#2 再会、弟と……そして
そして、三日後となる次の土曜日。
誕生日プレゼントもちゃんと準備して、わたしは向かった。
弟――藤人の所へ。
わたしの妹が代乃だけではないように、わたしの弟たちも波介と佳朗だけじゃない。五回の結婚と離婚の中で、離別した弟が一人、いる。
それが家鳴藤人と言って、現在は家鳴の実家に預けられている。家鳴家はわたしたちのいる岡崎市の隣で、あのDスクール、水仙坂大学付属がある花草木市において名家として知られている、らしい。
その辺りの情報はおぼろげに、誰かから聞いたような聞いていないような、その程度の不確かさだ。
家鳴家まではわたしの家からバスと電車を乗り継ぐこととなる。これが結構遠い上に運賃を使う。それでも今日は四の五の言ってはいられない。午後二時を少し過ぎたところで、わたしは家鳴家に辿り着いた。
藤人の家は、花草木市は花籠町の、閑静な住宅街に位置する。最寄駅から十分ほど歩くと、ほどなくして大きな屋敷が立ち並び始める。わたしたちが住んでいるところよりも一軒一軒の間隔が広い。一軒ごとに敷地が広く、大きな庭もあるのだろうと想像できる。想像するしかないのは、日の光を浴びて眩しいくらい白い漆喰の塀が視線を遮っているからで、この塀が住宅街の重厚な静けさを強調している。
塀が漆喰でできていることからも分かる通り、並んでいる家々はどれも日本家屋だ。木製の大きな門と、塀の向こうから僅かに覗く鬼瓦の立派さが、誇るでもなく佇んでいて、自分の場違い感というものが、ここに来るとずっしりと重くのしかかる。
「うーん…………」
それにしても。
今日はやけに静かな気がする。
家鳴家邸宅の塀を右手に見ながら、ふとわたしはそんなことを考えていた。いつも静かなのは確かにそうなのだけど、今日はどうしてだろう、その静けさに沈鬱なものを感じる。気のせいだとは、思うのだけど。
やがて、右手に家鳴家の門が見えてくる。
家鳴の邸宅はこの住宅街でもひときわ大きいらしく、門の造りも重厚そのものだ。ただ大きいだけじゃなくて、警備員の詰め所のようなものまで併設されている。忌々しいことに、今日もそこに一人の男性警備員がいて、外をじっと見ている。
そりゃあまあ、警備員がいなかったらこっそり入ったかと言われるとそれは違うのだけど……ねえ。
「あのー…………」
仕方なく、わたしはそろそろと警備員に近づいた。警備員はこちらに気づくとため息をついた。
「また君か」
「またと言われるほどは来ていない気がしますが……」
「毎年来ているなら『また』だよ十分に」
警備員は詰め所を出て、こちらに歩いてくる。警備員として雇われるだけのことはあって、男性の体は大柄で、制服の上からでも分かる程度には筋肉質だ。威圧感がすごいので、近づかれると一歩引いてしまう。
「毎年と言っても今年で四年目なので四回くらいしか来たことないんですけど、よく覚えてますねえ」
「こんな屋敷に君みたいな女の子がアポなしで来れば嫌でも印象に残る。残念だが、今年も通すことはできない」
「ええ……」
と、言いつつ、半分くらいは予想通りだ。今年こそは藤人が許可してくれないかなとは思っていたけど、そんな美味しい話はない。
わたしは毎年、藤人の誕生日になるとこの屋敷に来て、そして門前払いを食らうということを無意味に繰り返していた。その結果、警備員の人に顔を覚えられたらしい。わたしも顔は覚えている。お互い、顔だけ覚えて名前は覚えていない変な関係だ。
「今年はちゃんと誕生日プレゼント、用意できたんですよ」
取りあえず抱えていた荷物を掲げてみる。リボンのシールがついた紙袋だ。
「いや知らないって。誕生日プレゼントはここを開く鍵じゃないからな」
「そんなあ………………」
今年こそは行けるかもと思ったんだけどな……。でも諦めきれない。今年はプレゼントを持ってきたのだから、もう少し粘っても罰は当たらないだろう。
そう考えてさて次の矢はと言葉を継ごうとしたとき、ぷるるるる………………と、どこかで聞いたことのある間抜けな低音が近づいてくる。そちらの方を見ると、どこかで見覚えのある赤いスクーターがこちらに向かってきていた。
スクーターは門の前で停車する。乗っているのは、黒いウィンドブレーカーにジーンズでリュックを背負った男性。その人が、ヘルメットのシールドを押し上げると…………。
「………………あっ!」
「これはこれは、あのときの中学生じゃないか」
現れたのは痩せぎすの顔。いつかの自称ジャーナリスト、柳葉さんだった。
「あなたは…………」
警備員が胡散臭そうに柳葉さんを見る。柳葉さんはポケットからクシャクシャの名刺を取り出して身分を明かす。
「柳葉龍三です。本日は為子さんに呼ばれて……」
「ああ、あなたが…………」
二人のやり取りをぼうっと見ていると、木製の門が重い動作で開かれていく。これ自動開閉式なのか…………。
「どうぞ、お入りください」
「ええっ!」
思わず叫んだのはわたしだ。
「なんでですか? なんでこの明らかに胡散臭い自称ジャーナリストが入れて、藤人の姉のわたしが入れないんですか!」
「胡散臭いって思ったより失礼だな君は!」
スクーターを押しながら、柳葉さんが答える。
「私はアポを取ったきちんとした客なんだよ。君がどういう立場でこの家に来ているかは知らないけど、私は正式な客なの!」
「本当に? 本当にですか?」
「なんだいその、助かった後の狼少年に『本当に狼に襲われたの?』ってなお疑って聞くような目は。結構傷つくよその目!」
とかなんとかやり合っていると、詰め所の窓からひょいともう一人、初老の警備員が顔を出す。見たことのない人だ。
「古式くん」
「あ、はい」
わたしたちの対応をしていた警備員が反応する。古式というのか。こんなところで名前を知るとは。
「交代する前に伝え忘れたんだけど、ひょっとすると今日明日中に芽里乃さんって子が来るかもしれないから、その子が来たら通していいって藤人くんが」
「芽里乃、ですか?」
わたしの名前だ!
「はい、はいっ。わたしです。日辻芽里乃です」
「君そんな名前なのか? 本当に?」
じろりと古式さんがこちらを見る。
「なんですかその目。カマかけに引っかかった直後の犯罪者を見るような目! 結構傷つきますよそれ」
「君がさっきしたんだろう……」
ともかく、これで入れるようになったわけだ。わたしは意気揚々として、開いた門を潜る。
初めて入る家鳴邸宅は、門に入ってから玄関までが広々とした造りをしている。車ごと乗りいれるためのロータリーまで用意されているほどだ。なるほどこれは、この住宅街、いやこの市で一番大きい屋敷と言っても過言ではないくらいだ。
手入れの行き届いた松の木を左右に見ながら歩いていくと、後ろからスクーターを引っ張りながら柳葉さんがついてくる。
「しかし驚いた。君が家鳴家に縁故のある人間だとはね。いったいどういう関係だい?」
「弟がいるんです。わたしの三番目のお母さんが家鳴家の人で、お父さんと離婚した後、実家に弟の藤人と引き払ったって聞いて。風の噂では、お母さんはその後すぐに亡くなってしまったそうですけど」
「三番目って……。いったい何人君にはお母さんがいるんだい?」
「五人です。今のお母さんが五番目」
さすがにわたしの実の母にあたる一番目のお母さんと、波人の産みの母にあたる二番目のお母さんの記憶はほとんどない。だからわたしがお母さんと呼んで記憶のあるのは、三番目のお母さんからだ。
三番目のお母さん――家子さんと言った――はわたしたちと出会った頃から、既にあまり体の調子が良くない様子だった。それから三年を一緒に過ごし、その後別れてすぐに亡くなったと聞いたときも、だから驚くよりもむしろ納得してしまったくらいだ。
藤人は家子さんの連れ子だったから、出会った頃から大きくて、わたしとは僅かに一歳差である。結局、家子さんのお葬式にも出られていないし、その後、藤人とは一度も会っていない。今まで門前払いばかりだった。
でも…………なんで今日に限って許可が下りたんだろう。
もちろん藤人に会えるのは嬉しいのだけど、四年も会うまいとしていた藤人が会いたがるなんて……。何か、厄介なことでも起きたのだろうか。
そう考えると、どうも早足になってしまう。後ろの柳葉さんを置いて、わたしは玄関に急ぐ。
そのとき、ふと、庭の片隅に人影がちらついた。さては藤人かと思って、さっとそちらに視線を動かす。
いたのは、白いポロシャツにチノパン姿の、わたしとそう年の変わらないらしい少年である。髪は長く、特に前髪が目元にかかって暗い印象を与える。背は高い方だろうけど、猫背の分小さく感じる。猫背もそうだけど、全体的に覇気や威圧感に欠けるところのある印象だった。
わたしは、その少年のことを見たことがあった。すぐには思い出せなかったけれど、数瞬頭を巡らせて、ようやく答えに辿り着く。
同じクラスの大灘洋くんだ。狼滝くんと違って何か目立つような子じゃないから思い出すのに時間がかかった。遅刻魔欠席魔で狼滝くんの助力がないとクラスに馴染めないわたしが言える口じゃないけれど、クラスではいつも隅っこにいるようなタイプだった気がする。…………やっぱり分からないな。ほとんど学校にいないわたしが雰囲気で云々言っていいことじゃないと思う。
あれ? でもなんで大灘くんがこんなところに? 今日は疑問が多い日だなあ。
「どうかしたかい? 弟くんでも見つけた?」
後ろから追いついた柳葉さんに声を掛けられる。
「いえ、クラスメイトが……」
「へえ?」
受け答えをしていると、こちらに気づいていない大灘くんはさっさと屋敷の中へ入ってしまう。
まあいいか。必要があればそのとき、事情は知ることになるだろう。
「それより、柳葉さんこそなんで家鳴家に? ただのジャーナリストが関係を持つような家とも思えないんですけど」
「そうでもないさ」
と、あまり隠すつもりもないのか、柳葉さんが教えてくれる。
「私が探偵業界のジャーナリストを本業とする前、ルポライターをやっていた頃にね。取材のアポを取るために家鳴家の家為さんに助力してもらったんだ」
「家為さん…………」
確か、藤人にとっては祖父にあたる人だ。
「アポを取るべき相手がそれなりの名家で、だから家鳴家の伝手を借りたという格好だ。それ以来、ちょっとした恩顧で付き合っているというわけさ。今日は娘の為子さんに呼ばれてね。ちょうど、弔問に行こうとは思っていたし……」
「弔問? 誰か亡くなったんですか?」
「何言ってるんだい?」
怪訝そうな顔で、柳葉さんはこっちを見た。
「家為さんその人がつい一か月近く前に亡くなっただろう? 君、知らなかったのか…………」
「……………………ええ、まあ」
知らなかった。
まったく知らなくて、呑気に藤人の誕生日を祝いに来てしまった。この辺りがやたら静かに感じたのも、もしかしたら人の死の余韻だったのかもしれない。
どうしよう………………。
「で、でも知らなかったし……。門前払い四年目なら知らなくて当然だし、知らないフリして普通に祝いに来た体で全然問題はない、はず」
「…………それでいいんじゃないかな、別に」
柳葉さんが熱のない声で賛同してくれる。じゃあいいか。
でもひょっとしたら、わたしを今になって招いたのと何か関係が?
つらつら考えながら歩いていると、玄関が開く。そして中から、ひとりの少年が顔を覗かせた。
「あっ!」
思わず、駆け足になる。
「藤人!」
出てきたのは、間違いなく藤人だった。どういうわけか血が繋がっていないのに梅子と同じような丸顔で、相変わらず華奢な体つきをしている。四年前は掛けていなかった銀縁の眼鏡を掛けていて、どことなく表情は凛々しくなった、気がする。
「久しぶり、元気してた? ちゃんと食べてた? あ、背伸びてる! わたしより大きい! それでね、一日遅れちゃったけど誕生日だったでしょ? だからプレゼントを…………」
「待て、待て、落ち着け」
藤人が声を出して制する。声も、四年前よりも少し低くなっている。声変わりが始まっているのかもしれない。
「…………ったく、姉貴は相変わらず気楽そうだな」
「そうかな?」
「そうだろうよ。どうしたらあんな家で気楽に生きていられるのか分からないけどな」
あんまり気楽に生きている気はしないのだけど……。でもわたしが深刻そうな顔をして藤人を心配させても仕方ないし、気楽そうに映るならそっちの方がいいか。
「本当、すごい久しぶり。ちゃんと元気にしてた?」
「そればっかだな。別に僕は元気だよ。それより…………」
藤人は神妙な面持ちで、こっちを見る。
「姉貴」
「なに?」
「例えば……今から面倒事を押し付けたとして、姉貴は引き受けてくれるか?」
「いいよ? なになに?」
「…………即答かよ」
何故か、藤人は肩を落とす。
「四年ぶりだぞ? 四年ぶりに会う気になった弟が面倒事を押し付けようって言ってるんだぞ? もうちょっと嫌がるなり警戒するなりあるだろう?」
「そんなことないよ。藤人が四年ぶりにわたしに会わなきゃいけないって思うようなことなんでしょ? だったら何だってお姉ちゃんが解決するから!」
「………………そういうこと、言うだろうなって思って招いたこっちにも非はあるんだろうな」
ぼそりと呟いてから、藤人は柳葉さんの方を向く。
「姉弟の感動の再会はいいけれど、わざわざ出てきたということは、君は為子さんの使いかな?」
「そういったところですよ。柳葉龍三さん、でしたっけ? 伯母さんが待ってますが、ぶっちゃけるとあなたにご相談したい用件というのは、僕が姉貴を呼んだのと同じものでして」
「ほう?」
「ですから二人とも一緒にご案内しますよ。それからもう一人、客がそろそろくる手筈なんですけど……」
藤人がちらりと門を見る。わたしたちもつられて門を見る。藤人は別に客が来るのを予感したわけじゃないだろうけど、結果的には、それと同じことになった。
わたしたちが門の方を見ると、一台の黒塗りのバイクがゆっくりと門を潜って屋敷の敷地に滑り込んでくる。どこどこと腹の底に響くような重低音は、柳葉さんのスクーターよりも迫力がある。
「レブル250か……」
真っ先に反応したのは藤人だ。相変わらず趣味は変わらないらしくて、少し安心する。
でもレブル250ってつい最近もどこかで……。珍しいバイクってほどではないけど、色合いといい、見覚えが……。
見覚えがあるのはバイクだけじゃない。乗っているライダーもだ。その、遠目にはスーツかブレザーか分からない服。
思い出した。ちょうど梅子と会った日だ。あの日、『歪んだ果実』を目指して歩いている途中で、狼滝くんと一緒に見たバイク。
バイクはこちらに向かって近づいてくる。そこでようやく、ライダーの姿が少しはっきりする。
彼の着ているのはブレザーだ。しかも学校の制服。驚くべきことに、乗っているのは学生だ。胸ポケットのあたりの校章の刺繍を見て、わたしはぎょっとする。
その制服は、水仙坂大学付属のものだ。つまり、Dスクールの…………。
探偵。
滑り込むように、バイクは玄関脇に止まる。ライダーはバイクにまたがったまま、ヘルメットを脱いだ。
まず、注意を引いたのはクシャクシャの髪だ。ヘルメットを被っていてそうなったのではないらしく思われる、クシャクシャで手入れの行き届いていない髪はぼさぼさとまとまりなく伸び放題に伸びている。
次いで、顔面の右半分を覆う火傷の跡が痛々しく目に付く。火傷の跡は黒く焼けただれた個所と、肌がめくれたのか白くなっている箇所があって、元の肌色と合わせると三色まだらになっていた。よく見るとヘルメットを持った右手にも同様の火傷跡があって、顔だけでなく全身を火傷しているらしいことがうかがえる。
最後に、目だ。
ライオンか虎のように大きく、そして鋭い目がこちらを隙なく見据えている。目の爛々とした輝きは、彼の全身から発せられる気だるさとは矛盾するように、気力と精力を漲らせていた。
この人は、誰だろう。わたしの疑問には、柳葉さんが答えてくれた。
「…………猫目石、瓦礫か。これは驚いた」
猫目石瓦礫?
じゃあ、この人が。
高校生探偵。警視庁お抱えの顧問探偵宇津木博士の亡き後、一挙に脚光を浴びるようになったという水仙坂付属の学生探偵か。
「これで全員揃ったか」
猫目石瓦礫がゆっくりとバイクから降りるのを見て、藤人が呟く。
「それじゃあ、中に案内します」
………………ちょっと待って。
高校生探偵がどうしてここにいるのかとか、そういうのは一旦置いておくとして。
問題は高校生探偵を呼ぶほどの厄介事がここで起きているかもしれないということで。
安請け合いした手前、今更帰るという選択肢こそないものの。
ひょっとして今わたし、藤人の誕生日を祝いに来たつもりが相当手強い厄介ごとに巻き込まれているのでは?
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