その証明としての物語をここに示し、

 破れてしまったダンボールをリサイクルセンターに持ち込んで廃棄し、代わりのダンボールをもらってきた。引越し会社のロゴが入った、白いダンボールだ。そして、ゲームセンターで獲ったプーさんのぬいぐるみ。いなくなってしまった猫の代わりだ。別れの挨拶もなしにいなくなってしまった。さよならはいつだってなんとなくだ。事故か。誘拐か。ただ、猫は馬鹿ではない。猫がいなくなってしまったとしたら、それは猫がどこかに行きたくなっただけのことだろう。


 この猫が語っていた世界は消えてしまったのだろうか。それとも・・・・・・。現に、猫という語り手が消えてもこの世界自体は消えていない。同じように僕が消えてもこの世界は消えるわけではないのか。語り手を失っても消えない永遠がそこにはあるのか。やはり、僕は誰かの語る星空の住人のひとりにすぎないのだろうか。本当は僕という語り手は最初から存在しない可能性だってある。それでも構わない。ただ世界のねじを巻くのが僕ではなく他の誰かだった、というだけのことで世界が回っていることに変わりはない。そいつが人の姿じゃなく、ただの概念みたいな訳のわからない存在かもしれない。それでも悪くない。


 物語の一番の醍醐味。語られる事象は嘘であったっていい。むしろ嘘が物語の主成分だ。だとしたら・・・・・・。この世界は嘘だらけ。嘘が積み重なっているだけ。そんな世界で真実を求めて意味があるのだろうか。しかし、こんな物語の星空で何を真実で何を嘘と呼べばいいのか。その境界すらあいまいなのだ。


 僕はWordに打ち込んだ文章を上書き保存して、パソコンを勢いよく閉じた。何が卒論だ。こんな研究に何の意味がある。物語をつくる方がよっぽど意味のあることじゃないか。こんな数字がすね毛のようにずらずらと並んだ測定データがどれほど世の中の役に立つのか。誰かの気まぐれで生じただけの数字かもしれないのに。机の隅にずっと置きっぱなしだった、空のレモンティーのペットボトルをゴミ箱に放り投げる。まだ少量残っていたらしく、買ったばかりのカーペットに点々とシミができる。しかし、そんなこともうどうだっていいような気がした。

 

 少しの休憩・・・・・・。引越し用ダンボールを頭からかぶる。右手にはプーさん。すぐに世界は上下左右を失い、物語の星空に包まれる。


 とある喫茶店。店内には僕とプーさんだけ。店員すらいない。店内BGMはスピッツの「空も飛べるはず」。プーさんは冷めたマルゲリータを頬張る。君のマルゲリータにタバスコをかけすぎてしまったようだね。君は顔を顰めている。でも、僕はその顔が好きだ。君は困っているときが一番可愛い。窓の外を巨大な猫が通る。本当に困った顔は本当に心を許している人にしか見せないものだ。


 プーさんは赤いセダンを運転する。銀行を強盗したのかな。君はどんなに変装したってアイデンティティを消しきれるわけはないのに。慌てて逃げたって無駄だよ。カーステレオから流れるラジオでは猫がリクエスト曲を紹介する。ビートルズの「ノルウェーの森」が逆再生で流れ出す。でも、君はもう逃げれないよ。僕に助けを求めるしかないんだ。君の運命はすべて僕次第。殺してあげてもいい。顔の表情をつくる筋肉を制御できなくなるくらいに困らせてやりたい。僕を殺してもいいよ。その度胸があるならね。

 

 鈍い音が響く。プーさんは血まみれだ。ビルから飛び降りたのか。僕が駆けつけると、君はいなくなってしまっていた。身体はそこにある。息もまだあるようだ。ただ、君はもうそこには不在だ。ふとビルの屋上を見上げると、猫が舞い降りてきているところだった。身をきれいに翻し、飛行機の着陸みたいに音もなく降り立った。ニヤニヤと笑いながら僕を見る。猫の身体が空間に吸い込まれるように消えていき、ニヤニヤ笑いだけが残った。死んだのだろうか。猫は死ぬときに姿を消すというが、まさに文字通りだ。君の不在とニヤニヤ笑いだけが残っている。僕は、君の身体を抱きかかえると・・・・・・。


 何時間経ったのだろう。僕は寝てしまっていたようだ。物語は中途半端なところで終わってしまったようだ。ここがダンボールの中かどうかさえ分からない。しかし、そろそろ答えあわせをしなければいけない。僕がこの世界の語り手なら、僕が消えたらこの世界も消えてしまうはず。たとえそうならなかったとしても、この世界の語り手がどこか違うところにいた、というだけのことでしかないのだが。実を言うと、僕はとあるビルの屋上でこれを書いている。いつだって答え合わせをするほとんど準備はできている。

 最後の準備・・・・・・。僕はいつだって時間にルーズだった。最後くらいこの世界の秩序に合わせてやってもいいだろう。


 僕は、時計の針を5分進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る