第2話  出発

 この辺りは小規模な都市国家の乱立している地域である。

 どの国も堅固な城壁で囲われた都市を中心に周辺の農村を支配しているが、いずれもその規模は小さく総人口10万人に満たない国ばかりであった。

 国家元首である国王の権威というのは各国によってまちまちではあるが、どの国も歴史的に浅く、あくまで支配階級である騎士たちの統率者、という性格が強い。


 ベルカント国は人口5万人弱。小国だらけのこの辺りの中でも小規模な国だが、海の面でも陸の面でも交通の要衝に位置し商業国として発展してきた国だ。

 現在の当主ベルカント=ハインシンク=ポンテは独立を果たした先代から10年ほど前に家督を継いだ人物であり、名君であるとの評判が高い。領民に対する税率を下げることで他国から人が集まり、新たな技術や物資等の流入が進む……というこの時代にしては先進的な政策を採ってきた人物である。


 中でもポンテ卿はレンベークの村に一目置いているようだ。バリシナンテスに言った言葉は誇張ではないのだ。

 彼は村の交易の自由をかなり認め、それに対して一定の税をかけることで国の収入としてきた。ベルカント国が成立する以前の帝国時代は、国が貿易を独占し、レンベークの村人による貿易を密貿易として厳しく取り締まっていたのだが、ポンテ卿はそうした方針を180度転換し貿易を村人に開放することで、人も物資も非常に多く集まり結果的に税収も大幅にアップしたのだった。

 レンベークの村の人口は400人ほど。ベルカント国内にある村落の中でも小さな方だが、この村の特殊性については先に述べた通りだ。


『風使い』というのは文字通り風を操る能力を持った者たちのことだ。

 といっても都市を暴風で覆ったりだとか、村一帯の建物を吹き飛ばしたりといった大それたことが出来るわけではない。伝説的な風使いはそれに類する力を持っていたとも伝えらているが、ディストールたちに備わっているのは、ほんの何秒間か突風を作るといった程度の能力に過ぎない。そんな彼らの能力が現在の村の中ではトップのものだ。この能力は筋肉と同じで、使えば使うほど成長してゆくし使わなければ衰えてゆく。一応は能力者としての気概を持ち、日々鍛錬に励んでいる彼らの能力が村の中では高いのは当然かもしれない。


 しかし他の村人にも風使いの能力は受け継がれている。ディストールたち以上に微々たる発現の仕方しか出来ない彼らだが、それでもそれは意味のあるものだ。

 そこには風を読むという能力が含まれているのだ。

『風使い』といっても風はゼロから作り出されるものではない。空気の流れを敏感に感じ取り、風の流れの方向を少し変えてやり集めてゆくことで大きな風とするものなのだ。 

 日頃風使いとしての鍛錬を積んでいない村人たちも、遺伝的に代々受け継いできた能力として、風を読む力は常人とは比べ物にならないレベルにある。……というよりも、この部分に関しては生まれ付いてのセンスがほとんどなのである。

 そして村人たちはその能力を航海に生かしていた。普通の船乗りよりも速く安全な航行を彼らは可能としていたのだ。

 速い、といっても海運事情をよく知らない人間にとっての印象はそれほどでもないかもしれない。10日掛かる航路をせいぜい1日縮められるかどうか……といったレベルだ。

 だが航行をする人間や積荷を運ぶ人間、そして積荷を待つ人間にとってそれだけの時間の違いは非常に大きなものだ。何より風を読む力により安全な航行が可能である、という信頼性の高さからレンベークの船は海運業者としてどの街からも引っ張り凧となった。

 こうしてレンベークの人々の多くは交易商人として身を立てていったのである。




 4人が集まっていたのはレンベークの突端の岬にある灯台の中だった。彼らが集まるのはいつもここと決まっていた。

 ディストールは皆と別れると、出発の準備を整えるために一旦家に帰った。


「母さん、仕事が決まったよ。……しばらく留守にするけれど、心配しなくても大丈夫だからね」


 仲間たちといるときとは全然違った優しい声を母親に掛けたのだった。


「……村長からさっき聞いたわ。……危険なことは避けて、無事に帰ってくるのよ」


「大丈夫だよ!」


 ディストールは飛びっきりの笑顔を母親に向けた。


「母さんも、そう思うけどね…。何があるか分からないのが世の中だから……」


 母親は息子の笑顔をあまり信用していないように心配そうな顔をした。息子の意志の強い眼と常に不満気なへの字口とは違った、憂いを含んだ儚い表情だった。

 ディストールの父親は村でも一、二を争う交易商人で、航海のため家に居ることがほとんどない。そのためか母親は子供であるディストールと妹マリアに対しては過保護で心配性なところがあった。


 母親をなだめ、着替えと路銀、短剣という簡単な旅支度を済ませるとディストールは村長のところに挨拶に向かった。『仕事』を行うのはディストールたち4人だけではあるが、形式としては「仕事」はあくまでもレンベークの村に依頼されたものであり、4人はその代表として派遣された人間ということになる。


「では、村長。行って参ります!」


 村長は70歳に近い年齢で穏やかな風貌をしているが、まだまだ気力に満ち、頭も回り、村人思いなため、信頼の厚い人物だった。


「ああ、くれぐれも気を付けてな……まあ、ワシとしての本音を言えば、こうしてお前たちを派遣する必要も無くなってきた気がするんじゃがのう……。商売の業績はどの家も好調じゃからベルカント家への上納金を増やし、お前たちの派遣に替える……という風に交渉することも可能だと思うがなぁ」


「まあまあ、村長。僕たちの身を案じて下さる気持ちはとても嬉しく思いますが、それでは風使いの村として伝統が途絶えてしまうことに繋がりかねませんか?」


「……まあ、それもそうじゃが。だが未来を考えると、交易の村としての更なる発展こそがこの村の未来に繋がるんではないかとも思う。……ディストール、お前さんもいつまでもこうした仕事を続けるつもりではないんじゃろう?」


「はい!いつかは父のような立派な交易商人として身を立てたいと思っています。そのための修行期間として、この仕事も捉えております。……交易商人としての仕事も大変なものだということを常々父から聞かされたおりますから!」


「まあな、どちらの仕事にも相通じる部分は確かにあるんじゃろうな。……おっと、あまり長く引き留めてもいかんな。ではくれぐれも気を付けるよう、クラムートとナシェーリにも伝えておくれ」


「はい。では行って参ります!」


 村長の家を出た瞬間、ディストールの顔に張り付いていた笑顔は消えた。


(……ケッ、親父の後を継ぐなんて真っ平御免だね!)


 村長も言ったとおり、村の中でも『仕事』に携わる風使いの立場というのは、微妙なものになりつつある。かつては成人男子の名誉ある立場だったらしいが、現在では危険な割りに儲けの少ないこの仕事を進んでやろうという人間は、余程のモノ好きとして見られている。

 ただ先のディストールの話にもあった通り、海を渡り各地を巡る交易商人というのもまた危険の多い職業であることは間違いない。そこで訪れるであろう有事の際に対処する機転・胆力を養うために、一種の期限付きの兵役のような形で、若い時分にこの仕事をする……というのが近年の慣わしとなっていた。

 だがごく最近の話で言えば、一度商人の道を志したが失敗しこの仕事に就いているバリシナンテスや、女子ながらにこの仕事を2年以上続けているナシェーリのような例もあり、そうした慣わしも崩れつつある。

 ただ当のディストールは、自ら言ったように「この仕事を単なる一時的な成人のための儀礼」のようには捉えていなかった。風使いという流浪の生き方こそが自分には向いている、という思いが強かった。

 彼は元々優等生として見られてきた。学校での成績は常にトップ。運動も出来る。誰に対しても礼儀正しく、品行方正であった。

 だから当然村一番の交易商人である父親の跡を継ぐと見られてきたし、今もそう見られている。優秀な父親の血を継ぐ息子であればそのように育ってきて当然だという見方もされてきたわけだ。彼自身にもそういった意識が働き、周囲の期待に応えようとしてきた部分があったのかもしれない。


 だからこそディストールはそんなものから自由になりたかった。

 命を危険に晒すというリスクを背負い、戦場に出れば正規の騎士からは小馬鹿にされ、それでいて得られる報酬はほんの僅か……そんな仕事でも敷かれたレールの上を歩むよりはよっぽどマシに思えたのだった。

 むろん彼のそうした思いを、青臭い反発心で本質を見失っている……と笑う人間もいるだろう。  

 そしてそれが半ば以上正しい、ということもディストール自身理解していた。実際のところ交易商人もまたやり甲斐を感じるものだろう、ということも想像はついていた。


 仮に跡を継いだとしても、交易商人として父親と同程度の成功を収めるというのは並大抵のことではないだろう。海の上に出れば様々な危険があるし、船員たちをまとめるには人望も必要だ。各国を巡り、その土地の商人たちと交渉するのは本質を見抜く確かな目と、時には図々しいくらいの度胸も必要になってくるだろう。何より全ての責任を負う立場に立つ……というのは並大抵のプレッシャーではない。

 それは裏を返せば、苦労とともにやりがいも非常に大きな仕事なのだろう……ということも彼は理解していた。

 それでも、風使いの道を選ぼうというのは……突き詰めれば意地でしかないのだろう。






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