第6話 エゾナレス決起

「ディストール、起きなって!……誰か来るみたいだよ!」


 耳元でささやくクラムートの声でディストールは目を覚ました。


「……よくこの状況で眠れるもんだね……」


「ああ……」


 ディストールは寝ぼけ眼をこすっていたが、鉄の扉が動くガチャリという音が鳴ると瞬時に緊張が走ったようだ。クラムートとともに腰の短刀に手をかけ、いざという時に備えた。

 だが扉を開けた人間は入り口に近いあたりで何かを確認すると、すぐに扉を閉めて出て行った。


「……ふう」


 二人は顔を見合わせほっと一息吐いた。

 二人が目を付け忍び込んだのは、小麦や馬の飼葉などが収められた大型の食料倉庫だった。四方10メートル高さ3メートルほどの大きさで藁なども積まれ、土臭さに慣れてしまえばなかなか快適な場所だった。

 時刻は午前6時ごろだろうか。上方に設けられた小窓から差し込んでくる陽光は、今日も晴天だということを知らせている。


「しばらくはここに隠れて様子を覗おう。動くのは日が暮れてからだろうな。クラムもちょっと寝とけよ」


「え~、大丈夫かな?二人して寝てて、捕まっちゃいました(笑)っていうオチになるんじゃないよね?」


「バカ、俺は充分寝たから大丈夫だよ!……いいから休んどけよ、体力を温存しとくのも大事なことだぞ」


「まあね……って言ってもボク、こんな状況で眠れるほど神経図太く出来てないんだけど」


「……横になって目を瞑ってるだけでも、体力回復にはだいぶ違うぞ」


「う~ん、そうなのかな?」


 クラムートはそう言うと、さっきまでディストールが寝ていた干草の上に身を横たえた。


「……とりあえず、これからどうするかだな。ナシェーリには俺たちが騎士エリアに入っていることはもう伝えてあるから、サポートのやり方も考えているとは思うけど」


 クラムートの返事がないので振り返って見ると、すーすーと寝息を立てていた。


(……まったく、お前も大物だよ!)


 クラムートの意外な豪胆さに、、ディストールはむしろ嬉しくなった。


(……さて、どうすっかね?)


 とりあえずディストールは、倉庫の奥の干草の山から這い出て入り口の扉付近に来た。

 壁に耳を押し当て周囲に人がいないことを確認すると、扉を細く開き外の様子を窺った。

 通行をしている人間はまだ見当たらないないが、あちこちで炊事の煙が上がり、馬の鳴き声が聞こえたりと、街が目覚めようとしているのが伝わってくる。

 また、夜目でははっきりと分からなかった城内の地形も把握できた。三つある物見の塔はいずれも外部、つまりエゾナレス城の外に面した場所にあった。


 ディストールがまず考えたのは自分たちの脱出経路である。

(城壁のどこかに細工をして逃げやすくしておくか?……あるいはもし余裕があるようならば庶民エリアに戻り一波乱起こしてから逃走する、というのがベストかもしれないが……まあまずは確実に逃げ延びなければ話にならんよな)

 逃走経路をあれこれと想定しながら、用心しながら倉庫の周囲を一周して中に戻った。

 クラムートは相変わらず幸せそうな顔で、すーすーと寝息を立てていた。


(……にしてもエゾナレスもやはり豊かな国、と言って良いんだろうな)


 朝の光が差す倉庫内を見て思ったのはそんなことだった。

 ベルカントは海運事業が盛んな商業国としての成功を収めているが、エゾナレスはまた別の意味で豊かと言える。

 それはこの倉庫内に表れている。大量に保管された小麦や飼葉である。ベルカントの穀物製品とはその質・量ともにはるか上回っていることがすぐに分かる。その道に詳しくないディストールが見ただけも、農業国としてはエゾナレスが数段上を行っているんだろうなということを連想させる……そんな倉庫内の風景だ。


 と、その時入り口付近で人の気配がし、鉄の扉がガチャリと鳴った。


 瞬時にクラムートも目を覚まし、腰の短刀に手をやる。ディストールも身構え、干草の山の中から飛び出す準備をした。

 身体の反応としては先手を打って攻撃したくなるのを、理性で必死に押さえ込む。こういった場合の判断は難しいが、向こうがこちらの異変に気付く前に仕留める……というのも選択肢の一つではある。だがもちろんそうなってしまえば、従来の予定通り城内に潜伏し、情報を得るという本来の目的はかなわず、攻撃が成功しようが失敗に終わろうが即座に逃亡しなければならない。

 入ってきたのは二人組の中年の兵士だった。装備や仕草などから判断するに、単なる一兵卒だろう。


「まったくウチの領主様も急だよな!朝になって、『ベルカントと戦争になる、今のうちに食料と飼料の備蓄を確認しておけ』だなんてよ~」


「……まあそれが主計長のウチの殿様のお役目だから、しょうがないんじゃないのか?」


「にしてもよ~、在庫管理はきっちり書面にしていつも王様に提出してるんだろ?それをわざわざもう一度確認する必要あるか?」


「……まあな、っていうか二人でこの量をイチイチ数えてたら日が暮れちまうよな」


「だろ!……っていうかウチの殿様も『確認しておけ!』って言っただけで、何も『もう一回数え直せ!』って言ったわけじゃないよな?……見た感じ、一週間前に棚卸ししたときと変わってないから、その通りの数字を報告すれば良いんじゃね?」


「……ったく、お前もしょうがないヤツだな!……そうすっか!」


 ディストールは怠慢な兵士たちに対する蔑みと、敵がそうであったことのありがたさを感じた。


(……さっきの話からするに、コイツらは主計長の役に就いているエゾナレスの騎士の下っ端っぱってとこか?……それよりも『ベルカントと戦争になる』ってはっきり言ったな!)


 二人の兵士たちは倉庫でしばらく時間を潰していくらしく、入り口の扉近くに腰を下ろした。

 ディストールとエゾナレスは、身じろぎして音を立てないよう注意を払いつつ、兵士たちの言葉に耳を研ぎ澄ませた。

 エゾナレスが国としてどのような策を採り戦争を仕掛けてくるのか、という公的な部分の情報を得ることももちろん大事だが、こうした一兵卒の生の声を聞くことも隠密にとって重要な仕事だ。兵たち一人一人の心が戦争に燃えているのか、あるいはそうではなく戦争に意味を見出せないでいるのか、そうした個々人の士気によって部隊というのは全然別物になってくるからだ。


「……でもベルカントと戦争なんてやって勝てるのか?」


 ふと漏れた彼らの言葉は不安に満ちたトーンをしていた。 


「ベルカントってエゾナレスよりもでかい国なんだろ?隣国のガッサンディアもベルカントの同盟国だし」


「……正直、偉い人たちの考えることはわからんよ。……まあ、いざとなったら俺たちみたいな下っ端は白旗上げて降参しちまえば良いんだよ」


「……でもベルカントの奴らって、俺たちエゾナレスの人間を田舎モンみたいな感じでバカにしてねえ?『自分たちこそが世界の最先端を行ってる!』みたいな感じで、俺はアイツら気に入らねえんだよな。あんなヤツらの所に降参はしたくねえな!」


「ああ……まあ言いたいことは分かるぜ。商人たちも、ベルカントの奴らはエラそうにしてるもんな」


 たしかにこうした傾向があることは否めない。

 海運と商業で発展したベルカントの人間、特に各国を回って儲けている商人たちにはそうした傾向が強く、エゾナレスの農産物を不当に安く買い叩こうとしている、という問題になったことも何度となくあった。

 身近な小国の人間同士こそ、差異を見つけては感情的摩擦が起き、争いに発展してゆくのかもしれない。東方にはトラバル帝国という大国があるのだが、彼らも比較して同様の反応を示したりはしないだろう。


 それから30分ほど、ぺちゃくちゃと様々なおしゃべりをして二人の兵士たちは出て行った。

 エゾナレスの下々の兵士たちは今回の戦争を疑問を感じている、というのは大きな情報だった。


(だが……何か裏があるのは間違いない)


 下っ端とはいえ、エゾナレスの兵たちにさえそれが何か知らされていない……ということはそれだけ大きな内容なのかもしれない、という気がした。


 


 すぐにそれが何なのか彼らは知ることとなる。


「集合、集合~!騎士たちはすぐに大広場に集合せよ!!」


 正午を少し過ぎた頃、呼び掛ける伝令の声が聞こえてきた。

 伝令は何人もの人間によって行われているらしく、同じ内容のものを倉庫の中に隠れているディストールとクラムートは何度も耳にした。


「いよいよ、みたいだね」


「ああ。内容を確認したら、すぐに脱出するぞ」


 二人は頷き合い、軽く拳を合わせた。

 互いにそれ以上の言葉は交わさなかったが、ここが正念場であることは十分に理解していた。

 エゾナレスが戦争に踏み切った理由……それこそが最も重要な情報であり、その情報を得るためにはエゾナレスの兵士たちが埋め尽くす場所に最接近し情報を得なければならない……それは言うまでもなく二人にとって命を賭けた仕事だということだ。


 二人はしばらく待ち、慎重に外の様子を確認してから倉庫の外に出た。

 物陰に隠れて見ると、大広場には200人ほどの騎士たちが集まっており、それを警護するであろう兵士たちがそれを囲むように待機していた。恐らく周辺域の守備の部隊も考えると、これがエゾナレス城下にいる騎士たちのほぼ全てだろう、ということが推察された。


 やがて一人の小柄な老人が広場の王宮側に面した壇上に上がると、ざわざわしていた空気が一瞬で静まり返った。


(あれが……エゾナレス国王パスチノッソス公、ということか)


 ディストールもその名を知ってはいたが、実際に目にするのはもちろん初めてだった。


 エゾナレス国もベルカント国と同様に歴史の浅い小国である。パスチノッソス公はもう60を過ぎた年齢であり、一代でエゾナレス国を独立まで導いてきた人間である。独立を果たした若かりし頃は名君という評判も高かったが、年齢を重ねるごとに猜疑心が強く部下を信用しなくなった……という評判も聞こえてきている。


「皆の者よく集まってくれた。先頃から問題になっておったナガトワ周辺の問題、いやそれだけではない。……ベルカントにはいつも苦汁をなめさせられてきた。ことがここまで進んだ今、ベルカントにいよいよ一泡吹かせてやろうではないか」


 パスチノッソス公の声は大きなものではなく、むしろ語りかけるような話し方だったが、大広場は水を打ったように静まり返っておりそのためによく通った。身を隠しながら離れた場所にいる二人にもはっきりと聞き取れるものであった。


「……ふ、どうした皆?不安気な顔をしておるな。……分かっておるわ。ワシも必勝の勝算のない戦に挑むほどバカではないわ」


 そう言うとパスチノッソス公は言葉を切り、大広間に集まった騎士たちを見回しニヤリと笑った。


「ガッサンディアが我がエゾナレスに味方する、という確約が成立したわ!!」


 その言葉が終わると、徐々にエゾナレスの騎士たちの囁きが大きくなり、最終的には大広場はウオーッ!!という大きな歓声に包まれた。


 一通りその光景を見守っていたパスチノッソス卿だったが、やがて傍らの侍臣から書簡を受け取るとそれを高々と掲げた。書簡は通常の大きさのものなので目視でその内容までは確認できないが、ガッサンディアとの条約が成立したことを示す書簡なのだろう。


(そう来たか!!!)


 エゾナレスが戦争に打って出てくるための秘策が何なのか?様々な可能性を考えていたディストールだったが、これは予想もしていなかった。

 繰り返しになるがガッサンディアは設立当初からのベルカントの同盟国であり、国王同士も度々会談を行っては親密にしている間柄の両国だったからだ。

 ただ国力に関してはガッサンディアはベルカントよりも一段落ちる。エゾナレスよりもさらに若干小さく人口3万人弱の国であった。地形・風土的にはベルカントとほぼ同じで海に面した国として漁業や交易を生計としている民が多い国である。

 それが同盟を破棄してエゾナレスに加担した……というのは非常に大きな出来事であるのは間違いない。そう決断したガッサンディアの思惑は知る由もないが、一刻も早くベルカントの国元に情報を届けるべきだろう。


 どうすべきか、ディストールは一瞬考えた。一刻も早く情報を届けるべきだ、というのは確かに一面の真理ではある。だがパスチノッソス公の演説はこの後も続きそうな雰囲気だし、それに対するエゾナレスの騎士たちの反応も見ておくべきだろう。

 では、クラムートだけ先に脱出させて情報を少しでも早くナシェーリに届けるべきか……色々なことが頭によぎったが、結局は二人で今しばらくこの場に留まり、情報をより多く仕入れてから脱出することにした。

 より多くの情報を得るという点よりも、脱出をより確実にするためには二人で行動すべきだと判断したからだ。


 広場ではパスチノッソス公の演説が続いていた。


 先程までの語りかけるような口調とは打って変わり熱のこもった口調で、エゾナレスにとってベルカントが如何に積年の恨みの積もった相手であるか、ベルカントを滅ぼすことがエゾナレスの今後の発展にとって如何に重要なことであるか……を延々と語っていた。

 その場にいる騎士たちの熱狂振りは、外側から見ているディストールには怖いくらいだった。エゾナレスの建国からの浅い歴史を振り返るパスチノッソス公の話に涙を流して同調する騎士も見受けられた。


(なるほど……老いたりとはいえパスチノッソス公は油断のならない策謀家と言えるな!)


 冷静に考えれば、歴史を紐解いた老公の話は両国の関係を適切に捉えたものとは言えないことは分かるだろう。エゾナレスはベルカントに対して、経済的に抑圧され、バカにされてきた……というのがその話の主旨だが、つい何年か前までは友好関係に両国はあったという事実を完全に無視したものだったからだ。

 だが聴衆はそんなことに気を止めたりはしない。聴衆とはその時の感情で、自分にとって都合の良い場面を思い出し、その感情を勝手に盛り上げていくものなのだ。


 とはいえ、誰が語り手となっても同様のことが起こるかというとそうではない。話の抑揚の付け方だけでこれだけの熱狂を作り上げるというのは、やはりパスチノッソス公のある種の才能と言えるだろう。


「ベルカントを殺せ!殺せ、殺せ!」「ベルカントを殺せ!殺せ、殺せ!」


 広場ではいつの間にか、エゾナレスの騎士たちの声が合唱のようになっていた。


 




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