第7話 脱出

(これはヤバイな!)


 ここまでの事態になってしまえば、これ以上この場に留まる必要はない。広場に集まったエゾナレスの騎士たちは皆ベルカントへの憎しみを口に出して叫んでおり、士気は異常とも言えるほどであった。これ以上探るべき情報はもはや無いだろう。


 ディストールはクラムートに合図を出し、脱出することを伝えた。広場が依然として熱狂している間の方が脱出もしやすい筈だ。

 クラムートも、ディストールの合図を待つまでもなく脱出の方向を探しているようだった。


 ディストールはすぐに三つあるうちの一番東の塔へと向かった。

 最初に侵入してきた城門から脱出するには再び庶民エリアを通らなければならず、それだけ守備兵に見つかるリスクも高い。

 どこかの物見の塔から脱出することが出来れば、そのままエゾナレスから脱出することが出来るのだからそちらを目指すのが当然だろう。


 それに、今まで見ていないエゾナレスの北側の地形や守備状況を見ておくことも、可能な限りしておきたかった。かと言って、西側や真ん中の塔に向かうことは、熱狂しているエゾナレス騎士たちに近づいて行くことになる。潜伏していた倉庫にも近く、広場からは逆方向に当たる東の塔に向かうのは自然なことだった。


  二人は慎重に移動を開始した。熱狂している広場での集まりを考えれば、その他の場所で巡回している守備兵はそれほど多くはないと予想されるが……言うまでもなく油断は禁物だ。

 守備兵側にも、それゆえに緊張感を高めている勤勉な兵士はいるだろうし、もし万が一彼らに見つかるような事態になれば、なんとしても潜入者を血祭りに上げ、これからの戦に向けて士気を高めよう!という意識も働くだろう。


(よし、とりあえずは大丈夫そうだな……)


 やはりほとんど全てに近い兵士たちが広場での決起集会に参加しているのかもしれない。

 巡回の兵士を一度も見かけることなく東の塔の下に辿りつくことが出来た。昨夜からの潜伏で地形を把握出来ており、移動がスムーズにいったのも大きかった。

 ふと振り返ると、クラムートが無邪気な微笑みを浮かべながらすぐ後ろにいた。相変わらずその微笑みの意味は分からないが、ディストールは安心した。


 だが脱出はここからが本番だ。物見の塔とは、兵士が常に待機し見張りをしているから物見の塔なのである。何人かは分からないが、そこに守備兵が常駐している。そこを二人は突破していかなければならないのだ。


 エゾナレスの城の簡単に構造を説明しておくと、城壁の高さは5メートルほど。幅は1メートル弱ほどで、兵士がなんとかすれ違える程度の幅しかない。城壁の上にはさらに胸壁と呼ばれる薄い壁が作られている。胸壁には所々に狭間と呼ばれる窓のような隙間が設けられており、守備兵は胸壁に身を隠しながら弓矢を放ち外敵に対抗するのである。


 先述のとおり物見の塔は三ヶ所あり、高さは城壁よりもやや高い8メートルほどだろうか。塔は城壁に上がるための階段も兼ねている。その他の城壁に上がるための石段は、三つの塔の中間地点に二ヶ所あるだけだから城壁に上がる場所は合計で五ヶ所しかないことになる。エゾナレスの騎士エリアの外径は1キロメートルほどなので、これで充分だと判断されたのだろう。


 物見の塔はもちろん外を警戒するためのものだが、円形の塔は各方向に視界が開けており、城内の様子ももちろん高い場所からよく見える。


 二人の向かった東の塔は現在静まり返っており、倉庫から物陰に隠れながら東の塔に向かって来た二人を、守備兵たちが捕捉している様子はなさそうだ。だが……実はすでに発見されており、確実に捕殺するために泳がせている……という可能性もゼロではない。

 二人は東の塔の下に辿り着くと、一つ呼吸を入れた。そしてクラムートは壁に耳を付け、中の様子を覗った。クラムートは耳が良い。様子を探るのはクラムートに任せ、ディストールは背後から追手が来ていないかを確認した。


 物見の塔は半径二メートルほどの狭いもので、中はらせん状の階段になっている。城壁につながる高さでらせん階段は終わり、それより上は鉄製のはしごで上がるような形状になっていた。塔の最上部は少し広くなっており、戦闘時には最も高いこの場所から何人かで弓矢を放つようなことになるのだろう。


「中には5人いるみたいだよ。塔の上の見張り場所に2人、真ん中の城壁とつながった部分に3人いるっぽいね。」


 塔の壁に耳を付け様子を探っていたクラムートが、ディストールを振り返りそう告げた。


「相変わらず、気持ち悪い耳だな」


 苦笑交じりにディストールは返したが、そこにはクラムートの特殊とも言える能力に対する畏敬の念が込められていた。実際、息遣いや微かな話し声から正確に相手の情報を得られる、というのは普通ではないし、これが味方で良かった、とディストールは心底思うのであった。


(……さて、と)


 ディストールはどうすべきか一瞬考えたが、すぐに作戦は決まった。ほんの少しのためらいで、敵兵に見つかるリスクは増す。何よりもこの場では守備兵に対して先手を取ることが重要なのだ。


 ディストールが目を付けたのは、塔の入り口すぐ横に落ちていた、枯れ枝や草、砂利といった何の変哲もない物だ。クラムートに耳打ちし作戦を伝えると、ディストールは塔の内部に向かって大きな声を張り上げた。


「おーい、誰か!ちょっと降りてきてくれ~」


 返事は一拍、間を置いてからのものだった。中にいた塔の守備兵にとっては足元から呼ばれる、ということが意外だったのかもしれない。


「何だ〜?どうかしたのか~?」


 狙い通り、中の守備兵はディストールの声を味方の呼びかだけと思い、狭い塔の階段をカンカン足音を立てて下りてきた。


 暗い螺旋階段では敵の姿は確認出来ず、足音で距離を測るしかないのだが、よく響くために足音はかなり大きく感じられ、もうすぐそこにまで敵兵が近づいているかと思われた。そのため敵兵をなるべく引き付けた方が効果的であることは分かっていたが、ディストールは自分を制御するのが難しく感じたほどであった。ただ、隣のクラムートはいつも通りのあっけらかとしたん顔をしていた。耳の異常に良いクラムートならば敵兵までの正確な距離も把握出来ているはずだ。タイミングは彼に合わせれば良いのだ。


「おい、どうした?」


 降りてきた一人の兵が、こちらを敵だと認識する前に二人は襲いかかった。


 先頭に立っていたクラムートが、短刀で太ももを突き刺し、うずくまったところをディストールが壁に頭を叩きつけると敵兵は昏倒した。


(……ふう!)


 まずは第一段階成功といって良いだろう。敵兵の装備が思ったよりも軽装で助かった。完全防備の兵士が相手だったならばこうも簡単にはいかなかっただろう。


 ディストールは自分たちの戦闘能力が平凡であることをよく理解していた。5人いるこの守備網を突破するには最初の奇襲が成功しなければ、かなり苦しくなっていただろう。 


「ディス、二人来たよ」


 クラムートの言葉にディストールはうなずき返す。下の様子を伺いに行った兵士が帰ってこず、大きな物音がしたわけだから今度の二人の兵士は当然警戒して降りてくるだろう。


「おい!どうかしたか!?」


 上からの声も最初のものとは違い警戒の色が強い。


 だがディストールたちは返事をせず、徹底的に無音を貫く。上から呼びかけた兵士たちも少しの間判断に迷ったようだが、やがてまたカンカンと足音を響かせ塔の階段を降りてきた。


 今度は敵兵がの姿が目に入る前にディストールとクラムートは頷き合い、一気に風の力を解放した。今回は今までのような繊細な使い方ではない。二人同時のフルパワーの力だ。


「うおっ!!」


 突然の突風に、ディストールの撒いた枯れ枝や砂利は猛スピードで飛んでいき、降りてきていた二人の兵士の目をつぶした。細い螺旋階段は銃身のような構造とも言える。二人の起こした突風は凄まじい速度で塔の最上部にまで到達した。


 二人は階段を駆け上がり、目のつぶれた二人の兵士を階段の下に突き飛ばし戦闘不能にした。そのまま駆け上がり城壁へとつながる中間部へと到達する。


「おい!敵襲だ!不審者が紛れ込んでるぞ~!!」


(ちっ!最上部の二人は無傷だったか……)


 先ほど起こした突風によって、見張り台にいた二人の兵士にも何らかのダメージが与えらていることを期待していたのだが、そう上手くはいかなかったようだ。


「敵は妙な力を使うぞ!気をつけろ!」


 見張り台の兵士が再び声を張り上げる。見ると中央の塔から守備隊の応援の兵士が5人向かってきているのが見えた。


 中間部から見張り台へと上がる細い穴を覗いた瞬間、矢が飛んできてディストールの頬をかすめた。敵兵の一人は常にこの場所に弓矢を構えていると思うべきだろう。


「おい、お前ら!縄ばしごはここにあるぞ!大人しく降参したらどうだ!?」 


 見張り台の兵士は今度はディストールたちに向かって呼びかけてきた。


 なるほど。城壁から外に下りるための縄ばしごは見張り台にあるので、君たちには外に下りる手段はないだろう?中央の塔からは応援が来ており、君たちは既に包囲されているので逃走の手段は無い。大人しく降参すれば命くらいは助けてやるぞ……ということか。


(ふふっ。……ガタガタ言ってないで、お前らも下りてきて闘えよ!)


 何だかんだ虚勢を張っても最初の突風による一撃が、大きく意識されているということだ。妙な能力を使う得体の知れない相手と、正面切って闘うのが向こうも怖いのだろう。

 実際のところ下りて正面切って戦闘を仕掛けられた方が、二人にとっては危険だっただろう。

 一人は常に見張り台に上がる細い穴に弓を構えている、ということは他の方向に弓矢を撃てるのは一人だけ、ということだ。

 中間部は待機する場所も兼ねているようだが、あまり多くの物は置いていなかった。ただ恐らく信号として通信に使うのであろう大きな紅白の旗を見つけた。


(よし、これで行くぞ!)


 ディストールはうなずき、クラムートに意思を伝えた。既に中央の塔からの守備隊の応援は50メートルほどの距離にまで迫っていた。時間をおけばさらに敵兵は増えていくだろう。


「そらよ、白旗だ!」


 さっきからうるさかった見張り台の敵兵の位置を確認し、白旗を彼の目の前に視界を奪うように放り投げる。


「なっ……!」


 そしてその隙に二人は城壁の手をかけ、外に向かって飛び降りた。


「バカめ!この高さで飛び降りるとはヤケになったか!?」


(……相変わらずうるさいヤツだな。俺たちの能力のことがまだ理解出来てないみたいだな!)


 5メートルほどの城壁から飛び降りた二人だが、バランスを崩すことなく真っ直ぐに落ちていった。そして、地面に衝突するかと思われた瞬間、足元からの強風が吹き上げ、二人は難なく着地したのであった。


 こういった使い方が出来るのであれば、空も飛べるのではないか?と思われるかもしれないが、二人の風を操る能力はそこまでのものではない。また、たとえ自分の体を自由に飛ばすほどの能力者がいたとしても、風を操る能力はそこまで持続性のあるものではないので、空を飛ぶというのは実用的ではないだろう。人間が本気でダッシュ出来るのは数秒間……とだいたい決まっているのと同様に、風を操る能力も持続時間はだいたい決まっているのだ。


 見事城壁の外に着地した二人だったが、まだ安心できる状況ではなかった。中央の塔からの守備隊の援軍が到着し、一斉に弓矢を構えたのだ。最初から塔の見張り台にいた2人の守備兵と合わせ、合計7人の弓がディストールとクラムートに向けられた。


 しかも二人は、着地の際に風の力を使ってしまっており、飛んでくる矢の方向に向き直ったとしても風で吹き飛ばす……ということは出来ないだろう。二人は潜入のために普通の作業着のような軽装であり、10メートルほどのこの距離で弓矢に撃たれては致命傷になる危険性も高い。


「撃てぇー!!!」


 だが一斉射撃の号令が出た瞬間、またしても砂混じりの突風が吹き、守備兵たちは顔を背けざるを得なかった。突風は3~4秒ほど続き、彼らが再び目を開けた時には二人の不審者は既に姿を消していた。









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