きな火薬球作りという下準備を始めた当初は、こうした時間的余裕が出来るとは思えなかった。誰もがやったこともない作業を始めたわけだから、こんなことをして本当に間に合うのか?もっと堅実な作戦を立てた方が良かったんじゃないか?という疑問と焦りをディストール自身が抱えながら作業に取り組んでいたのだ。
だがそんな不安を抱えていたリーダーの思いは、空気の読めない彼の仲間たちには伝わらなかった。
この準備がこれからの彼らの作戦の成否を分ける、その出来次第では彼ら自身の命を危険に晒すことになる!……というのに、いつもと全く変わらないクラムートとバリシナンテスは人間としての最低限の想像力が欠如しているのではないか?とディストールは思う。ナシェーリは女性らしく、細かな空気の変化が分かる人間だから、ディストールのそうした不安にも気付いていたはずだが、それをおくびにも出さず、持ち前の器用さでポグレンの火薬球製造を大いにサポートした。
松明作りの方は作業量自体は多いが、単純な作業だったためディストール、クラムート、バリシナンテスそれぞれが作業に慣れてゆけば、効率も上がってゆくだろう……という見通しが立ったのだが、火薬球製造の方はそうはいかない。メインの火薬の抽出や、炸裂したときの効果を考えての火薬の配合などは、知識を持っている人間がポグレンしかいないので、メインの作業は彼が当たるしかなかった。だが彼にとっても、今回のような大掛かりな仕込みは経験のないことであり、「僕一人じゃゼッタイ無理だから!」とゴネたのでナシェーリを助手として付けたのである。理解の早い彼女の的確なサポートもあり、(この場にいた唯一の女性であるナシェーリが、ポグレンの傍にいたことが彼のモチベーションを引き上げたということの方が大きかったのかもしれないが)火薬球の方も時間的に余裕を持って完成させることが出来た。
ここまでの準備は順調に進んだが、ディストールには考えなければいけないことがまだまだ沢山あった。エゾナレス軍はほとんど損害もなく帰還してくるわけだから、当初の目論見とは相手にする兵数も当然変わってくる。風の向きや方角などを考慮して、松明や火薬球の配置がこれで良いのか再度確認しなければならない。当然実際の作戦の際に、それぞれがどう行動するのかも何度もシミュレーションしたいところであった。
「これからの作戦のことを考えて、みんな飯を食ったら仮眠をとっておけよ」と偉そうな口を叩いたディストールだったが、彼自身は不安で眠れるわけもなかった。正直に言えばこうして飯を食っていても、時々吐き気を覚えるほどであったのだ。
ふとお茶をすすっていたポグレンが顔を上げた。
「ねえ、あの火薬球なんだけどさ……何かみんなで名前を付けない?」
「……はあ?名前?……エゾナレス軍にぶっ放して、それでお仕舞いのあの火薬球に名前を付けるってのか?」
「うん。もちろん、今までも手品の種はいっぱい仕込んできたんだけど、今回のは今までのものとは規模が違うしねぇ。……何か愛着が沸いてきちゃったんだよね。確かにこれからすぐに爆発しちゃうだけの物なんだけど、その儚さもまた愛おしい、っていうかね……」
「え?ごめん、ポグレンさん。……俺には全然理解出来ねえや」
作戦の決行が近づいて一番不安がっているだろう、と思っていたポグレンの話になるべく乗ってはあげたかったのだが、言い出したことがあまりにも突拍子もないことだったのでディストールには理解出来なかった。人と違う感覚を持ったポグレンは実は芸術家肌なのかもしれない、と思った。
「か~!これだから若造は!……戦に初めて向かうポグレン殿の気持ちを少しは汲んでやろうと思わんのか!?」
ポグレンを冷たくあしらったディストールに絡んできたのは、バリシナンテスだった。まあこの場合彼がポグレンの気持ちを理解した、というよりも、いつも口うるさいリーダー面のガキにいじられている仕返しをこの機会にしたかった、というのがほとんどだっただろうが。
「……んじゃ、おっさんがとびきりの名前を付けてやれよ。……ほれほれ!」
仕掛けられたディストールも当然それにやり返す。
「う~ん、『トビウオ』と、『ホタルイカ』、それに空中をふわふわ彷徨うわけだから…『爆発クラゲ』でどうじゃろうか!?」
バリシナンテスの渾身のネーミングだったが、若者たちとはセンスがまるで合わないのか、誰もがきょとんとした顔をした。
「……おっさん、センスの欠片もねえな。……けなしてやろうと思ってたけど、それすらも哀れで憚られるよ」
ディストールのしんみりとしたツッコミに、クラムートも笑いながら頷く。
「そうだね~。漁師感って言うの?それがダサいし、ジェネレーションギャップ、マジウケる!って感じだったね~。……それにどれも同じ物だし、今後も同じものを作るかもしれないんだから、同じ名前にしといたら?ねえポグレンさん?」
「……確かにね。ボクは愛着があったから、それぞれに固有の名前をつけるつもりでいたけど、もしかしたら今後も同じものを作るかもしれないんなら、総称を付けた方が良いのかもね!」
「じゃあ、スターライトなんてどうかしら?夜空を彩る様々な色の光…ロマンチックだと思わない?」
ナシェーリも加わってきたが、これにはポグレンが首を振った。
「ちょっと綺麗すぎるかなぁ。もうちょっと強そうな名前が良いよ。……ねえ、ディストール君?」
「……俺に振るんじゃないよ、ポグレンさん。俺はそういうのセンスないんだよ」
読み書きや文章能力、数学の計算、歴史の暗記など、基本的な学力ではトップだったディストールだが、芸術的なセンスにかけてはからっきしで、少々コンプレックスを感じていたのだ。
飯を食い終わったというのに、しばらくこのどうでも命名問題に時間を割いていた5人だったが、やがてクラムートが何かを思いついたらしく顔を輝かせた。
「わかった!『竜の吐息』なんてどうかな!?」
その厨二病丸出しのネーミングには一瞬誰もが怯んだが、あまりに突き抜けていたために、一周回ってカッコいい!という気もしてきた。
「……何かカッコいいかもね!強そうだし……うん!『竜の吐息』に決定だね!」
発案者のポグレンがこう言ったので、誰もが笑いながらそれを了承した。
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