#5 メッセージ
暗証番号を設定するとき、自分の誕生日を使用することはやってはいけないこととして周知されている。一昔前ならともかく、今は金庫のロックや通帳の暗証番号だけじゃなく、パソコンやスマホのロック、はてはインターネットサービスのアカウントまでと、暗証番号やパスワードでプライバシーを守る時代だ。四桁の番号から最大十六桁まで。数字のみならず半角英数字まで。パスワードの類はとにかく複雑化を極めている。
それでも律儀に守られる。自分の誕生日や記念日をパスワードにしてはいけないということは。個人と強い関連を持つパスワードなど脆弱この上ないと。
残念ながらわたしはそんなルールを守ったことは一度もない。だって、スマホも持っていなければネットのサービスも登録したことないから。
とか、そういうのはどうでもよくて。
暗証番号の話だ。
金庫をロックする四桁の暗証番号。パスワードの中ではこれほど単純で簡単、優しいものもない。だからこそ藤人の叔父さんたちは、手当たり次第に番号を入力して答えを求めたんだけど。
「分かったって、姉貴、本当かよ」
書斎に戻ったわたしたちは、再び金庫の前に並んだ。キーパッドの指紋は検出用の粉と一緒に既に拭い去られている。
「うん、猫目石さんと同じで、これじゃなかったらお手上げって感じだけど」
「答えに辿り着くとそういうニュアンスでしかものを言えなくなるのか?」
だって実際、これじゃなかったらどうしようもないし。そしてこれじゃないという確率は、常に残り続ける。
でもわたしは、これで間違いないような気がする。
「じゃあ、入力を……」
「ちょっと待った」
藤人が止める。
「なに?」
「いや、実は…………」
何か言いにくそうだな。
「そのキーパッド、今日は既に二回入力されている」
「え?」
「だから、もし姉貴が間違えると一日操作を受け付けなくなるぞ」
なんでそんなことに…………。
「というかそういうこと、早く言ってよ!」
「仕方ないだろ。言うタイミングなかったし。叔父たちが暗証番号の候補として手あたり次第挙げてた数字の、最後の二つが今日まで残ってたんだよ。もしその二つのどれかが正解だったら、悩まなくて済むから確認するしかなかったし」
それはそうだけど……。じゃあ何か。わたしが間違えたらもうアウトか。
「日辻さん」
少し離れた位置でわたしたちの様子を眺めていた猫目石さんが提案する。
「どうだろう。まずは君の辿り着いた暗証番号について、順を追って教えてくれないか? それで僕の辿り着いた番号と同じならそれを入力すればいいし、もし違っていたらそのときにまた考えるというのは」
「そうだよ」
隣で大灘くんも同調する。
「結局、俺は何が何だかさっぱりなんだから、教えてくれ」
ちらりと横を見ると、藤人の隣で柳葉さんも頷いている。
「分かりました。では、わたしが辿り着いた暗証番号について説明します」
これじゃあまるで解答編だ。本物の『高校生探偵』を前にお株を奪うようなことしている。緊張するなあ。
「まず、単純な事実が一つあります。それは暗証番号を構成する数字は1、4、0の三つであるということです。これは大灘くんが浮かび上がらせた指紋からはっきりしました。この三つの数字を使い、四桁の番号を構成する。これが暗証番号の最低条件になります」
本当なら、これだけでわたしは気づいていても良かったのだ。
「次に、注意するべきはこの書斎が藤人に相続されたということです。法的な扱いは不明ですが、少なくとも書斎の裁量権は藤人にある。だからこそ、金庫の中身が会社の経営に関わる資料だったらどうしようと危惧した藤人の叔父さんたちが、躍起になって番号を調べていたわけです」
そして、もう一点。
「もう一つ注目するべきは、この金庫が購入されたのが、藤人の証言が確かなら家為さんの終活中だということです。つまりこの金庫は、藤人に相続されることを想定して用意されたものだということです」
以上の点をふまえると、見えてくるものがある。
「こうして考えると、暗証番号について確かなことが浮かび上がってきます。それは、藤人なら番号を思いつくだろうということです」
「……どうしてそうなるんだよ」
藤人が怪訝そうに聞いてくる。
「だって、家為さんは金庫ごと書斎が相続されることを想定して準備してたんだよ? それなのに藤人が開けない金庫を用意するかな? 自然に考えれば、相続人である藤人ならノーヒントで開けるような番号に設定されていたと考えるべきだよ」
「そりゃあ、確かに開きようのない金庫を相続されても困るだけだが……」
「ところで藤人はさ、今まで金庫を開けようとした? つまり、藤人が自分で暗証番号の数字を考えて開けたりはした?」
「いや……今までは散々叔父たちがひねくり回してたからな。こうじっくり取り組むのは、今日が初めてかもしれないくらいだ」
「だと思った。もし藤人が一人でずっと取り組んでいたら、ふとした拍子に開いていたと思うよ」
「そんな番号なのか?」
「そういうこと」
さて、ここからが重要だ。
「そこまで分かった上で、最後に残ったのは三つのヒントです。まず一つ目が、藤人の叔父さんたちは手当たり次第に数字を入力していたという話。家為さんの誕生日や結婚記念日、はては書斎に置いてあった千円札の通し番号に至るまで。でも、この手当たり次第には、一つだけ手抜かりがあった」
「手抜かり、かい?」
柳葉さんが首を捻る。
「はい。大事な番号を一つ、見落としていたんです。そしてヒントの二つ目が、その見落とした番号。為子さんが言っていた台詞」
一呼吸整えて。
「うち中では、たぶん藤人の誕生日を誰も知らない。そう為子さんは言っていました」
「じゃあ、まさか…………」
ちらりと、猫目石さんを見る。彼は満足そうに頷いた。わたしたちの辿り着いた答えは、同じだったのだ。
「つまり答えは――――」
1004。
10月4日。
家鳴藤人の、誕生日。
キーパッドに、間違えないよう入力する。液晶画面に入力された数字が浮かんだ後、OPENと文字が出て、かちりと音が鳴る。
金庫が、開いた。
「最後のヒントは…………」
蛇足だけど、付け足す。
「誰も知らないはずの誕生日を、家為さんはしっかり知っていたということです」
卓上カレンダーの、持ち主が亡くなってめくられることもなくなったはずの十月に、ひとつだけ記された丸印。あれは、確かに藤人の誕生日を囲んでいた。
孫の誕生日を、まるで知る機会がないはずもない。きっとどこかで知っていて、覚えていたんだろう。
「金庫の中は…………?」
一歩、藤人が前に出る。わたしが下がって、金庫の前を空けた。
「ここまで藤人のために用意したんだもん、藤人のためになるものだよ、きっと」
「………………これが?」
藤人が取り出したのは、それなりに分厚い紙の束だった。
バラバラとめくると、文字がびっしりと書き込まれているのが分かる。パソコンで打ち出した文字のようだ。それをプリントアウトしたのだろう。
「これは………………」
中身を少し読んだ藤人が、驚いたように言う。
「小説だ」
つまるところ、金庫の中身は亡き家鳴家為謹製の自作小説だったわけである。ひょっとしたら会社にまつわる大事な資料だと思っていた藤人の叔父さんたちはもとより、中身が何であれ別に気にするところではないわたしたちでさえ、これには驚かされた。
でも、考えてみれば普通のことなのかもしれない。なにせあの書斎は趣味の空間だったわけだし。
きっとあの小説、ミステリーなんだろうな。
「どうすんだよ、こんなもん」
「出版したら?」
一応、この地域ではそれなりに名の通った人間の処女作にして遺作だ。ひょっとしたら買い取ってくれる出版社があるかもしれない。そしたら印税は誰に入るのだろうか。
「結局、大したものじゃなかったな。別に中身に期待してたわけじゃないけど」
なんて、藤人は言ったけれど、それは違うとわたしは思う。
あるいは、猫目石さんも。
「たぶん、あれは家為さんなりのエールなんだよ。なりたい自分を目指せっていう」
思い出すのは、社史に載っていた一文だ。『私には他にやりたいことがあり、そのために日々を邁進していた。』という言葉。きっと、家為さんが本当にやりたかったことが、小説を書くことだったのだ。それを、二代目として会社を継ぐために諦めた。あの小説は、諦めきれない家為さんが、なりたいものになるために努力した結果だ。
だからエールなのだ。自分は最後まで諦めずになりたいものを目指した。お前はどうする? という。
「だとしたら祖父さん、口下手にもほどがあるだろ」
呆れたように藤人が呟く。
「僕の誕生日、知ってたのにその素振りも見せなかったしな」
「仕事人間だったんだよ。だから孫との付き合い方も分からなかったんじゃないかな」
「それこそ、僕には分からない感覚だな」
でも、最後に孫にメッセージは残せたのだ。そしてそれは正しく伝わった。それだけでもきっと、報われたはずだ。
「じゃあ、わたしはこれで帰るね」
「ああ」
玄関前で、わたしと藤人は分かれる。律儀に藤人は、玄関まで送ってくれたのだ。
「次はいつ会えるかな?」
「別に会いに来なくていいぞ。そっちが忙しいのは知ってるんだからな」
「そう?」
でもきっと、次はもっと早く会える気がする。四年よりはずっと早くにね。
「姉貴」
「うん?」
帰ろうとしたところで、藤人がわたしに声をかける。
その声は少しだけ、真剣味を帯びていた。
「姉貴は、探偵になりたいのか?」
「…………………………え?」
予想を超えるところから飛んできた言葉に、わたしは固まる。
なんで…………。でもなんで、固まったんだろう。
図星だったから?
「どうしてそうなるのかな? だってわたし、探偵のこと全然知らないし……」
「十分詳しかっただろ。それに、知らないフリは興味の無いフリ、だろ」
そうか。
やっぱりわたしたちは、姉弟なのか。
嬉しいような、バツが悪いような。
「違うよ」
わたし自身、どう答えるべきか分からなくて適当に、ひたすら言葉を継いだ。
「探偵になりたいわけじゃない。ただちょっと憧れがあるだけ。誰だってそうでしょ? それと同じで、別に探偵になろうだなんて……」
言って、その言葉がほとんど藤人の言葉の焼き直しなのに気づいた。
「だって…………わたしは……」
わたしは、探偵を目指すべきじゃない。
弟と妹たちのためにも。
「わたしが探偵なんて無理でしょ。できないって」
それは言いづらかったから、別の側面から否定にかかる。
「あのなあ」
でも、それは否定される。
「どうして僕が、姉貴を今日になって迎え入れたと思ってるんだ? 姉貴なら、金庫の暗証番号を解けると思ったからだ。姉貴なら、何とかしてくれると思ったからだ。現に解決しただろう? あの猫目石瓦礫と同じ答えに辿り着いただろう? それだけの能力が、姉貴にはあるんだよ」
「でも…………」
「じゃあ、言い方を変えようか?」
ぐいっと、藤人は一歩前に出る。気圧されて、わたしが一歩下がってしまう。
「姉貴は僕を応援するって言ったよな。でもな、夢を応援してくれるその当人が、自分の夢を諦めていたらどうだ? そんなやつに応援されて嬉しいと思うか?」
「それは………………」
考えていなかった。
弟や妹を世話し、助け、応援すること。それは当たり前のこと過ぎて。それをする自分自身の存在は、まったく考えたことがなかった。
「だから姉貴、頼むから……」
藤人は、じっとこっちを見る。
「頼むから、自分の夢も考えてくれ。自分がなりたい何かを目指すことも、考えてくれ」
「………………分かった。考えておく」
でも、だからって、どうしたらいいんだろう。
現実の問題として、わたしは高校さえ、通えないのに。
なりたい何かを目指すことを考えてしまうと、わたしは………………。
考えながら門を出る。すると、正面にレブル250が止まっていて、ちょうど猫目石さんがヘルメットを被ろうとするところだった。
「……解決したっていうのに、浮かない顔をしているな」
「猫目石さん…………」
そう言う猫目石さんは、じゃあ誇らしい顔をしているのかというと、そうではない。ごく自然体の真顔。何を考えているか、まるでつかめない。
「そういえば猫目石さんは、金庫の中身が何なのか分かっていたんですか?」
「いや、さすがに小説が入っているとは思っていなかった」
そりゃそうだろう。
「ただ。高確率で藤人くんに対し何らかのメッセージ性があるものが入っているだろうとは踏んでいた。書斎を相続させて、金庫の暗証番号を誕生日に設定している以上、それは必然のように思われた。それだけだ」
「そうですか…………」
「ところで……」
ヘルメットを被りながら、猫目石さんが言う。
「大灘くんと君は、同じ学校だったな?」
「ええ、はい」
「同じクラスか?」
「はい」
「そうか、だったら…………」
そこで。
猫目石さんは、わたしの想像していなかったことを告げる。
「もし君に余力があるのなら、大灘くんを見張っておくことをおススメする」
「え、それは――――」
「もしそれができるなら、だ。仮にそれが出来なかったとして、君に何か責任が生じるわけでもないしな」
それだけ言って、猫目石さんはバイクのエンジンをふかせる。
「じゃあまた。いずれ、会うだろうさ」
猫目石さんはそのまま、走り去っていった。
「大灘くんを、見張れ?」
それはまるで、彼が後に大事件を起こすみたいな言い方で。
実際に、ある事件が起きるのだけど。
そのときのわたしは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
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