毒の器5

 「玄太郎様も端から見たら同じですけどね。」

 ずっと同じく障子ごしに会話を聞いていた道西の口が開いた。

 (道西様…)

 賢寿丸はドキっとした。道西は内緒話をするような小さな声ではなく障子の向こうにも聞こえるほどの大きさで言ったのだ。


 慌てて障子を見る。

 少ししか開いていなかった障子はガラリと大きな音を立てて開いた。部屋の中が丸見えとなる。

 そして怒号が降りかかった。


 「何だと‼もう一変言ってみろ‼この生臭坊主‼」

 玄太郎は牙を剥いた獣のような顔をして縁側に飛び出した。庭では控えていた家来たちが身構える。

 「待って。伯父上…」

 「賢寿丸。お前は黙っていろ。そこをどけ。」

 蹴飛ばすかの勢いの伯父に賢寿丸は肩をビクッとさせた。直後、七重に袖を引っ張られた。


 「何?」

 七重は黙って賢寿丸を自身の方へ寄せた。玄太郎がズカズカと道西に近づく。道西は慌てる様子は見せず落ち着いて座ったままである。

 「七重。何すんだ。」

 賢寿丸は七重に詰め寄る。七重は賢寿丸に耳打ちを始めた。


 「道西様は急にとんでもないことを言い出したりするの。でも…何も考えずに言っているわけじゃないの。道西様を信じて。」

 七重の目を見れば、彼女が道西をどれだけ信頼しているのかが伝わる。しかし…

 (伯父上は暴れだすと手がつけられないし…。父上は…)


 賢寿丸は部屋の中をちらりと見た。

 桑次郎は目の前の茶を玄太郎の茶と取り替えていた。こぼれそうな玄太郎の茶を見ると彼の茶の方が量が多いようだ。

 同じく、その様子を見ていた六郎は呆れ、大庭は卑しいと言いたげに蔑む目をしている。

 (こんな時に…意地汚い…)

 賢寿丸はがっくりと肩を落とした。



「その動きは誰かに命じられてのことですか?」

「それがどうした!」

 賢寿丸ははっとして当事者二人を見た。

 玄太郎は道西を睨みつけている。


「あれは父の指示であった。兄上は従ったまでだ。」

 吠えかかる玄太郎の代わりに桑次郎が答えた。

 「父の指示に従ったのは兄上だけでない。私も同じようにした。家来や他の者も同じようにして平家を討ち取った。」

 玄太郎が歯を噛みしめているのは見て分かる。


 賢寿丸は冷や汗を垂らし見守った。

 「さようですか。」

 道西は納得したように頷いた。澄ました声が空にも響く。

 「兄弟揃って手柄を立てた。」

 道西は一旦呼吸を置いた。彼の動作の一つ一つに賢寿丸も皆も引き込まれそうになる。


 「となると後は決め手となるのは学問と実務でのこと。そちらの方はどうですか?」

 道西が玄太郎を一瞥する。その途端、玄太郎は道西に掴みかかった。

  「言わせて置けば。」

 「伯父上。」

 賢寿丸は二人の間に入り込み、玄太郎を止めようとした。だが力の差は明らかだった。


 勢いよく玄太郎に蹴飛ばされた。縁側から庭へ体が落ちた。地面にぶつかった箇所を中心に痛みが広がる。頭上から「それでよく跡取りでいられるな」と玄太郎の嘲笑う声が聞こえる。


 「賢寿丸様‼」

 七重が慌てて賢寿丸の元へ駆け寄り、賢寿丸を起こした。

 「この坊主が‼」

 縁側の上では玄太郎は気にも止めずに道西の前で拳を上げた。

「道西様‼」

 賢寿丸が叫ぶ。道西は涼やかな顔をしたままだった。

 拳があと少しで道西に近づく…


 「止めぬか。」

 玄太郎の太い腕が後ろからガシッと掴まれた。見ると玄太郎の後ろで桑太郎が立ち、力強く彼の腕を握っていた。

 「離せ!」

 玄太郎は桑次郎の腕を振りほどこうと暴れる。


 「父上…」

 賢寿丸は急いで縁側に上がり込んだ。突き落とされた痛みはまだ感じる。それでも二人に駆け寄ろうとした。

 と同時に肩にポンと優しく皺だらけの手が置かれた。

 振り返ると道西が優しい笑みを浮かべ立っていた。


 「玄太郎様。一族の主の子息に狼藉を働き、僧である私にも殴ろうとされた。ここにいる者たちはみな見ております。人の口には戸が立てられないもの。鎌倉に伝わればどう致しますか?」

 玄太郎ははっとしたのか辺りを見渡す。いつの間にか警護の武士たちに囲まれたいたのだ。大庭の従者たちも遠巻きに見ている。


 「ご自分こそが主にふさわしいと訴えたとしても、これだけ多くの者に見られていたら、あなたの今の行いもいずれ耳に届くでしょう。」

 玄太郎は黙り込み拳を下ろした。

 「生臭坊主め…」

 捨て台詞を吐くと悔しそうに桑次郎と共に部屋へと入って行った。


 賢寿丸は道西を見つめる。

 「下手な騒ぎが起きてしまったら。それなら起きてしまえばいい。皆の者に新しい失態を見られて損をするのは向こうの方じゃから。」

 カカッと笑いを立てた。


 「まさか…殴られるつもりであんな事を…」

 「そのまさか。ただ賢寿丸様が儂らの間に入られるのはまさかだったのう。」

 飄々とした口ぶりに賢寿丸は唖然とした。

 体の痛みは引けてきている。

 ただ代わりに無力さと自身の行動の無意味さに襲われた。

 

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