荘園の狸6

 「道西様‼」

 賢寿丸はお堂を前にして声を真剣に張った。

 しかし、返事はなかった…。


 お堂の戸は静かに閉まっている。

 七重が一歩前に出て戸を叩いた。

 「道西様。いらっしゃいますか?」

 「どうだ?」

 賢寿丸が尋ねると七重は哀しそうに首を横に振った。


 「声どころか物音もしない…。いないみたい。」

 「留守か…。」

 おそらく道西は賢寿丸と七重がお堂を出た後で外出をしたのだろう。


 「今はおらぬのか…。」

 桑次郎は訝しむ顔で歩み寄った。そして戸を少し開けた。

 「道西様…」

 桑次郎がお堂の中を覗き込む。


 「父上…?」

 賢寿丸は桑次郎の行動を不思議に思った。桑次郎は何か探っているように見えた。賢寿丸も桑次郎の後ろからお堂の内部を覗き込んだ。


 賢寿丸たちと談笑していた道西の姿はない。

 代わりに文机の上に二枚の文が置かれているのが見えた。


 桑次郎も気づいたのか乱雑に草履を脱ぎ棄て、お堂の中に上がり込んだ。そして一枚目の文を広げた。賢寿丸と七重もそれに続いて上がり込み、文を覗き込んだ。





 岩辺桑次郎様

 外より来た私をお堂に置いてくださり真にありがとうございます。

 私は人ではありません。

 覚えておいてでしょうか。岩辺様が平家の者を捕えた時の事を。

 狸が藪より抜け出したのをあなたは藪の中に誰かいるに違いないと思われました。

 その狸こそが私、望月丸なのであります。

 私は息子の福丸に化かしの稽古をつけておりました。息子の成長のために私たち親子は人里に降りて一年過ごすことにしました。

 選んだのがあなたの荘園でした。

 私の動きを見て全てを察したあなたの治める土地ならば息子の試練に持ってこいと思いました。

 息子には岩辺様が逗留されている間に目代の館に人に化けて忍び込むよう試練を課しました。福丸が館に度々入ろうとしたのも試練に備えてのことでした。

 もうすぐ息子の試練が始まります。

 私はそろそろ荘園よりお暇しようと思います。

 今まで荘園を好きに使って申し訳ありませんでした。

                道西法師こと望月丸





 文にはそう書かれていた。

 「道西様…」

 七重がお堂の中を探し始めた。

 棚や戸棚を開け隈なく調べ始める。探す所が無くなったかと思うと外へ飛び出した。


 「道西様…」

 髪を振り乱す程、辺りを見渡す七重に賢寿丸はゆっくりと近づいて行った。静かに囁いた。

 「道西様はやっぱり狸だったんだな…」

 「……」

 七重はうつむく。今にも泣きだしそうな顔をしている。


 「だからって…どこかへ行く必要なんかなかったのに…。」

 「そうだな…せめて別れぐらい言って欲しいよな…。」

  賢寿丸が呟く。


  まだ教えて欲しい事があった。聞きたい事があった。助言だっていっぱいして欲しかったのだ。


 「あの時の事。考えてみればおかしかった…。」

 「あの時…?そういえば…何かに気づいたみたいだったよね…。」

 七重が顔を上げる。


 「ほら、大庭様を追い出す時に道西様が福丸に平家の亡霊に化けさせた話をしただろ。」

 賢寿丸が説明する。

 「大庭様は福丸の化けた姿を見て、父上が捕まえた平家だと疑わなかった。つまり福丸は本物そっくりに化けていたってわけだ。」


 何故だか説明の一言を口にするたびに虚無感が胸を締め付けるような心地がする。

 「でも…福丸はどうしてその平家の姿を知っていたんだ。」

 「あっ。」

 七重が大きく口を開いた。


 「言われてみれば。岩辺様が見つけた平家ってどんな顔なのか話を聞いただけじゃ分からない。」

 「だろ。どんなに化けるのを頑張っても本物を知らなければ意味がないんだ。」


 賢寿丸はお堂を振り返る。

 中では桑次郎が二枚目の文を広げている。

 「確か…道西様…いや、望月丸は福丸の稽古していたんだよな。福丸に大庭様に化けさせるよう仕向けたのも道西様。」

 「道西様が福丸に平家の姿を教えたかもしれない…。」

 七重が静かに賢寿丸を見つめてくる。賢寿丸はそれを見て頷いた。


 「そう…荘園に来るまで何していたのかは知らないし。どうやって捕まった平家の顔を知ったのかは分からない。だから聞きにきたんだよ。」

 「……」

 「道西様はいなかったけど文を残してくれた。」

 「きっかけの藪から出た狸が道西様だった…。」

 七重の声がさっと風に流れる。


 お堂の周囲を風が包み込んだ。辺り一面の木々の繁る葉を揺らす。

 賢寿丸が空を眺める。

 空に浮かぶ大小の白い雲が風に流される。時期に日が暮れる。そのうち赤く染まるだろう。


 「道西様はやっぱり狸和尚だったんだ…」

 賢寿丸はお堂を見つめた。


 

 

 

 

 

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