第3話 潜入開始
それから4時間後、ディストールとクラムートの二人はエゾナレス城下すぐ近くにある村の宿屋にいた。
常人の足であれば倍近く掛かることを考えるとこの点は流石と言って良い。彼らのような隠密にとって移動能力というのは、最も基本的で最も重要な能力なのだ。
二人は地味な作業着に身を包んでいた。どこかの商人か職人の下働きのような風体だ。
「なあクラム、どうだ?どんな感じだった?」
ディストールは、先程まで別々に村の情報を探っていたクラムートの意見を求めた。エゾナレス城下に程近いこのあたりの雰囲気は城内と通じるものがあるだろう。
「……うん、何か思ってたよりも全然緊張感がないんだよね」
「そうなんだよな。俺もこのあたりの人間にベルカントとの関係について、それとなく尋ねてみたんだけど……みんな呑気というか、あまり興味自体がなさそうだったな」
「……どうなんだろう?エゾナレスとしては戦争にはならない……と踏んでるのかな?」
「分かんねえな……仮に戦闘になったとしても、このあたりが戦場になる可能性が低いのは確かだし、友好的な隣国だった頃の感覚が庶民には強く残っていて、本当に呑気なだけかもしれない」
戦争というものは、あくまで支配階級である騎士たちのものであった。
また騎士同士に関しても、勝敗がつき降伏すれば、たとえかつての敵方でも丁寧に扱うのが常識でありそうした騎士道から外れる行為は最も恥ずべきことである!……という意識が騎士たちには根付いていた。
従って、実際に戦端が開かれたとしても戦死者というのはごく少数であった。軍の大半を占める雑兵(農民兵)たちは形勢が不利だと悟れば、すぐに投降や逃亡といった手段で身の安全を図ったのであった。
そして戦争が終われば大抵の場合、勝者となった支配者も彼らを許し、農民たちは元の農地を耕すために戻ってゆくのが常であった。ずいぶんとヌルい戦争だと思う人もいるかもしれないが、こうした形をとることでたとえ戦争となっても社会基盤が大きく崩れることはなかったのである。
今回の場合、エゾナレス城下付近で戦闘となる可能性は確かに低いだろう。普通に考えれば最初に戦闘が起こるのは、年貢問題が起こった国境付近だからだ。
しかしたとえ戦場とは距離があったとしてももっと緊張感が生じるのが普通だ。この村の領主も騎士として戦場に出るだろうし、そうなればそれに伴う農民兵の徴用や装備・物資の準備などでバタバタしているのが普通なのだ。
ディストールとクラムートは顔を見合わせ、首をひねっては色々考えてはみたが、当然答えが出るはずもなかった。
「……まあ、明日エゾナレスに潜入してみて、それからだな」
「そうだね」
明日のことは明日考えれば良い、考えても分からないことは考えない、ということで二人は早々に宿屋のベッドに潜り混んだ。
一方のナシェーリは別のルートを辿っていた。
年貢をエゾナレスに納めることで、今回のいざこざの発端となった当の村、ナガトワを下見するためである。
エゾナレスの圧力により向こうに年貢を納めてしまった、ということを既にナガトワの村長はベルカント側に告白していた。ベルカントとしては、ナガトワ村を責め立てても得られるものは無く領民の感情を逆撫でするだけである、として追及をエゾナレスに向けることは決定していた。
そのことが既にナガトワ村にも伝わっているからなのか、こちらも村の様子も意外なほど通常通りで領民たちも農業に精を出していた。
(……ふ~、呑気なものね。……でも国としてはこれが正しいことなのかもしれないわね)
現在ナガトワ村は、ベルカント家の兵もエゾナレスの兵も常駐していない空白地帯のような状態になっていた。
ポンテ卿の「問題解決に軍事的行動を起こすことはなるべく避ける」という方針のためにそうした措置が採られてきたわけだが、元々ナガトワ村を領有していたベルカントの当の騎士にとっては面白くない事態である。
いや面白くないどころか、先祖代々の領地が(ベルカントは歴史の浅い国だからそれほど昔からのものではないが)自分のものではなくなってしまうのだから、これは家としてのプライドに関わる問題である。だから「命を賭けてでもナガトワの領有を自分のものに回復しなければならない!」と強く意気込んでいた。
そうした雰囲気が伝染したのか、ベルカント側の隣村は色めき立っており、騎士とその従者たちとの動きも活発になってきていた。
(……そうした動きはナガトワ村にも、エゾナレス本国にも当然伝わっているだろうに、思っていたよりも通常通りね……)
庶民たちの口コミでも情報は伝わっていくだろうし(そのスピードは我々が想像しているよりもはるかに速い!)エゾナレス側が隠密を雇っている、ということも当然考えられる。
風使いを雇い隣国を探らせるということをベルカントはしているのだ。エゾナレス側も同様のことをしていないと考えることの方が不自然であろう。
それなのにこの日常的な光景はどういう意味だろう。
(……それにしても広い土地ね)
ナシェーリは少し感傷的に思った。
海と山に囲まれた土地の多いベルカント……特に自身の育ってきたレンベークの村とは真逆ともいえる、広大な平地がナガトワからエゾナレス側には広がっているのが分かる。
ちなみに、こうして土地や地形を把握して報告しておくことも彼らの重要な任務である。
もし戦闘になった際に……どこに陣を構え、どこで敵を迎え撃つのか、といった戦略を立てるために地形の把握は絶対的な条件だからである。今回のことでもし戦闘が始まるとすれば、やはり当該の地であり両国の国境であるこの辺りが戦場となるだろう。
しかしまだ戦闘になると決まったわけではないし(現時点の状況を見るとその可能性は低い)ポンテ卿も詳細な地形の把握をこの段階で欲しているわけではないだろう。ナガトワ村の雰囲気を手紙に記しベルカント城下で待つバリシナンテスに送ると、ナシェーリは先を急ぐことにした。
街道沿いにエゾナレス城下へと向かい、途中いくつかの村で小休止を兼ねては様子を覗ったのだが、どこも通常通りという感じですぐに戦争が始まるという緊張感は感じられなかった。
(まあ、そんなものなのかもしれない)ともナシェーリは思う。
当然庶民にとっても戦争は無関係なものではなかったが、基本的には騎士同士の戦いであり、農民兵たちは降伏すれば許されたのである。
もちろん実際の戦場となる地域の住人にとっては、戦闘が起こるかもしれないというのは非常に大きなことである。農地が荒らされればその年の収穫がなくなるかもしれないし、戦闘の中で家が破壊されることも珍しくない。
しかしだからといって、戦争が始まる前に先祖代々の土地を捨てて逃げ出す……というわけにもいかないのだ。特にここ何年かは、こうした小競り合いのような戦争があちこちで続いている。だから農民たちの間でも開き直りのような気持ちが出てきて、ギリギリまで自らの仕事に精を出すようになってきているのかもしれない。
ナシェーリはこうして夜通し駆け、朝方になってエゾナレス本城の付近でディストールとクラムートと合流した。
ディストールとクラムートはすでに宿としていた村を出発しており、街道に出てからナシェーリと合流した。
狭い宿場の村だ。二人とナシェーリが一緒にいるところ誰かに見られ、不審がられる可能性もゼロではない。それよりも多数の人間が行き交う街道で合流したほうが、人の波に紛れ印象には残りにくいだろう、という判断であった。
「お疲れ、そっちの様子はどうだった?」
先に声をかけたのはディストールの方だった。
時刻は朝の8時頃。すでに商人の隊列や近隣の農民・町民たちが、多数行き交っていた。
初夏になりかけていたこの季節、朝の日差しはすでに強く今日が暑い一日になりそうなことを嫌でも予感させた。
「お疲れさま。ナガトワ村からいくつかの村を回ってきたんだけど、どの村も通常通りって感じね。戦争に備えてあれこれ忙しい!……みたいな雰囲気はどこも感じられなかったわね」
「ああ、こっちもだ。まあ実際に城下に入ってみないことには、エゾナレスの方針は見えてこないかもな」
「そうね……とりあえず私のほうで、ナガトワ村の様子を第一報としておっさんに送っておいたわ」
「オッケー。俺たちと接触したことと、近隣の村の様子も続けて送っておいてくれ。あと、ナシェーリの方の宿を決めて、おっさんからの連絡を受けることも出来るようにしといてくれよな」
「ええ、分かってるわ。……で、アンタたちはどうするの?もう今から城下に入るの?」
「ああ、通行の多いこれくらいの時間のほうが入りやすいだろうし、なるべく早く入って可能な限り情報を集めるよ」
「そうね。連絡の取り方はいつもの通り?」
「そうだな。城内から東に300メートルあたりの箇所、日没の時刻を目安にしよう」
「了解~、じゃあ気を付けてね」
「ナシェーリもね。そっちだって見廻りの兵に見つかるかもしれないんだからね」
クラムートがニコリと微笑むと、緊張していたナシェーリも少し表情を崩した。
「アンタたち二人なら大丈夫だとは思うけど、くれぐれも油断しないようにね」
ディストールとクラムートはナシェーリと別れエゾナレス城内へと向かった。
城門には当然門番がいたが、ここの様子も通常通りといった感じである。通行する庶民たちを合計4人の門番が見てはいるのだが、一人一人をじっくり見定めているという感じではない。時々門番同士で雑談をして笑い合っているくらいだ。
二人は念のため別々に検問に向かったのだが、どちらも何の問題もなく城門を通過することが出来た。
だがディストールは微妙な視線を感じていた。自身の思い過ごしであればそれに越したことはないが、城内では常に見られている……という意識で行動すべきなのは言うまでもない。
単なる商人の下働きと、何らかの鍛錬を積んでいる人間とでは、歩き方一つとっても違うものだ。もちろん二人とも、そうした点にも気を配ってはいるのだが、見る目のある人間には見抜かれてもおかしくないだろう。
そもそも4人という門番の数も、決して少なくはないと言える。同規模かそれよりも若干大きいベルカントの城門は通常2人で見ているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます