#4 解くべき者は
藤人が普段暮らしているという離れは、見た目は完全にただの土蔵である。ひょっとして普段は閉じ込められて暮らしているんじゃと思ったけれど、扉は軽そうな金属のものに交換されていて、それだけで威圧感は薄まっている。
扉を開いて中に入ると、広々とした洋間が顔を覗かせる。聞く話によると土蔵を改造して造られたこの離れは二階建てで、一階は大きな洋間一部屋、二階は二部屋の私室に別れているということだった。給湯室代わりらしい小さいキッチンも備え付けられていて、これで後はトイレと風呂があれば人が生きていくのに十分な設備が整いそうな勢いである。というかたぶん、この構造なら揃っていてもおかしくない。
「随分広いんだね。うちより広い」
「姉貴のとこは所帯に対して狭すぎるんだよ」
一階の洋間には来客をもてなすためらしいソファとローテーブルのセット。大型テレビとスピーカーなどの機器。そしてガラスケースに収められたミニカーやバイクのコレクションが所狭しと並べられている。
おそらくこのコレクションだけは、藤人がここを使うようになってから飾られるようになったんだろうと思われた。コレクションはカプセルトイや食玩から、実物車の模型からミニ四駆じみた玩具までとにかく車とバイクなら何でいいと言わんばかりの集めようだ。
「ほんと、昔から好きだよね。車とバイクどっちが好きなの?」
「別に、どっちも好きってわけじゃない。気づいたら数が増えたから飾ってるだけだ」
「ええ?」
なんか、昔も同じやり取りしたことがあった気がするな。
「あ、そうそう。誕生日プレゼント。ようやく渡せるよ」
「……そういえばそんなことも言っていた気がするな」
持ってきた袋を掲げる。
「それで、何だよ中身は」
「じゃーん!」
取り出して、藤人の前に掲げた。
「『ミニミニRC限定クリアレッドモデル』!」
「な…………」
藤人はさすがに驚愕したらしい。
よしよし。
「なんで姉貴が……。最近出た新作のラジコンカー……。アプリをインストールしてスマホで操れる手のひらサイズのラジコンとして話題のあれの、しかも限定カラーだと?」
「うわすごい詳しい」
「いや、ちょっと風の噂で聞いただけで。別に詳しくは……」
「知らないフリは興味の無いフリだよねー。昔からその癖変らないんだから。素直になればいいのに」
玩具の箱を藤人の鼻先に押し付ける。
「玩具屋で朝早くから並んで買ったんだよ。藤人は欲しくても妙に見栄っ張りだから並んでまで買ったりはしないだろうと思って」
「でもこれ……」
とか何とか言いつつ、ちゃっかり藤人はもう箱を手にしている。
「マジでどうしたんだよ。そりゃ、玩具の中じゃ高い方じゃないけど……。でも姉貴の家、こんなもん買う余裕は……」
「さすがに弟の誕生日を祝う甲斐性くらいあるって」
なんて、さすがにお母さんからの援助がなければ今年も買えていなかったから、本当にありがたい。
「……………………」
何やら神妙に考えるような顔をしてしばらく黙った藤人は、やがて小さくため息を吐いた。
「分かった。ありがたく受け取っとくよ」
「うんうんっ!」
それでこそこっちも、準備した甲斐があるというものだ。
「良かったじゃない」
藤人の隣でお盆を持ってカップを運んでいた為子さんが口を開く。
「お誕生日、祝ってもらえて。というか、昨日が誕生日だったの? 藤人、そういうことはちゃんと言いなさいよ。たぶん、うち中誰も知らないわよ」
「子どもじゃないんだから、別にいいんだよ。………………で」
箱を部屋の隅に置きながら、藤人が重く口を開く。
「なんで呑気にお茶を飲んでるんですかねあなたは」
「………………ああ、僕か」
「あなた以外いないでしょうが!」
藤人の怒りの矛先は、ソファに座って呑気にカップを口元に運んでいる猫目石さんだ。
書斎での金庫調査が終わり、わたしたちは一度、休憩を挟むために藤人の離れに通された。
離れの洋間には私と藤人、そして猫目石さんの他にも、大灘くんと、合流した柳葉さんがいた。大灘くんと柳葉さんは猫目石くんと同じくソファに腰掛けて、お茶とお菓子に舌鼓を打っている。
給仕は全般を為子さんがしていた。
何とも呑気な光景だけど…………。
「本当にこの人、番号分かったんだろうな……」
藤人が呟く。まあ、猫目石さんが番号分かったらしいからわたしたちこんなに呑気なんだよね。なぜか肝心の猫目石さんが番号のことをまったく口にしてくれないんだけど。
「それと為子さんが淹れてくれたのはお茶じゃなくてコーヒーだよ」
「分かってます。言葉の綾でしょう!」
言うだけ言って、藤人は肩を落とす。
「まあまあ、とにかく座ろう」
わたしは藤人を宥めて、とりあえずソファに座ることにした……のだけど。
遠慮からなのか、それとも別の意図があるのか、ローテーブルを挟んで左右に置かれたソファのうち、左側に座っているのは猫目石さんだけで、右側に柳葉さんと大灘くんが腰掛けている。猫目石さんが一人で二人を相手しているような構図だ。
どうしてそんな座り方になったのかは分からないけれど、とにかく誰かが猫目石さんの隣に座らないと収まりが悪いので、不肖わたしが座ることにした。わたしがソファに体を沈めると、隣に藤人も続く。これで三対二とバランスが良くなった。
高校生探偵の隣かあ。なんか緊張する。
「それではわたしはこれで」
為子さんが一礼する。カップを持ち上げながら、柳葉さんが聞く。
「おや、ご一緒しないんですか?」
「ええ。別件が立て込んでおりまして。みなさん、ごゆっくりしていってください」
「そうですか。ありがとうございます」
為子さんは離れを去っていった。四十九日は過ぎても、まだいろいろ煩雑なことが残っているのだろう。人が一人亡くなるのは、それがどういう理由によるものであれ一大事だ。
「いやしかし、偶然にも高校生探偵の活躍を間近で見られるとはね。これは私もジャーナリストしての運気が向いてきたというところかな?」
為子さんを見送って、すぐに柳葉さんが口を開く。
「ジャーナリスト…………?」
どうやらきちんとは柳葉さんの立場を知らなかったらしく、猫目石さんが言葉を反芻する。
「これはまた、厄介な人とお近づきになってしまったらしい」
「またまた、そう言わないでくれよ」
と柳葉さんはおどけたけれど、当の猫目石さんも不思議と嫌がっているという様子は見えなかった。確か狼滝くんの話じゃ、今まではメディアの露出を控えていたということだったけど……。この前の取材の件といい、この人の中で何かスタンダートが変わっているのだろうか。
「しかしジャーナリストでは、家為さんと接点は薄そうに感じるのですが」
「そうだろうねえ。私は元はルポライターでね。家為さんには、ある事件の調査のためにアポをもらうため、伝手を頼らせてもらったんだよ。それ以来の縁でね」
それはさっきも聞いたな。でも何の調査だったんだろう。
「調査? 具体的に聞いても?」
折よく、猫目石さんがそこに突っ込む。
「ああ。私の以前の仕事は、ここから遠く離れた土地で起きたいじめの自殺事件についての調査だったんだ」
隣で、大灘くんが表情をこわばらせる。その様子を、ちらりと猫目石さんが覗く。
「加害者が地元の名士のような立場の人間の子どもでね。そこに学校お得意の隠蔽体質が絡んでややこしいことになっていた。それで、名士は名士に通ずるとでもいうやつかな。家為さんに取り次いでもらって、何とか取材の口を確保したという次第さ。私はあの事件で一冊ばかり本も書いたし新聞記事も書かせてもらったから、家為さんは仕事の恩人のようなものだよ。それを家為さんの亡くなったのも知らず一か月くらい呑気してしまったんだから世話ないさ」
そういう経緯で、今日ここにいたのか。
「いや私の話はいいんだよ。聞いたってつまらないことだ。それより猫目石くん、君の話が聞きたいな」
「僕、ですか?」
「そうとも。君の話は何であれ値千金だが……ともかく知りたいのは家為さんとの関係だね。何やら事件で知り合ったらしいという話をさっき言っていたが、具体的にはどんな事件だったんだい?」
ようやく、柳葉さんがジャーナリストらしいがっつきを見せる。
「守秘義務があるので話すわけにはいきません…………というのが通例の回答ですが」
猫目石さんがカップを置く。
「隠すことはむしろ故人の名誉にならないでしょう」
「と、いうと…………」
「『奈落村事件』ですよ」
奈落村事件…………。雪宮さんが言っていた。
「それって、五年前に猫目石さんたちが巻き込まれたって事件ですよね」
わたしは自然と口を出していた。
「新興宗教が牛耳る村に拉致されたって聞きましたけど」
「どうした姉貴、やけに詳しいな」
藤人が顔を覗き込んでくる。
「詳しくないって。ただ、そういう話をちょっと聞いただけ」
「ふうん」
なんだなんだ。藤人は意味ありげにこっちを見ていた。
「つい最近、『奈落村』の関係者と会って……。そうそう、そのとき、ちらっと猫目石さんを見たんだよ。バイクに乗ってるところだったから、そのときはまだ猫目石さんだと気づかなかったけど」
「『歪んだ果実』で取材を受けた日かな」
猫目石さんは思い出すように首を捻った。
「確かに通り過ぎた通行人の一人に、君みたいな子がいたような気がする」
「覚えているんですか? 通行人をいちいち」
「そういう職業だからなあ」
それでもバイクに乗って通り過ぎる通行人って、膨大な数になると思うんだけど。
「『歪んだ果実』ということは、君が会ったのは紫郎か」
「はい。同級生だったんですよね?」
「まあな」
思い出すのは、雪宮さんが猫目石さんの話をしたときにした、どこか苦い表情だ。今思えば、あれは五年前の『奈落村事件』と猫目石さんが記憶で繋がっているからこその表情だったんだろう。雪宮さんにとって猫目石瓦礫は『奈落村事件』という、赤色を見るのも駄目になるくらいのトラウマを植え付けた事件と繋がる存在だ。
では逆はどうなんだろう。猫目石瓦礫という探偵にとって、事件の渦中にいた雪宮紫郎という同級生は、どう位置づけられるのか。
彼の表情からは、特別な何かは読み取れない。
「『奈落村事件』なら、俺も聞いたことあるぞ」
大灘くんがぼそりと呟く。
「五年前、ちょっとニュースでやってて、興味があったから覚えてる。四人しか生存者がいなくて、その一人が猫目石さんだってことも」
「よく覚えているな。当時は、あまりニュースにならなかったはずだけど」
ぼすりとソファの背もたれに体を預けながら、猫目石さんは語る。
「ニュースにならなかった理由の一つが、被害者遺族の中に家為さんがいたことなんだ。あまり詳しくは聞いていないが、奈落村で亡くなった被害者の一人がこの家と遠縁だったらしい。それで家為さんは、メディアにそれとなく手を回したとか回していないとか……」
「なるほどね」
柳葉さんが頷く。
「家為さんの人脈と能力なら、地方局くらいになら圧力も掛けられただろう」
「それだけじゃないですよ。家為さんは被害者遺族の支援団体に多額の寄付をしていて、僕もその縁で何度か会っているんです」
そういう繋がりが……。
「家為さんは企業人ですからね。地元で起きた事件、しかも遠縁が被害者にいるとなればよからぬ飛び火の前に鎮圧するのは必定。寄付などの支援で企業イメージを良くしようと試みるのも当然。そういう企み込みだったとしても、家為さんと彼の経営する家鳴製菓からの寄付金で多くの被害者遺族が生活を立て直せたという事実があります」
そう言って、猫目石さんは自分の顔の火傷の跡をなぞった。
「僕としても治療には面倒なくらいお金と時間を取られましたからね。家為さんからの支援があったおかげで治療費もだいぶ賄えました」
「じゃあ、その火傷も……」
「五年前、奈落村で」
最後は大炎上、と言っていたからな。そのときに、火傷を負ったのか。
「随分酷い火傷のようだけど」
ぶしつけに柳葉さんが聞く。
「整形手術とかはしなかったのかい? 今どころか五年前でも、治療法はあっただろうに」
「家為さんにも言われましたけどね、面倒だったので」
面倒で治療を放棄するのか。
「それに身ぎれいにして見せびらかす相手もいないですからねえ。向こう傷は男の勲章、ということにでもしておこうかと」
身ぎれいにして見せびらかす相手、か。猫目石さんのその言葉は、どうしてか具体的な誰かがいたかのように聞こえた。
思えば謎の多い人だ。世間では『高校生探偵』なんて言われているけれど、メディアの露出は他の探偵に比べて全然少ないから。
「そもそも猫目石さんは探偵の資格を持っているんですか? それともまだ取得中なんですか?」
せっかくなので直接聞いてみた。
「まだ試験は受けていないな。もっとも、国家資格の試験はDスクールの卒業を受験の要件としているわけじゃない。その気になれば今から君たちが受けてもいい。僕のクラスメイトには在籍中に資格を取得して、もうバリバリ探偵事務所で実践を積んでいるやつもいるよ」
「そんな人が……」
「よっぽどそっちの方が『高校生探偵』らしいんだけどな。メディアの基準は分からない」
やっぱり、『タロット館事件』の衝撃が大きいのだろうか。
「『タロット館事件』の影響かもしれませんね」
わたしが考えたのと同じことを大灘くんが言う。
「探偵でも唯一の警視庁お抱えだった宇津木博士の代わりに事件を解決に導いたんですから、注目されるのも当然ですよ」
「あれはそのイメージだけが先行し過ぎなんだよなあ」
やれやれと猫目石さんは首を振る。
「あの事件は、宇津木さんが真っ先に犯人に殺されたんだよ。だから僕が代わりをするしかなかったわけで、もし仮に宇津木さんが生きていたら普通に解決していただろうさ。それをどうしてか、特別なことのように語りたがるんだからな」
単に順番の問題だと、猫目石さんは語る。
「宇津木さんが亡くなったから僕がやった。それだけだ。僕以外の探偵がいればそいつがやっていただろう。偶然、お鉢が僕に回ってきただけのことだ」
「そういうめぐりあわせも、探偵としての資質、なんじゃないかな?」
いたずらっぽく、柳葉さんがそんなことを言う。
「そんな資質は知りませんよ」
猫目石さんの回答はそっけないものだった。
「そういえば」
自分で言った資質、という言葉に自分で引っ張られたのか、柳葉さんは話題を転換する。
「猫目石くんは探偵生徒会というのを知っているかな?」
「探偵生徒会?」
猫目石さんが怪訝そうに聞き返す。正面の大灘くんも眉をしかめた。
「日辻さんと大灘くんが在籍している中学校で有名なんだけど……」
「姉貴の中学、ただの公立だよな?」
藤人が聞いてくる。
「なんで普通の公立にそんな変な連中がいるんだよ」
「私立でも変じゃない?」
「そうでもないだろ」
わたしの返しに藤人は答える。
「僕の通ってる中学は私立なんだけど、見込みのある生徒に特別コースで授業をしてDスクールに――高校の探偵科に送り込もうって躍起になってるんだよ。Dスクールへ生徒を送り込んだっていうのは、実績になるからさ」
「実績……」
東大に何人送り込みました! みたいなものか。
というか藤人、自分の学校のこととはいえ詳しいな。
「だから私立なら、そういう連中がいるのも頷ける。公立と違って生徒が学区で区切られて在籍しているわけでもないからな。最初から有望そうなのにあたりをつけて、推薦か何かで入学させるってこともできる。それなら集団化して、探偵生徒会みたいなのが組織されても自然だろ?」
「そういうものかな?」
でも確かに、藤人の言うような流れがもし私立で起これば、生徒会かどうかはさておき集団化組織化は起こりえそうだ。特別授業だって、ワンツーマンではないだろうから、そこで連帯が起こるということはありえる。
でも公立は? うちの第二中学で、そんな奇異なことはしていない。
「公立で生徒会を牛耳れるほどの人数、探偵として有望な人材が集まるのは不自然、か」
猫目石さんが呟く。柳葉さんがカップを手にしながら言葉を繋ぐ。
「君の場合はどうだったんだい? 君の出身中学では?」
「僕の場合は……別にどうということもないですよ。数人がDスクールを受験して、通ったのは僕だけだった。それだけのことです。探偵生徒会なる妙な組織も生まれませんでしたし、僕はともかく、他の受験した面子は特別素質のある人間ではなかったはずです」
そりゃそうだろう。公立中学に一人いれば奇跡的な逸材だ、探偵の卵なんて。
柳葉さんに言わせれば探偵候補生か。Dスクール入学前の、未来の探偵たることさえ未定の存在たち。公立中学どころか、地域に一人いればいい方かもしれない。
それが生徒会だから五人。そう考えて整理していくと、探偵生徒会の異様さが徐々に浮き彫りになってくる。
狼滝くん、普通のクラスメイトって感じなんだけどな。でも梅子の件があったとき、梅子が出演している番組の録画を半日足らずで集めてきたんだよね。よく考えたらあれもおかしいのか。普通の中学生にできる芸当じゃない。
「妙な意図を感じますね」
猫目石さんはお茶菓子のひとつとして置かれていたクッキーに手を付ける。
「意図というか、裏というか。人為的な何かがなければ、そう集まる人材ではない」
「そうだろう?」
満足げに柳葉さんが頷く。
「私もそれを睨んでいろいろ調べているのだけど、あの中学の子たちは妙に口が堅くてねえ。確か口止めされているんだっけ? たかだか十代半ばの子どもたちに口止めを強要する姿勢も引っかかるし」
「………………榎本泰然」
ふと、大灘くんが口走る。
「榎本泰然ですよ、裏にいるの。学校中で噂になっていますから」
「榎本泰然………………!」
驚いたのはわたしだった。その噂、全然知らなかったし。
「あの榎本翁が…………」
突然の情報提供に、柳葉さんも驚いたらしい。
「思ったよりビッグネームが飛び出したな」
榎本泰然。今の探偵ムーブメントを作り上げた張本人。探偵業界に少しでも深く触れる人なら知っているが、それ以外の一般人はまず知らないという、業界内部の知る人ぞ知る大物だ。
二十年前の探偵基本法設立、および探偵の制度化に尽力されたとされる『探偵を作った探偵』、『探偵の父』にして『探偵のドン』。
「でもなんで榎本なんて大物の名前が飛び出すんだよ。マジで姉貴の学校、どうなってるんだ?」
藤人が疑問を呈する。
「どうなってると言われても……」
わたしは知らない。ほとんど登校しないし。ああ、そういえばあと数週間で文化祭か、と今思い出したくらいだ。その前に進路相談があるし、それだけは休まないようにしないと。
「噂だから、詳しくは知らない」
大灘くんはなんだか投げやりに、そんなことを言う。
「でも生徒会長が榎本泰然の孫だという噂になっている」
「嘘臭くないか、それ」
「いや…………」
藤人の否定を柳葉さんが打ち消す。彼は逆に信憑性ありと判断したらしい。
「もし榎本泰然が自分の孫をDスクールに送り込もうとしているのなら、公立中学に孫を置いているのはありえる話だ」
「どういうことですか?」
たまらず聞いた。隣で猫目石さんは目を閉じて、何事か考えている。
「さっき、藤人くんが言ったように私立なら学校単位で有望な生徒を教育するだろう? しかし自分の孫なら自分が教育すればいい話だから学校は関係ない。むしろ公立の方が都合がいいんだ」
「都合が……?」
「ああ。例えば榎本泰然がある私立中学の理事をしていて、その中学に孫を入学させていたとしたらどうだい? どことなくきな臭いだろう?」
「うーん」
イメージしづらい。
「要するに根回ししている感じがある、ということだ。自分が理事を務める中学でDスクール進学のためのプログラムを自分の孫に受けさせる。そしてDスクールに送り込む。すると理事を務める中学で孫がプログラムを受けられたのは有望だからと判断されたのではなく榎本の孫だから、というイメージがつくだろう。さらにそもそも榎本は『探偵のドン』と言われるほどの力を持っている。それこそ孫をDスクールに入学させるために八方手を尽くせるくらいの力はあるだろう。そうすると、孫がDスクールに入学できたのも孫自身の能力ではなく榎本の力というイメージがつきやすい」
「なるほど」
そう説明されると分かりやすい。
「榎本がもし孫のことを思っているのなら、そうしたイメージがつくのをとにかく避けたいだろう。そこで自分と孫の関係をできるだけ脱臭しないといけない。もし本当に探偵生徒会の一人が榎本の孫ならば、その作戦は成功していると言えるだろうね。現に噂レベルに留まっていて、私のようなジャーナリストに探られるのを避けているのだから」
そのためには、私立よりも公立の方がいい、ということか。現状は注目されまくりの探偵生徒会だけど、裏のなさそうな公立中学の生徒ということで、榎本泰然の存在感は薄くなっている。噂レベルに収まっているとするべきか、それでも噂レベルには漏れているとするべきかは、評価の別れるところだろうけど。
「いやしかし、とんでもないところでとんでもない大物だ。情報提供助かるよ、大灘くん。しかし本当に喋って良かったのかい?」
「別に…………黙っている義理もないですから」
そう口走る大灘くんは、どことなく苦い表情をしていた。
「探偵生徒会はともかく……」
藤人は大仰に溜息を吐いてから、カップに手を伸ばした。
「他のDスクールを目指す生徒はいい迷惑だろうな。近場にとんだライバルだ」
「そうかな? 一緒に頑張ればいいのに」
「そうはいかないだろ。Dスクールの試験を受けるのは狭き門なんだからな」
………………うん?
なんだろう、今微妙に藤人の応答がおかしかった気がする。
でもまあいいや。大事なのはそっちじゃない。
「藤人ってさあ」
「うん」
「探偵になりたいの?」
「げほっ……」
コーヒーを飲んでいる途中だったからか、藤人がむせた。
「な、なんでそうなるんだよ…………!」
「え? だって詳しいし。自分の学校のことだけど、Dスクール目指すための授業しているとか、興味ないと知らないかなと思って」
「別に大して詳しくはないだろ!」
「知らないフリは――――」
「興味の無いフリだろ! 分かったよ。どうせ姉貴には隠しごとできないんだろ?」
カップを置いて口元を拭いながら、藤人はソファの背もたれに体を預けた。
「ガキみたいな憧れだよ。全然具体化されていない文字通りの夢だ。幼稚園児が特撮ヒーローになりたがるのと同じようなものなんだよ。今のご時世、誰だって一度は探偵に憧れたりするものだろう?」
「うん。弟がそうだから分かるよ。あ、弟って、佳朗って言うんだけど、藤人と別れた後でね……」
「姉貴の複雑な家庭環境はいいんだよ今は」
「まあそうだね」
いつか会えるといいな、みんなで。
「とにかく、なりたいとかそういうのじゃなくて…………。ぼんやりとした憧れってだけなんだよ。どうせ僕も、大人になったらこの家の会社で働くことになるだろうからな」
「そんなに早く将来なんて決めなくてもいいのに」
でも、確か藤人が家為さんにとって唯一の孫、なのだったっけ。家子さん以外、誰も子どもを産まなかったから。
「でも、もし藤人が探偵を目指したいのなら、わたし応援するよ」
「姉貴が応援してどうするんだよ」
「誰にも応援されないよりはマシでしょ?」
「そりゃあ、そうかもしれないけどさ」
時々、思うことがある。
特に、梅子と再会してからは強く思うことだ。
わたしが弟や妹たちにできる、役割について。
ぶっちゃければわたしたちの家の家計状況は逼迫している。お母さんの収入だけで世帯六人を養うことはそもそも無理がある上に、お父さんが少ない収入から大部分をギャンブルに持っていってしまう。そんな状況では、進学なんてまずできない。わたしがやるべきは、早く職に就いて、家計を支えることだろう。
そうすれば、少しだけ希望がある。弟や妹は、なりたい何かを目指せるようになる、かもしれない。
人間は、誰もがなりたい何かになれるわけじゃない。それは分かっている。でも、一番の不幸はきっと、なりたい何かを目指すことさえできないことだ。
だからわたしは、その不幸が弟や妹たちに降り注ぐのだけは避けたい。
幸いにも、梅子と藤人の家庭環境は悪くない。むしろ良いと言える。だから代乃を梅代さんに預かってほしかったというのも本音としてはあるし、藤人の家庭環境が本当にわたしたちより良いものか気になっていたから、会いたかったというのもある。
藤人は、何かを目指せる環境に身を置いているのだ。それなのに、自分から諦めてはほしくない。それが自分で決めたことなら良いけれど、実際は自分で決めた気分になっているだけで、周囲の環境が原因で諦めかけているということもある。今の藤人は、それに近い状態にある。
だから応援したい。
自分で決めた道を、藤人が進めるように。
「わたしは、藤人には諦めてほしくないんだよ。自分で決めた道を、少なくとも藤人が納得するまでは歩んでほしい。だからさ、将来をさっさと決めないで、もう少しくらい何になりたいか考えてもいいんじゃない?」
「…………………………」
藤人は、黙ったままこちらを見た。何かを言い返そうとしているようにも思えたけれど、結局、ため息をついて、誤魔化しに話を逸らした。
「……そろそろ教えてくれてもいいんじゃないですかね。猫目石さん」
「…………何のことかな」
うわすごい。
この状況ですっとぼけにかかった。
「分かり切ってるでしょう。暗証番号ですよ金庫の!」
「ああ」
まるで今思い出したかのようだ。本当に大丈夫なんだろうか。
「確かに、僕はあの暗証番号を推理した。これでなければお手上げだという数字を導き出した。しかし、だ」
呑気にクッキーを頬張りながら、猫目石さんはとんでもないことを言う。
「僕はそれを君たちに教えないことにした」
「え、ええ?」
思わず大声が出てしまう。
「な、何でですか?」
「君の言葉を聞いたからだよ、日辻さん」
じっと、猫目石さんがわたしを見る。そのとき、はじめて彼の目をわたしはまじまじと見ることになった。
どこまでも、こちらを見抜くような目だ。視線に射抜かれると、自分の全部が猫目石さんに筒抜けになるような感覚に陥る。それなのに、こちらはその瞳から、何も得ることができない。猫目石さんが、何を考えているかまるで分からない。
「自分で決めた道を、自分で納得するまで、か。ならば僕が今回、暗証番号の番号を解読することはほとんど野暮な行いと断じても過言ではないだろう」
「ど、どういうことですか…………?」
「君が弟くんに対しエールを送ったように、家為さんもまた、弟くんにエールを送っていたのさ」
さらっと。
何でもないことのように猫目石さんは核心に触れる。
「それを僕が暴き立てるのは野暮だし、家為さんに対し不誠実でもあるだろう。これは藤人くんが、あるいは彼が暗証番号を解くために呼んだ君が解決するべき問題だと僕は思った。だから教えない」
それだけ言って、またクッキーを頬張る。今、たぶんこの人は完全に探偵としての自分をオフにしたな。
「でも、わたしたちは何も…………」
「探偵を目指すというのなら、これくらいのことはできなくては」
「いや、わたしは探偵を目指すとは…………」
「ヒントは既に揃った」
あ、完全にこっちの話聞いてないな。
「まったくの部外者である僕が解けたんだ。君たちならより早い時間で解ける。適当に手あたり次第番号を押しても解けるくらいだ」
いや…………。
その手あたり次第をやっても、開かなかったからわたしたちがここにいるんじゃ…………。
…………待てよ。
「まったくの部外者である僕」?
それは、おかしくないか。いやおかしくはない。猫目石さんが部外者なのは当然だ。
問題は、それとわたしたちが対比されているという点だ。藤人はともかく、どうしてわたしまで部外者ではないかのごとく、猫目石さんは扱った?
部外者というのならわたしだって部外者だ。四年間門前払いを食らい続けて、家為さんの死さえ知らなかったわたしが部外者じゃないはずがない。
それでも、わたしを部外者でないとするのなら…………。
それは、藤人との繋がりにおいてでしかない。
思い出す。
猫目石さんが、書斎で見せた目線の動き。
なぜ猫目石さんは、暗証番号を推理する直前、わたしを見た?
わたしと、わたしの手に持っていたものを…………。
「ああ………………」
きっと、そういうことだ。
この暗証番号は、もっとも簡単なものだったんだ。
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