毒の器6

 ―離れの一室。

「落ち着かれましたか。兄上。」

 桑次郎が玄太郎をジロリと見る。玄太郎はフンと息を鳴らした。

 「今に見てろ。あの坊主め。この荘園から追い出してやる。」

 「兄上の荘園ではないというのに何を言っておるんだ。」

 桑次郎は冷たく釘を刺した。そして湯飲みを口元まで運び茶を飲み干す。玄太郎はその様子を視線をそらさず見つめていた。 

 「そうやって大人しく居座っていられるのは今の内だけだからな。」

 玄太郎は無骨な笑いをして茶を飲み干した。



 ―縁側。

 「父上がすり替えたことに気づかないで」

 賢寿丸は相変わらずに盗み聞きを続けていた。

 「すり替えるとは…一体何のことじゃ?」

 「ああそれは…」

 不思議そうにする道西に賢寿丸は目撃した内容の子細を教えた。


 玄太郎が道西に掴みかかっている間に父の意地汚い行動。六郎と大庭にもその行為を見られていた事。こんな時に…とあきれた事。


 「ほほう。という事は今、桑次郎様が飲まれているのは。」

 「伯父上のお茶。量が多かったみたいで。」

 「それで玄太郎様の飲まれているのは。」

 「父上のお茶。そうと気づかずに飲んでるよ。」

 賢寿丸の見つめる先で空になった二つの湯飲みが置かれた。


 「桑次郎様は職務に関しては別人なのにね。」

 七重が呟くと賢寿丸は激しく同意した。

 (食い物次第でよくもまあ別人に変われるなあ…)

 部屋の中では別人の顔をした桑次郎が淡々と話をしている。


 

 ―離れの一室。

 「二人そろって同じ事をくどくどと言い続けるようでしたら。私が鎌倉殿に訴えましょうか?兄上には岩辺の当主はどちらがふさわしいのかを。大庭殿にはあらぬことを責め立てられて困っているとね。兄上と大庭殿に勝算があるというならば私が訴え出ても問題はないでしょう。」

 大庭は歯ぎしりをする。悔しさが隠せないでいる。そして玄太郎の方を見て文句を言う。


 「どれもこれも玄太郎殿が余計なことを言うからじゃ。私は貴方に言われて…」

 玄太郎は大庭のことなど相手にせずに無視を決め込んでいる。じっと睨みつけるように桑次郎の顔を見たままだ。


 「何か言わぬか玄太郎殿‼」

 大庭の妙に高い声が上がる。

 「うるさい。黙っていろ。」

 「せめて。こちらを見て物を言わぬか。」


 玄太郎は大庭がわめこうとも大庭に見向きをしなかった。それとは対照的に桑次郎を見据えている。

 「鎌倉へ訴え出るだって。俺からしたら、どうぞお好きなようにだけどな。」

 玄太郎は強気の態度だ。


 六郎は顔色を窺うように玄太郎をじっくりと眺める。

 「玄太郎様。余裕おありのようですね。桑次郎様が本気でされても同じことを言えますかな。ちなみに私は荘園において、あなたのされた数々の狼藉について訴え出る所存ですけど。」


 玄太郎は動揺するどころ余裕な笑みを見せた。

 「いいのか。そんなことをして目代をクビになっても知らないからな。」

 「あなたはここの地頭ではないでしょう。」

 六郎はキリっと言い返した。だが玄太郎は嘲笑う。

 「そのうち、俺が地頭となるんだ。賢寿丸も若すぎるし地頭が務まるかどうか…うっ…」


 玄太郎が両手で首を押さえ、うめき声を上げた。

 「ううう…」

 玄太郎の体がゆっくりと横に倒れる。


 「ひっ…」

 隣に座っていた大庭が声を漏らし姿勢を崩した。

 「兄上…!どうされた!」

 「ひえ…玄太郎殿…」

 「玄太郎様…」

 三人は必死で声を掛けたが返事は無かった。

 


―縁側

 「どうしたの…?」

 「よく分からない…」

 七重の震える問いに賢寿丸は答えられなかった。


 目の前で起きている事に頭が追いつかなかった。

 その時。誰かが横切る気配がした。目の前で少しだけ開いた障子がさらに大きく開かれた。


 「道西様…」

 賢寿丸は部屋の中に入ろうとしている人物を見た。

 「何だ。いきなり。」

 部屋から大庭の不愉快そうな声が聞こえる。彼は威勢を張っているつもりのようだが、腰を抜かした状態では威厳はちっとも感じられなかった。


 「今度は一体…」

 賢寿丸は後をついて部屋の中に入って行った。七重も同じく入った。

 道西は玄太郎の側に座り、彼の右腕を掴んだ。

 「脈はもうありませぬな…」

 和尚の声に一同は静まりこんだ。


 「警護の者は今すぐに上がってこい…それから玄太郎様の従者もこちらに連れてくるように。」

 六郎は大急ぎで外に控えていた武士に声を掛けた。

 

 警護の武士が駆け付けると玄太郎の体を調べ始めた。後から遅れて玄太郎の従者が連れてこられた。彼は「何故…」と声を漏らした。


 道西は運ばれていく玄太郎の骸を眺め、桑次郎に声を掛けた。

 「桑次郎様。玄太郎様の体には傷は無いようでしょうな。直前まで誰も玄太郎様に何かしようとされなかった。玄太郎様がされたのは言い争う。そして茶を飲む…。」

 「毒か…」

 静かな呟きが桑次郎から漏れた。

 

 

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