僕自身もある物語の登場人物にすぎないと気づき

 段ボールから出るとそこは現実の世界。大学生としての僕が一人称で語る世界。猫が擦り寄る。スコティッシュフォールドと呼ばれる種類のその猫は、シルバーの毛をもつ。光の当たり方によっては、淡いブルーに見えなくもない。肝心の名前だが、特に決めてはいない。この猫は猫であるということだけがアイデンティティなのである。かろうじて左右の耳の折れ具合が微妙に違うという特徴があるが、同じような猫は数え切れないほどいるだろう。

 

 僕の生きるこの世界の語り手は、猫なのではないか。と、ふと思う。僕の生きる世界の語り手は、猫であったって不思議じゃない。この世界が猫の語る世界だと証明はできないが、猫が語る世界は確実に存在しているのだ。気まぐれな猫のことだから、きっとすぐに爆発したり炎上したりしているのだろう。 

 僕はジャガイモの皮をむき、フライパンに入れてふかす。菜箸で崩れるくらいの硬さになったらオタマですくいだし、しばらく冷ます。猫が、耳元を喧しく飛び回る蚊のように、足元をうろちょろしている。

 ジャガイモが冷め切ったら、ジャガイモをくずしながら床にばらまいてやる。溶けかけの雪だるまほど柔らかくなったジャガイモは、床に叩きつけられて無残に潰れる。このとき、床で食わせることが重要である。お皿に入れたり、まして机の上で食べさせたりしたら、猫が人間と同じ立場だと誤解してしまう。猫には人間より下の存在だと知らしめてやらなければいけない。


 しばらくすると、猫は寝てしまった。満腹になって満足したのだろう。寝てばかりだから、寝子というのだという説があるくらいだ。ずっと寝続けているのだろう。僕は再び段ボールの中に戻る。


 無数の星たちに包まれる。満天の物語。ありったけの星をかき集め、日本語を駆使して再構築する小説家が僕の憧れだ。再構築された物語は多くの人に読まれ、星に還る。再構築された結果がアニメや漫画だっていいのだが、小説でしか表現できないものもある。見せたいものを見せたいように見せることができ、さらに見せたいものの見えない部分すら自在に描き出すことができる。見えない内部を比喩により鮮明に浮かび上がらせることで、物語は奥の深いものとなっていく。ここで一番重要なこと。物語は真実である必要はない。むしろ虚構性こそ物語の醍醐味だ。語られるものは嘘であってもよい。理屈が通らなくたっていい。想像力次第で無限に物語は生まれるのだ。この星空では銀河鉄道が走り、2+2=5になり、紙は華氏451度で燃やされる。


 段ボールの外には、卒論のための研究に追われる日々が待ち構えている。研究論文では、虚構は許されない。理屈が通っていなくてなならない。2+2=4でしかない。確かにこの積み重ねによって人々の暮らしは豊かになってきたのかもしれない。しかし僕はこういうことには向いていないのだと悟った。こんな日々が続くなら死んだほうがマシかもしれない。

 いや、ただ死ぬだけではもったいない。たった一つの命、有意義に使わなくてはならない。

 

 段ボールが破れ、隙間から入ってきた光が足の指を照らす。猫が引っかいて破ったのだろうか。新しい段ボールを探さなくては。

 


 

 

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