夜中の人影2

 青い空に雲が浮かぶ。

 「道西様がやっぱり望月丸なのか?」

 雲を見つめながら賢寿丸はあくびをするように呟いた。


 川の水はさらさらと流れ、その上を渡し舟が行き交う。人々は舟に乗り、あるいは川辺で見送り、もしくは出迎えのため佇んでいる。

 賢寿丸と七重は川辺に座り、人々の様子を眺めていた。


 「言われてみれば道西様の事、全然知らなかったんだよね。」

 七重が腕組みをする。

 「去年ぐらいから遊行中の道西様が荘園にやって来て。寂れたお堂を借りて住まいにしていいかって父上に申し出たの。父上がそれを許して、それからもう一年経ったのか。」

 七重はもうそんなになるのかと思い返し始めた。


 「それから道西様は諸国を巡ってきたって話をするから岩辺様と父上に呼ばれて…。その時の話が面白くて、ちょっとの事でいろんな事を見抜いたりするから皆楽しく話を聞いてたよ。岩辺様がお帰りになられた後も父上が度々招き寄せて。」

 伯父と大庭が館に押し掛けた時に本人から聞いたのと同じだ。


 「あと今朝も父上と岩辺様が道西様に使いを出していた。」

 「あっそれは俺も見た。」




 朝餉の最中、相変わらず桑次郎は大飯喰らいであった。そんな父の姿をを気にせず、侍が駆け込んで何か耳打ちした。すると桑次郎は残りの飯をかき込んで「今行く」と立ち去って行った。


 その後、賢寿丸も食べ終えて縁側をふらつき歩いていると六郎が「道西様へ」と下男に何か命じているのを目撃したのだった。

 それから白拍子の梅ヶ枝と八十菊が今日荘園を発つと挨拶に来た。彼女らとたわいのない話をした後で桑次郎に何か道西に用事があったかを尋ねてみたが「ちょっとな…」と詳しくは教えてもらえなかった。




 「でも…」

 七重の小さな呟きに重みが感じられた。

 「それまで道西様がどうしてたのか知らないような…。ていうか聞いてもはぐらかされてばかりだった。生まれはどこで出自はどこか、どの寺で修行を積んだのかとか…」

 「誰も知らないのか…」 

 「うん…」


 賢寿丸は深く息を吸って空を見上げる。

 望月丸が誰なのか追及しない道西に違和感を感じた。あれから道西が望月丸なのか疑惑が生じてからというもの、あれこれ考えてみると疑惑は増すばかりだ。


 「…にしても父上、相手の身元を確認せずに…」

 道西が深雪狐にかまをかけた時に言ったように平家の生き残りによる騒ぎが起きている。それなのに何を不用心な事をと思いはした。だが道西はどうも平家の間諜に見えないため、そんなはずはないと打ち消した。

 「結局、何者なんだ…道西様…」

  

 「結局、何だったんだ…何かしちまったのか…」


 賢寿丸は驚いて辺りを見る。あまりにも同じような台詞に自分たちの話を聞かれてしまったのかと思った。

 「別に悪い事した覚えは…」

 声の主は若い男だった。大柄であるが気弱そうな顔つきをしていた。男は渡し舟の方へ向かうと思いきや引き返す事を繰り返し、呟きが漏れている。


 「清丸さん。」

 七重が若い男を見て言う。

 「誰だ?」

 「最近、荘園に留まっている旅の商人。時々うちにも上がったりしていたけど。何してるの?あれ?」

 清丸は思い悩んでいるように見えた。


 「清丸さん。」

 七重が声を掛ける。清丸はハッと我に戻ったのか賢寿丸たちを見つけるとこちらに歩み寄ってきた。

 「これは七重様。隣は岩辺様のご子息ですか?確か跡を継がれるという…」

 「賢寿丸です。」

 跡を継ぐという言葉に反応しながら賢寿丸は清丸に挨拶する。


 「清丸さん。何してたんですか?行ったり来たりして。」

 「ああ。あれは…」

 清丸は慌てて喋りだした。

 「実は…ここでは駒十郎様の家を宿にしていたのですが…」

 「駒十郎…確か聞いたことがあるような…」

 「昔は館にも呼ばれていたみたいだからね。」

 賢寿丸が思い出せないでいると七重がすぐさま説明した。


 「元々ちょっとした富豪だったって聞いたけど、それは私たちが小さい頃の話で今は落ちぶれて小さな家が残っているだけ。いつの間にか館にも来なくなったみたいだよ。」


 賢寿丸は段々と思い出し始めた。

 六つか七つの頃、一家で代官の館に滞在した時だった。歓迎の宴が開かれていた。そこに駒十郎という男も招かれていた。その男はひどい酒飲みで臭く汚い感じがしたので生理的に受け付けられず七重と一緒にその場を離れて遊んでいた記憶があった。


 「その駒十郎様ですが…」

 清丸は話を続ける。賢寿丸は我に返って聞き手に回った。

 「今朝突然に『出ていくように』と言われたのです。」

 「じゃあ新しい宿を探していたの?」

 七重が尋ねると清丸はブンブンと顔を横に振った。


 「いいえ…荘園から離れるようにと…」

 清丸は困り顔でそう述べた。


 「『もう荘園から出て新しい所へ商売しにいったらどうか』…。そんなことを一方的に言われて追い出されたんです。私も言い返しました。」

 清丸は二人に向かって強く主張する。


 「私は『まだ少ししか売ってないのに出ていくことは出来ない』『坂井様に挨拶なしで帰るなんて』と…そしたら…」

 清丸は一度話を区切った。また困り顔になる。


 「駒十郎様が『じゃあ売れ残りは俺が今ここで全て買い取る』『急用で挨拶の暇も無かったと伝えておく』と…」

 「全部買ったの?それにしても強引。」

 七重が驚いて言う。


 「はい…駒十郎様はそう言って商品を全て買い取ったのです。そして私を無理矢理、川岸まで送り届けると帰ってしまったのです…。」

 全てを言い終えたのか清丸はがっくりとうなだれた。


 「私は何が何だか分からなくて…何か気に障るようなことでもしたのかと気になって気になって…」

 清丸は気の弱い性分なのか縮こまって見えた。


 「随分とお困りですな。」

 急に四人目の声が割って入ってきた。

 賢寿丸は顔を上げる。

 「道西様…‼」

 いつの間にか現れた道西はいつも通りの屈託のない笑みを浮かべていた。

 

 

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