深雪狐
深雪狐1
「狐が出たって」
七重の慌てた声が館に響いた。
「狐…?」
賢寿丸は狐という言葉に嫌な予感を覚えた。
「狸の次は狐か?」
「そう。最近、
「福丸か…」
その名前に昨日の事が思い出される。
福丸のおかげで大庭は大急ぎで帰る支度を始めた。そして挨拶も十分に終えないまま逃げるようにして帰って行ったのだった。
(あの様子じゃ父上にこれからも関わることも無いだろう…)
「ねえ聞いてるの?賢寿丸様!」
「聞いてる。狐が悪さをしているって…。あれ…?」
賢寿丸は首を傾げた。疑問が一つ浮かんだ。
「その狐って福丸みたいな悪さをするんだよな?」
「そう。」
「例えば?」
七重はすらすらと深雪狐の悪行の述べてみせた。
「畑の作物を荒らし、食い物をくすねる。森では人を化かして道に迷わし…」
「福丸と変わらなくない?」
賢寿丸は感想を述べた。
「そうなの。福丸と同じく皆困っているの。」
「ふうん…じゃあ何で…」
一息置いて七重に尋ねる。
「あいつ…福丸じゃなくて深雪って狐の仕業だって言えるんだ?」
浮かんだ疑問を投げかけた。
被害の内容が福丸と同じなら福丸が真っ先に疑われるはずだ。しかし七重は深雪狐の仕業だと断言している。
七重は間髪入れずに答えた。
「福丸は相手が隙を見せたり、油断していたりしないと悪戯ができないの。あいつ最後にはバレて捕まって。その度に道西様が間に入って助けてもらっているの。」
福丸の詰めの甘さが七重により披露されていく。どことなく顔に怒りと馬鹿にしている感じが表れていた。
「でも深雪狐はこちらが用心していても化かされるし、必ず逃げおおせるの。」
悪さの内容が同じでも手際が違うということだ。
「おまけに福丸がくすねる作物は小さいのばかりなのに対して深雪狐は畑で一番実ったのを盗って行くの。道に迷わすのも福丸は半刻程度で終わるけど、深雪狐は半刻どころか二日三日はさ迷い続けることになるの。」
加えて規模も差があるということだ。
「何より…」
七重が一層真剣な顔つきとなった。
「深雪狐は自分の仕業だって狐の絵を残している。」
「絵?」
「狐の絵。戸口だったり、壁や床だったり。現れた先には必ず絵を描き残す。これは私の仕業ですって感じにね。」
賢寿丸は腕を組む。
「目立ちたがりだな…その狐…。まあ福丸あいつも調子にのった奴だけど…」
初対面の時と昨日会った時の姿がまさにそうだった。深雪狐は絵を描き残すとは福丸以上に自信家なのかもしれない。
「それで…その狐を何とか出来ないかって訴えが出て、父上が岩辺様に相談してるわけ。」
「そうか…」
この辺りは心当たりがあった。
今朝、桑次郎は六郎に呼ばれて何か話し合いしていたのだ。
その時は、てっきり賢寿丸の母の姉-伯母で宮仕えしている春の前が荘園にやって来ることの話かと思っていたが違ったようだ。
(伯母上の話にしては妙に落ち着いていたしな。)
桑次郎は義姉に頭が上がらないのだから。
「そのうち道西様が呼ばれるんじゃないかな。」
七重が呟いた時。廊下で騒がしい声が聞こえた。賢寿丸が障子を開ける。
「尾花。尾花はまだ帰ってこないの?」
「はい…」
七重の母親が焦るように召使に尋ねている。
「母上。どうされましたか?」
普段と打って変わって丁寧に七重は母親に尋ねた。賢寿丸はそれを慣れた光景として眺めた。
「尾花が墓に供える花を摘みに森に入って帰ってこないの‼」
「森…?もしや…尾花が行った森というのは…?」
「狐が出るっていう森に…。あそこの森は危ないからやめなさいって言ったのに…。尾花ったら『大丈夫です。すぐに帰ります。』と言ってしまったの。大丈夫なら、もうとっくに帰ってきてもいいはずなのに…。もしや今頃狐に…」
七重の母の声は重く、尾花をどれだけ気に掛けてるかが伝わってくる。
「奥様。」
別の召使が慌てながら駆け寄り、咳を切らせながら七重の母に伝えた。
「春の前様がいらっしゃいました…。それから…。」
「どうしたの?」
七重の母が尋ねる。賢寿丸と七重も耳を澄ます。
「春の前様の侍女が途中はぐれてしまわれたとのことです…。」
「まあ春の前様も…それは心配でしょう。」
「はい…。春の前様は『すぐに探してくれ』と仰られています。」
召使は疲れ果てたように伝える。
「ああ…」
召使の様子を見て賢寿丸は頭を押さえた。
「賢寿丸様…」
七重はちらりと賢寿丸に目を向ける。
(大変だろうな…)
伯母は気位が高く、押の強い人だから…。
あの召使は伯母に散々圧力を掛けられるように言われただろう。
「岩辺様と夫にお願いしなくては。二人を探しに行き、狐狩りしてもらいます。」
七重の母が意気揚々と宣言する。尾花と伯母の侍女が消えたのは狐のせいだと決めかかっている。
(この人も似たような人だった…)
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