#5 いい日

 梅子は、約束の時間から少し遅れて『歪んだ果実』へやってきた。ロケに予定より時間を取られたのではなく、梅代さんを振り切るのに時間をかけてしまったと彼女は言っていた。

「やっぱりあんたが会ったのは悪手だったって。ママの態度、今までより頑なになってる。正直、今朝までは代乃のことはなんだかんだ言って説得できると思ってたんだけど……、今はできる気がしない」

 と、彼女は正直に白状した。

「だから……この話はなしってことにしてもいいんだよ?」

「ううん」

 わたしは梅子の言葉を否定する。

「大丈夫。梅子が味方になってくれるなら、どれだけ時間がかかっても構わない。それに、せっかく隠し味のこと聞いてくれたんだから、代乃のことがなくても教えるよ」

「そう……。で、その隠し味って?」

「それはまず、食べてもらった方が早い」

 わたしはキッチンに入って、カレーを盛り付けて持っていく。隠し味が分かってから、わたしがまた作り直したカレーだ。

 これで、問題ないはず。

 カウンターの椅子に腰かけて、雪宮さんと狼滝くんがじっと様子を見守っている。

「どうぞ」

「どうも」

 スプーンを持って、カレーをすくう。梅子は一口、カレーを口に運んだ。目を閉じて、ゆっくりと味わうように咀嚼する。

 やがて眼を開いて、こちらを見た。

 その目線だけで、わたしには十分だった。

「そう、これ! この味! 間違いない。お姉ちゃんの作ったカレー」

「良かった」

 わたしの辿り着いた答えは、間違っていなかった。

「これ、何の隠し味を使ってるの?」

「いや、隠し味は使ってないよ」

「え?」

「だから最初、実は梅子に隠し味の話をされたときはすごく焦ってね。隠し味なんて使ったことないのに隠し味のこと言われたから。でも考えたら分かったよ。思い出したって言うのかな?」

 隠し味と聞いたから、最初は分からなかった。

 なぜなら、隠し味という言葉には、足すものという潜在的なイメージがあったから。

「わたしは隠し味を足してはないんだよ。ただ、引いただけ」

「引く…………?」

「そう、梅子が嫌いなものをね」

「えっ!」

 驚いて、梅子がカレーの中をかき回す。やがて、彼女も答えに辿り着いた。

「ニンジン……」

 そう、ニンジンだ。

「梅子って、ニンジン嫌いだったもんね。梅子だけじゃなくて、うちはみんなニンジン嫌いなんだから。『神の舌』なんて呼ばれてるから、ついうっかり梅子の好き嫌いのことが頭から飛んでたよ。でも納豆グラタンを食べてる梅子を映像で確認して思い出した。梅子って結構好き嫌いが多いんだよね」

「そんなもんなのか?」

 あまりピンと来ていないらしい狼滝くんが横槍を入れる。

「子どもの好き嫌いが多い理由は……」

 それに補足を入れたのは雪宮さんだ。

「大人より味覚が鋭いからと言われている。大人になると好き嫌いが減るのは、食材の味を感じにくくなるからだ。ニンジンは子どもが嫌いな食材の筆頭格だが、大人でニンジンが嫌いな人はまずいない」

「でもニンジンの有無でそんなに味が変わるか?」

「ニンジンは香味野菜だからね、変わるさ」

「香味野菜?」

「そう。洋食でブイヨンなんかを煮出す際に、セロリや玉ねぎなんかと一緒に入れられる。要するに味の出やすい食材なんだよ。あまりにも一般的な食材だから忘れがちだけど、ニンジンは本来、子どもが嫌うのも無理はないほど強い癖を持っているんだ。それを入れるか入れないかは、カレーの味に大きく関わってくる」

 もちろん、あのホワイトカレーにはニンジンが入っていない。赤色嫌いの雪宮さんのために考案されたメニューだから。梅子がホワイトカレーにわたしのカレーと同じようなものを感じたのは、ニンジンの有無が共通していたからだ。

「でも最初は全然思い出せなかったよ。梅子がいなくなって、次のお母さんになってから少し方針を変えてね、嫌いな野菜もなるべく食べさせようってなったから。それまではみんなニンジンが嫌いだったから使ってなかったんだけど、カレーに入れたら食べてくれるから入れるようになってて、その差を忘れてた」

「そう…………そういうことだったのね」

 梅子が、スプーンを置く。

「ありがとう、ございます」

 ここで初めて、梅子は敬語を使った。雪宮さんと狼滝くんの二人に向かって。

「お姉ちゃんを手伝ってくれたんですよね。ありがとうございました。おかげで、知りたかったことが知れました」

「い、いやあ…………」

 バツが悪そうに狼滝くんは頬を掻いた。

「今回、俺何もできてねえよ。探偵生徒会の名折れだな。隠し味なんて、結局日辻が思い出すしかないことだったとはいえ……」

「あの映像がヒントになったなら、十分な仕事じゃないかな?」

 雪宮さんがそう言って慰めてから、梅子に向き直る。相変わらず彼女の赤いパーカーを見まいと目は細めていたけど。

「俺も興味深かったから手伝っただけだ。恩義に感じられることでもないさ。ただの低俗なやじ馬根性だ」

「それでも、お姉ちゃんを手伝ってくれたのは事実ですから」

 そう言って、深々とお辞儀をする。

 それから、腕時計を確認した。

「惜しいけど、もう行かないと。ママがうるさいから」

「そう……」

「説得、してみるね。時間はすごくかかるかもしれないけど。それまで、代乃はよろしく」

「任せておいて」

「それから…………」

 去り際に、梅子はぼそりと呟いた。

「また、カレー、作ってほしい…………」

「え?」

「隠し味は分かったけど、たぶん、この味はお姉ちゃんじゃないと出せないから。だから、また、作ってほしい」

「…………………………うんっ」

 今日はいい日だ。テレビの星座占いに言われるまでもなく。

 妹と、仲直りできたんだから。

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