第2話 本当の気持ち

 生まれて初めて学校をサボった。

 蕾は隣の席だから、学校には行けない。

 ちょっと悪い生き方をしてたら、こういう時に行く場所を知ってるんだろうけど。

 そういうのとは無縁の人生を送ってきて、いい場所を探す気力もなかった私は、学校近くにある公園に逃げ込んだ。

 朝だから、子供も大人もいなくてとても静か。少し寂しいけど、心を休ませるにはいい雰囲気だった。

 適当なベンチに座って、蕾のことを考える。

 学校にも行かず、どこかに走り去った私のことを心配しているのかな。

 私の気持ちにも気付いただろうか。

 雪代先輩に告白するといった直後に、逃げ出したのだから、蕾か雪代先輩のどちらかを好きなのは明らかで。

 蕾はこの二択を外すような、女の子じゃない。

 どんな顔をして会えばいいかわからない。

 怒っているだろうか。それとも困惑しているのだろうか。

 どちらにしても、昔の関係には今更戻れない。

 こっぴどく振られるか、温情で親友同士のままか。

 私の望む結末が待っていないことだけは確かで……

 やるせなくてぼんやりと、公園の遊具を眺める。

 平日の朝早くの遊具たちは、その役割を果たすことなく、静かに佇んでいる。

 そのことに侘しさを感じる。一際その感情を刺激するのは、見るからに寂れた遊具があることだった。

 その瞬間、忘れていた蕾との思い出が体を駆け抜けた。新しく塗装されたり、遊具の位置が変わって気付かなかった。

 でも私はここに一度だけ、来たことがある。

 

 年中組の私はおつかいに出かけて、迷子になった。そうして一人辿り着いた場所がこの公園だった。

 それが蕾に会った本当の初めてだ。たまたま通りかかった蕾が、不安で泣きじゃくる私の元へ駆け寄ってきて、頭を撫でてくれた。

 落ち着いてから蕾のお母さんに手伝ってもらって、家に無事帰った。その時私は蕾の名前を聞き忘れていた。

 もう一度私を助けてくれた、女の子に会いたいと思っていたら、次の日、幼稚園で違うクラスにいる蕾を見つけた。

 生まれて間もない私が運命を感じた。そして、この子とずっと一緒にいたいと。

 その頃の私は友達には頼られることが多くて、それを少し重荷に感じていた。

 泣き崩れる私を知っている蕾には、頼りになる楓を演じなくていいから、素の自分でいられる大切な友達になった。

 

 元を辿れば、最初に出会った瞬間から蕾のことが好きだった。

 弱い自分のままでいられる蕾に依存していた。でも蕾は私に依存してはいなかった。

 蕾から離れないとダメだ。このまま依存していたら、彼女の人生にしがみついたまま。

 こうして振り落とされそうになる度に、蕾を困らせてしまう。それは私の望みではないから。

 蕾から離れる為に、私の気持ちにケリをつけるために、蕾とちゃんと話をしないといけない。

「楓! こんなところにいたの!」

 そう覚悟を決めたと同時に、蕾の声がした。

 声のした方を見ると、無我夢中で走り回ったのだろう。全身に汗が滲んでいて、息を切らした蕾が立っている。

 そんな状態の蕾が、駆け寄ってくる。

 一言では表せない、複雑な感情のせいで、顔をそらしてしまう。

「ごめん。いきなり逃げ出して」

「どうして逃げたのか、本当のことを教えてくれたら許してあげる」

 蕾が伏し目がちな私を、真っ直ぐ見つめている。

 本当のことを話そうと決めたけど、その決意からほとんど間髪を容れずに現れて。

 心の準備が全然出来ていないから、いざ本人を目の前にすると、覚悟が竦む。今までの関係が壊れてしまうことが怖い。

 けどその先にしか、二人の未来がないのなら、変化を受け入れるしかない。

 それにこれ以上先延ばしにしたら、蕾を余計に困らせちゃうから。覚悟を決めなきゃ。

「蕾……私にとってあんたがずっと一番大切だったの」

「……うん知ってるよ」

「私と始めた会ったときのこと覚えてる? さっき思い出した私が偉そうなこと言えないんだけど、迷子になった私を、あんたが助けてくれたの」

「そんなことあったっけ? 覚えてないなー」

「だよね。でもそれ以来、だから今までずっと蕾が王子様をみたいに思ってた。蕾には弱いところ見せて甘えていいのかなって、依存してた」

「そうなんだ……そこまで頼られたとは、知らなかったよー」

「それで、それで……蕾がどこかに行っちゃうんじゃないかと思ったら、急に不安になって、寂しくなって……蕾のことが大事で、大好きで、でも蕾は他に好きな人がいて、どうしようもなくてっ……」

 話している内に、感情が雫となって溢れ出してしまう。こうはならないつもりだった。

 こんな姿を見せてしまったら、優しい蕾は雪代先輩をきっと諦めてくれてしまうから。

「楓、ごめんね。今まで知らずにたくさん傷付けちゃったね。楓が私を想ってるのと同じくらい、私も楓のことを思ってるから、」

 蕾が私が望んだ、優しい言葉をかけてくれる。それに甘えてたら蕾を困らせるだけだと、知りながら優しさににすがってしまいそうになる。

「雪代先輩のことは忘れよう! 楓をこんな風に悲しませるほどには、好きじゃないからさ!」

「そんなっ! あんなに頑張ったのに諦めるなんて!」

「気にしないで。本当に嫌だったらこんなこと言わないよ。その代わり、私は雪代先輩と付き合わないんだから、楓が私の恋人になってね」

 蕾が笑顔でそう言ってくれるから、私の為だけの提案に乗ってしまいそうになる。

 そうやって心地いい方に流れるんだと、自分で理解しているから、私のためにしかならない優しさを、今なら拒絶出来る。

「その気持ちはとっても嬉しいんだけど、蕾の気持ちを犠牲にはしたくな……」

「今、雪代先輩とはもう会えないってメッセージ送ったから!」

 そう言って見せつけてきたのは、暗に付き合えないと言い放つ内容のメッセージと、送信済みの表示。

「蕾! そんなことしたら、もう!」

「取り返しつかないねー。あーあ。これで楓に振られたら、相当悲惨だなー」

 私のためにここまでしてくれる蕾。いつもこうして、万策尽くして私を甘やかしてくれるから……一番欲しい全てをくれるから、抵抗出来ないよ……

「ありがとう蕾……私、蕾のこと大好き……私と付き合って欲しい……」

「うん。お互いがお互いのこと大好きなんだから、これはもう付き合うしかないよねー」

 温もりが体を包んでくれる。結局私は、抜け出せなかった。

 抜け出さないことを、蕾の最善にしてしまうことで、私の罪悪感も減らしてくれる。

 どんどん沼にはまっていく、そんな感じがした。きっと一生私は、蕾の身を呈した優しさから抜け出せない。

「蕾……ごめんね……私、雪代先輩に謝りに行くから。さっきのメッセージだと、きっと怒ってるだろうから……」

「いいから本当に気にしないで。私と雪代先輩の関係なんだから、楓は関係ないよ。私が雪代先輩に、いきなりひどいことをしたんだから、謝るのは私だけ。ね?」

「でも!」

「楓が来たら余計に拗れるから。お願い」

「わかった……全部蕾に甘えちゃってごめんね……」

「どうせならそこは、甘えさせてくれてありがとうって、言われたいなー」

 どこまでも、際限なく深い深い優しさに、浸っているだけで心地いい。

 今でさえこうなのに、蕾が恋人になったら、人の形を保てないくらいに、溶かされてしまいそうで……

 そんな未来があるのかもしれないと考えるだけで、心が躍った。

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