荘園の狸
荘園の狸1
「これはひどい…」
人々は足を止めてそれを見ては言った。
まだ早朝であったが、目代の館へと続く道筋に大勢の人が集まった。
皆「男が倒れて死んでいる」と話を聞きつけた者たちだった。館に勤める侍たちに下働きの者、近隣の住人、逗留中の旅の商人と様々である。
人々の視線は横たわる男へと集まる。
筵をかけられ、顔と体は隠されている。だが、筵からはみ出た生気の無い手足と黒ずんだ血の跡が陰惨さを物語っていた。
賢寿丸は人混みへ近づいた。その中に道西がいるのを見つけた。道西は合掌して念仏をしきりに唱えている。
「道西様…」
賢寿丸が人混みをかき分けて道西に近づいた。道西は念仏をやめて賢寿丸の方へ振り向いた。
「おお…賢寿丸様…。騒ぎが気になったのか。」
「はい…。誰か死んだとか…」
「そうじゃ。どこの人か分からぬが血を流して倒れていたと聞く。ほれ今そこで筵を掛けられて横たわっているのがその男じゃ。」
道西が遺体の男を指すと賢寿丸がその先を追って眺めた。
「怖くないかの?」
道西がからかうように言う。それに賢寿丸は首をゆっくりと横に振った。
「そうか…。思えば玄太郎様が毒を飲んだ時。側で見ていたのう。初めてじゃなかったわい。」
―玄太郎が毒で死んだ日。賢寿丸は伯父が毒でもがき苦しむ様を直に目撃した。
それまで七重と共に父の身を案じ、道西の話を聞き入っていた。その最中に起きた突然の出来事であった。
人が目の前で死んでいくのを見るのは、その時が初めてであった。
「道西様…。戦場ではたくさんの人が死ぬんですよね…?」
「当然じゃろう。」
「……」
「どうした?」
道西は不思議そうに賢寿丸に問いかけてきた。
「いや…誰か死んでいく所を見るのは伯父上が初めてで…。戦場ではそれよりも死んでいく人が多いよなと思って…。」
賢寿丸がしどろもどろに答えると道西は笑いながら「そうじゃな」と答えた。
「戦には多くの者が巻き込まれて命を落とす。儂の兄も戦の最中に命を落とすことになった。あの最期は忘れもしない。」
穏やかな口調にしみじみとした哀しさが含まれていた。
「最初は恨みに思ったが、時が流れるにつれて薄らいでいったのう。世の中があまりに変わりすぎるから…。恨む気力も削がれていったわい…。」
「……。」
賢寿丸は黙って聞いた。
この台詞は本心なのか狸だと誤魔化すためなのか分からなかった…。
その時、館の侍の一人が呟いた。
「しかし、何でこんな所で頭を打って死んだんだ…。」
「おい。木の幹に足跡が付いてるぞ。」
他の侍が側の木の幹を指さした。
太い幹に木登りでもしたのか草鞋の跡が綺麗に付いていた。
「おお。これは大方その男は木登りでもして足を滑らせて落ちたんじゃろう。」
唐突に道西が呟いた。
その声が侍たちの耳にも届いたのか彼らは顔を上げて道西の姿を認めた。
「これは…道西様…」
その内の一人がうやうやしく挨拶をした。つられて他の侍たちも頭を下げ始めた。
道西が荘園でどれだけの信用を築いたのか分かる光景だった。
「しかし…木登りとは一体何のためにでしょうか?」
恐れながらという感じで一人の侍が尋ねた。
「足跡に沿って木に登ったとする。その先には何が見えると思う?」
道西が木に付いた草鞋型の土の模様を指さす。
草鞋は木の上へと向かって行くが途中で途切れている。一番てっぺんの足跡が綺麗にくっきりと浮かび上がっていた。
その足跡の通りに登ったとすると…
「館が見える…」
賢寿丸がいち早く答えた。
「そう目代である坂井六郎様の館がよく見えることじゃろう。」
道西は宣言するかのように言う。
「おそらく館に盗みに入ろうと木に登り様子を窺おうとしたのではないかの。」
「なるほど…」
侍たちが感嘆する。その横で筵の男が運ばれていく。
その時、男の足元が気になった。
草鞋の結び目。
草鞋全体汚れた感じがする。しかし、紐の部分が汚れている部分とやけに綺麗な部分があり、斑模様に見えたのだ。
「道西様…」
その事を伝えようと道西の名を呼んだ。
「賢寿丸様‼こちらにいらっしゃいましたか。」
尾花の高らかな声に賢寿丸の台詞がかき消されてしまった。
「あっ尾花…」
「賢寿丸様。お父上がお探しでしたよ。」
「父上が…」
「はい。今すぐ館にお戻りください。」
尾花に強く言われ、道西に簡単な挨拶をすると彼女と共に館へ戻って行った。
(草鞋の事は後で言おう…)
賢寿丸はそう考えながら歩みを進めた。
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