第9話 拝謁
ガッサンディア裏切り!の報は既に暗号化された文書として、早馬でベルカントに留まっていたバリシナンテス、通称おっさんの元に届いていた。
山道の多いベルカントに入るとその差は大きくないが、平地がちなエゾナレスでは風使いの足よりも早馬の方が断然そのスピードは勝っている。バリシナンテスがその報せを受け取ったのはディストールたちがエゾナレス城を脱出した3時間ほど後のことであった。
(……まったく、早馬の代金もバカにならんわな)
報せを受け取ったバリシナンテスが最初に思ったのはそんな、あまりに俗な事柄だった。しかし、コスト削減!ということは日頃から口を酸っぱくして言ってきていることだ。それでも早馬で届けられらた、ということはそれだけ重要な情報だということなのだろう。
(いよいよ戦か……)
予想される内容は当然そのことだった。
実際に届けられた文書を開くと、そこに記されていた内容は予想通りのものだった。……ただし、ガッサンディア裏切り!という予想を上回るオマケもそこにはあった。
(ほう!これは一大事だな!)
すぐさま依頼主であるポンテ卿にその報せを持って行かねばならなかったが、国王はすでに開戦のために城を出ていた。向かった先は国境付近の係争の地、ナガトワである。
バリシナンテスはどうすべきか少し迷ったが、村長に事情を話して馬を借り、自身もナガトワに急行することにした。また村長にはディストールたちからの連絡があれば、村の者を連絡役として派遣してくれるようにも頼んだ。後述の部分に関しては、働き盛りの成人男子は皆それぞれ自分の仕事を抱えているので不安ではあったが、村長はどちらも快諾してくれた。
バリシナンテスは普段乗り慣れない馬をなんとか操り、2時間ほどでナガトワに着いた。ポンテ卿は元々この地の領主であるナガトワ家の館を本陣として構えていた。
空白地帯となっていたナガトワに旧領主と国王が軍を率いてやってきているのだから、これは完全な軍事行動と言えようが、エゾナレスに対する宣戦布告はまだなされていなかった。このあたりはポンテ卿のしたたかなところで、万全の態勢を整えてから開戦しようということなのだろう。
ベルカントの騎士たちの中にもバリシナンテスを知っている者が多く、ポンテ卿への拝謁を願い出るとすぐに話がついた。通された先はなぜか馬小屋だった。ナガトワ家の馬小屋は元々ここまでの数の馬を収容することは想定されていなかったのであろう、ベルカントの軍馬で溢れていた。
「おお、バリシナンテス。よく来たな!」
バリシナンテスが馬小屋を覗いていると、後ろからポンテ卿に声をかけられた。
見ると、どうやら国王自ら他の兵士に混じって、馬たちに水や飼葉をやっているようだった。
「すまんな!我々もつい先程この地に着いたばかりでな。諸々の雑事に追われてこのような有様だわ、ははは!」
どうやら人目を避けるために馬小屋に通されたというわけではなさそうである。人手が足りないというのは事実であろうが、流石に国王自らこうした下働きをする必要は無いだろう。だがポンテ卿にはこうした酔狂な一面があり、作業自体を楽しんでいるようだ。
それにしても忙しそうだ。200頭ほどの馬に対して、ポンテ卿を含め3人で馬の世話をしているのである。王が手を止めないので仕方なくバリシナンテスも、山となっている飼葉を運んでこようとしたが、ポンテ卿に止められた。
「よいよい、バリシナンテス!お主は馬の世話をしにきたのか?何か報せを持って来たのであろう?」
「はっ……」
(……そんならもうちょい聞く態勢をとって下さいよ。他の兵に丸聞こえでもいいんですかい?)
と思ったが、懐からディストールの送ってきた書簡を取り出すと、ポンテ卿もようやく手を止めてこちらに向き合ってくれた。
バリシナンテスは他の兵には聞こえないように小声で(ポンテ卿自身が無頓着なので、余計な気遣いなのかもしれないが……)状況を伝えた。
「エゾナレスの戦意は確実なもののようで、午ごろ決起集会が行われたようです、また……ガッサンディアが寝返った、とのことです。エゾナレスが強気に出てきた背景にはそうした事情があったようです」
「ほう!!」
今までにこやかな表情を崩さなかったポンテ卿だったが、この報せには目を細めた。
そしてしばらくの間、沈黙が訪れた。バリシナンテスはポンテ卿のここまで真剣な表情を見たことがなかったので……これには少し驚かれた。
だがすぐに、その沈黙はポンテ卿の快活な笑いによって打ち破られた。
「なに、恐れるには足らんよ、バリシナンテス!エゾナレス軍は既に出発の号令を出しているのだろう?」
「いや……決起集会が行われたという報は入っておりますが、進軍を確認したという報はまだ入っておりません」
「なるほど。……だが、同じことだ。決起集会を開いておいて軍を進めないなどということでは全体の士気も奮わんし、パスチノッソスの狐ジジイの信用にも関わってくるだろうからな」
「なるほど……」
ポンテ卿は自身に言い聞かせるように、言葉を繋げていった。
「……もちろん、ガッサンディアにも色々な思惑を持った人間がいる。我が国に対する感情や利害関係など一筋縄でいくわけがない。今までの同盟関係も仮初のものだったのかもしれない。……だが、それは我が国の方からも同じことだ。こうした情勢の中では、昨日の味方が明日の敵、というのはありふれたことだ」
「はあ……」
なんだか話が説教臭くなったな、とバリシナンテスは思った。だがそれに続いたのは明確な方針だった。
「要は眼前のエゾナレス軍を叩く、ということだ。ガッサンディアが我が領に侵攻してくるとすれば、この戦いで我が軍が相当消耗してからだろう。……エゾナレスとしてはまずは自らが戦って勝たねば、ガッサンディアに対しても、自国内にも示しがつかない」
「なるほど」
「この緒戦でエゾナレスを徹底的に叩くのだ!さすればガッサンディアの裏切りはなくなり、これまでと同様に我が同盟国としての顔を見せ続けることだろう。……もちろんそれまでにガッサンディアとの間に明らかな戦闘行為が行われたならば、我が国との関係の修復は不可能だがな」
バリシナンテスはポンテ卿の明快な論理に感心した。そしてその裏付けとなっている「戦闘になればエゾナレスには負けない」という強烈な自負も感じた。
「なるほど、わかりました。……して、我々としてはどう行動すればよろしいでしょうか?引き続きエゾナレス軍の静動を確認すればよろしいでしょうか?」
「そうだ、基本的にはそうだ。……だが、まあ少し待て。現地の者からの続報が入るかもしれんだろ?」
今にも駆け出していきそうなバリシナンテスを、ポンテ卿は笑いながら止めた。
それから2時間が経ち、日も暮れた頃ディストールたちが合流した。
バリシナンテスは陣営の一番後ろ、ベルカント側に腰を下ろし、レンベークの村を経由したディストールたちからの続報を今か今かと待っていたのだが、接触は思っていたのとは逆方向からなされた。
「おっさん!探したぜ!何だってこんな陣の一番最後尾になんか居るんだよ?戦が怖いんだったら、帰って寝てたらどうだい?」
第一声がディストールの大声でからかう言葉だったので、バリシナンテスも流石にこれにはイラッとした。
「な、何でお前がここまで戻ってきとるんじゃ!?エゾナレス軍にしっかりと張り付いて情報を逐一送ってくるのがお前らの役目だろうが!」
「……おっさん、声デカイって」
「……あ、ああ、すまん」
ベルカントの兵士たちの多くは彼らの顔を知っているし、風使いという立場についても理解をしているが、ここは陣営の一番外側だ。すぐそこには庶民も歩いているし、その中にはエゾナレスからの隠密が紛れているかもしれないのだ。用心に用心を重ねても損はないし、今後の情勢がどうなるか分からないことも考えると、出来るかぎり身分を隠しておくのが得策であるだろう。
「……どうしてお前たち全員がここに来ておるのだ?」
少し建物の物影に入ったところでバリシナンテスは再び尋ねた。
「ああ、それはな…………」
ディストールはエゾナレス軍の出発が思ったよりも遅く時間的猶予があること、その間に彼ら自身の意思疎通と、ポンテ卿の意向を伺ってから動こうという判断に至ったことを述べた。
「うむ、まあそれも良いのかもな。……とりあえずポンテ卿に話をつけに行くか」
「お、流石おっさん!」
ディストールの、流石という言葉には多少の皮肉も込められていたのかもしれないが、それよりも純粋に国王にすぐに面会出来るだけの信用を作ってきたバリシナンテスの功績を讃えたものだった。
それからすぐにポンテ卿のもとに4人は通された。日もすっかり暮れ、ナガトワ家の館は本陣としての体裁が完成しており、大広間には大きな篝火が焚かれていた。
「おお、よく来たな。風使いたちよ!いつも勤勉な働き、本当に感謝しておるぞ!」
「はっ!ありがとうございます!」
いきなりのポンテ卿からのお褒めの言葉に、ディストールはむしろペースを崩され、無意識のうちに深く頭を下げていた。隣を見るとナシェーリもクラムートも同様だった。おっさんだけが余裕を感じさせる態度を見せたのが、とても腹立たしかった。
「あ~、堅苦しい礼は無用ぞ。それよりももっと近くに来て顔をよく見せてくれ」
国王の更なる言葉に驚きつつも、4人は仰せの通りに歩を進めた。
「何だ何だ、皆ずいぶんと若いな!女子もおるのか?……こうして見るとバリシナンテスはもうおじさんだな」
「僕らはいつも『おっさん』って呼んでますよ~」
「ちょっとクラム!止めなさいよ、王様の前なのよ!」
無邪気に言い放ったクラムートの言葉をナシェーリが嗜める。
「ははは、『おっさん』か!?そりゃあ良い!ワシから見ればバリシナンテスも小僧のようなものだが……若さとは素晴らしいものだな!」
「いや~、ポンテ国王はダンディな渋さが溢れてますけど、『おっさん』はホントに冴えないおっさんっていう感じがあふれてますからね」
「こら!ディストール……御前だぞ!」
バリシナンテスが口に指を当てて静かにするように告げたが、ポンテ卿自身が愉快そうに笑っているので、その言葉に効力はなかった。
「そうか、そうか!ワシの魅力に一目で気付くとは……少年、やはり人を見る目があるな!」
「ありがとうございます!」
その後も少年少女3人と国王とで無邪気に盛り上がっていたが、バリシナンテスは見かねて咳払いをした。
「……ゴホン!あ~、ポンテ様。話を本筋に戻しませんか?」
「お、何であったかな?」
「……我々がどうすべきかの指示をいだだけませんか?」
「お、そうだったな」
ポンテ卿はにこやかな表情のまま続けた。
「そうだな。……やはり再度エゾナレス軍の動向を探ってくれ。出来れば背後に回って、部隊の様子だけでなく、民衆の様子や地形なども可能であれば探ってくれ。……ただ無理をする必要はないぞ。この地にエゾナレス軍がのこのことやってくるようならば、我がベルカント軍が決戦で叩き潰して見せるからな!」
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