短編草稿

三好 真琴

甘味と苦味

視界は暗闇。地面はゆらゆらと揺らめいている。微かに聞こえる潮騒とその上に重ねられる密かな小言。

ここは輸送船の中。そして俺は密航者。絶対に奴らに見つかっては行けない。目的地にたどり着くまで、そして妹のもとに駆けつけるまでは。。。


密航はこれで10回目、5年間も続けている。俺にはすでに密航が暴かれない自負が形成されていた。だからこそ、今回は多少の危険を伴うとわかっていたが、この船を選んだ。この船は明らかに私有船で、大通りからかなり離れた、倉庫の立ち並ぶ波止場から出港した。その波止場は、普段は人の気配もなく何に利用されているのか知られていない、用がなければ立ち寄らないがそもそもそこに用がある人は想像できないような場所だった。

そこに、今夜この船が現れる情報を俺は掴んでいた。


そして、この船を今回の密航に選んだ理由はもう一つある。

この船の情報を掴んだとき、俺はもう一つ情報を得ていた。それはこの船の行き先が、我が故郷、日本であるということ。ここドイツは、俺が密航で国を渡り行き5カ国目になるが、全くわからない言語で感覚だけで話を理解し、確かに「日本」という言葉を拾えた時、すでに心は決まっていた。他にも日本行きの船はあるが、どれも警備が厳重な客船のようなものばかりで、密航には不向きであった。


さらに、5年という長い年月が、俺を焦らせていた。俺は、妹と生き別れてから中国に飛ばされ、奴隷のような扱いを受けながら働かされていた。俺は妹に再び合うため、そして同じような境遇を受けているであろう妹を連れ出し、二人で逃げるために中国を脱出したんだ。

妹の所在はわからないが、とりあえず情報を得るために故郷の日本を目的地にしていた。しかし、密航で行ける行き先は限られていて、このような私有の輸送船で行ける国はほとんど英語圏外であった。特に中東では紛争に巻き込まれなかなか身動きが取れずその結果5年もの歳月が過ぎてしまった。この5年間、ずっと過酷な環境で一人でいる妹のことを思い続け、一日でも早く連れ出してやりたい気持ちが募り、やっと見つけた微かな手がかりに飛びつく他なかった。


そして、今、この状況で俺は1つの確信と2つの後悔を得ていた。一つの確信は、船の添乗員が日本語を話していること。日本語だけではなくドイツ語?のような言語も聞こえるが。

そして2つの後悔。1つ目は、船の添乗員の腰には拳銃がぶら下がっていること。明らかにではないが、服の上からでもそれとしか思えない膨らみが腰のあたりにある。そしてもう一つの後悔。この船の荷物が”白い粉”であること。白い粉である見た目しかわからないが、状況を加味してこの船の荷物は一つしか考えられない。

添乗員に見つかっても最後、この船が警察に見つかっても最後。しかし俺には、そうはならないように祈りながら息をひそめることしかできなかった。


息を潜めながら俺は二人の添乗員(添乗員とは名ばかりの黒服の男)の会話を盗み聞きしていた。

「おい、今回の計画さすがに突飛すぎやしねぇか」

「いつものお嬢さんのわがままだとよ」

「オヤジはお嬢さんに甘いからなぁ」

「付き合わされるこっちの身にもなってほしいぜ」

どうやらこいつらは”オヤジ”の命で動いてるらしく、この粉を欲しているのは”お嬢さん”さんらしい。お嬢さんがどのくらいの年齢かわからないが、我が子が”白い粉”に執心していることにオヤジさんはなんとも思わないのだろうか。

それに比べ、俺の妹は一切わがままなんて言わなかった。家が貧乏だったからでもあるが、スーパーでお菓子をねだることなんてなく、夜ご飯の唐揚げを一つ分けてくれたりするくらいだった。そんな妹を誇らしく愛おしく思っているし、妹に遠慮をさせる家庭環境やその他すべて、そして今も妹を一人にさせている自分が許せなかった。


「大体なんでお嬢様はこんな優遇されているんだ、実子じゃないだろ」

「それは、オヤジが大の日本好きだからだろう、何でもオヤジの好きな漫画のヒロインに似ているとか」

「なんだそりゃ、そんなことだけでこれだけ優遇されるとか羨ましいぜ」

「というか、金持ちの考え方は俺ら庶民には到底理解できねぇ」

聞いていると、オヤジさんは金持ちでお嬢さんは相当可愛がられているらしい。まるでうちと正反対だな。うちと言ってもあんな奴らもう親ともなんとも思っていないが。ギャンブル好きの男とそれに言い返せない弱い女。己の境遇を神に嘆くわけではないが、あまりにも世界の違う話を聞かされ、俺は当てられていた。

「お嬢さんはもう少し、俺らの扱いがよくなればなぁ」

「本当に、嫌いな女No.1だぜ」

「オヤジのバックがなければ、ボコボコにしてやりたいよ」

聞いていれば、俺もだんだんムカついてきたぜ。

「おっと、そろそろ到着する頃か」

よし、このまま無事に到着してくれ。


船は大きな音を立てず、緩やかに方向を変えていき、到着に近づき揺れが大きくなっていっている。

「やっと着いたか、港につき次第お嬢様に報告するぞ」

「もうこんなおつかいはごめんだ」

そうして開かれた船の扉からは日の光が差し込んできた。暗闇に馴染んでいた目には眩しすぎてすぐに目をそらした。添乗員も船を降り、恐る恐る外を覗いてみると、そこは見知らぬ風景であったが、そこが日本であることはすぐに分かった。陸の方を見ると添乗員二人がお嬢様と思しき少女に向かってかしづき喋っているのが見えた。今のうちにここから離れようと船を降り、遠く横を通り過ぎようとした時、添乗員を見下すお嬢様の顔が目に入った。


「しずかっ」

それは、5年間一度も忘れたことがなかった妹の顔で、思わずその名を声に出して呼んでしまった。距離は十分に離れていたが、それでも音が知覚できる程にその港は静寂に包まれていた。

お嬢様はこちらを見た。

「お兄ちゃんっ」

しずかはこちらに近づいてきた。俺は考えるよりも先に妹の体を抱き寄せた。

「無事だったか?しずか」

「お兄ちゃんこそ、無事で良かった。」

そこで、ようやく頭が状況に追いついてきて、そしてこの状況に対する違和感にきづいた。

「どうしてしずかがここに」

「話すと長くなるのだけれど」


どうやら妹の話によると、生き別れたあとすぐに妹は親日のドイツ人資産家に拾われ養子となったそうだ。そこで何不自由なく過ごすも、俺の身を案じて探してくれていたらしい。

「そこで、たまたまドイツにお兄ちゃんがいるという情報を得たの。密航して各国を渡っていることも。だからお兄ちゃんと再開するために、密航しやすい船をドイツに向かわせたの」

言葉が出ない俺をよそに、うしろから二人の添乗員が近づいてきた。

「お嬢様、こちらは」

「私の実の兄よ。それより例のブツは確保できたんでしょうね。」

「問題ございません。相当量の砂糖を確保いたしました。」

「それともう一つ、頼んでいたでしょう、私は今それが食べたいの」

「はい、そう言われると思いまして持ち歩いておりました。こちらベルギーの名店のチョコレートとなります。」

そう言い、添乗員は腰からチョコレートが入っているらしい箱を取り出し、妹に差し出した。妹はそれを受け取るとそれを口に運び、満足げな笑顔をこぼした。

「やっぱり甘いものは最高ね。お兄ちゃん、私甘いものが大好きなの。この大量の砂糖で私はお菓子の家を作るの。だからお兄ちゃん。これからは甘いものに囲まれたお家で一緒に過ごしましょう。これからは、我慢なんて一つもしなくて良いの!」

そう言って差し出されたチョコレートの味は、少し苦かった。

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短編草稿 三好 真琴 @makotoM

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