相棒のネコとともに

 日向ぼっこしていたはずなのに、空は砂塵に覆われ暖かな日光は遮られた。大きな爆発音とともに、街は一瞬でゴミ袋の中身かのように変貌してしまった。しかし、この公衆電話はシェルター役目を果たし私だけは助かった。当たり前だ。この物語の支配者は私なのだから。


 自己紹介を。生まれは猫カフェ。ここで生まれ、母とともに暮らしていた。多くの人に乱暴に撫でられ、尻尾を掴まれ、ひどい時にはお尻で踏まれたりした。店で一番小柄な猫として客の目を惹いた私の身体は、人間の手垢まみれになっていた。しかし成長するにつれ、無愛想だった私に近付く客は減っていった。人気がなくなるにつれ、店からもらえるエサの量も減っていった。ある日、段ボールとともに山奥に捨てられた。「息子が指を噛まれた」という苦情が店に入ったらしい。まぶたの上を執拗にこねくり回す指に絶えきれなくなり、ほんの軽く抗議の意を示しただけなのだが。段ボールには、雨よけのための黒いプラスチック板がかぶせられていた。


 私は、その中で物語を夢想し続けた。段ボールの中の宇宙に浮かんでいるような気持ちになり、空腹も寒さも忘れることができた。朝方外に出てネズミや小鳥を取って食べ、それ以外の時間は段ボールの中の星空を眺めた。だが、やがて体力の限界が訪れてしまう。星たちが一つ、また一つと消えていき目の前が暗くなっていく。次の瞬間、痛いほどの光の針が身体中を突いた。気がつくとプラスチック板はなくなっており、日光が差し込んでいた。そして暖かな腕に包まれ、段ボールから引き上げられた。親切な人が私を助けてくれたのだ。


 この親切な人の家でしばらく暮らすことになった。総合栄養食の表示がついた少し高めのキャットフードを毎日三食与えられ、ワクチン接種も受けた。飼い主が家にいない時間は自由に外出をして、川辺のやわらかい砂を掘りモグラをいじめて遊んだ。家に灯りがともれば、それが帰宅の合図だ。身寄りのなさそうなお年寄りから、キャベツの切れ端を目の前に放り投げられることもあった。しかし、決して食べることはない。狩りを行う私たちからしたら、立場が下の奴らから獲物を受け取ることは絶対にないのだ。私はキャベツを受け取るかわりに、モグラをお年寄りの足元に放り投げている。


 しかしいつまでもキャベツを食べない私に、お年寄りはイラつきを募らせていたようだ。私はいつものようにモグラをお年寄りの足元においた。その瞬間、全身の毛穴が急激に縮こまった。ペットボトルの水をかけられたのだ。私は体を頭から尻尾までフルフル震わせ、息をつく。身体中が熱くなる。脳みそが掻き回される。怒りだ。これは、怒りだ。私は、お年寄りに向かって飛びついた。そして、首を思いっきりひっかき、指を噛んだ。ただ怒りに任せて指を次々へと噛んでいった。


 気がつくと狭いゲージの中に私はいた。小汚い老人を噛んだ代償であることはすぐに察しがついた。腐った体液がじっとりと染み込んだねずみの死体のようなにおいが鼻から脳へ突刺す。身体が逃げたくなるようなにおいだ。しかし逃げ道なんかない。身体が震えだす。薄黄色のガスが上方から噴出される。なんのガスか分からない。何も分からない。ただ、このガスは空気よりも比重が大きいのだろうか。床に近いところから溜まっていく。後ろ足で立ち上がり、なんとかこのガスから逃げようともがく。しかし、ガスは容赦なく身体を包んでいく。力が抜けて倒れる。力を入れていないにも関わらず、手足はピンと張る。意識が遠のく。


「あなたは誰?」

 僕は・・・・・・誰?

「どこにいるの?」

 ここは・・・・・・どこ?

「生きてるの?」

 生きている・・・・・・。彼の中で。

 自己複製される意識が空間全体に広がる。ここは・・・・・・星空。飼い主の意識の中に広がる星空だ。いま、私はこの星空で自己複製しながら遍在している。飼い主の物語の中で生きる存在としての私。飼い主の意識を支配する私。

 

 紀元前、猫は生物間の競争から身を引き、人間とともに生きることを選んだ。するどい牙を捨て、体も小さくなっていった。そしてひとつ手に入れた生物として究極の武器。ウイルスだ。猫とともに暮らすことで、人間はこのウイルスを少しずつ体に取り込んでいく。このウイルスによって人間は猫に魅了され虜になる。だけでなく、人間の意識の中に、もうひとつの意識の核が作られる。この核によって人間の意識は少しずつ支配されていき、やがて占領されてしまう。人間の物語の星空を猫が作りだし、その中で生きていくのだ。しかも、このウイルスは人間から人間へと広がっていく。様々な人間の物語の中で半永久的にすることができるのだ。人間は気づかないうちに何匹もの猫の意識の核を取り込んでいるかもしれない。猫は生物としての究極の形を手に入れたのだ。


 飼い主の物語は私の視点によるもの。語る私と語られる飼い主。この支配は死ぬまで続く。死ぬまでに、このウイルスをできるだけ多くの人間に広げてくれることを願うだけ。


 彼の物語の中で昼寝でもしよう。

 

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