第14話 ノマール城潜入

 コンコン、コンコン、コンコン。翌日の早朝まだ暗いうちのことだった。裏庭の掃除を始めた頃、城内の下女は裏木戸を三度叩くノックの音に気付いた。


「……ったく、誰だい。こんな朝っぱらから……」


 食材を運んで来る出入りの業者かともチラッと思ったが、こんなに朝早くに来ることは今までなかったはずだ。


「……ああ、アンタかい。……お嬢様はもうここにはいらっしゃらないよ?」  


 裏木戸を開けてみてから、三度叩くノックがこの旅芸人特有の癖であったことを思い出した。少し前に街に出かけた時に、城主の娘であるアレフがこの旅芸人を何故かいたく気に入り、何度か城の中にも出入りしていたのだ。 

 下女の名はサクーダといったが、アレフがこの旅芸人と出会った時も同行していただけに、旅芸人のことは誰よりも覚えていた。


「あ、サクーダさん、開けてくれたのが貴女だったとは!……僕は幸運なのかもしれませんね」


 旅芸人というよりも、どこか高貴な雰囲気を漂わす青い瞳のこの青年のことを、サクーダも好意と興味を持って見てきた。だが当然同時に胡散臭さも感じていたし、警戒もしていた。彼女は、幼い頃からこの家の一人娘であるアレフの世話だけを考えて仕えてきたのだ。彼女に近づく者は何よりも警戒しなければならなかった。

 だが、この旅芸人に関しては当のアレフ自身が強く興味を持ってしまっていた。それがサクーダ自身のこの青年に対する興味を持ち続ける言い訳になっていた。この男がもし哀愁を帯びた美青年ではなく、汚いおっさんであったなら、たとえお嬢様がどんなに興味を持ったとしても、決して彼女に近付けはしなかっただろう。


 それにしても……と思う。アレフお嬢様だけでなく、自分のような下女の名前さえも覚えているとは……と警戒する。

 この男は、市中で芸をしているところをアレフお嬢様にお目をかけてもらったのを良いことに、その後何度かお嬢様に呼ばれ、城内やお嬢様の部屋で芸を披露するまでになっていた。一介の旅芸人にそんなことが許されるなど普通は有り得ない。


「ああ。お嬢様がこの城から離れられたことは、風の噂で聞きました。ご無事で落ち延びられたのであれば何よりです。……今日僕が訪ねてきたのは、アレフお嬢様というよりも城内の皆様にご挨拶をさせていただきたくて伺ったんです。……僕も戦が近づいてきたこの地を離れることに決めましてね」


「……あ、ああ!そうかい。そういうことなら……どうなんだろうね?……ちょいとプラハム様に聞いてくるよ」


「お願いします!」


 そう言うとポグレンはニコリとサクーダの目を見て微笑んだ。


 戦が目前に控えているこの大事な時期に、余所者を城内に入れるなどということは冷静に考えてみれば絶対に許されないことだが、サクーダはポグレンのことを余所者だという風には思えなかった。初めて会ったのは一月ほど前で、実際に会ったのはたかだか5回程であり、素性もほとんど分からないこの男のことをである。


 そしてそれは彼女だけでなく、彼と接したことのある兵士、そして守備隊長で当主の実弟であるプラハムにとっても同様である。誰もがこの不思議な旅芸人のことを好意的に見ており、彼がこの地を去るのであれば、皆当然一目会っておきたいと思うであろう……とサクーダは考えた。そして、それは実際その通りであった。


「……ねえディストール、今の下女の人を人質に取っちゃえば話は早いんじゃないの?」


 サクーダが守備隊長プラハムのもとに向かったところで、ポグレンの後ろに控えていたクラムートがディストールにそう尋ねた。


「ああ、実を言うと俺もそう思ったんだけどな……」


「言っとくけど……」 


 後ろの二人の話し声を聞いていたポグレンがこちらを振り返ると、今まで見た中で一番真剣な顔をして凄んでいた。


「もし、女性を人質に取るなんていう卑怯な真似をするんだったら、僕は君らに協力は一切しないし、君らを敵と見なすからな!」


「……って我らがポグレンさんが仰るんだから、しょうがないだろ?」


 ディストールは肩をすくめ、クラムートにアピールした。


 しかしディストールは、ポグレンのこの意外と頑固な一面を知った時から、この美青年の評価を改めたのもまた事実である。女性には絶対危険な目に遭わせない……というのは、この女ったらしの青年らしい、一見軟弱の極みのような信念にも思えるが、それを実際に貫けるのであれば立派な信念と言えよう。へらへら機嫌を取っているだけの男ではなく、芯にはこうした強い部分があるから、誰もがこの男に魅力を感じるのかもしれなかった。


 やがてまもなくサクーダは戻ってきた。


「プラハム様が入って良いってさ。ただし城内の人間はまだほとんど寝てるし、皆も朝の仕事があるから、しばらくは蔵の中で待ってろってさ。……あとイプロンス様のご夫人には流石に内緒にしなきゃいけないから、大広間に通すわけにはいかないってさ」


「あ、ありがとう、サクーダさん!貴女のおかげだよ、ありがとう!」


 お目通りが叶ったことが分かると、ポグレンは満面の笑みを浮かべ、下女サクーダの手を取って喜んだ。


「ア、アタシは別に……アンタの言われた通りそのまま伝えただけだよ。……良いから蔵に案内するから付いておいで!」


 ポグレンよりも一回りくらい年上だろうか?30代前半の下女、サクーダは顔を赤らめてポグレンの手を振りほどくと、裏木戸から彼を城内へと導いた。


「……あれ?こっちの皆さんは?」


 サクーダは、ポグレンの後ろにいたディストールたち4人にようやく気付くと、その存在をポグレンに尋ねた。


「ああ、みんな僕の仲間の旅芸人なんです。せっかくなんで、城内の皆さんにまた簡単な芸を披露してお別れの挨拶にしようと思って、協力してもらうんですよ」


「ああ、そういうことかい。……うん、まあアンタのことだ。別にプラハム様もダメとは言わないだろう。後で報告しとくから良いさ、付いておいで」


 サクーダは城内に入るのがポグレンだけでなく、5人もいることは知らなかったが、特段気にもしなかった。後ろに付いているのが如何にも屈強な男たちだったならば警戒心も強まっただろうが、見た感じポグレンよりも若い少年たちであり、一人は少女だったのだ。髭がボサボサの大男も一人いたが……彼は恐らくピエロ役かなんかだろう、と彼女は勝手に推測して納得してしまった。


 こうして5人はノマール城に極めて平和的に潜入することに成功した。


 


「ったく、いつまで待たせりゃ気が済むんだよ?……あの年増の姉さんは大丈夫なんだろうな、ポグレンさんよぉ?俺たち体よく捕まえられたんじゃないだろうな?」


 下女のサクーダに案内された蔵に入ってから、すでに1時間以上が経過していた。サクーダからの何の連絡もないことにディストールは苛立ち、その苛立ちをポグレンにぶつけていた。


「……さあね?僕は彼女のことを全面的に信頼しているけれど、もし彼女が僕を裏切るような人間だったらそれまでだね」


 ポグレンのある種他人事のような物言いに、ディストールはさらに苛立ちを募らせ、もっと強い言葉で彼を罵ろうとした時、ナシェーリが間に入った。


「もう!ディストール止めなさいよ!……こんな所でポグレンさんにイライラしてもしょうがないことはあなたが一番分かってるでしょ?……それよりもこの時間に作戦の確認でもしておいた方が良いんじゃないの?」


「……く、そうだな」


 こうして5人は再び作戦の確認を始めた。と言っても、城側の人間の対応が分からないので、結局のところは出たとこ勝負で臨機応変にやっていくしかないのではあるが。


 5人の話し合いも巡り巡ってそういった結論に行き着く頃、ようやく蔵の扉が開かれ、救いの女神である下女サクーダが顔を覗かせた。


「ごめんよ、ポグレンさん!朝の仕事が結構かかっちゃって……プラハムさんが会うってよ。あ、一応奥様には内緒だから城の食堂に来てくれってさ」


 その言葉を聞き5人はホッと胸を撫で下ろしたのだった。


 


 案内された食堂は思っていたよりも広く、全部で50人くらいは収容出来そうだった。一般の兵士たちや使用人たちが食事をするための場所だということだ。

 食堂には20人ほどの城側の人間が集まっていた。皆、朝の一仕事を終えたところなのだろう。タバコをふかしたり、テーブルの上に肘をついたりしながら、お互いにペチャクチャしゃべっていた。服装を見た限りでも、兵士、下女、コックなど雑多な人間がいることが分かる。


 皆ポグレンの顔を見ると、からかうような……でもどこか親しみのこもった声のかけ方をしてきた。


「お、イカサマ芸人!元気にしてたんかよ?」


「うちの姫さんにちょっかい出そうとするから、戦争になんかなったんだよ!俺たち全員に謝れ、コノヤロー」


 この言葉には流石にポグレンも苦笑しながら反論した。


「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。それは流石に僕のせいじゃないでしょう?」


 和気藹々と盛り上がってきたところで、ポグレンは一人の男を見つけると頭を下げて挨拶をした。 


「プラハムさん、どうもありがとうございます!……僕みたいな人間にこうした場を設けていただいて」


「何、良いってことよ。城の皆もお前のことを心配していたからな。こうして無事なことが確認出来たことが嬉しいのさ。……この地を去ってどこか行くあてはあるのか?」


「ええ。……とりあえず一度生まれ故郷に帰ろうかな、と考えてるんですよ」


「へー、そういやお前の故郷ってどこなんだ?」


 ポグレンとこの城の守備隊長であるプラハムとが話していると、回りの兵士や使用人たちがブーブー言い始めた。


「そんな話はどうでも良いんだよ!俺たちはお前の芸を見るために集まってんだぞ!」


「そうだそうだ!芸人が芸を見せなくてどうするんだよ!」


 食堂に集まった20人ほどの人間たちは、皆これと同意見だったようだ。ブーイングがささやかにではあるが広がった。


「分かった分かった、皆静かにしろ!奥様に不審に思われてしまうではないか。……というわけでポグレン、こいつらを黙らせるためにも芸の方を始めてくれるか?」


「分かりました、やりましょう!今日は今までとは趣向を少し変えまして、仲間たちを連れてきて少し派手な仕掛けも御用意しておりますので、楽しみにしてお待ちください。」


「おお、後ろの者たちだな!楽しみにしておるぞ!」


 そこで初め、後ろに控えていたディストールたちは、頭を下げて守備隊長に挨拶をした。ディストールは当然この守備隊長のことを観察することを忘れなかった。この人物こそが今回の敵の総大将と言えるのだ。その人物をこうして間近で観察できる、というのは大きなアドバンテージと言える。


 指揮官次第で部隊というものは全く別物になる。現段階でディストールが、ポグレンとの会話からプラハム守備隊長に対して抱いた印象は、温和で思慮深く慎重派、ただし冷徹な部分も持ち合わせている……というものだった。恐らく理性的な人間であるから、こちらに協力することに利がある、と思わせれば作戦は成功させられる!とディストールは自らにそう言い聞かせた。実際のところは事を起こしてみなければ分かるわけがない。


「はーい、それでは始めさせて頂きますね!」


 ポグレンの、今までのボソボソとしたしゃべり方とは打って変わった営業用の声が食堂に響き、ステージの始まりを告げた。


 採光用の大きな窓には分厚いカーテンが閉められ、暗闇が作られていた。トーチトワリングという火の点いた松明を振り回す芸を演出するためには暗闇の方が映えるからだ。木製のテーブルやイスは端の方に寄せられて、万が一燃え移って火事になったりしないように配慮がなされていた。


(……城内の人間はポグレンの芸を相当楽しみにしているのだろうな)


 そうした配慮は、城内の人間が率先して行っていたのだ。ポグレンの芸を見たい!という気持ちの表れでもあるし、芸の内容がトーチトワリングである、ということを説明するまでもなく知っているがゆえの先回り、とも言えよう。


 城内で働く人間にとって、外部からの刺激……ましてや娯楽といえるものなどほぼ皆無だろうから、ポグレンの芸をこうして楽しみにしている気持ちも分からなくはなかった。


(……これはやり易い状況かもな)


 これから行う芸にそれだけ注目が集まっている、ということは有利な状況なのは間違いないだろう。白け切った場の空気になり注目が散漫なものになってしまっては、仕事にならない。


 食堂はざわざわしていたが、ポグレンが皆の前に立つと静かになった。それを確認するとポグレンは、ノマール城内の人間に向けて朗々と挨拶を始めた。


「皆様、本日は忙しい中こうしてお集まりいただきまして本当にありがとうございます。……どこの馬の骨とも分からない旅芸人のボクを、ここノマールの皆様は本当に暖かく迎え入れて下さいました。……戦が差し迫って近づいてきましたので、ボクもこの地を去るのですが……皆様への別れの挨拶、それとノマールの地の平和、さらにはアレフお嬢様のご無事を願ってささやかではございますが、今から芸を披露させていただきたいと思います」


 そこで一旦言葉を切ると、ささやかではあるが見物している人間の方から拍手が起こった。ポグレンは軽く頭を下げてそれに応えると、もう少し言葉を続けた。


「今回はボクの旅芸人の仲間にも協力してもらって、いつもより少し大掛かりな芸を披露させてもらう予定です。どうか皆さんお楽しみに!!」 


 今度はディストールたちも頭を下げた。


 さて、いよいよショウの始まりだ。





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