毒の器2
―離れの一室。
四人の男が集まり、進みもしない話し合いをしていた。
「つまり何があっても譲らんというわけだな…。」
玄太郎が桑次郎を睨むが彼は怯む様子は見せなかった。
「もちろんだ。」
桑次郎は負けじと冷たく玄太郎を見据えた。そして大庭にも…。
「合戦では私の活躍のおかげだったと幕府に奏上することについては?」
「お断りします。」
大庭の申し出を毅然と払い続けた。
「全く岩辺殿は頑固なお人だ。六郎殿も苦労されたことでしょうな。」
大庭の嫌味は六郎にも向かった。
「いいえ桑次郎様は私共や家族、荘園の民に常に気を配られているお方です。」
六郎は主人を称え言い返したが、それが二人を煽ることになった。
「おい六郎。お前は本音をぶちまけてもいいぞ。俺が主として守ってやる。」
「無理して忠義を語らなくても良いであろう。」
がさつな玄太郎と慇懃無礼な大庭。
真面目な桑次郎と忠義な六郎。
部屋の空気が張り詰める。二組の話し合いは平行線を続けた。
―縁側。
会談を盗み見る賢寿丸が固唾を飲んだ。
その時、女の声がした。
「皆さま。」
館の女中の尾花だ。館に到着してすぐ、七重から一年程前から館に新しく勤めている女中だと紹介された。彼女の母のお気に入りらしいのだ。
「喉が渇かれたでしょう。お茶を用意しました。」
尾花は両手でお盆を持ち三杯の茶を運んできた。
丸顔に笑みを浮かべ軽やかな足取りで歩み寄り、お茶を一杯を賢寿丸に差し出した。
「賢寿丸様。七重様。道西様どうぞ。」
「でも今は…」
賢寿丸は躊躇した。今隣の部屋では見逃せない出来事が起きているのだから。
「もらいなさいな。気を張り詰めても物事は解決しない。ここは茶でも飲んで気を落ち着けた方がいいじゃろう。」
道西に言われ、賢寿丸は湯飲みを持ち一杯もらった。
七重、道西も飲み始めた。
「ちょうど良い所でした。思えば喉の渇きも感じ始めた所でして。」
「私も。」
道西がカカッと笑いを立てた。七重も嬉しそうに言った。
庭の方を眺めると他の女中が水一杯の手桶と柄杓を携えていた。
彼女は側で控えている武士と従者たちの間を回り、一人一人に柄杓で水を差し出しているようだった。
警護の者と大庭の従者たちは「ありがたい」と礼を言い、水をガブガブ飲み始めた。
「それから…玄太郎様の従者の方がいらっしゃると思うのですが…」
女中は当たりを見回した。
「ああ。あそこにいるのがそうであろう。」
道西が手で示して彼女に教えた。賢寿丸もつられて示す先を見た。
いつの間にか従者は主人が会見を行っている場から遠ざかろうとしていた。
女中は彼を追いかけて桶と柄杓を差し出した。中身が少なくなったのか彼女の足は軽やかであった。
「ほら。あなたもどうぞ。」
「いっ…いえ私は…」
従者はずいぶんとおどおどとした返事であった。病人のような顔をしている。
「あら。喉はお渇きでないの?」
「ええ…まあ自分は少し厠の方へ…」
それだけ伝えると従者は立ち去って行った。
「飲みたいどころか、おしっこが出そうなら仕方がない。」
女中は柄杓を桶に突っ込んで持ち直すと立ち去って行った。
「玄太郎様のお供の方つらそうね…」
女中と従者のやりとりを見ていた尾花が言った。
「本当じゃのう…顔が青白い…」
「まあ玄太郎様の従者をしていたら、そうなるでしょうね。」
七重が同情するように呟いた。
「玄太郎様。我儘が激しい人だから。召使が何人か夜逃げをしたんですってね。」
「父上からよく聞くよ。所領だけじゃなく召使も寄こせとか。全て断っているけど。」
賢寿丸は鎌倉の屋敷で見聞きした事を皆に教えてやった。
かつて玄太郎の家の召使が賢寿丸の屋敷に逃げ込んだことがあった。
その召使が訴えるには玄太郎は「遅い」「出来てない」「能無し」と暴言を浴びせるは日常の事であった。一層機嫌が悪い時は殴る、蹴る、物を投げつけるといった行為をしていた。
全てを話した召使は桑次郎の計らいで余所の屋敷に勤めることになった。
それを知った玄太郎はますます桑次郎に罵声を浴びせるようになり、代わりに桑次郎の召使を要求したのであった。
賢寿丸がそう教えると七重は「やっぱり」と呟いた。
「それに引き換え弟の桑次郎様は皆に慕われていますね。」
尾花は室内と庭の方を見やる。
室内には桑次郎の味方をする六郎。庭には会見の場をちらちらと心配そうに見守る警護の武士が控えている。
「清廉潔白な立派なお人で。」
「待って。尾花。」
賢寿丸が横槍を入れた。
「父上は基本真面目なんですけど。意地汚い所があるんです。」
桑次郎は鎌倉の屋敷にいる時も、幕府へ出仕しにいく時も、荘園を視察する時も。いかなる時も真面目をそのまま体現したような人物であった。身支度と所作に隙を見せず常に思慮深く行動した。
非の打ちどころが無いように見えるが食欲に関しては別であった。
食べ物を見ればすぐにでも食べたがった。普段の食事では大盛に飯をよそわせ、母や妹がおかずを残せば平らげるのは桑次郎であった。
外を歩けば柿の木を見て熟れた果実によだれを垂らし、田畑を見れば程よく実った作物をまじまじと見つめていた。
食い意地を張るだけならいいが、他者が口にする物まで欲しがっっていた。
今回の荘園視察までの道中も。賢寿丸たちが握り飯を食べている時。
「そっちの方が大きくないか。」と自分の持つ握り飯と息子の物を見比べ悔しそうな顔をして「交換してくれ」「残しはしないか」としきりに聞いて来たのであった。
賢寿丸は普段見る父親のありのままの姿を尾花に教えた。
「ほう…そのような事が。しかし…いや…待てよ…」
一緒に聞いていた道西は信じられないという顔をしたが、思い当たることがあったようだ。
「そういえば。去年に桑次郎様と坂井様に招かれて馳走に呼ばれたことがあるのだが…。その時、桑次郎様がやけに儂というか儂の手前の方を見ていたような気がして。気のせいだと思ったのだが…まさか…」
「絶対まさかです。」
賢寿丸は断言した。横で七重もうんうんと頷く。
「父上は誰かと食べる時に自分の物と他の人の物の量を比べずにいられないのです。その時見ていたのは絶対お膳ですよ。」
賢寿丸は呆れながら言った。
「人は見かけによらんのう…」
桑次郎の欠点を初めて知った人は道西のように声も出なくなるのだ。
「ねえ。皆さんはそう言うんですよ。」
「ううむ…」
「ところで道西様は父上と初めて会ったのは去年ですか?」
賢寿丸が話を切り替え尋ねた。
「ああ去年まで西国より旅を続けていての。儂はこの地に辿り着いてな。誰もいないお堂を見つけてそこを住まいとしたのだ。」
道西は思い出すように答えた。
「桑次郎様が諸国の様子について尋ねたいと仰られての。儂はその仰せに従って館に参ったのだ。」
去年…賢寿丸が視察について行かなかった年のことだ。
その間に父はこの和尚と知り合いになったのらしい。
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